46 生き残りと超教師
お洒落な男子が好むプレゼントなんて何がいいのかぼくには全然わからない。
それでも友達として何もあげないわけにはいかないからと百貨店に行き、昔ヶ原兄弟の誕生日プレゼントとして選んだものがレザーラップブレスレットだった。二人ともピアスはたくさん開けているが、ブレスレットやペンダントをつけているところはあまり見たことがない。だから新しいピアスよりもこっちの方がいいのではないかと思い、二つのレザーラップブレスレットを購入した。全く同じものではなく、使われている石は別々にした。虎目石と鷹目石。どちらも災厄除けや魔除け効果があるパワーストーンらしい。
学校を休んでいた二人に連絡を入れて《ルナティック》に向かうと、部屋の中には丁寧にラッピングされたプレゼントがいくつも置かれてあった。きっとぼくが買ったものより遙かに値が張る高級品がほとんどだろう。名前だけは聞いたことのある人気ブランドのマークが目についた。高校生二人にこれほど貢ぐ女性の考えが理解できない。
「へえ、めーちゃんって結構センスいいんだな」
「それをどうしてもっと自分を飾るために使わないのか」
「大きなお世話ですよ」
お裾分けされたサーティワンのアイスクリームケーキを味わいながら、ぼくは二人が喜んでくれていることに安堵した。その一方で社交辞令かもしれないという疑心がある。
「これって虎目石と鷹目石だよな。琴太郎、どうする?」
「お前が先に選べよ。俺はお兄ちゃんだからな」
「じゃあ、俺は虎目石にする」
「俺は鷹目石だな」
二人はその場でさっそく袋を開け、レザーラップブレスレットを左手首に巻いた。どちらも落ち着いた色の石で派手さはないが、留め具のボタンがアクセントとなっている。
「めーちゃん。ありがとう」
「大事にするよ」
その台詞、一体どれだけの女性に言ってきたのだろう。
さすがにそんなことを口にするのは意地が悪い。愛想があるのは決して悪いことじゃないのだから。ぼくは普通に「どういたしまして」と返しておいた。
「それにしても年子の兄弟で誕生日が同じって、ちょっと珍しいですよね。ただでさえ双子っぽいのに生まれる日も同じなんて」
「でも俺達は双子じゃないんだよな」
「こんなに見た目も声も好みも似てるのにな」
「教科書とかはお下がりが使えるから、そういうところは便利なんだけど」
「めーちゃんの誕生日はいつだっけ?」
「三月十五日です」
ぼくが答えると、質問してきた琴太郎先輩は本棚から分厚い文庫本サイズの本を取り出した。表紙を見る限り花言葉の本らしい。とてもではないが、この昔ヶ原兄弟の私物にしては相応しくないような気がする。
「それ、どうしたんですか?」
「花屋の店員に貰ったんだよ。花言葉って、結構贈り物をするときに重要なんだぜ。例えば一月一日の誕生花スノードロップ。これの花言葉は《希望》、《慰め》、《逆境の中の希望》、《恋の最初の眼差し》って綺麗なものだけど、人に贈ったら《あなたの死を望みます》になるから気をつけないといけない。三月十五日の誕生花は――え、これ……って」
琴太郎先輩の顔が引き攣り、その頁を覗き込んだ百太郎くんも「うわ」と声を上げる。
「ぼくの誕生花がどうかしたんですか?」
「ヘムロック……毒人参だ。ソクラテスの処刑に使われた有毒植物。花言葉は《死も惜しまず》、《死をも惜しまない人》、《あなたは私の命取り》、《あなたは私を死なせる》」
「すげえ。こんな花言葉ってあるんだ」
「これは誕生日にプレゼントするような植物じゃないな」
「やっぱりめーちゃんの誕生日には化粧品がいいだろ」
「それよりも服が先じゃないのか?」
まだ半年以上も先のことを話し始めた二人から本を受け取り、ぼくは六月二十九日の誕生花を探す。紫陽花だ。花言葉は《高慢》、《自慢家》、《辛抱強さ》、《愛情》、《元気な女性》、《無情》、《冷酷》、《冷淡》、《移り気》、《浮気》、《変節》、《家族団欒》、《あなたは美しいが冷淡だ》。
「二人のは結構合ってるみたいですね」
だろ、と何故か二人は嬉しそうに笑う。
「……どうしてぼくが虎目石と鷹目石のブレスレットを選んだかわかりますか?」
「めーちゃんが好きな石だったから」
「色が俺達に似合うと思ったから」
