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38 二人きりの親睦会

 時刻は土曜日の昼過ぎ、場所は斬崎町の中心部に建つショッピングモール。最上階でエレベーターの扉が開くと、そこはもう映画館になっていた。今子供に人気のアニメ映画も上映中らしく、登場人物のパネルが設置されているところで親子が写真撮影をしている。それを邪魔しないように避けて進むと、オツベルさんが携帯端末を片手に待っていた。待ち合わせの時刻にはまだ十五分早い。

「お、黒猫ちゃん」

「オツベルさん。早く来てたんですね」

 ぼくに気づいて笑みを浮かべる彼は最初に会った日と同じ服装だった。白いレインコートを羽織った姿は、見ていると八雲さんを思い出してしまう。しかしオツベルさんの身長は百七十五センチくらいだから決して低くない。

「俺様楽しみなことがあるとすぐに出かけたくなる性質なんだよ」

「じゃあ、もう列に並んでおきましょうか」

 ぼくとオツベルさんはそこそこ長い列に並び、ペアチケットを出して席選びを済ませた。まだ席はほとんど埋まっていなかったため、中央辺りのいい席を取ることができた。

「やっぱりポップコーン売ってるんだな」

「一番人気なのはキャラメル味みたいですね。買います?」

「いいや。オツベルさんは甘いのすげえ苦手だし、だからって塩味のポップコーン買うと喉が渇いて飲み物も買うことになるだろ。俺様ってケチだから、なるべく無駄な買い物はしたくないんだよ。女の子からの評価は悪いかもしれないけど」

「正しい倹約は美徳だと思いますよ。ぼくも一人暮らしですから、なるべく無駄な出費は抑えるようにしてます」

「それなのにあの日俺様にマック奢ってくれたのか。黒猫ちゃん優しいな」

 ぼく達はポップコーンも飲み物も買うことなく、上映時間の十分前に入場した。初めはしつこいほどに予告や注意の映像が流され、ようやく本編が開始する。

 学校での日常が流れたかと思えば、激しいアクションシーンを経て、甘過ぎない恋愛シーンへと変わっていく。原作のオンライン小説は読んだことがないものの、何年ぶりかに訪れた映画館独特の雰囲気も相まってなかなか楽しめた。それはオツベルさんも同じように感じたらしい。映画館を出てから、あの場面がよかっただのこの台詞に感動しただの喋っている。

「ありがとな、黒猫ちゃん。最高に楽しめたぜ」

「そのお礼はペアチケットをくれた友達に言っておきますね」

「ああ。ところで」

 オツベルさんは短パンのポケットから白い携帯端末を取り出した。

「これで連絡先の交換、してくれるだろ」

「はい。でも一体どんな恩返しをするつもりなんですか?」

 連絡先を交換しながら訊ねると、オツベルさんは少し考える素振りを見せた。やがて考えがまとまったらしく「決めた」と携帯端末をポケットに戻して言う。

「俺様が杏落市の美味しい料理店探して、そこで黒猫ちゃんにご馳走する」

「なるほど」

「あ、黒猫ちゃんって食物アレルギーとか苦手な料理ある?」

「アレルギーは今のところ何もありませんよ。料理もよほどのゲテモノでなければ」

「じゃあ、いい店が見つかったら都合が合う日を聞くからな」

「わかりました。楽しみにしてます」

 その後オツベルさんは今から色んな店を回ってみると言い、ぱたぱたと走り去ってしまった。見た目からは決して幼い印象は感じられないのに、子供のような振る舞いがよく似合う人だ。見た目が中学生で振る舞いが年相応の大人な八雲さんとは正反対。

 よだかさんや八雲さんに何かしら通じるところがあるからだろうか。自分でも不思議に思うくらい、ぼくはオツベルさんに親しみを感じている。

「めーちゃん。まさかの浮気かよ」

 月曜日に会った百太郎くんはぼくの話を聞いて、いきなりそんなことを言ってきた。少なくともジゴロとして何股もしている彼に言われたくはない。何より浮気というのは誰かと恋人関係であることが前提だろう。

「ぼくはまだ誰とも付き合ってないんだよ。浮気にはならない」

「映画の誘いを断られたからって」

「それで別の男と仲良くなるとか」

 浮気だろ、と見事に口をそろえて言った昔ヶ原兄弟。二人は自分達の足元に転がっている不良の制服に手を突っ込み、ごそごそと何かを探り始める。そしてつい先ほど自分達が叩きのめした十人――全員常善学園高等部の男子生徒だ――の財布や時計などを回収した。

 放課後の四時過ぎ。今日は学校を欠席したと思っていた二人から連絡が来て、シンデレラホテルに呼び出された。行ってみると校争(肉弾戦)の真っ最中で、ぼくの姿を見つけた途端この兄弟は「あの子が笛吹鬼に勝った杏落の女子生徒でーす!」などと声を張り上げ、結果ぼくも巻き込まれてしまった。ぼくが相手をしたのは二人だけで、残りは全員昔ヶ原兄弟が素晴らしいコンビネーションで片付けていった。

