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27 情報収集

 三日後に再び土竜さんの部屋を訪れたとき、アタッシュケースを持つよだかさんも一緒だった。随分と分厚い茶封筒を受け取り、土竜さんは中身を確認してから話し始める。

「貝塚五月雨はドッグ倶楽部に誘拐されとる」

「ドッグ倶楽部?」

 ぼくの頭には広い敷地内で駆け回るゴールデンレトリバーとドッグインストラクターの朗らかな光景が浮かんだ。

「秘密裏に存在する中規模な倶楽部。ここに入会、参加するには飼い主か(いぬ)を購入希望の飼い主希望者であることが条件なんじゃ。一見の場合、三年以上所属する会員が付き添う上での見学しか許可されん。飼い主希望者が初めて狗を購入できるのは二回目の参加からになっとる。入会費やら年会費やら狗の購入、調教にも莫大な金がかかるけえ、上流階級の人間でもごく一部の者のみにしかその存在は知れ渡っとらん。飼い主はブロンズ、シルバー、ゴールドとランク付けされて、それによって受けられるサービス、アフターケア、購入可能な狗のランクが変わるらしい」

「血統書つきの珍しい種類ばかり取り扱ってるんですか? 確かに犬を飼うにはお金がすごくかかるみたいですけど、そこまで出入りを厳しくする必要があるとは思えません」

「鈍いな愛織。今の話を聞いて、まだ察してないのか」

 隣のよだかさんが呆れたように言う。

「若くて見た目も悪くない令嬢が誘拐された場所だぜ」

「――――っ、まさか……」

 一瞬、顔から血の気が引いたような心地だった。よだかさんがシニカルな笑みを浮かべて、頷く。ぼくが前を見ると、土竜さんもニヒルな笑みを浮かべて首肯していた。

 犬じゃない。狗というのは、人間だ。

「ドッグ倶楽部を一言で表すんなら、非人道的で悪趣味な愛好会。狗は基本的に人身売買と拉致によって補充されとる。拉致の場合は身寄りのない者――孤児、もしくは家族や友人と疎遠な者、家出した少年少女、一ヶ所の地域に根づかんバックパッカー、ホームレスがその対象になりやすい。飼い主自らが狗を確保するケースもあるんじゃけど、もしも不手際によって倶楽部の存在を白日の下に晒すことになりそうなら、即座に別件として処理されるよう偽装工作が行われる。なおかつその飼い主は口封じのため、なんらかの形で殺される……しっかりしとるわ。主催者側に依頼すれば指定した人物の身辺調査、拉致、証拠隠滅も請け負ってもらえる。当然普通に狗を買うときとは比較にならんほどの大金が必要になるけどな。貝塚五月雨は主催者側に誘拐された。相手がプロ故に目撃情報もなかったんじゃろ。今の彼女は、依頼者が購入する前の調教を受けとる真っ最中」

 一気に話し終えた土竜さんはワークチェアに思い切り凭れ、長くて細い腕を天井に向けて伸ばした。

 ぼくもよだかさんも知らなかった非人道的な愛好会――ドッグ倶楽部。警察も上流階級の大半も知らない存在を、探索屋の土竜さんはたった三日間で暴いた。すごい。純粋にそう思う気持ちもあったが、自分の知らない世界に存在していたおぞましいものを唾棄する気持ちが勝っていて、なんだか胸がむかむかとする。

「それで、お前らはどうするつもりなん?」

「決まってるだろ。依頼を完遂するためにもドッグ倶楽部に潜入する。それには、土竜」

 よだかさんは突然立ち上がると、煙草を吸い始めていた土竜さんに迫った。ワークチェアの腕を置くところを掴み、誰も逆らえなくなってしまいそうな笑顔を見せる。びくり、と土竜さんの身体がかすかに硬直したようだった。

