30 紅桜墓地
「次は……めーちゃん達のチームか」
「それじゃあ、いってらっしゃい」
百太郎くんと琴太郎先輩に名前を呼ばれ、ぼく達は懐中電灯を手に墓地へ入った。三人分の懐中電灯以外、夜の墓地を明るくするものは存在しない。雑草が生い茂る暗い通路を歩いていると、不意に唯一くんが言った。
「めーちゃんはこういうの平気っぽいね。幽霊とかは信じないタイプ?」
「うん、信じてはいないよ。会ったことがないからね。ちゃんと自分の目で見たものならどんなにふざけた存在でも信じようって気になるけど」
身体能力が人間離れした不死身も存在する世の中だが、幽霊は見たことがない。
「……まだ幽霊とかの方がいいよ。生きてる人間の方が怖いってよく言うけど、杏落市に住んでると本当にその通りだと思う」
ぼくが今まで出会ってきた人達を思い出すだけでも殺人鬼、闇医者、やくざ、探索屋――彼らは間違いなく一般人のぼく達からすれば怖い人間に分類される人だろう。それに高校生のジゴロと小学生のストーカーも忘れてはいけない。
「結局人間の方が幽霊よりも恐ろしいってことか。日本のホラー映画って何かとそんなオチがあるよね。映画に限らず小説とかもじゃけど」
「あるある。アメリカのホラー映画だったら平凡な高校生が殺人鬼倒したり、ウイルスが蔓延してる町でも普通に生きてたりするんだよな」
「日本のホラーはじわじわとした怖さを感じさせるよね。うちが見たことあるのは《着信アリ》とか《リング》くらいじゃけど。めーちゃんは?」
「ホラー映画は見たことないかな。羽衣ちゃんが言ったのって、確かテレビ画面から女の人が出てくるので有名なホラーだっけ」
「そうそう。テレビ画面から出てくる貞子に家族全員で爆笑したのよく覚えとるよ」
「なんで爆笑するんだよ」
「え、だってテレビから人が出るとか笑えるじゃん」
「祈祷院家は全員ホラーに対する感性がおかしいだろ……」
「あ、でもテレビが高いところにある家の貞子は大変じゃね。手が届かんけえ落ちるわ」
「そんな一家一台につき一人貞子がいるみたいな言い方されてもな」
「着地点に熱湯張った洗面器でも置いておけばええんかな。いや、相手は貞子じゃけえフッ化水素酸くらいじゃないと撃退できんかもしれんね……」
「そんなもの個人で簡単に入手できるとは思えないな。ビー玉転がしておけばいいんじゃないか。結構痛いだろうし、上手くいけば転ぶよ」
「お前ら幽霊相手に《ホーム・アローン》すんなよ」
唯一くんが苦笑しながら言った――かと思うと突然足を止めた。
「どしたん?」
「しっ」
立てた人差し指を唇に当て、唯一くんは小声で続ける。
「なんか今、人の話し声みたいなのが聞こえた……気がする」
「えっ、幽霊?」
「どうして嬉しそうなの羽衣ちゃん」
「静かに。……こっちからだった」
そう言って唯一くんはぼくと羽衣ちゃんを手招きしつつ、通路を進み始めた。その真剣な表情にぼく達は何も言えず、彼に従うようにそっと歩く。墓地の隅に近づくと、古ぼけた木製の小屋らしきものが見えてきた。
「あれって……」
「倉庫じゃないか? 墓地を掃除する道具とかが入ってるんだろ」
「あの中に幽霊かゾンビがおるんかな」
「馬鹿。人間だろ」
閉じている窓から倉庫の中を確認しようとしたが、懐中電灯で照らしてもガラスがひどく汚れているせいで中の様子はわからない。唯一くんと羽衣ちゃんは顔を見合わせ、若干興奮気味の表情で頷き合っている。
「まさかとは思うけど、二人とも――」
「入るに決まっとるじゃん」
「めーちゃん、ここで待機する?」
「いや、ぼくも入るよ」
なるべく早く切り上げさせなければ、最後のチームに迷惑がかかってしまう。ぼくは意気揚々と倉庫の扉に向かう二人についていった。
「開けるぞ」
