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29 肝試し

 遅れてきたぼくの事情を聞き、昔ヶ原兄弟は声を上げて笑った。無事あの六人に見つかることなく杏落高校へ辿り着けたのは幸いと言えるだろう。しかし、そもそもの原因は百太郎くんと琴太郎先輩からの依頼を受けたことだ。ぼくが自分で引き受けた依頼だが、元凶はこの二人と言っても過言じゃない。そう考えると目の前で笑う整った顔立ちすらも苛立たしく思えてきた。

「そろそろ笑い止め元凶二人」

 ぼくが両足でそれぞれの脛を蹴り上げ、ようやく静かになった。涙目になりながら脛を撫でる彼らの姿に溜飲が下がる。ぼくは先ほど百太郎くんがくれた白くて丸い箱からチョコレートボールを一つ手に取り、色鮮やかな包みを解いて口に放り込んだ。甘くて美味しい。続いて琴太郎先輩から受け取ったマルセイバターサンドも一枚食べる。確かこれは北海道の銘菓だったはず。二人ともまだ八月にもなっていないうちから優雅に避暑地へ行っていたらしい。やっぱり、ジゴロってすごい。

「二人ともわざわざお土産、ありがとうございます」

「気に入ってもらえたようで何よりだぜ、めーちゃん」

 学校の正門にぼくが到着したとき、すでに二人は木陰の中で汗を拭いながら座り込んでいた。かなり待たせてしまったことは一目瞭然。むくろちゃんと服を交換したぼくの姿に二人はまず目を見開き、しばらくじっと見つめた後で遅くなった理由を聞こうとした。しかし外では暑いからと、連れて行かれた先は丘を下りて少し歩いた先にあるドーナツチェーン店のミスタードーナツ。

「めーちゃん、本当にアイスコーヒーだけでよかったのか? 俺達結構多めに買ったし、一個くらい食べろよ。ほら」

 琴太郎先輩はまだドーナツやパイが六個残っているトレイをぼくの方に寄せた。今トレイの上にあるのはポン・デ・リング、ポン・デ・ダブルショコラ、フレンチクルーラー、チョコリング、ストロベリーリング、フランクパイだ。

「じゃあ、いただきます」

 ぼくは迷わずポン・デ・リングを選び、もちもちとした食感と蜂蜜風味の甘い味を堪能した。先ほどからチョコレートボールやマルセイバターサンドと甘い味が続いているが、唯一注文したアイスコーヒーが口直しをしてくれるからありがたい。それに散々走り回った後だからか、今は甘味がとても舌に心地よく感じられた。

「めーちゃんってポン・デ・リングが好きなのか?」

「ポン・デ・リングは世界で一番美味しいドーナツですから」

「………………」

「………………」

「神様がドーナツを作ったとしたら、ポン・デ・リングだけです」

「わかった」

「わかったから」

 それから二人は残りのドーナツとパイ、一緒に注文したコーラも全て平らげて当初の話題に戻った。即ち「今からどうしようか」ということだ。しかしぼくはもう体力を使いたくない。少なくとも今日中は。

「そう言えば、めーちゃん」

「何」

「肝試しって興味ある?」

 百太郎くんが携帯端末を素早く操作し、画面をぼくに向けた。全国各地の心霊スポットを集めたサイトらしく、広島県に絞った結果が表示されているようだった。杏落市の廃墟や墓地もいくつか紹介されている。

「生憎やったことがないんだけど、興味はあるよ。蒟蒻がぶつかってくるんだよね」

「面白いくらいに偏った知識だな……」

「だったら今夜、人生初の肝試しをすればいいだろ。どうだ?」

 心霊スポットで肝試しをする。杏落市の高校生が夏休みにすることとして相応しいかどうかはよくわからない。ただ、今まで経験したことのない肝試しができるということがぼくにとって多少は魅力的に思えた。夜まで身体を休めるということも含めて。

「いいですね。肝試し、やってみたいです」

 ぼくが言うと二人は同時に「おっ」と嬉しそうに顔を綻ばせた。

「じゃあ、決まりだな。場所は霊の目撃情報コメントが多い斬崎町の墓地にしよう」

「俺達一年四組と二年四組の生徒で都合の合う奴らを集めておくから」

 昔ヶ原兄弟はぼくの二倍速いのではないかと思うほどの指使いで携帯端末を操り始める。ぼくはそんな彼らを眺めつつ、氷で味が薄くなってきたアイスコーヒーの残りを飲み切った。そのうち肝試し参加者は二十人以上になり、今日の夜八時半に斬崎町の山にある杏落市営紅桜(べにざくら)墓地(ぼち)の前に集合することが決定した。

