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06 船の上

 暦が変わり、五月一日。

 揺籃町でも色とりどりの鯉幟を飾る家や店が目立ち始めてきたが、飾られた鯉幟が翌日見ると誰かの血を浴びて不吉なものになっていることもあった。なかなかの迫力だ。さすがに鯉幟を買う気にはならないが、せっかくだから店で売られていた菖蒲(蓬も一本ついていた)を端午の節句までに買ってみようかと考えている。

 雲がほとんど見当たらない遠足日和となったこの日、午前八時に杏落高校の生徒は集合した。学校ではなく、指定された町外れの漁港に。

「今年も全校生徒の半分が来てねえとか、ふざけてんのかガキ共」

 串山先生は苛立たしげに鞭を鳴らしながら、整列している生徒に言った。ちゃんと出席しているぼく達にそんなことを言っても無意味だと思うが。

「厳島だぞ。安芸の宮島だぞ。御神体の中にある鳥居に神社に鹿に水族館だぞ。喜べよ」

 どうやら串山先生は厳島が大好きらしい。牛追い鞭を携帯する人が御神体に歓迎されているとは思えないが、この人が引率者だからこそ今まで杏落高校の生徒が厳島から出入り禁止を言い渡されなかったのだろう。もし引率者に串山先生がいなければ問題事――観光客と喧嘩する、神鹿を傷つける、店で万引きする、水族館の水槽を壊すなど想像に難くない――が起きるはずだ。出入り禁止で済むかどうかもわからない。

 やがて貸切の高速艇に乗る時刻となったが、三十二人いる一年四組は九人が欠席だった。その中には百太郎くんも含まれている。携帯端末を確認してみたところ、つい先ほど送られていたらしい《今日の遠足は休む。単車に乗りたい気分だし、宮島は女と何度も行ったことがあるから》というメッセージがあった。

「よし。じゃあ順番に乗れ」

 出席番号一番のぼくから船の中に乗り込む。杏落高校の生徒は全学年四クラスだが人数が少なくなっていることもあり、ぎりぎり学年ごとに分けられる定員数だった。間もなく全員を乗せた三艘が動き出し、桟橋が離れていく。雑談する相手もいないため、ぼくは一人で露天のデッキに出た。すでに何人かの生徒が潮風に吹かれている。思っていた以上に風が強い。ぼくは海に飛ばされないうちに帽子を脱ぎ、手摺りに凭れた。瀬戸内海を進む大きな音と強い風さえ気にしなければ、日向ぼっこにちょうどいい。

「隣、いい?」

 不意に話しかけられて振り返ると、三人の男女が立っていた。見覚えがあるためクラスメイトだとはわかるが、全員のフルネームまでは覚えていない。

「まず自己紹介しておこうか。私、春夏冬(あきなし)(あき)

 黒髪のボブで黒縁眼鏡をかけ、制服の着こなしもきちんとしている彼女は学級委員長だったはず。容姿も物腰も、いかにも委員長らしい。クラスでは率先して先生の手伝い、生徒の手伝いをやっている品行方正な姿が目立っていた。

「うちは()(とう)(いん)()(ごろも)ちゃんでーす。よろしく」

 明るい茶髪の一房を桃色に染めたポンパドールで、制服を着崩している彼女は秋ちゃんとは正反対のタイプに見えた。ピースサインを作った指の爪にはローズピンクのマニキュアが塗られ、ネックレスやブレスレットなどのアクセサリーを纏っている。

「こうして話すの初めてだよな。俺、(くい)()唯一(ただひと)

 スポーティーな印象のある黒い短髪と凛々しい眉が特徴的で、制服を軽く着崩している彼は間違いなく運動部だろう。人を外見で判断してはいけないと言うが、自然とそう思ってしまった。首には黒いベルトみたいなチョーカーを巻いている。

「哀逆愛織、です」

 一応と思い、ぼくも名乗ったところで羽衣ちゃんが声を上げて笑った。

「知っとるよぉ。今自己紹介したのは、めーちゃんがうちらの名前知らんだろうなって思ったからじゃけえね。あ、めーちゃんって呼んでもいい?」

 ぼくは頷いて「隣、どうぞ」と言った。するとぼくの右に秋ちゃん、羽衣ちゃん、ぼくの左に唯一くんが来てそれぞれ手摺りに凭れる。まだ話し慣れていないクラスメイト三人に挟まれ、あまり落ち着かない。