「違いますよ」
ぼくは二人の左手に巻かれたレザーラップブレスレットを交互に見て、言った。
「百太郎くんも琴太郎先輩も、色んな人から恨まれることが多いでしょう。もしかしたら女性の怨霊に取り憑かれたり、危ない事件に巻き込まれるかもしれない。その虎目石と鷹目石はどちらも魔除けの石なんですよ。ぼくはあんまりこういうの信じるタイプじゃないですけど、一応お守りってことで」
「何が魔除けのお守りだよ……」
ぼくは他に息のあるクラスメイトがいないか念入りに見て回った。一人一人の顔を確認して、頸動脈に触れていく。殺人現場を荒らしていることになるのだろうが、もう足を踏み入れて百太郎くんに触れてしまった後だ。これが原因で第一発見者のぼくが犯人として疑われても、構わない。
「春夏冬秋ちゃん。天國千鶴ちゃん。雨鼓音叉ちゃん。浮橋七夕くん。逢坂永遠ちゃん。崖島泡海ちゃん。狩谷鷹司くん。神流鶯ちゃん。祈祷院羽衣ちゃん。杭瀬唯一くん。劇村馳男くん。古森誘ちゃん。七人岬歩くん。昔ヶ原百太郎くん。左右田左右ちゃん。曾我統二くん。高浜聖くん。橘恋路くん。夏越与那子ちゃん。葉桜外郎くん。土師兵助くん。英言祝くん。日笠弁慶くん。街沙都子ちゃん。円境内くん。御厨羔ちゃん。深城麗ちゃん。焼山昇華ちゃん。家鳴政治くん。弓野菖蒲ちゃん。四月一日優彦くん。一年四組の生徒、三十一名が――殺されまし、た」
呟いた後で気づいた。いつの間にかぼくの手は右も左も血塗れになって、黒いセーラー服にも目立たないながらも血が染み込んでいる。それから、ぼくがクラスメイトの名前を全員覚えていて、口に出せるということに。
血が少しだけ飛び散った黒板には、誰かが描いたのだろう派手なチョークアート。《我ら一年四組》、《第一回打ち上げ会》、《文化祭お疲れ様》、《LOVE》、《おめでとう!》、そんな文字と可愛らしいキャラクターの絵が大きく描かれている。机の上にはまだ一つも開封していないお菓子の山があった。二リットルの大きなペットボトルが四本、手つかずのまま。麦茶とコーラとオレンジジュースとポカリスエットだ。温かい飲み物は一つもない。当たり前だ。冬でも暖房を効かせた部屋でならどんなに冷たい飲み物でも美味しいのだから。
「現実逃避してんじゃねえよ」
ぼくは自分の右頬を叩いた。ぱしん、といい音が耳につく。これで顔まで血で汚れてしまったかもしれない。汚れ。汚れなんて言うな。言っては駄目だ。クラスメイトの血だ。ぼくのクラスメイト。友達以上の関係になれた人は少なかったが、いつの間にか色んな人が百太郎くんに倣ってぼくを「めーちゃん」と呼んでいた。ぼくを受け入れてくれた。初めてだった。そんな人達の身体を動かしていた血液じゃないか。だが、もうクラスメイトは誰一人動いていない。皆死んだ。人の身体から出て、空気に触れた血は結局ただの鉄分だ。変な匂いと味がする汚れだ。これはクラスメイトの一部なんかじゃない。
「あ、あ、あああああああああ……!」
ひどく汚い声が喉から溢れてきた。
「駄目だ。ここは駄目だ。早く出よう。先生を呼ぼう」
教室を出て深呼吸を一つする。血の匂いはしない。冷たくて新鮮な空気は気持ちいいくらいだった。ぼくは鞄を教室の扉付近に置いて階段を駆け下りた。職員室の扉を三回ノックすると誰かの「どうぞ」という声が応じる。確か扉から入ってすぐのところが串山先生の席だったはず。ぼくは扉を開けた。顔や手は血で汚れたまま。中にいた教師が少しだけざわめいたものの、派手な悲鳴は聞こえなかった。
「一年四組の哀逆です。串山先生に用があって来ました」
「なんだ」
串山先生は卓上のパソコンと向き合ったまま、キーボードを叩きながら応じた。
「一年四組の生徒が、殺されています」
ぼくの言葉に串山先生が素早く事務椅子から立ち上がり、あまりの勢いで椅子は後ろに倒れる。突っ立っているぼくを押し退け、串山先生は職員室を出るなり長い脚で駆け出した。
超教師。
串山先生はそんな通称を持っている。上司、同僚、モンスターチルドレン、モンスターペアレント、PTA、教育委員会も恐れず己の教育方針を貫く。串山先生の教育――これも超教育と呼ばれている――を阻もうとした者は老若男女問わず、彼の言葉と実力行使に等しく敗北したらしい。一見すると体罰教師にしか見えないが、授業の教え方はかなり理解しやすく評価は公平。廃部寸前の弱小だった女子ハンドボール部は彼が顧問になったその一年後、全国大会に出場するほどの強豪と化した。
