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45 打ち上げ会の日

「どちらの依頼を引き受けたい?」

 よだかさんにそんな選択を迫られたのは、文化祭が終わって二日後のことだった。事務所のテーブルの上には二枚の写真が置かれている。ぼくから見て右側は青い海の中に浮かぶ孤島、左側はふわふわそうな毛を持ったヒマラヤン。

「こっちは猫探しの依頼だってわかるんですけど、こっちの島はなんですか」

「日本海に浮かぶ孤島で《あまおとじま》って呼ばれてる。資産家の老人が所有する島だ。依頼内容はこの島にある洋館に一週間滞在するだけ。もちろん食事は出るし掃除や洗濯も島の人間がやってくれる。この島に呼ばれてるのは歌手、精神科医、プロボクサー、女優、画家、探偵。あと資産家の親戚が三人と執事やメイドが数人、こいつらは元々洋館に住んでるみたいだな」

「何故依頼者はそんな人達を島に呼んでるんですか?」

「金を持て余してるうえに隠居生活を送るだけの人間ってのは、随分暇なんだろ。わざわざ金を払ってまで色んな職業の人間を私有地に招待したいらしい。それで月に一回、七人の職業が異なる人間を呼ぶ。言ってしまえば金持ちの娯楽に付き合えってことだろうな」

「そこで請負人のよだかさんにも白羽の矢が立った、と。でも、それならぼくに選ばせる必要ないでしょう。ぼくはあくまで助手なんですから」

「誰が請負人だけを呼ぶって言った?」

 よだかさんはシニカルな笑みを浮かべ、孤島の写真を人差し指でとんとん叩いた。

「老人が指定した七人目の候補は請負人だけじゃない。単なる学生も候補に入ってる。それも厳密には――女子高生だ」

「猫探しをします」

「即答かよ」

「女子高生ってわざわざ限定してるのが不気味ですから」

 その単語だけで、老人の印象はぼくの中で変わってしまった。

「それに一人で見知らぬ資産家の私有地に行く度胸はありません。クローズド・サークルじみた事件に巻き込まれるかもしれないじゃないですか」

 最も、よだかさんが島に着いた途端そこにいる人達を皆殺しにする可能性もあるのだが。もしも仮にクローズド・サークルのような状況下になって事件が起きたとしても、よだかさんならどうにかできるだろう。

 絶海の孤島で繰り広げられる殺人事件を想像しながら、ぼくはヒマラヤンの写真を手に取った。するとその下からアメリカンショートヘアの写真が出てくる。一匹だけじゃなかったのか。それも手に取ると、さらにアビシニアンの写真が。その次はロシアンブルーだった。計四枚の写真を持ち、よだかさんに詰め寄る。

「なんですか、これは」

「最近は飼い猫の間で家出と迷子が流行してるみたいだな」

「…………」

「きっと愛織ならすぐに見つけられるだろ」

「わかりましたよ。よだかさんはいつ《天つ乙女島》に行くんですか?」

「日曜日の明け方。留守になるから事務所を一週間休ませるつもりだが、迷子の猫を見つけた場合は依頼者に届けるなり依頼者を事務所に呼ぶなりしろよ。依頼者の個人情報はファイルの中に入れたから見ればいい。それじゃあ俺は今のうちに準備をしてるからな」

「ぼくに選択させておきながら自分が行く気満々だったでしょう」

 事務所の隅で存在感を放っていた大きなキャリーバッグを手に、いそいそと旅支度を始めるよだかさんは遠足に行く前の子供みたいだった。

 そして現在、よだかさんが《天つ乙女島》を目指し旅立った十一月の第一日曜日。ぼくは迷い子のヒマラヤンを追っていた。

 もうすっかり冬と言っていいほどに寒い。十月まで肌寒い程度だった気温がいきなりぐんと下がり、吐息も白く見える曇りの朝。昨日買っておいたチョコパイ――四個入りが十袋入っているものだ――の箱を鞄に入れ、早めに《クルーエル》を出た先で一匹のヒマラヤンが悠々とコンクリート塀を歩く姿があった。とっさに写真を取り出して見比べると、毛と目の色や首輪まで全く同じ。アメリカンショートヘア、アビシニアン、ロシアンブルーは三匹ともぼくがよく立ち寄る公園で野良猫に混ざっているのを見かけ、それぞれの飼い主に届けた後だ。