「あはは! やばいやばい、潮風強過ぎ! 髪型崩れそう!」

 そう言いながらも羽衣ちゃんは嬉しそうに、子供みたいな笑顔で飛び跳ねていた。

「身を乗り出して落ちないようにね」

 まるで母親のような秋ちゃんに窘められ、羽衣ちゃんは「はーい」と大人しくなる。

「ねえ哀逆さん」

「ん、何」

「よかったら自由行動のとき、私達と一緒に回らない?」

「それはいいけど、どうして今になってぼくを誘ったの?」

「あ、それは……」

「本当は前々から誘うつもりだったんだよ。一人でいるの、ほっとけないって委員長が言い出してさ。でも、めーちゃんってちょっと話しかけづらかったんだよな」

 言い淀んだ秋ちゃんの代わりに、唯一くんが答えた。話しかけづらかった。それは恐らく身体測定の日、クラスメイトの女子が初めてぼくの縫合痕を見たことがきっかけだろう。

「昔ヶ原とつるんでることがあったから」

「ああ。なるほど、ね」

 身体の縫合痕に加えて、一年生の中で最強とされる不良の百太郎くんも原因の一つか。

「あの体力テストの後、何かあったんじゃろうなって思っとったんよ」

「別に人の付き合いをとやかく言うつもりはないわ。でも、相手が相手だからちょっと心配だった。彼ってあんまりいい噂聞かないもの」

 だから、か。今日は百太郎くんがいないから彼女達はぼくに話しかけてきた。三人とも決して不良には見えない。羽衣ちゃんはやや軽い印象があるものの、学級委員長の秋ちゃんと一緒にいるのだから悪い人ではないはずだ。百太郎くんと一緒にいるときのぼくは話しかけづらいことこの上なかっただろう。

「大丈夫だよ。別に無理矢理付き合わされてるわけじゃないから」

「そう」

 秋ちゃんは安堵したように微笑を浮かべた。親しくないクラスメイトの端くれにも気を配る。理想的と言っていい学級委員長だ。

 その後部屋に戻ったぼく達は、厳島に到着するまでの時間を雑談で潰した。三人――主に羽衣ちゃんと唯一くんだが――は実によく喋る。羽衣ちゃんは杏落市内にある祈祷院神社の娘で、本来は巫女をするべきなのだが姉妹に任せ切っているらしい。唯一くんはバスケ部で期待の新人と言われているが、他にも色々な運動部の助っ人をしているとのこと。

 やがて男子一人、女子三人という組み合わせのまま恋愛の話に発展した。

「めーちゃんって彼氏おるん?」

「いない」

「じゃあ好きな人」

「いない」

「初恋は覚えてる?」

「十歳上の兄」

「そのお兄さん以外に好きになった人は?」

「いない」

「つまんない!」

 嘆くような声を上げて、羽衣ちゃんは項垂れる。彼女は秋ちゃんと唯一くんにも同じ質問を投げかけていたが、二人とも恋人はいないらしい。秋ちゃんは好きな人もいないと答え、唯一くんは「基本的に規格外な奴じゃなければ、女は誰でも好き」と真顔で答えていた。彼のことは女好きと認識していいのだろうか。

「そう言う羽衣はどうなんだよ」

 唯一くんが訊ね返したところ、羽衣ちゃんはしばらく考え込むように黙った。

「…………えっとね。小学生のときに二人、中学生のときに五人、ついこの間高校生になって初めての彼氏と別れたけえ、今はフリー。気になる人もおらんよ」

 見た目通り、と言っては聞こえが悪いかもしれない。しかしぼくからすれば見た目通り、彼女はなかなかに経験豊富だった。小学生の時点で二人も付き合っていたとは。唯一くんも中学時代に三人の女子と付き合ったことがあると言っていたが、比べ物にならない。

「おい。お前達、もうすぐ到着するから準備しろ」

 串山先生の声がかかった。トランプやら花札やらをしていた生徒もそれらを片付け、眠っていた生徒も別の生徒から起こされた頃、船は厳島の桟橋に到着した。

 

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