「また夜に紅桜墓地で」

「懐中電灯があったら持ってこいよ」

「はい」

 ぼくと昔ヶ原兄弟はミスタードーナツを後にし、夜に会うことを約束して一旦別れた。チョコレートボールとマルセイバターサンドの包みは、わざわざ二人が持ってきてくれた紙袋にまとめて入れた。しばらく甘味には困らないだろう。

「さすがにこの服で行くわけにはいかないよな……」

《クルーエル》に帰ったぼくはシャワーで汗を流し、七分袖の黒い夏用パーカーにチャコールグレーのブッシュパンツを合わせた動きやすい服装に着替え、いつもより早めに夕食の準備を始めた。カレーやシチューを作るときに使うものと同じ鍋でスパデッティを茹でつつ、ぼくはこれからのことを考えた。

 黒喰請負事務所は八月八日まで休み。そしてよだかさんが忙しくなると言っていた八月まではあと二週間近くある。課題はもう半分以上終わらせているから、それ以外の何に時間を費やすべきだろうか。昔ヶ原兄弟と遊ぶのもいいが、彼らには色んな女性との付き合いがあるに違いない。ならば秋ちゃん、羽衣ちゃん、唯一くんの三人組を誘ってみようか。他にも図書館で読書を楽しむのもいいだろうし、電車でふらっと杏落市の外へ出かけてみるのもいいだろう。

 一人暮らしを始め、高校生になって初の夏休み。今までにしたことのないことができる。そう考えると楽しそうなのに、何故だか不安な気持ちになった。

「早く八月になればいいのに」

 ミートソーススパゲッティとポテトサラダの夕食を終え、課題を進めているうちに約束の時間が近づいた。最近買ったばかりの虫除けスプレーをかけ、携帯端末、財布、懐中電灯だけを持って斬崎町に向かう。紅桜墓地という墓地の名前は今日初めて知ったばかりで当然場所も知らなかったが、途中で数人のクラスメイトと合流することができた。まるで町から追いやられるように、山の中に存在する紅桜墓地。その入り口に昔ヶ原兄弟と彼らに誘われた肝試し参加者が集まっていた。数えてみると、ぼくを含めて二十一人。

「ここ久々に来たけど、これは……」

「結構ひどいな」

「だね」

「相変わらず汚い……」

「雰囲気はあるけど」

 紅桜墓地を知っているらしい参加者は口々に言った。

 いくつもの懐中電灯で照らされた目の前の墓地は、清掃が行き届いている様子が全く感じられなかった。入り口付近にある街灯は壊れているらしく、辺りは真っ暗。雑草は伸び放題で落ち葉、古い灯篭、空き缶などのごみで荒れている。墓の中に眠る魂はちゃんと成仏できるのだろうかと心配させる有様だ。

「これで全員集まったな。今からルール説明するぞ」

 そう言って琴太郎先輩が手を鳴らすと参加者は静かになり、彼に注目した。

「今から籤引きをして、三人一組のチームで墓地の奥まで行く。奥にはここと同じように水道があるんだ。そこに俺達が置いてきた十ペンス硬貨があるから、一チーム一枚取って戻ってきてくれ。表がライオンで裏がエリザベス女王になってる硬貨だ。この人数でそんなに広い墓地じゃないから、前のチームが行って帰ってきたら次のチームが行くようにする。何か質問とか反対意見があったらどうぞ」

 一人の女子が「怖がらせる役の人っているんですか?」と質問したが、琴太郎先輩は首を横に振った。そんな役の人は一人もいない、蒟蒻も仕掛けていないと言う。今回の肝試しは心霊スポットとして有名な紅桜墓地をただ歩くだけのものらしい。

「それじゃあ籤引いていこうぜ」

 そう言って百太郎くんが紙袋に入った人数分の割り箸を皆に引かせた。結果、ぼくは何の縁か羽衣ちゃんと唯一くんと一緒になった。遠足のときとほとんど同じ面子だ。

「すごい偶然じゃねえ」

「めーちゃん、こういうの好き?」

「好きってわけじゃないけど今まで肝試しなんてしたことなかったから、興味があって。珍しく秋ちゃんは一緒じゃないんだね」

「そうなんよ!」

 突然羽衣ちゃんがぼくに突進するような勢いで抱きついてきたかと思うと、かっと目を見開いた唯一くんがぼく達を携帯端末で連写し始めた。しかし羽衣ちゃんは慣れているのか全く気にしていない様子で続ける。

