07 遠足
船から降りて広場に集合し、整列する。他校の生徒も同様に集まっていて、こちらをしきりに気にしている様子だ。あちらにも不良らしき雰囲気の生徒が少なからずいるが、まだ一触即発の空気は感じられない。ぼく達は教師からの諸注意を聞いた後、日本三景碑を囲むように記念撮影を済ませ、自由行動の時間ということで解散となった。
「どうしようか、これから」
近くにあった世界遺産登録記念碑に視線を落としながら、秋ちゃんが呟いた。すると羽衣ちゃんは得意げな笑みを浮かべる。
「やっぱりこの中で厳島の観光経験があるんはうちだけみたいじゃね」
ぼく達四人の中で引率者が決定した瞬間だった。
「何か希望とかあるんじゃったら今のうちに聞かせてくれる?」
「私は高いところがちょっと苦手だから、ロープウェイは遠慮したいかな。あと厳島神社には絶対に参拝したい。唯一は?」
「お土産を選べるならどこでも。めーちゃんは?」
「……できるだけ人で溢れてるようなところじゃなければいい」
「わかった。じゃあ最初町家通りに入って、厳島神社を参拝して、お昼食べた後はうぐいす歩道でも歩いて、最後に表参道商店街でゆっくりお土産買えばええじゃろ」
たちまちツアーガイドの役になった羽衣ちゃんを先頭に、ぼく達は歩き出した。羽衣ちゃん曰く昔のメインストリートらしい町家通りは確かにところどころ歴史を感じさせる、古い造りの建物が残った風情のある通りだった。追い越していく人力車、藤い屋の工場、酒器屋などの古物店に気を取られながら進んでいくと、やがて赤色が目立つ五重の塔が見えてくる。それを経由するように歩き、廻廊で結ばれた朱塗りの社殿が近づくと、羽衣ちゃんはやたら厳しく正しい参拝の仕方をぼく達に教えてくれた。鳥居をくぐる際の作法から、厳島神社に入る前の身の清め方までしっかりと指導されてしまった。本人に巫女を務める気はなくても、結局は神社の娘らしい。廻廊、客神社、拝殿、右門客神社、左門客神社、大国神社、天神社、回廊の順序でお参りを済ませた後、ほっと一息ついていると気のいい中年男性が四人そろっての写真を撮ってくれた。
「そう言えばここの御利益って何なんだ?」
「唯一、ちゃんと確認せんかったん? 交通安全と水難避けじゃけど」
「ふうん。なんか微妙だな」
「あとは必勝祈願とか心願成就とか、縁結びの御利益もあるみたいだね」
「ほら、めーちゃんはよく見とった」
「ねえ皆。そろそろお昼にしない?」
秋ちゃんの一言でぼく達はさっさと厳島神社を後にした。食事ができる場所を探しながら歩いているうちに最初の桟橋前広場まで戻ってしまい、鹿に昼食を奪われることがないよう堤防の上で弁当を食べることにする。羽衣ちゃんは屋台のたこ焼きを買ったが、堤防に戻るまでの道で五匹の鹿に囲まれきゃあきゃあ騒いでいた。通りすがりの外国人観光客から失笑されながら戻ってきた彼女だったが、被害はプラスチック容器を包んでいたチラシだけ。ぼく達三人もたこ焼きを一つずつご相伴に与り、これからうぐいす歩道に向かう――その前に化粧を直したいと言う羽衣ちゃんと、それに秋ちゃんが付き添いでお手洗いに行ったため、しばしの間ぼくは唯一くんと二人きりになった。話題どうしよう、と思い始めたとき唯一くんが「なあ、めーちゃん」と話しかけてきた。
「何?」
「あの二人、どう思う」
「秋ちゃんと羽衣ちゃんのこと?」
「そう」
「一見正反対なタイプだけど、仲良しみたいだね」
「だよなぁ。……あの二人が付き合えばいいのにって思わないか?」
聞き間違いじゃないかと思い、ぼくは海を眺める唯一くんの横顔を見た。すると唯一くんは視線を少し下にして続けた。
「これカミングアウトするのめーちゃんが初めてなんだけど、俺レズビアンが好きなんだよな。あ、いや違う。女同士の恋愛が、だ」
「何故ぼくにそんなカミングアウトを」
「なんか言い易そうだったから」
「言ってみてどう?」
一度空を仰いで深呼吸した後で、唯一くんはぼくに身体ごと向き直った。
「すっきりした。もっと喋ってもいいかな」
「好きにすれば」
「めーちゃんがそういうタイプだから、すげえ話し易いよ」
からから笑った後で唯一くんは独り言のようにぽつぽつと自身の嗜好を打ち明けた。元々は純粋に女の子が好きだったが、その女好きが高じた結果なのか気づけば女同士の恋愛に興奮するようになったらしい。男子一人でありながら秋ちゃんと羽衣ちゃんと一緒に行動しているのは、仲がいい二人をよく観察できるという下心から。教室で女子同士のスキンシップを見ることが、一番の楽しみとのこと。
「男同士の恋愛が好きな女は腐女子って呼び名があるだろ? なのに、どうして女同士の恋愛が好きな男には同等の呼び名がないんだろうな。不平等だろ。俺が不満に感じるのはそこなんだよ。……ありがとなめーちゃん。話聞いてくれて」