「お前の力がまだ必要だ。今回は依頼が終わるまで付き合ってもらうぜ」

「……っ、は。ええよ」

 土竜さんは息が詰まりそうな表情から一変、ニヒルな印象のない笑みを口元に浮かべた。荒んだ目が心なしか挑戦的な色に変わっている。

「俺も最近はここまでレアな情報調べたことなかったけえな。ただ、探索屋を馬車馬並みに働かせるつもりならその分金を用意せんといけんのはわかっとるな」

 するとよだかさんは土竜さんに近づけていた美貌を離した。そして一旦ぼくの近くまで戻ったかと思うと、この部屋に来てから今までずっと開けることなく放置していたアタッシュケースを手に取り、土竜さんに投げつけた。顔面に叩き込まれる寸前で土竜さんが受け止め、中に隠れていた何人もの福沢諭吉が晒されることとなった。億、いってるんじゃないだろうか。毎日事務所に依頼が来るわけでもないのに、よだかさんの私財は底なしに思えて仕方がない。もしスイス銀行に口座があると言われてもぼくはちっとも疑わずに信じてしまうだろう。

「上等」

 よだかさんの嬉しそうな声を聞いて、ぼくは今までにないほどの波乱に巻き込まれそうな予感に項垂れた。するとキーボードを叩く音が聞こえ始めて、顔を上げる。土竜さんがパソコンラックに向き合い、ワークステーションに集中していた。ディスプレイに何やら人の顔写真が添付された資料のようなものが表示される。ちらりと見ただけで、それが誰かの個人情報だとぼくにでもわかった。

「これ、ドッグ倶楽部の主催者側が所有しとる飼い主の個人情報。倶楽部自体は設立して二十年以上経っとるが中規模じゃけえ、飼い主の数は千人にも届いとらん。貝塚五月雨の拉致を依頼したんは――この男じゃな。ランクはゴールド、職業は日本のナイトレジャー業界で古株的な大企業の代表取締役」

 ぼくとよだかさんは並んで土竜さんの背後から資料を見る。表示された顔写真は、一見とても真面目そうな紳士然とした初老の男だった。しかし購入履歴の欄に目を通す限り、すでに八人もの狗を所有しているらしい。全員女性の、狗。それよりもぼくが気になったのは購入した狗の改造履歴という欄の情報だ。

「この人、どの狗からも声帯取ってる……」

「豊胸手術を受けさせたことも目立つな」

「どうやらこいつは愛玩目的で所有するタイプの飼い主で、狗の好みは胸が大きくて寡黙な若い女みたいじゃのう。声なんて必要ないと思っとるくらいに。レースや闘技には参加させとらんくせにスポーツ経験のあった女もよく選んどる」

 五月雨さんの写真を思い出す。彼女は制服の上からでもわかるくらい大きな胸を持っていた。そしてハンドボール部で活躍していた。ターゲットとしては、適している。

「五月雨さんの情報はないんですか? もう声帯を取られてしまっていたら――」

「取られとるよ、とっくに」

 土竜さんはあっさりと言った。再び彼がキーボードとマウスを操作し、今度は飼い主ではなく狗となっている人達の資料がディスプレイに現れる。五月雨さんだ。卒業式の日に撮った写真とは違い、髪を下ろして一糸纏わぬ裸体となっていた。顔、全体、胸や尻といった部位、その全てを様々な角度や姿勢から取った写真が並んでいる。その下に身長、体重、スリーサイズ、拉致されてから今まで受けた狗としての調教記録が細かく記載してあった。声帯の、除去手術も。そして最後に《売約済み》という赤い判子。

「……なあ。今さらじゃけど、愛織にもこれ見せてよかったんか?」

 不意に土竜さんがそんなことを言ってきた。もしかして、気遣ってくれているのだろうか。ぼくはよだかさんが何かを言う前に「大丈夫ですから」と言っておいた。それから土竜さんはドッグ倶楽部の情報を淡々と説明していく。

「この倶楽部では月に二回、決まった場所で交流会が開かれるんよ。そこで狗の売買や狗に関係するショーが行われとる。飼い主は飼い主同士で友好を深めたり、狗をショーに参加させたりすることが可能なんじゃ。狗への対応に倶楽部による制限は一切なしで、各々が思うままの愛情を狗に注ぐらしい。ショーの内容もミスコンみたいに狗の美しさを審査するコンテストだったり、金を賭けた狗同士のレースや闘技だったり、色々ある。お前らが潜入する機会があるとしたらこの交流会じゃろうな。簡単にいくとは思わんが」