「うちが誘ったのに委員長、全然興味ないから行かないの一点張りじゃった。一夏の思い出にええじゃろって言ってもそういうのは海水浴とか花火とか夏祭りとかで十分でしょって聞く耳持ってくれんかったんよ。あと今まで一度も手を出したことなかったハリー・ポッターシリーズを読破したいからって通話切られて……」

「ああ、なんとも優等生らしい夏休みの過ごし方だね」

 ポンパドールが崩れない程度に羽衣ちゃんの頭を撫でると、彼女は不満げな表情を少しだけ和らげた。そして未だ連写し続けている唯一くんにいい加減にしろと視線を向けたところ、ようやくカメラのシャッター音が鳴り止んだ。

「ごめん。ついつい、衝動を抑えられなくて」

「ついついじゃないよ」

「めーちゃん。唯一がいきなり机をばしばし叩いたり頭を壁とか木とかに打ちつけたり携帯で写真撮ったりするのはよくあることじゃけえ、全然気にせんでええんよ」

「羽衣ちゃん……」

 目を覚ませ。きみはもう少し危機感を持った方がいい。

 やがて墓地に入る順番も決まり、昔ヶ原兄弟が発表した。ぼく達のチームは最後から二番目。順番が来るまでかなり暇だ。それは他のチームも大差ないようで、一番手のチームが墓地に入っていくとその他は石段に腰掛けて携帯端末を弄ったり雑談をしたりする人がほとんどだ。もしここに暴走した車が突っ込むなり、通り魔が銃を乱射するなりしてきたらこの場にいる大半は死ぬだろう。あっさりと、呆気なく。そんなことを考えていると羽衣ちゃんが「ねえねえ」と肩を叩いた。

「聞きそびれとったんじゃけど、めーちゃんって終業式の日どうなったん?」

「あ、それ俺も気になってた。あの男の人すげえ美形だったよな」

「距離が妙に近かったし、もしかして恋人?」

「めーちゃん……いつの間に」

「違う。恋人違う」

 勝手に自分達で話を作り上げそうなチームメイト二人に否定し、ぼくは溜め息をついた。請負人の助手というアルバイトをしていることはやっぱり伏せておきたい。百太郎くんのときと同じように話すべきか。しかし羽衣ちゃんと唯一くんの場合はもっと詳しいところまで知りたがりそうだ。こうなったら、適当な嘘でもつくか。

「実はあのとき、子猫が産まれそうになってて」

「子猫?」

 二人分の声が重なった。

「ぼくが部屋を借りてるマンションの近くに、少し前からお腹の大きな野良猫がよく来てたんだ。どうやら妊娠してたらしくて、ちゃんと産めるかどうか心配だった。教室に来たあの人は、ぼくと同様猫を気にしてた知り合い。それであの日、子猫が産まれそうになってたからって呼びに来てたんだよ。妙に距離が近かったのは、元々パーソナルスペースが狭い人だから」

「えっ、それで子猫は無事産まれたん?」

「なんだ。めーちゃんとあの人、猫好き仲間ってことか」

 意外にも羽衣ちゃんと唯一くんはあっさりとぼくの嘘を信じてくれた。

「五匹の猫が無事産まれたんだけど、一匹はすぐに死んでしまったよ。その後は死んだ子猫を埋葬して他の子猫を飼ってくれる里親探しをしてた。以上」

 その後は順番が回ってくるまでの時間潰しに雑談を続けた。主に喋ったのはやはり羽衣ちゃんと唯一くんで、ぼくはほとんど聞き役に徹した。よくここまで話題が尽きないものだと言いたくなるほど二人はよく喋る。そのうち十ペンス硬貨を手に帰ってきたチームの人達は「怖かった」と言いながらも大半が笑っていた。やがて嘘か真か、いきなり寒気を感じただの、途中から足音が増えただの、女性の泣き声が聞こえただのと言い出す人も現れ始める。しかし、さすがに幽霊を見たとはっきり言う人は一人もいなかった。


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