「ふざけるなよお前ら」

 とりあえずぼくはハイタッチをして校争での勝利を喜んでいる二人に駆け寄り、鳩尾に一発ずつ拳を入れて脛も蹴っておいた。

「たまたま顔面の遺伝子が多くの女性相手に優遇される配列を成して産まれたからって、何をしても許されるとか驕り高ぶってるんじゃねえだろうな」

「ごめんなさい」

「許してください」

「どうしてぼくを呼んだんですか」

 ぼくが訊ねると、二人はうつ伏せになって倒れている不良の背中に座った。椅子の代わりにされた者は完全に気を失っているらしく、反応がない。

「今回は相手が大勢連れてくるみたいだったから」

「めーちゃん一人を連れてくればちょうどいいかなって」

「それなら普通に男子生徒を誘えばよかったでしょう。うちの学校になら血の気が多くて喧嘩っ早い人なんてたくさんいるのに……」

「わかってねえな、めーちゃん」

「俺達は友達と校争がしたかったんだよ」

「………………」

 その後二人に映画のペアチケットは渡せたのかと話を変えられた。よだかさんが殺人鬼であることを伏せて説明した今、ぼくは昔ヶ原兄弟に浮気だと言われている。

「言っておきますがオツベルさんに対しては、そんな特別な感情を抱いてませんよ。そこは勘違いしないでください」

「でも男ってのは単純な奴が多いからな。必要以上に優しくしたら自分に気があると勘違いされるぞ。めーちゃんにその気がなくても、もしかしたらそのオツベルって奴はめーちゃんに好意を抱いてる可能性もあったりして」

「琴太郎の言う通りだぜ。めーちゃんが優しい性格で喧嘩に弱くないことは知ってるけど、俺らみたいな友達以外の男にはそう易々と優しく接しない方がいい」

 そこで百太郎くんは少しだけ申し訳なさそうな表情になった。

「それにしても、あの映画は駄目だったか。ごめんな」

「百太郎くんが謝ることじゃないよ」

「今度はもっと違うジャンルの映画を探しておくか」

「何故映画にこだわる……。それにしても正直、あなた達二人がここまで協力的になってくれるのは意外でしたよ。恋愛とか馬鹿にしてそうなイメージがあったので」

「すごい偏見だな」

「別に恋愛を馬鹿にしてなんかないよ。むしろ羨ましいと思ってるくらい」

 琴太郎先輩の言葉はあまりにも予想外だった。もし彼らが恋愛を馬鹿にしていなかったとしても、どうしても冷めた目で見ていそうなイメージが払拭できない。そう思っていたのに、まさか羨ましいだなんて。

「俺達は多分めーちゃんみたいに純粋な恋愛を楽しめないだろうからな。恋だとか愛だとかはただ濡らしたり硬くしたりするだけの気分を高める薬みたいなもので、結局セックスに勝る快楽はなしだろっていう考え方なんだよ」

「なかなかにドライですね」

 人の考え方に口を出すつもりは一切ないが、素直な感想が口から出た。中学生のときからジゴロとして女性の相手をしてきた昔ヶ原兄弟だからこそ、そんなふうに割り切って考えているのかもしれない。

「その分、めーちゃんの純粋な恋愛は応援したいと思ってる」

「ああ。相談したいときはいつでも頼ってくれていいからな」

 友達なんだから、と二人は同時に言った。改めて言われるとなんだか落ち着かない心地になる。こんなことを打ち明けられる友達なんて、ぼくには今までいなかったのだから。

「あ……ありがとうございます」

 百太郎くんと琴太郎先輩は一瞬目を見開き、すぐに「どういたしまして」と嬉しそうな笑みを浮かべた。きっとその顔でこれまで何人もの女性を虜にしてきたのだろう。悔しいが、それに見合うだけの強い魅力を彼らは持っている。

 やがて二人は立ち上がり、自分達が椅子代わりにしていた不良の制服から携帯端末を抜き取った。不良達が倒れている光景を撮影し、さらに二人そろってピースサインをしながら自撮りをし、何やら操作していたかと思うと電源を切る。

「何したんですか?」

「今撮った写真を送信したんだよ」

「笛吹鬼の二人にな」

「……それじゃあぼくはもう帰りますけど――あ、百太郎くんは明日ちゃんと登校してね。それもすぐ早退せず四限は必ず出席すること」

「なんで?」

「文化祭の出し物を決めるんだよ。飲食物は二、三年生じゃないと販売することができないから、料理以外で何かいい案を考えてくるようにって」

 それだけ伝えてぼくはシンデレラホテルを後にした。時刻を確認するとまだ五時にもなっていない。このままさっさと帰宅してもよかったのだが、ぼくは何度か訪れたことのある公園に向かった。学校帰りの小学生が遊んでいる中を通り、ベンチに座って十分もしないうちに寄ってきた野良猫の相手をする。昔ヶ原兄弟からの連絡が急に入ってよだかさんに休みを伝えたため、今さら黒喰請負事務所に行く気も起きなかった。

