66 人殺しの集会
颯爽と応接間を出ていこうとしたよだかさんだったが、結局出発したのは一時間後のことだった。八雲さんが「このまま帰すと思ってる?」と注射器をよだかさんの首筋に突き刺し、何故かぼくまでよだかさんとチョコレートフォンデュの後片付けに追われたからだ。もう当分チョコレートは遠慮したい。
ぼく達が向かったのは棺桶町にある珈琲のチェーン店、スターバックスだった。
「愛織は何にする」
「珈琲はさっき八雲さんにいただいたので、珈琲以外がいいです」
「じゃあロイヤルミルクティーにするか」
「はい」
頷いた後でメニューを見て、気づいた。紅茶やティーラテはあるがロイヤルミルクティーの文字がないことに。ぼくがもう一度メニューを確認しているうちに順番が来て、よだかさんは注文を始めていた。
「スターバックスティーラテを二つ。茶葉はイングリッシュブレックファーストティーで、シロップをホワイトモカに変えてくれ。あとオールミルク。両方ともな」
しばらく待っていると白いカップの温かい飲み物が用意された。ロイヤルミルクティーとして売られているわけではないが、それらしい見た目と香りがする。よだかさんとぼくはそれを手に、奥にある六人掛けの席へと向かった。その席にはすでに男女二人ずつが座り、飲み物や軽食をテーブルに置いていた。彼らはよだかさんに気づくと手招きする。
「来たか黒喰。その子、前に言ってた助手ちゃん?」
「ああ」
よだかさんは壁際の男性二人が並んでいる隣に座り、ぼくはその向かいに残された椅子に着席した。隣に座っていた女性二人がにっこりと微笑んで会釈する。こうして見ても全員危険人物そうな雰囲気などは感じられない。
「初めまして。よだかさんの助手、哀逆愛織です」
とりあえず簡単に自己紹介をしたところ、四人とも愛想よく挨拶を返してくれた。そのうち三人がぼくに名刺を渡してきた。それによるとよだかさんの隣に座る男性は弁護士、さらに隣の男性は特別救助隊員、彼の向かいにいる女性は産婦人科医、そしてぼくの隣に座る一番若い女性は今年医学部に入学した大学生らしい。
世間的に肩書きだけを見れば、高く評価される立場にある人達ばかりだった。殺人鬼というところを除けばだが。
「それにしても黒喰。どうして今日は助手ちゃんを連れてきたんだ」
最初に声をかけてきた特別救助隊員が訊ねる。
「こいつがお前らに謝りたいことがあるって言うからな」
すると四人とも怪訝そうな顔でぼくを見つめた。彼らはよだかさんと違って読心術が使えないのだろうか。だとすると、不死身もこの中でよだかさんだけなのかもしれない。
「初対面の私達に何を謝ることがあるの?」
フラペチーノを片手に女子大生が小首を傾げて問う。
ぼくは十一月に入ってから起きている事件と、ぼくの兄の関係を話した。今後も杏落市の人間が無差別に襲われる可能性があることも、これが全てぼくのせいであることも。
「今まで《猫の事務所》が殺した人の中に、もしかしたら皆さんが守ると決めた人もいたかもしれません。それで……その、すみません」
一通り話した後、誰も喋ろうとせず沈黙が続いた。居た堪れなくなり、伏せていた目で彼らの様子を窺う。すると意外にも四人の殺人鬼は返答に困っているような、戸惑っている顔をしていた。そしてぼくの向かいにいるよだかさんは口元を右手で覆い、肩を震わせている。どうやら笑いを堪えているらしい。
「えっと……哀逆さん。僕達に謝ることって、それかい?」
弁護士の言葉にぼくは頷く。すると四人は苦笑に近い表情を浮かべたかと思うと、それぞれの顔を見合わせた。
「これはまた奇特な少女だな」
「そう言えば杏落市に来て一年も経ってないんだっけ」
「黒喰さんのお気に入りなだけあるわね」
「面白いじゃないですか。こんな子、そうそういませんよ」
殺人鬼達は物珍しげに喋り出した。よだかさんはテーブルに顔を突っ伏し、右手でばしばしとテーブルを叩いている。ぼくが言葉を挟めないでいると、全員の視線が不意に集まった。女子大生がぼくの頭を帽子の上から優しく撫でる。
「別に私達、そんなことちっとも気にしないのに。律儀なんだね哀逆さん」
「え、でも」
「まだわからねえのかよ処女」