「次に開かれるのは?」

 間髪入れずによだかさんが質問した。

「八月八日。午後十時に開場で、終わるのは午前三時が予定されとる」

「開催場所はどこだ。そこには調教を受けてる五月雨もいるのか?」

 立て続けに質問され、土竜さんは何故かくつくつと笑って椅子ごと振り返った。

「《賢い人は葉をどこへ隠す? 森の中だ。森がない時は、自分で森を作る。一枚の枯れ葉を隠したいと願う者は、枯れ葉の林をこしらえあげるだろう。死体を隠したいと思う者は、死体の山をこしらえてそれを隠すだろう》」

 彼は小説か何かの台詞らしき言葉を歌うように読み上げ、顔から笑みを消した。

「開催場所も何も、ドッグ倶楽部そのものがある場所は杏落市棺桶町なんよ。当然貝塚五月雨もそこにおる。木を隠すなら森の中って名言があるじゃろ。後ろめたいことを隠すには犯罪都市の中がぴったりじゃけえのう」

「………………」

「………………」

 ぼくもよだかさんもしばらくは何も言えなかった。まさか自分達が住む場所の近くに五月雨さんが誘拐されていただなんて、あまりにも予想外だ。

 棺桶町。

 飲食店、遊技施設、映画館が集中した杏落市内で唯一の歓楽街がある。しかし犯罪件数の多さは杏落市内でほぼトップだと言われ、毎日戦争のように犯罪が起きている。その犯罪はテロ、抗争、横領、殺人、強盗、詐欺など凶悪性を問わず様々だ。噂によると日常的に麻薬、武器、人身の売買が行われるらしい。それでも死亡者が比較的少ないのは、棺桶町の外れに拠点を持つ柩木組のおかげだと言われている。

「よだかも柩木組も一切気づかずに見逃してきた存在なだけあるわ」

 そう言って土竜さんは再びパソコンラックに向き合う。よだかさんを見ると、いつになく難しそうな表情で何やら思案しているようだった。視線に気づいた彼はいきなりぼくの両肩にだらんと両腕を乗せてきた。ぐぐぐ、と徐々に体重が預けられていくのがわかる。

「重いです、よだかさん。やめてください。ちょっと……重いですってば!」

「いちゃつくんなら余所でせえや」

「これがいちゃついてるように見えるんですか」

「いいこと思いついた」

 その言葉が聞こえたと同時に、ぼくに圧しかかっていたよだかさんの体重が消える。もう少しで膝が折れて床に崩れ落ちるところだった。

「おい土竜。飼い主の個人情報、印刷して寄越せ。それも交流会に必ず出席する飼い主で、三年以上所属してる会員だけ」

「…………お前がやろうとしとること、大体わかったわ」

 土竜さんはそう言ったが、ぼくにはまだよだかさんが何を考えているのかわからない。交流会に必ず出席し、三年以上所属している会員の情報。それを手に入れて、一体どうするつもりなのだろうか。ぼくも助手らしく何かいい案でも発言するべきなのかもしれないが、上流階級の人間でもごく一部しか出入りできない組織に潜入する方法なんてそうそう浮かんでくるわけがない。六月に自殺志願者を装って強姦魔に近づいたときとは、あまりにもレベルが違い過ぎる。

「間違っても紛失なんかせんといてや。誰もが知るような大企業の重役以上の著名人ばかりじゃけん処分するときは必ずシュレッダーにでもかけろ」

「わかってる」

 しばらくの間、学校に置かれているものとよく似た白い印刷機が紙を吐き出す音が続いた。土竜さんは百枚以上あるだろうその紙をまとめ、大きな封筒に入れた。それを受け取り、よだかさんは「ありがとな」とだけ言うと足早に部屋を出ていく。ぼくは慌てて土竜さんに頭を下げ、よだかさんの後を追った。外では相変わらず蝉時雨が耳につく。

