47 さりげない味方
月曜日は休校になった。
一つのクラスがなくなるほどの大量殺人事件が起きたのだから、無理もない。ぼくは二日連続で杏落市警察署に呼ばれ、何時間も事情聴取を受けた。応対してくれた警察官は四十代くらいの女性で口調や物腰が柔らかだったため、覚悟していたような圧迫感はなかった。それでも警察署を出る頃には疲労感が身体に溜まっていた。
殺人事件の第一発見者。
殺された人間の共通点、杏落高校一年四組の生徒でありながら唯一生き残っている人間。
この忌まわしい二つのレッテルのせいで、犯人が捕まるまで何度も事情聴取を受けるのだろうか。そう考えるとひどく憂鬱だ。なんだか頭が重い。
「あ! あの、ちょっといいですか?」
「……なんですか」
《クルーエル》の敷地内に足を踏み入れようとしたとき、突然声をかけられた。二十代前半くらいの男性と、四十代半ばくらいの男性。年下の方は体育会系っぽく健康そうだが、年上の方は出不精で貧弱そうな雰囲気が感じられる。対照的な二人だ。
「哀逆さんですよね? 杏落高校一年四組の」
ぼくはすぐに返事をしなければよかったと後悔した。恐らく彼らは報道関係者だ。一体どこから情報が漏れているのだろうか。今はまだこの二人組だけのようだが、いずれはこの手の人間が増えるのかと思うとぞっとする。
「…………だったら、何なんです」
「ほんの少しだけでも話を聞かせていただけないでしょうか?」
「何故」
「お友達を一度に失って、さぞかし心苦しいと思います。まだ犯人の手がかりすらも見つかっていないんですよね。その胸に溜まった思いを吐き出してはいかがでしょう」
さっきから喋っているのは若い彼だけだ。四十代半ばくらいの方は立っているのも疲れると言いたげな表情でぼくをじっと見ている。
「必要ありません。事情聴取で疲れているので、失礼します」
ぼくが敷地内に足を踏み入れたそのとき「きみがやったんじゃないのか」という小さな低い声が耳に届いた。若い方が慌てた様子で窘めているから、四十代半ばくらいの人が言ったのだろう。わざと怒らせて話を聞き出そうとしているのかもしれない。ぼくは聞こえなかったふりをしてエントランスに入った。ちょうど中にいた土竜さんと目が合う。ついさっきまで穴掘りをしていたのか、握ったシャベルに土がついていた。
「ああ、愛織。今帰りか」
「はい。ちょっとそこで報道関係者の人に声をかけられました」
「……気をつけた方がええな」
彼と一緒にエレベーターに乗り込んだところで、事件のことを教えてもらえないだろうかと思いつく。探索屋の土竜さんなら今回の事件、ぼくが知らないこともたくさん調べ上げてくれるだろう。もしかしたら警察よりも早く犯人に辿り着くかもしれない。しかしぼく個人で土竜さんに依頼するのは経済的に難しい。それにもし犯人がわかったところでどうなるんだ。よだかさん以外、人間は一度死んだら生き返らない。不死身なんてあの殺人鬼一人で十分だ。
「おい、愛織。出んのんか?」
「あ……」
気づけば六階に着いていて、土竜さんが開いたエレベーターの扉を素手で押さえていた。怪訝そうな顔でこちらを見つめている。
「すみません。出ます」
六階の廊下に出たところで土竜さんは軽く溜め息をつき、シャベルを肩にかける。シャベルについていた暗い色の土が床に落ちた。
「ぼーっとするんも無理ないけど、お前が一番用心せんといけんのはわかっとるじゃろ。そんな様子じゃと危なっかしいわ」
「はい」
「ところでさっきからそれ気になっとったんじゃけど、何なん? ガーデニングでも始めるつもりか」
土竜さんが指差したのは、ぼくの手の中にある横長の鉢だ。赤、ピンク、オレンジ、黄色の四色。球形の小花が一つの鉢で仲良く無数に咲いている。
「百日草ですよ。警察署からの帰り道、通りがかった花屋で見つけました。明日教室で皆の机に生けるつもりです。切り花では売ってなかったので鉢で買いました。三十一人分ですから、あまり大きくなくても花の数が多いものがいいかなと」
「仏花としても使われるけえちょうどええかもしれんな。花言葉も合うしのう」
「これの花言葉、土竜さん知ってるんですか?」
「知らずに買ったんか、お前。《幸福》とか《高貴な心》とかの他に《絆》、《不在の友を想う》、《遠い友を想う》、《別れた友への想い》、《いつまでも変わらぬ心》なんて花言葉があるけえ随分とぴったりな花選んだと思ったのに」
「そんな花言葉が……」
「あと《注意を怠るな》」
「…………」
何か言い返す気になれずぼくが百日草の可愛らしい花を見下ろしていると、土竜さんは「それにしても」と続けた。
