44 文化祭(後編)
常善の不良が正門まで来ている。
そんな報告が入ったらしく百太郎くんはすぐに校舎から出ていき、ぼくは一人で適当に展示物を見て回ることにした。美術部、写真部、書道部、天文学部、文芸部、漫画研究部、茶・華道部――普段はその部室に足を踏み入れることすらない部活の作品。それらを観賞しつつアンケートを書いていく。杏落高校では生徒や保護者など来賓の客から学年別、部活別の人気調査をするためアンケートを実施していた。最も人気が高い出し物をしたクラスと部活は表彰されるらしい。ちなみに自分が所属するクラスや部活動に票を入れることは無効らしく、生徒用のアンケート用紙には氏名やクラスの記入欄があった。
「あ、めーちゃん」
生け花を見た後で抹茶と和菓子をご馳走してもらい、茶・華道部の部室(作法室)から出たところで声をかけられた。アンケート用紙を片手に持った唯一くんがいる。秋ちゃんと羽衣ちゃんは近くに見当たらない。今日は別行動しているのだろうか。
「アンケート出しにいくところか?」
「うん。とりあえず全部見て回ったから」
「俺も。一緒に行こうぜ」
「いいよ」
ぼくは唯一くんの隣を歩き始めた。廊下を歩いていると、楽しそうなさざめきがあちこちの教室から聞こえてくる。
「しかし、なんでわざわざ文化祭当日に集計して発表するんだろうね。後日改めてやればいいのに」
「体育祭の結果発表でもないのにな」
唯一くんの言葉でぼくは六月中旬にあった体育祭を思い出す。一人が参加する競技が少ないこと以外は東京の中学校でやったこととほとんど変わらなかったが、三年生の騎馬戦だけは異常だった。まるで戦争でも見ているかのような心地で、再来年はぼく達もあれをやらなければいけないのかと思うと憂鬱だ。
「それよりもめーちゃん」
「何、唯一くん」
「四ツ墓むくろとの関係がどういうものなのか聞いていい?」
何やら期待が込められた眼差しを隣から向けられる。
「言っておくけど変な関係じゃないからね。以前彼女がファンに追いかけられてたところに出くわして、ぼくに服を交換してほしいって言ってきたんだ。あまりに必死そうだったから承諾したんだよ。公衆トイレで互いの服を交換して着替えて、そのまま。あれ以来会うこともないと思ってたんだけどね」
「うっわぁ……。なんだよ、その出会い。最高……」
アンケート用紙を持っていない方の手で自分の頭を掴み、どこかうっとりとした声で唯一くんは言った。何やら自分だけの世界に入ってしまった様子だ。
ぼく達はグラウンドに出て、アンケートを回収する箱に折り畳んだ用紙を入れた。相変わらず外は校舎内よりも騒がしいが、なんだか剣呑な怒声も聞こえてくる。きっと常善学園から来た不良と杏落の不良が喧嘩しているのだろう。
「あれって笛吹鬼じゃないのか?」
誰かの言葉に思わず辺りを見回すと視界に入った。前髪の左半分以外を後ろに撫でつけた黒髪の汽笛さんと、深い栗色の髪をウルフカットにしてスカルマスクを着けた伊吹さん。彼らは今頃吹奏楽部が演奏を披露しているだろう体育館の裏側で、昔ヶ原兄弟と派手に素手喧嘩の最中だ。その近くでは他の不良同士も乱闘している。
「見つからないうちに退散した方がよさそうだね」
「めーちゃんって常善の不良に目をつけられるようなことしたのか? 確かに昔ヶ原兄弟とはよくつるんでるけど」
「少なくとも快く思われていないのは確かだよ」
直ちに踵を返したぼくは唯一くんと別れ、校舎の中で身を潜めることにした。杏落の不良や教師が阻んだのか、常善の不良は校舎の中までは入ることができなかったらしく、ぼくが不良の喧嘩に巻き込まれることはなかった。やがて展示物や模擬店を片付ける時刻となり、あれだけ大勢いた客も散り散りにいなくなっていく。よだかさん、楪くん、八雲さん、土竜さんももう帰ったのだろう。杏落高校の文化祭は、無事に終わった。
技術室と技術準備室の片付けを始めること二十分ほど、元通りの教室に近づいてきた頃に放送がかかった。アンケートの集計が早くも終わり、これから結果が発表される。片付けの手を休め、皆が黙って耳を澄ませた。