「きみで最後だよ。大人しく捕まってくれ」

 言いながら、ヒマラヤンを驚かさないようそっと静かに手を伸ばした。しかしヒマラヤンはぼくの手をひょいと避けて、そのまま去ろうとする。この機会を逃すのは惜しい。打ち上げの時間には多分間に合うだろう。そう判断したぼくは鞄を背負い直し、静かに跳躍してコンクリート塀に立った。ヒマラヤンが足を止めて振り返る。その澄んだ青い瞳は「私の遊び相手になってくれるのかしら?」とでも言いたげだ。

「……こうなったら、意地でも今のうちに捕まえて飼い主に届けてやる」

 ぼくとヒマラヤンの鬼ごっこが開始した瞬間だった。

 常善の不良から逃げ回ったあの日ほどではないが、身軽で素早い猫をひたすら追うこともなかなかに骨が折れる。いくつもの屋根や塀を移動し、大人が一人なんとか通れるくらいの隘路を突き進み、通りすがりの人に不審そうな目を向けられながらも追い続けた。しばらくして、さすがに猫でも簡単には上れないだろう高さの壁で囲まれた袋小路に突き当たる。もう逃げ場がない。そう悟ったのか、ヒマラヤンはぺたんと地面に座り込んだ。ぼくが用心しながら手を伸ばしても、特に抵抗することなく大人しく抱かれてくれた。もしかしたら遊んでほしかったのかもしれない。

「気は済んだ?」

 もう寒い季節なのに最近はアウトドアな飼い猫が多いのだろうか。

 念のためヒマラヤンの首輪を確認したところ、写真の裏側に書いてあった通りシルクという名前が書かれてあった。シルクを抱いたまま右手で携帯端末を取り出し、時刻を見ると九時四十七分。今から大急ぎで真っ直ぐ学校に行くならともかく、飼い主のもとにシルクを届けてからだと約束の十時には間に合わない。ぼくは百太郎くんに《二十分くらい遅れてからの到着になりそう》とだけメッセージを送り、急いでシルクの飼い主が住む三途川町を目指した。

 シルクを無事届け、よだかさんから指示されていた通りの報酬も受け取った。優しそうな飼い主の婦人は温かい紅茶か珈琲でもどうかと勧めてきたが、ぼくはそれを丁重に断ってまた走り出す。もう《クルーエル》を出たときのような寒さは感じていない。飲むなら温かい紅茶や珈琲よりも冷たい麦茶が飲みたい気分だ。きっと一年四組の教室に行けば冷たい飲み物も用意されていることだろう。教室に入ったら、まず遅刻したことを謝って、その後で紙コップに注がれた冷たい飲み物を受け取りたい。

「十時、十八……十九分か」

 グラウンドを使う部活動は全て休みなのか誰もいなかった。さすがに一階の職員室や事務室には人の気配があったが、平日と比べると校舎は驚くほどに静謐な空気で満ちている。廊下や踊り場の照明がついていないため朝とは思えないほどに薄暗かった。二段飛ばしで階段を駆け上がり、四階に辿り着く。当然のように一年四組の教室だけ明るい。締め切った窓や扉のガラスが曇っているから暖房を効かせているのだろう。

 ぼくはいつものように扉を開けた。途端に湿った血の匂いが鼻をつく。

「…………………………は?」

 一年四組の教室で、一年四組の生徒が、死んでいた。

 全ての机が大きなテーブルのように教室の中央でくっつけられ、その周りでいくつもの死体となったクラスメイトが転がっている。立っている者は誰一人としていない。全員床でうつ伏せているか、仰向けになっているか、横向きになっているかだ。その床も元の色がわからないほどに血で覆われていた。まだ完全に酸化していない、とても濃い赤色。たゆたゆとした血溜まり。血の海。そこに浮かんでいるような死体。他殺だ。そうとしか思えない。全員同じように喉を刺され、手足も切られている。声帯と腱を狙ったのか。これでは声が出ない。助けを求められない。立ち上がって歩くこともできないだろう。這うことだって難しい。身動きが、取れない。とどめとして頭を殴られたのか、髪の下から血が流れていた。瞳孔が開き切っている目。生気を感じさせない目。死んだ人の目。ごうごうと暖房の音がよく聞こえている。暖かい。すぐ乾燥してしまいそうにも関わらず、夥しい血の量でひどく湿った空気が肌に触れていた。