「一年四組の教室、もう鑑識の証拠収集は終わったんじゃな」
「ええ。今日規制解除したらしいので、机とか椅子とかもそのまま使うことになります」
「生徒は愛織一人しかおらんのにか」
「ぼくが担任の串山先生にお願いしたんですよ。本当なら一年三組に移動させられる予定だったみたいですけど、なんだかそれが嫌で……。そう言ったら串山先生が二学期の間だけはまだ一年四組の生徒として扱う、授業も時間割も今まで通りで変わらない、ただし冬休みが明けたら一年三組に移動する、って決めてくれたんです。ぼく一人だけですから、授業は必然的に教師と一対一で何度も発表させられるから覚悟しろよって」
「ふん。とりあえずは用心しとくんじゃな」
「はい」
土竜さんは自分の部屋の前まで来ても、すぐ中に入ろうとしなかった。先にぼくが部屋の中に入り、扉を閉めて鍵もかける。その後で隣から鍵を開ける音が聞こえた。ぼくが部屋に入るところまでを見届けてくれたのだろうか。心配してくれているのだとしたら素直に嬉しい。
翌朝、通常通り登校すると杏落高校の正門には十人前後の報道陣が集まっていた。ぎょっとするほどの大人数ではないものの、正門を通る生徒達に話を聞こうとしている。
「行きづらいな……」
「久々に見る光景じゃのう」
突然背後――否、頭上から聞こえてきた声に振り返ると福幸先輩が立っていた。今日は朝から登校するつもりだったらしい。手の甲に見えるメヘンディは最後に見たときとデザインが異なっていた。こうしてちゃんと顔を合わせるのはかなり久しぶりだ。
「福幸先輩。おはようございます」
「おう」
「久々に見るって、こういう光景前にも見たんですか?」
「わしが二年のとき、編入してすぐの頃にな。この校舎で変な宗教団体による三十九時間の立てこもり事件が起きた後じゃった。あのときは教師と生徒何人かが人質になって、一人の体育教師と三人の生徒が死んだ。二十人以上いた犯人達もほとんど自殺したり警察官に撃たれて死んだり、結局生きて逮捕されたのはほんの五人くらいじゃったな」
「そんな事件があったんですね……」
「生徒同士や生徒と教師の殺傷事件なら珍しくもないが、さすがに一つのクラスがほぼ皆殺しにされた大量殺人事件はそうそうない。いい記事のネタになると思っとるんじゃろ。それにまだ犯人が見つかっとらんけえのう……。今話した事件もそうじゃったけど、学校で起きた事件は発覚したときにはもう犯人が確定しとることが多い。今回みたいなのは珍しいわ」
福幸先輩はぼくに事件のことを何も訊こうとしない。それなりに親しい後輩だった百太郎くんも亡くなったというのに。様々な災厄に見舞われてきた彼にとってはなんでもないことなのだろうか。それとも表に出さないだけなのか、どっちだろう。
「行くぞ」
「えっ。あ、はい」
ぼくは福幸先輩と肩を並べるようにして歩き始めた。正門が近づくにつれ、報道陣がぼくに気づいた。《クルーエル》の前で出待ちをされてはいなかったが、やはり第一発見者のぼくはすでに顔が割れているらしい。我先にと近づいてくる人達の勢いに思わず足を止めてしまいそうになったが、ぼくの背中に大きな手が触れる。福幸先輩の手だと気づいて顔を上げたとき彼は報道陣を鋭い眼光で睨みつけていた。やくざの若者だと紹介されれば信じてしまいそうな、高校生離れした迫力と貫禄に言葉が出ない。報道陣もぎょっとした顔で道を開けてしまった。
「ありがとうございました」
無事正門を抜けて昇降口まで来たところで、ぼくは福幸先輩に頭を下げた。
「言っとくが、何度もこうやって助けてもらえるとは思うなよ。今日は早退する予定じゃけえ下校のときもおったら自力でなんとかせえや」
「はい」
福幸先輩と別れたぼくは開いた鞄の中にある三十一本の百日草を確認した。園芸用ではない普通の鋏で切り取り、ノートの切れ端で束ねただけのみすぼらしいものだ。潰れていないことに安堵する。もうあの鉢にはわずかな蕾以外、花が全てなくなってしまった。一体この花はどれくらいもってくれるのだろうか。
「あとは生けるものを探さないと」
職員室に行って美術室の鍵を借り、四階の隅にある美術室へ急ぐ。一輪挿しができるものならなんでもいい。二十分ほどかけて美術室と美術準備室を物色し、見事に形も色もばらばらだが、なんとか三十一個の花瓶代用品が集まった。複数に分けて水道の水を入れ、一輪ずつ百日草を生け、クラスメイトの机に置いていく。あんなにも血で汚れていたのが嘘だったかのように、一年四組の教室は以前よりも綺麗になっていた。