先陣を切ったのは唯一くん。鍵のかかっていない扉を開けると、当然のように中は真っ暗だった。そして、鼻の奥につんとくる悪臭にぼく達は全員噎せ込んだ。夏の熱気と相まって、カビと鉄錆のような匂いが充満した空気は吐き気を催す。閉め切っていたのだから当然かもしれない。不快感を我慢しながら、ぼくは電気のスイッチを探した。壁にそれらしきスイッチを見つけたが壊れているのか明るくならない。
「駄目だ。電気、使えないよ」
「仕方ないな……」
「ひどい匂いじゃね。扉は開けたままにしとこうか」
倉庫の中は意外と広い。掃除用の道具以外にもドラム缶やら木の板やらといったものがいくつも置いてある。適当に懐中電灯を回していると、羽衣ちゃんの小さな悲鳴が上がった。ぼくと唯一くんの懐中電灯が同じ方向に向かい、思わず息を呑んだ。
ロッキングチェアに縛りつけられた男、の死体があった。
「………………これ、本物だよな」
唯一くんの声は冷静だった。目の前の死体は肘掛けのところに両腕が、椅子の足にあるカーブをつけた板に足首が縄で固定されている。見た目は二十代後半から三十代前半くらいだろうか。白い半袖のシャツと濃い灰色のスラックス姿で、会社員っぽい。その心臓部からどす黒い血が流れ出て、猿轡を噛まされて目を見開いたまま死んでいた。
「作り物がこんなところに置かれる理由なんてないだろうし、本物だよ」
ぼくが言うと唯一くんは頷いた。きっと、先ほどから感じていた鉄錆の匂いはこの血だったのだろう。
「ねえ。その人、どうするん?」
「清く正しい高校生として、見て見ぬふりはできないだろ」
不安げな羽衣ちゃんにそう返し、唯一くんはチノパンツのポケットから携帯端末を取り出した。不意に、大きく床板の軋む音がした。羽衣ちゃんも唯一くんも立っていないところ――ドラム缶が並んでいる場所から。ぼくが音の聞こえた先に懐中電灯を向けたが、何者かはすでに飛び出していた。勢いよく体当たりされた唯一くんがぼくにぶつかり、その手から落ちた懐中電灯が床の上でくるくる回転する。ぼくが唯一くんを支えたその隙に、相手は羽衣ちゃんに掴みかかっていた。舞い上がる埃を照らす懐中電灯の光が、彼女の首にサバイバルナイフを当てている女の姿を映し出した。ナイフはすでに血で汚れている。唯一くんが弾かれたようにぼくから離れ、懐中電灯を拾い上げた直後。
「動くなっ!」
女が鋭く叫んだ。唯一くんはびくっと動きを止め、女に飛びかかろうとした体勢で石像のように固まってしまう。一見すると男のようにも見えるベリーショートの黒髪だが、白いシャツと濃紺のサロペットスカート姿の女だ。いつからここに潜んでいたのか、滝のような汗で服が肌に張りついている。ロッキングチェアの男を殺したのは、この女で間違いないはずだ。同僚か、恋人か、赤の他人かわからないが年齢は同じくらいに見える。ただ、殺人には慣れていなかったに違いない。しっかりと左腕で羽衣ちゃんを拘束しながら、それでも右手に握ったナイフが震えている。
「二人とも、懐中電灯を自分に向けて下ろしなさい」
その指示にぼくと唯一くんは大人しく従った。
「あなたがあの男性を殺したんですか?」
「そうよ」
女はぼくの質問にすぐ答えてくれた。どうやら意思の疎通はできるようだ。少しだけ安心する。羽衣ちゃんは杏落市出身なだけあって、怯えている様子はなくじっとしている。
さて、どうしたものか。
「早く羽衣から離れろ!」
「あら、格好いいわね。でも無理よ。だってこの子はもう大切な人質なんだから」
「……っ、だったら俺が代わりに」
「人質になるって? 冗談じゃないわ。あんたみたいな運動得意そうな男の子よりこの女の子がいいに決まってるじゃない……って、ちょっと動かないでよ」