ようやく笑いが落ち着いたらしく、よだかさんが顔を上げる。必死で笑いを堪えていたせいか目に薄らと涙が浮かび、頬が赤らんでいた。今まで見たことのない艶やかな表情に、アルコール度数の高い酒を煽ったかのように全身の血が沸騰する。もちろん飲酒の経験なんてぼくにはないが、きっとこんな感覚なのだろう。
「な……っ、に、がですか」
「自分がどれだけ無意味なことしたかってことに」
「無意味って」
「この犯罪都市で一体一日のうちに何人が殺して、何人が殺されてると思ってやがる。愛織は要因ってだけで、今月起きた事件全てに直接関わってるわけじゃない。だったらお前がこいつらに謝る必要なんて一切ねえんだよ。大体殺人鬼に謝る方がおかしいぜ。俺達殺人鬼は《猫の事務所》以上に人を殺してる。もっとも、誰かの利益のためになんて馬鹿馬鹿しい行動理念で殺してるわけじゃないけどな」
「う……」
言われてみればそうかもしれない。
冷静になって考えてみると、もしかしなくてもぼくはかなり的外れな行動に出ているのではないか。そう理解した途端かっと顔が熱くなった。
「だ、だって」
「あ?」
「仕方ないじゃないですか。よだかさんがぼくを助手にして、もう半年以上経ってるんですよ。こんなにも身近に殺人鬼がいて、一緒に仕事をして、守ってもらうことが多かったら……なんと言うか、感覚が麻痺してもおかしくないでしょう。だからこんなふうに、よだかさんと同じ殺人鬼に対してなんだか申し訳なく思っちゃったんですよ」
ああ、駄目だ。自分でも何を言ってるのか怪しくなってきた。せめてもの抵抗とばかりに口を開いてはみたものの、これではぼくの愚かさをますます露見させるだけだ。誤魔化すようにカップの中身を飲んでいると、よだかさんに名前を呼ばれた。
「愛織」
「なんですか」
「お前それ狙ってやってるのか?」
「……そう感じたのなら、そう受け取ってもらっていいですよ」
半ば投げ遣りな気分でぼくが返すと、彼は呆れたように溜め息をついた。すると今まで静かだった殺人鬼の面々がよだかさんを見る。
「やはり奇特だな。黒喰くんはこんなにいい子と出会っていたのか」
「俺のところなんて殺人鬼を味方につけただけで勝ち組気取りだぜ。こんなに可愛くない」
「きっとまだ犯罪都市に染まってないのね」
「なんだか羨ましいです」
口々に言われた後でよだかさんはまた一つ溜め息をつき、ぼくを見る。
「殺人鬼に対する好感度上げてどうするんだよ」
「は?」
「俺達は元々人好きだから、そんな理解を示すようなこと易々と言わない方がいいぜ」
「…………それなら」
「何」
「いえ、なんでもないです」
それならもっとよだかさんを理解したい。真っ先にそう思ってしまった。理解すればいいのか。どこまで理解すれば好きになってもらえる。下心がどんどん沸き上がってきて、自分がひどく重い人間に思えた。本来ならここにいる殺人鬼から快く思われる性質なんてものもないのに、とんだ猫被りだ。
「ところでお前ら」
よだかさんの言葉に顔を上げると、いつになく真剣そうな表情をしていた。
「もう決めたのか?」
その問いの意味がわからないでいると四人の殺人鬼が微笑んで頷く。よだかさんも満足げに頷き、ぼくは突然一人だけ取り残されたような感覚に戸惑った。
「何の話ですか」
「さっき八雲のところで連絡してただろ。そのときに選択肢を出した。しばらくの間、杏落市民を無差別で襲うような奴らが現れた場合そいつらを優先的に殺すか否か」
突然、店の扉付近から悲鳴が上がった。見ると物々しい武装をした男が十人近く雪崩れ込んできていた。全員、重たそうな銃火器を手にしている。それに気を取られているとぼく達のテーブルが激しく揺れた。五人の殺人鬼が一斉にテーブルを踏み、跳躍したからだ。飲み物が零れる寸前、とっさに伸ばしたぼくの両手がなんとかテーブルの揺れを止めた。そのときにはもう、よだかさん達が武装した集団に襲いかかっていた。珈琲の香りよりも強い血の匂いが鼻をつき、銃声と悲鳴が上がる。店内の客や店員は慌てて床に伏せたり物陰に隠れたりしたが、ぼくは席についたまま凄惨な光景に見入っていた。
「すごい……」