そんな教師としても人としても強靭な串山先生が今、焦っている。教え子になって半年以上過ぎたが初めて見る顔だった。ぼくは他の教師に混ざり、串山先生の後を追って一年四組の教室に戻った。途中で誰かが「あなたは大丈夫なの?」とぼくに訊いてきたが頷くことしかできない。串山先生は教室の中を穴の空くほど見つめ、牛追い鞭を持つ手がぶるぶると震えている。女性教師の悲鳴が上がり、何人かが顔を顰めた。
「これは、ひどい……」
「全員死んでるんでしょうか」
「どう見たってそうだろう」
「早く警察を」
「犯人らしい人物は?」
「監視カメラを確認しましょう」
犯罪都市にある学校でも、一つのクラスがほぼ皆殺しにされるという事態はそうそうないのだろう。教師達は一気に慌ただしくなった。ぼくはとりあえず手や顔を洗うように言われ、それが終わるとカウンセリング室で待機させられた。今まで一度も入ったことのなかった部屋には、カウンセラーが使うパソコンを置いたスチールの机、カウンセラーと生徒が向き合って座るための席、本棚、観葉植物しかなかった。しかし今日はカウンセラーが不在で、ぼくとカウンセリング室に入ったのは担任の串山先生だった。
「なあ哀逆」
「はい」
「お前が殺したんじゃないんだろ」
疑問形ではなく、しっかりとした肯定。向かいの席に座った串山先生は、真っ直ぐぼくを見つめている。あまりにも真っ直ぐな眼差しに耐えられず、ぼくは串山先生が買ってくれた温かいミルクティーの缶を開けた。湯気が立ち上り、甘くて優しい香りがする。
「どうしてそう言えるんですか?」
「一年四組の担任を続けてると段々わかってくる。人殺しをした奴が」
串山先生は手に持っていた牛追い鞭を腰に戻し、両肘をテーブルの上に突いて指を絡めた。普段意識して見ることはなかったが、大きくて男らしい手だ。
「この際だから哀逆には話しておくが、これは他言無用だぞ。杏落高校の教師しか知らない一年四組のことだ。お前にとっては少し酷かもしれんが」
「……聞きます。聞かせてください」
「杏落高校の一年四組。これは新入生の中でも特に規格外、危険と見做された生徒を集めたクラスなんだ。実際に問題事や事件を起こした経歴がある生徒もいれば、特に問題を起こした経歴はなくても入学試験で目利きの面接官が直感で選んだ生徒もいる。たとえば昔ヶ原は前者、お前は後者だ」
「………………」
深くは語られなかったが、理由はわかった。百太郎くんは中学の頃から女性関係のトラブルを起こしていることが容易に想像できる。そしてぼく自身のことも。
「担任は必ず教師の中で最も物理的にも精神的にも強い者が選ばれる。俺は四年前ここに来て、以来ずっと一年四組の担任に選ばれ続けた。次第にわかるようになったんだよ。人を殺した生徒の、人を殺していない生徒と違う空気みたいものが」
「でも結局は勘じゃないですか」
「クソガキ。超教師の勘、舐めるなよ。第一俺は哀逆を信じてるんだ。お前がクラスメイトを殺していないってことをな」
「ぼくも一年四組の生徒なのに?」
「一年四組の生徒が全員人殺し予備軍だなんて言ってないだろうが」
「…………串山先生」
「ん?」
ぼくはミルクティーの缶に落としていた視線を上げ、串山先生と目を合わせた。相変わらず眉間に皺を寄せている厳しそうな顔つきだ。
「知ってるかもしれませんが、今日の打ち上げは十時からだったんです。百太郎くんのような不良も、全員ちゃんと参加していました。でも、ぼくは約二十分遅刻したんです」
声が震えそうになるのを堪える。
「百太郎くんは最期に、めーちゃんは悪くない、って言ってました」
「……ふん」
「もしもぼくが約束通りの時間に来ていたら、何かが変わっていたんでしょうか」
串山先生が口を開いたそのとき、カウンセリング室の扉が二回ノックされた。外から聞こえてくる声は警察だと名乗っている。施錠していた扉を開けるため串山先生が立ち上がり、席から離れる際にそっと言った。
「俺はお前一人でも生き残ってくれたことが嬉しい」