ぼく以外の生徒がいない教室は当然ひどく静かだ。隣の教室で騒ぐ生徒の声がはっきりと聞こえるほどに。時折違うクラスの一年生や上級生が訪れては、親しかったのだろう生徒の机に色々なものを供えていった。いくら人の死に慣れている杏落市の高校生でも、弔意を失ってはいない。中にはぼくに慰めの言葉をかけてくれる人もいたが、その一方で「あの子が犯人だったりして」と囁き合う人もいる。特に傷つきはしなかったが、誰もいない静かな教室で弁当を食べていると妙に胸の辺りが冷たく感じた。
長く感じた授業が全て終わり、放課後になった。週ごとに替わる掃除担当者も今後はぼく一人だけだ。掃除場所は一年四組の教室だけでいいと串山先生に言われ、その通りにする。生徒がたった一人しかいない分、ほとんど汚れることのない教室はすぐ綺麗になった。しかし窓の外から正門付近に報道陣がいるのを見て憂鬱になった。朝よりも人数が少し増えている。犯人が捕まるまで――もしかしたら捕まってからも、これが毎日続くのだろうか。
「行くしかないか」
報道陣は逃がすものかと言わんばかりにぼくを取り囲み、濁流が押し寄せる勢いで言葉を浴びせてきた。一年四組の哀逆さんですよね、何か一言をお願いします、犯人に心当たりはありませんか、今の心境をどうぞ。下世話でありふれた言葉ばかりだ。ぼくは何も言わず無理矢理にでも突き進もうとしたが、なかなか歩を進められない。ここで報道陣に暴力を振るえばさっさと帰れるのだろうが、そんなことをしては問題事になる。どうしたものかと途方に暮れていると、突然小高い丘を上ってくる車の走行音が聞こえてきた。
高級そうな赤いセダンが一台、報道陣のすぐ近くで停まった。助手席から五十代くらいの男が出てくる。赤いシャツの上から白いスーツを着た、年季の入った美丈夫といった風貌。しかし左の袖口から腕に彫られているらしい刺青が覗いている。どう見ても堅気ではない男の登場に、報道陣はどよめいた。彼はぼくに近づいたかと思うと深く頭を下げた。なんだこれは。戸惑いと驚きを押し隠し、とりあえずぼくも頭を下げる。
「お疲れ様です。柩木組よりお迎えに参りました」
「え?」
「若からの指示です」
その言葉にセダンの後部座席を見ると、窓の向こう側に見慣れた楪くんの顔があった。相変わらず年不相応に据わった目だ。目が合うと会釈をされた。
「どうして……」
そんなことをわざわざしてくれるんだ。
ぼくが訊ねると男はぐるりと報道陣を見回した。それだけで銃口を突きつけられたかのように人々は萎縮する。
「このたびの事件、心中お察し致します。哀逆さんは徒歩通学でしょう。若は、こういう無神経な輩が哀逆さんの通学を邪魔するだろうと仰いましてね。登下校は柩木組の車で送迎することを提案なさったんです。さあ、どうぞ。別に取って食いやしませんよ」
「あ、はい」
促されるがままぼくはセダンの後部座席に乗り込んだ。膝に黒いランドセルを乗せた楪くんが一人だけ。運転席にはそれほどやくざのようには見えない三十歳前後の比較的若い男が座っていた。唖然としている報道陣に、運転手は可笑しそうに鼻を鳴らす。
「あの顔、いい気味ですね」
「おい。早く出発しろよ」
「はい」
セダンが発進し、小高い丘を下り始めたところでぼくは楪くんに訊ねた。
「どうしてこんなことを?」
「お姉さんが傷つくのは嫌です」
「傷つくって確定しなくても……」
「僕の勝手な判断です。迷惑だったら、ごめんなさいです」
「いや、助かったよ。ありがとう」
「登校は七時五十分、下校は三時五十分頃でいいですか?」
「さすがはストーカー。よく把握してるね。でも、わざわざ柩木組の人や車をぼくのために使わせるなんて迷惑だろう」
そんなことはない、と言うように楪くんはふるふると首を横に振った。
ありがたいと思ったことに偽りはない。しかし楪くんが好意を寄せているからという私情だけを理由に、一般人で無関係なぼくのため柩木組の人間を動かしてしまうのはいかがなものだろうか。楪くんが見返りを求めていないことはわかるが、ぼくには彼らに返せるものなんて何もないのだということに気後れする。
「楪くん。こんなことをしてくれても、ぼくは何もお返しができないよ」
「…………《瀬戸内レモンレモネード》」
「え?」
「あれを三日に一本お願いしたいです」
大きな目でこちらをじっと見つめて楪くんは言った。真っ直ぐな眼差しが澄んでいて、少年らしい。それでもやくざの跡継ぎとして様々なものを見聞きしてきた彼だからこそ、子供らしくない神妙な雰囲気を感じさせる。まだ小学四年生なのに、年上のぼくに配慮してくれているのだろうか。
「ああ、わかったよ。ありがとう楪くん」