『ではまず学年別の結果を一年生から順に発表していきます。今年度の文化祭で、最も支持をいただいた一年生の出し物は――――』
焦らすように間を置いて、放送部員は声高らかに発表した。
『一年四組のお化け屋敷です』
わあっ、と教室中から歓声が上がった。女子の高い声と男子の低い声が混ざり合い、十月も終わる肌寒い空気を震わせる。ぼくは「そんなに喜ぶほどのことなのか」とクラスメイトの熱に置いていかれている心地でそう思ったが、もちろん声に出すようなことはしない。もし声に出したとしてもこの歓声にかき消されるだろう。
「お前らにしてはよくやったな、クソガキども」
そう言った串山先生の声も心なしか普段より優しく聞こえ、クラスメイトはまるで鬼の首を取ったようにくすくす笑い合っていた。
「俺はこの結果、半分くらいはめーちゃんのおかげだと思うぜ」
不意に百太郎くんが声を張り上げて全員の注目を集めた。彼に向けられた視線はやがてぼくの方にも流れてくる。まさか百太郎くん、何か変なことを言い出すつもりなのか。
「だってめーちゃんがあの四ツ墓むくろと知り合いだったから、彼女がうちのお化け屋敷に来てくれたんだろ? それに四ツ墓むくろのファンや野次馬も大勢彼女を追いかけて、そのままつられるようにお化け屋敷に入ってきた」
「ちょっと、百太郎くん」
「それにあとから聞いた話だと」
ぼくが止めようとしたのを遮り、百太郎くんは続ける。
「あのアイドル、時間の問題だとかでここだけにしか来なかったらしいじゃねえか。一組、二組、三組の出し物は見なかった。それでたくさんの人間がこのお化け屋敷に集中して、そいつらが投票したんだ。一年生の出し物なんて展示しかないんだから、誰でも一番印象が強かったものを適当に書くだろ。つまり……半分くらいめーちゃんのおかげって言ってもおかしくないよな、この結果」
串山先生を含めて全員の視線がぼくに向けられる。何故そんな余計なことをわざわざ口にしたんだと百太郎くんを睨むが、彼はどこ吹く風だ。
「めーちゃん!」
「わっ」
突然ぼくに抱きついてきたのは羽衣ちゃんだった。どこからかカメラのシャッター音が聞こえてくる。間違いなく唯一くんだろう。
「ありがとう、めーちゃんのおかげでうちらのお化け屋敷大盛況したんじゃね!」
「え……。いや、ぼくのおかげってわけじゃなくて」
「どこでむくろちゃんと知り合ったんだ!? もしかして連絡先も交換してるのか!?」
勢いよく訊ねてきたのは日頃からむくろちゃんのファンを公言している男子。彼に続けて他のクラスメイトも口々に捲し立てる。
「いつの間にあんなアイドルと知り合ってたんだよ」
「私はめーちゃんとむくろちゃんが服を交換した仲だって聞いたけど」
「四ツ墓むくろが着た服持ってるってことか?」
「何それ羨ましい。そんなの家宝にするしかねえだろ」
「とにかく哀逆さんが勝利の女神だったことに変わりはないね」
「むくろちゃんが来てくれるくらい人徳があったんじゃろ」
「来年も来てくれたらいいのに」
「あっ、確かに。来年と再来年もこの調子でいけるんじゃない?」
「うるせえぞ静かにしろガキども」
串山先生の鞭が鳴り、全員がぴたりと口を閉じた。もうアンケート結果の発表は全て終わったようで放送部員の声は聞こえない。先ほどとは打って変わったように技術室は静まり、串山先生がぼくのすぐ目の前までやってきた。
「哀逆」
「はい」
「よく貢献してくれたな」
「え……?」
口の端をつり上げ、串山先生は笑った。普段あまり笑うことのない人だったから意外だ。次の瞬間またクラスメイトが、おお、とどよめくような歓声を上げて拍手する。
「ありがとう、めーちゃん」
誰かが言ったその声にぼくは堪えられず、技術室を飛び出してしまった。そのまま一年四組の教室に駆け込む。誰もいない教室は空気が冷たく、照明がついていないから薄暗い。自分の席に座って両手で顔を覆うと、溜め息が唇を割った。なんだか頬が熱い。
「ああ……駄目だ」
そのまま俯きそうになったのを堪え、ぼくは背筋を仰け反らせた。指の隙間から天井の蛍光灯が見えている。
「今のクラス……結構、好きだな」