「よしよし」

 甘えた鳴き声を上げてすり寄ってきた三毛猫を抱き、顎回りを撫でてやった。気持ちよさそうに目を閉じた三毛猫の顔は見ていて癒される。

「黒猫ちゃん!」

 遊んでいる小学生のものとは違った大声が、穏やかに流れていた空気を突如壊した。ぼくがそちらに顔を向けるよりも先に、声の主は勢いよくスライディングしてきた。それも集まっていた野良猫に突進するかのように。猫達はびくっと反応し、一瞬で散り散りに逃げていった。白いレインコートに砂埃をかぶりながら、彼はがっかりしたように言う。

「あぁ……猫逃げた……」

「逃げますよ、普通」

「黒猫ちゃんの傍にあれだけ集まってたから、人に慣れてるのかと思ったのに」

「人間があんなスライディングしてきたらどんな猫でも逃げるでしょう。何がしたかったんですか、オツベルさん」

「俺様は猫好きだから猫を愛でようとしただけだぜ」

「完全に猫を虐待する側の人間にしか見えませんでしたよ」

 結局残っている猫は、ぼくが抱いていた三毛猫一匹だ。それに目をつけたのかオツベルさんはいきなりぼくから三毛猫を取り上げる――が、たちまち不機嫌な声を上げた三毛猫に引っ掻かれて手放してしまった。逃げていく三毛猫を名残惜しそうに眺め、オツベルさんは赤い線が走った手の甲を撫でる。

「オツベルさん、猫好きなのに猫には好かれないんだよな」

「その理由がこの数秒間でよくわかりました。とりあえずその引っ掻き傷、早く水で洗った方がいいですよ」

 一旦オツベルさんが公園の隅にある水道へ行くと、その間に三匹の野良猫がまたぼくの傍に集まってきた。しかしオツベルさんが戻ってくるなり早くも逃げてしまう。

「……なんて顔してるんですか、オツベルさん」

 こちらを見つめるオツベルさんの顔はまるで子供のようにむくれていた。服装はともかく容姿は決して子供っぽくないのだが、もしも彼を「図体の大きい小学生だ」と紹介されたとしたら今だけ信じてしまいそうだ。

「黒猫ちゃんだけずるい」

「何がですか」

「なんでそんなに猫から好かれるんだよ。羨ましい。もしかしてあれか、黒猫ちゃんは人間じゃなくて仲間として見られてるのか」

 前に似たようなことをよだかさんが言っていた。

「自分でもよくわかりません。昔から懐かれやすいみたいで」

「いいなあ」

 オツベルさんはぼくの隣に座り、魂が抜けるのではないかと思うほど深い溜め息をつく。

「多分オツベルさんは猫に嫌われやすい行動を取ってるんですよ。大声を出したり、構い倒そうとしたり、いきなり上から手を伸ばしたり、目をじっと見つめることもいけないって聞きますよ。まずは野良猫じゃなくて猫カフェの猫を相手にしてきたらどうですか? ああいう店の猫なら人に慣れていると思いますけど」

「猫カフェ! そっか、まだ見かけてなかったけど杏落市にもあるのか」

「一度だけクラスメイトと行った店を知ってます。あ、確か……」

 鞄から取り出した財布の中を確認すると、やっぱりあった。夏休みの終わり間際、秋ちゃん達三人組と一緒に行った病瀬町の猫カフェ《きゃっとにっぷ》。そこで店員からもらった割引券だ。店名と住所、電話番号が記されている。有効期限は明後日まで。

「これ、よかったら使ってください。ぼくは明後日までに行く気ないですから」

「黒猫ちゃんは一体どれだけ恩返しのハードルを上げるつもり?」

 真顔になったオツベルさんがじとりと細目で睨んできた。

「え……いや、そんなつもりは全然ありませんよ」

「でもオツベルさん負けねえから。黒猫ちゃんが喜ぶような美味しい料理店見つけてそこでたっぷりご馳走するからな。精々舌を肥えさせとけよ」

 捨て台詞を残し、オツベルさんは風のように公園から走り去っていった。しばらくして野良猫達がぼくの周囲に集まってくる。ぼくは膝の上に乗ってきた虎猫の背に手を置き、高校生にも可能な「舌を肥えさせる」方法を考えようとして、馬鹿馬鹿しくなってやめた。代わりに文化祭での出し物を考えることにする。


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