まるで大道芸のような、洗練させた――洗練され尽くした動き。軽業師のように銃口の狙いや素手での攻撃をかわし、その瞬間に武装した相手を転ばせ、わずかな隙間から血を噴き出させた。彼らの武器は持ってきていた傘だったり、先ほどまで使っていたスプーンやフォークだったり、どれもがその用途に相応しくないものだった。しかし殺人鬼達は瞬く間に相手を動かない肉塊に変え、何事もなかったかのようにこちらへ戻ってくる。誰も返り血を浴びていなかった。
「お見事」
とりあえずそう言っておく。ぼくの口からはそんな言葉くらいしか出てこなかった。彼らは凶器についた血と脂を拭い取り、再び腰を椅子に落ち着けた。
「これからもあの男達と似たような人間が杏落市の住人を襲うだろうな。今の奴らが《猫の事務所》か、それに扇動された無関係者かはわからない。ただのテロリストだったかもしれねえけど、俺達にできるのは同胞以外からの殺戮を殺してでも止めることだ。《猫の事務所》がテロリスト、宗教団体、薬物中毒者、通り魔、快楽殺人者、その他色々を使うかそれに化けるか……正確に見極めることまではできないからな。精々しばらくの間、俺達はそいつら以外を殺さないことにする」
よだかさんは薄く笑って、もうかなり冷めてきたカップの中身を飲み干す。
「俺達が殺す人間を減らされるのは、気分が悪い」
「……そんなことを言うなら、どこか海外の戦争でも止めてきたらどうですか。あなた達なら案外実現できそうですよ」
ぼくが言うとよだかさんはきょとんとした。そしてすぐに鋭い牙を見せ、笑う。
「チェリーガール。お前、何か勘違いしてねえだろうな。殺人鬼だって言ってしまえば一般市民だぜ。液晶を通して知った気になる遠い場所のことなんか正直どうでもいいんだよ。自分にとっての身近なところが守れれば、それで満足できる。世界平和は大歓迎だけどな」
「………………」
ぼくからしてみれば随分荒っぽいやり方だ。殺人鬼以外が杏落市民を殺戮していたら、その相手を殺すだなんて。いかにも殺人鬼らしいと言えば、それらしいのかもしれない。きっとこんな方法、彼らくらいにしかできない。
人が好きで、人を殺す鬼の、不器用な人の守り方。
いつの間にか客や店員も落ち着きを取り戻していた。ぼくとよだかさんは店員がモップで血糊を掃除している横を通り、スターバックスを後にする。五人の殺人鬼はちょうど全員が休みの日らしく、まだゆっくりしていくと言っていた。
「今日中にあいつらを通じて、市内にいる殺人鬼にさっき話したことが伝達される。多分断る奴はいない。人殺しに規制をかけることにはなるが、その分殺し甲斐のある人間を殺せるんだ。これで少しはお前への嫌がらせ――《猫の事務所》に殺される住人も減るだろ」
「……ありがとうございます」
「構わねえよ。これは俺達殺人鬼の自己満足でもあるんだからな。お前が俺に依頼をしなくても、杏落市の住人が無差別に狙われるならいずれこうしてた」
「はい。でも、嬉しい、です」
しばらく時計を見ていなかったが、かなり時間が経っていたらしい。もう夕日が落ち始めている。この繁華街では夜が近づくにつれて怪しい人達も増えていくのだろう。二人でバス停を目指していると不意によだかさんがぽつりと言った。
「俺、今くらいの時間が好き」
「え?」
「昼間から夜に変わっていく短い時間帯。あとは夜明けの時刻だな。東の空がぼうっと白くなっていくのがいい」
「よだかさんはどちらかと言うと、真夜中の方が似合うと思いますけどね」
ぼくの言葉によだかさんは少しだけ不満そうな顔を見せた。そして突然足を止め、近くにあった殺人鬼注意の警戒標識に触れる。
「真夜中はそんなに好きじゃない。星や月がはっきり出てるときならまだしも、ただ暗いだけの空はちっとも面白くねえだろ」
彼は右手で標識の支柱を掴むと間髪入れず道路から引き抜いた。ぶんっ、と風を薙ぐ音がしてぼくの髪が揺れる。よだかさんの手によって投げられた標識は人混みを上手くかわして突っ切り、矢のように前方へ飛んでいった。直後に悲鳴と大勢のどよめきが上がる。遠いためはっきりとは見えないが、恐らく誰かの身体に標識が貫通したらしい。
「明日は何して遊ぼうか」
白皙の美貌に夕日を浴び、よだかさんは無邪気に笑った。その言葉はきっと誰もが子供の頃、一日の終わりが近づくこの時間帯に思ったことだろう。