羽衣ちゃんはごそごそと身を捩っていた。自由な右腕を動かし、自分の首にナイフを当てる女の右手を掴んだ。いや、違う。手を掴んだのではなく――。
「ぎゃっ!」
突然女が悲鳴を上げ、ナイフを持つ右手が跳ね上がった。羽衣ちゃんからナイフが離れた。即座にぼくは駆け出し、羽衣ちゃんを突き飛ばすと同時に女の鼻を拳で思い切り殴る。女がナイフを落として膝をついた直後、遅れて駆けつけた唯一くんが女を床に押し倒した。そのまま警官が犯人を取り押さえるようにうつ伏せた女の腕を捻り上げ、右膝で首を圧迫する体勢を取る。女は喚いているが、身動きできないようだ。ぼくは携帯端末を取り出し、百太郎くんに今の状況を伝えて警察に通報する役目を任せた。
「羽衣、大丈夫か?」
「めーちゃん!」
自分の身を案じる言葉をかけてきた唯一くんに反応するよりも先に、羽衣ちゃんはぼくに抱きついてきた。格好よかっただの助かっただの捲し立てる彼女を引き剥がし、首をよく見るとかすかに切れて血が出ている。
「無事みたいだね。よかった」
「さっきこの人に何かしたのかよ、お前」
「右手に逆剥けがあったけえ、思い切り引っ張ってみたんよ。それだけ」
羽衣ちゃんの返答に、唯一くんは自分が捻り上げている女の右腕を見た。右手の親指だ。皮が大幅に剥かれて血が滲むピンク色の肉が露出している。痛々しい。
「ナイス判断、羽衣」
「危なっかしいけど結果オーライだね」
倉庫内にあった荒縄で女をしっかりと縛り上げ、そのまま待機していると百太郎くん達が駆けつけてくれた。ほどなくして警官も現れ、ぼく達が事情を説明し終えると「すぐに墓地から出ていくように」とのこと。肝試しは当然のように中断された。
「心霊スポットに来て、殺人犯と死体に遭遇するなんてな」
「でもなかなか面白かったんじゃないか?」
散り散りに去っていく参加者を眺め、百太郎くんと琴太郎先輩はおかしそうに笑う。ぼくと昔ヶ原兄弟は最後まで墓地の近くまで残っていた。残り二枚の十ペンス硬貨は回収できていないはずだが、この二人は気にしていない様子だ。
「……あの犯人、ぼく達が集合するより前に人を殺してたんじゃないかな。でも誰かが肝試しに来たことに気づいてすぐ逃げることができなくなって、倉庫に隠れていたのにぼく達が入ってしまったからあんな事態になったんだよ」
「結局は生きてる人間が一番怖いってことか」
「ありがちなオチだな。それにしてもめーちゃんは本当すげえよ」
「何がですか?」
「知らぬ間に危ない人間を自分自身の周囲に引き寄せてるみたいだ。台風の目って言えばいいのか? ほら、ミステリー漫画だと主人公の身近でやたらと事故や事件が起きるだろ。あれと同じだよ。五月は暴走族に因縁つけられて、笛吹鬼とも面識を持った。六月からは常善の小学生がストーカーみたいなことしてるし、今日も常善の奴らから追いかけられて、ロコドルの四ツ墓むくろと服を交換して、ついさっきは殺人犯と遭遇。いくらここが犯罪都市だからって、揺籃町に住んでる高校生がこんなにも派手な巻き込まれ方をしてるのは珍しいだろ。……なあ、めーちゃん」
ぼくをじっと見下ろす琴太郎先輩の表情は、妙に神妙だ。
「俺達が見てないところで、めーちゃん自身の周りに特殊で奇妙な人間が集まる、みたいなことない? 実際そういう事態になってるわけじゃなくても、心当たりでも十分だけど」
「………………」
心当たり、か。
ぱっと思いつく限りでも――よだかさん、八雲さん、楪くん、柩木組のやくざ、土竜さん、《クルーエル》六階の住人、そして今ぼくの目の前にいる昔ヶ原兄弟。
「むしろ心に当たらない場所がありませんね」
そう答えてぼくは二人が何か言ってくる前に帰り道を歩き出した。追ってくる足音も声もない。人生初の肝試しが殺人犯と遭遇したことで中断されたのは、少しだけ残念だった。