「別に。でも、いいの? 今日初めて会話したぼく相手にそんな秘密を喋って」
話し終えて満足した様子の唯一くんに言ってみると、きょとんとされた。彼はお手洗いから戻ってきた秋ちゃんと羽衣ちゃんの姿を見つけるなり、堤防から飛び下りる。
「いいんだよ。めーちゃんはこのこと誰かに言おうとか一切考えてないだろ。だって――面白いくらい興味なさそうな顔してる。だから俺は話したんだ」
「…………そっか」
意外と鋭い唯一くんに驚きながら、ぼくも堤防から下りて二人のもとに向かった。
自然散策道のうぐいす歩道はすれ違う人も少なく、時々葉擦れの音と鶯の囀りが聞こえてくる以外は静かな場所だった。途中から紅葉谷公園に入ったが、当然まだ若々しい新緑の紅葉ばかりだった。頭上をトンネルのように覆う緑色の間から光が零れ落ちて、きらきらとしている。これで季節が秋だったら観光客で溢れ返っているのかもしれないが、今は雑談をしながら歩くぼく達以外誰もいない。開けた場所にあった石段のようなところに秋ちゃん、羽衣ちゃん、ぼく、唯一くんという並びで座る。長閑だな、と思っていると秋ちゃんがリュックサックの中から随分似つかわしくないものを取り出した。
煙草、だ。
自動販売機でも見かけるセブンスターのソフトパッケージ。秋ちゃんはすでに開封されているそこから一本の煙草を取り出し、薄い唇に挟んだ。慣れた手つきで使い捨てライターの火を点す。ふーっと白い煙を吐き出した秋ちゃんに羽衣ちゃんが高い声を上げた。
「委員長! 未成年の喫煙は法律違反だって前にも言ったじゃろ!」
「羽衣は変なところで真面目ね。一応風下で吸ってるんだから」
「でも肺癌になりやすくなるし、寿命も縮むって言うし……」
「わかってる。一日三本以内に収めてるわよ」
「しかもそのセッター、タール重くなかった?」
「十四ミリ。二十ないだけましでしょ」
心配そうな顔色の羽衣ちゃんには一瞥もくれず、秋ちゃんはぼく達に煙がいかないようにという配慮か軽く背を向けて喫煙している。
「うちは委員長の身体を心配しとるんよ」
「そう。ありがとう」
素っ気なく返された羽衣ちゃんはわかりやすいほどに肩を落とした。ふと妙な物音が聞こえることに気づいて後ろを振り返ってみると、立ち上がった唯一くんが紅葉の幹に頭をぶつけている音だった。あの二人の会話だけで興奮し過ぎだろう。
「………………」
煙草を吸う秋ちゃんとそれを心配する羽衣ちゃん。そして彼女達に興奮している唯一くん。すっかり蚊帳の外となったぼくは紅葉で覆われた空を眺めて「人って見かけによらないものだな」と改めて独り言ちた。
うぐいす歩道の散策を終え、ぼく達は表参道商店街でお土産を選んだ。やはり三人ももみじ饅頭はとりあえず買っておくものとして考えているらしい。羽衣ちゃんは迷うことなく藤い屋でもみじ饅頭、杓子せんべい、淡雪花と銘菓を購入していたが、ぼくは色々悩んだ末やまだ屋を選んだ。やまだ屋はスタンダードな餡、チョコレート、クリーム以外が入っているもみじ饅頭も豊富に取り扱っている店だ。よだかさんが何を気に入るかわからないが、こし餡、つぶ餡、クリーム、チーズクリーム、チョコレート、抹茶、栗、檸檬が入っているもみじ饅頭を詰め合わせてもらう。若い女性の店員が包装した箱を袋に入れた後で、こし餡を一つおまけしてくれた。さすがは観光名所の店だ。
「もうそろそろ集合時間だね」
腕時計を確認した秋ちゃんが言い、自然とぼく達の足は広場に向かった。数人の生徒と教師が二人、すでに集まっている。しばらくすると教師が全員、生徒もほとんどの人数が集合した。しかし、高速艇に乗り込む時刻が迫ってもまだ現れない生徒がいる。いつもより表情を険しくした串山先生が鞭を手にどこかへ行った――かと思うと十分後、いかにも素行が悪そうな男子生徒四人を文字通り引きずって戻ってきた。高速艇の出発時刻は二分の遅れで済んだ。
「さすがは鬼の串山」
「厳島の敷地内から四人の不良を十分で探し出して連れ戻すとは……」
「教え子を見つけるアンテナでもついとるんかな」
生徒から畏怖の眼差しを向けられる串山先生は、誰よりもお土産の袋が多かった。遠足や修学旅行といったときには、普段学校の中でしか知らない人の思いがけない一面が見られると言う。事実、その通りだとぼくはこの一日で思い知らされた。
高速艇が厳島の桟橋から離れてしばらくすると、談笑していた秋ちゃん達は電池が切れたように眠ってしまった。他のクラスメイトも半数近くがうとうととしている。秋ちゃん、羽衣ちゃん、唯一くんの寝顔を眺めていると、今日みたいに誰かとグループになって自由行動を過ごしたのはひどく久しぶりだったことに気づいた。
「やっぱり、落ち着かないな……」
ひっそり呟いてみると当然のように溜め息が出てきた。