「あ、う……っ、ぐ……」

 思わず右手で口と鼻を覆った。今すぐ吐きそうとまではいかないが、あまりにも血の匂いが強過ぎる。杏落市に来てからは死体をたくさん見てきた。外傷や出血のない綺麗な死体も、脳や内臓が露出した汚い死体も。よだかさんの隣を歩いていれば、それだけで彼が殺した死体を見る羽目になるのだから。それでもぼくの感覚はまだ麻痺していない。鼻孔から入った金臭さが喉の奥を殴りつけたかのような不快感。まるで、得体の知れない化け物に内臓を食い荒らされた気分だった。

「――――はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はぁ……っ」

 呼吸が乱れる。苦しい。見えない手に喉を絞めつけられている。落ち着け。冷静になれ、ぼく。これくらい平気だ。このまま扉を閉めて、何も見なかったことにして、逃げてしまおうか。突然そんな考えがよぎった――そのとき、教室の奥で何かが揺れたように見えた。違う。揺れたんじゃない。動いたんだ。ぼくの足は教室に飛び込んでいた。ぴしゃっ、とまだ乾いていない血が跳ねる。

「百太郎くん!」

 自分でも驚くほどの大きな声が出た。一際目立つヘアチョークで彩られた金髪の男子。ぼくの友達。初めての友達。ジゴロ。スリ。杏落高校一年生の中で一番強い不良。その辺の大人よりも圧倒的に強いくせに、凶器を持った女性に襲われても死なないくせに、どうしてこんな目に遭っているんだ。

「百太郎くん!」

 もう一度名前を呼んで、うつ伏せていた彼の上半身を抱き上げた。妙に湿った頭に触れたぼくの右手にはべったりと赤い血が付着した。虚ろな目が鏡のようにぼくの顔を映す。ひゅうひゅうと笛みたいな音が切られた喉から漏れている。しかし百太郎くんは必死で口を動かし始め、ぼくは彼の口元に耳を寄せた。声帯は完全に機能を失っていないらしく、掠れかけの小さな声が辛うじて聞き取れる。

「め……ちゃん……わる、くな……」

「え?」

「……めーちゃ、ん……は……わ、るく、ない」

 それだけ言うと百太郎くんは薄い微笑を浮かべて、ぼくの胸元に顔を擦りつけるようにした。まるで甘えてくる猫のように。幸せそうな表情でぐりぐり頭を動かしていたかと思うと、不意に彼は目を閉じて動かなくなった。

「百太郎くん? ねえ、百太郎くん……っ。百太郎くん!」

 何度呼びかけて揺さ振っても、がくん、と首が落ちるだけ。呼吸をしていない。脈も打っていない。百太郎くんはまるで眠るようにぼくの腕の中で死んだ。恐ろしいほどに呆気ない、死。ぼくは息をしなくなった百太郎くんの身体をそっと床に下ろした。

 めーちゃんは悪くない。

 百太郎くんは最期にそう言った。

「…………なんだよ、それ」

 なんでそんなことを言うんだ。一体ここで何が起きて、どうして皆は殺されたんだ。ぼくに関係しているのか。まさかオツベルさんのような殺し屋が来て、ぼくの代わりに皆が殺されたとでも言うのか。ふざけるな。そんなこと起きて堪るか。

 ふと百太郎くんの左手首に目が行った。虎目石タイガーアイを使ったレザーラップブレスレットが袖口から覗いている。六月二十九日、昔ヶ原兄弟の誕生日にぼくがあげたものだ。


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