口に出してみると嫌に陳腐な響きでぼくには似合わない。それでもさっきクラスメイトや串山先生があんなにもぼくを褒めてくれて、ぼくのおかげだと喜んでいたのを見て、どうしようもなく嬉しかった。小学校でも中学校でもあんな心地、味わったことない。初めてだった。その程度で好きだなんて単純にもほどがある。馬鹿馬鹿しい。
「やっすい人間だよ。本当に」
仰け反らせていた背を戻し、机に突っ伏す。どれほど時間が経っただろうか。そろそろクラスメイトもここに戻ってくるのではないかと思った矢先、足音が近づいてきた。しかし複数ではなく一人分だ。教室の扉が開く音に顔を上げると、秋ちゃんが教室の照明をつけたところだった。少しだけ目が眩む。
「哀逆さん、もしかして寝てた?」
「ううん。起きてたよ。ごめんね、片付けの途中で抜け出して」
「もうほとんど終わってたからいいのよ。お疲れ様」
「お疲れ様」
秋ちゃんは学年別で授与されたのだろう表彰状を持っていた。何やら透明な袋に入れられている。それを黒板の隣、壁の空いていたスペースに画鋲で貼っていく。透明な袋に入れていたのは画鋲を直接表彰状に刺さないようにするためだったらしい。
「あのね、さっき皆で打ち上げをしようって話になったんだけど哀逆さんも来れる? 十一月の第一日曜日なんだけど」
「第一日曜日、は……特に予定ないから行けると思う。どこで何するの?」
「朝の十時にこの教室に集合して、まずは一次会。皆で持ち寄ったジュースとかお菓子とかを飲み食いするの。その後にカラオケ行って二次会をするつもり。これは歌うの好きじゃない人もいるだろうし、希望者だけ。とりあえず一次会には皆出ようって話になったの」
「朝の十時に一年四組の教室に集合だね。わかった」
ぼくが頷くと、秋ちゃんは微笑んだ。
「哀逆さんにはすごく感謝してる。アイドルの四ツ墓むくろが来てくれた影響とは言え、一年目でこんな表彰状をクラスでもらえるなんて嬉しいもの」
「百太郎くんの言い方は大袈裟なんだよ……」
「私はそんなことないと思うわよ。だってお化け屋敷を提案してくれたのは哀逆さんで、アイドルが四組のお化け屋敷に来てくれたのも哀逆さんのおかげなんだから」
「それを言うなら、秋ちゃんだって人一倍仕事をしてたじゃないか。道具作りも衣装作りも両方手伝って、皆より遅くにまで残って作業して、今日も受付や宣伝を何度も担当してたよね。一年四組のお化け屋敷は秋ちゃんが支えてくれたんだよ」
すると秋ちゃんは驚いたように目を見開き、視線をしばらくどこかに彷徨わせた。
「でも私は学級委員長だから、それくらい当たり前よ」
「ぼくはたとえ自分が学級委員長だとしても、きみほど真面目に仕事をしようとは思わないけどね。そんなふうに、当然のことのように率先して動く秋ちゃんが学級委員長だからいいんだ。きっと皆そう思ってるんじゃないかな」
「あ……ありがとう、哀逆さん」
珍しく照れたようにはにかむ秋ちゃんは可愛らしかった。
やがて複数の足音が聞こえ、串山先生とクラスメイトが次々教室に戻ってくる。ホームルームの時間はないため各自早く帰宅するようにと串山先生が告げた。明日も平日で休みを挟むことなく授業が再開される。ほとんどの生徒はそのことに不満を抱いているようだが、さすがに串山先生相手に文句の声を上げる者は誰もいない。さっさと帰ろう。
「めーちゃん、ばいばーい」
「じゃあな」
「また明日。哀逆さん」
「お疲れ」
教室から出ようとすると、クラスメイトの何人かが声をかけてくれた。秋ちゃん達以外に、今までろくに話したことのない女子も男子もいる。そのことに対して戸惑いもあったが、嬉しかった。
「うん。また明日ね」
文化祭をはじめとする学校行事は今まで全て億劫にしか感じられなかった。これからもずっとそうだと思っていたのに、不思議な気持ちだ。疲れているはずなのに足取りが重くない。
日本唯一の犯罪都市、杏落市。
日本国内で最悪の鬼門。
人の命は二束三文。
とにかく人口の増減が激しい。
せめてもの長所は安い物価と何故か市民に美男美女が多いこと。
そんな市内でもしがない女子高生のぼくは今、それなりに充実した毎日を生きている。