「どうするつもりなんですか」

「どうって?」

「ドッグ倶楽部のことで――ぐっ……!」

 前を歩いていたよだかさんは振り返りざまにぼくの顎を掴む。顎が砕けそうなほどに力を込められ、痛みで骨が軋むような心地だ。そのまま彼の腕が動き、ぼくは背中を廊下の壁に押しつけられる。珍しく怒った表情の美貌が近づいて、耳元で囁いた。

「お前、今日知った存在がどれだけ危険かまだわかってねえようだな。こういう組織は無関係の奴が情報を知ったとわかった途端口封じだ。お前の存在を戸籍ごとを抹消することだって不可能じゃない。それだけの権力を持った人間が多くいるはずだからな。もちろん土竜がクラッキングした形跡は絶対に残ってねえよ。けどな、倶楽部そのものは杏落市にある。主催者側の人間が俺達のすぐ横を通り過ぎていたことだってあったかもしれない」

 そこで顎を掴む手の力が緩んだ。

「いいか愛織。今後この名前を口にするのはよせ。犬の躾をする学校みたいなありふれた名前だが、いつどこで誰が何を聞いてるのかわからねえからな。それにお前は俺よりもずっと鈍感で、心を読むこともできない、つい半年前はこの犯罪都市にいなかった処女だ。誰が怪しいかなんて見極めることは得意じゃないだろ」

「は、い……。すみ、ませんでした」

「わかればよし」

 耳元まで近づけていた顔を離し、よだかさんはまた歩き始めた。ぼくはまだ痛む顎を撫でながら彼の横に並ぶ。

「それで、これからどこに行くつもりなんです」

「事務所に戻る。そこでさっき印刷した資料に目を通すだけだから、お前はしばらく夏休みを謳歌してろよ。今回の依頼、かなりの下準備が必要だから八月八日まで事務所は休みだ。俺の考えた案が使えそうなら、八月に入った途端忙しくなるぜ」

 ぼくによだかさんの考えていることはわからないが、こうも自信満々に余裕のある笑顔で言われると「ああ、それなら大丈夫なんだろう」と思ってしまう。美しい人は笑顔の威力が本当に凄まじい。優しく微笑んだだけで大抵の人は抵抗力を失う。こんな綺麗な人が笑ってるんだから、もういいか――と思考すら放棄しかねないほどに。

「わかりました。今のうちに課題も終わらせて遊び尽くしてやりますよ」

 ぼくはよだかさんと別れ、百太郎くんに電話をかけた。今は兄の琴太郎先輩と杏落市にいるらしい。一緒に遊ばないかと誘ってみると、異様に喜ばれた。

『めーちゃんから遊びに誘ってくれたことって、今までなかっただろ』

「そうだっけ」

『そうだよ』

「だからってそんなに喜ばなくても」

『どこに行く? あ、会ったときに軽井沢の土産渡そうか』

「うん」

 不意に遠くから琴太郎先輩の声が聞こえた。俺も渡しに行きたい、と言っているようだ。

『キンも一緒に行ってもいいよな』

「うん。でもどこで何して遊ぶかはまだ決めてないんだけど……」

『じゃあこれから会って話し合おうぜ。場所は…………もうこの際学校でいいか』

「わかった。じゃあ、今からマンション出るね」

『おう』

 通話を終え、ぼくはエレベーターに乗り込んだ。

《クルーエル》を出てしばらく歩いていると突然行く手を塞がれて足を止めた。五月に見た常善学園高等部の制服――しかし衣替えをしてブレザーがなくなりシャツも半袖――に身を包んだ男子が六人、静かにぼくを取り囲む。何故夏休みなのに制服なのかはわからないが、彼らも笛吹鬼と同様、あまり派手ではないが不良生徒に共通した雰囲気がある。素早く視線を動かしたが、通行人は足早に過ぎ去っていくだけ。ああ、なんだか面倒臭いことになりそうな予感。

「なんですか?」

 無言のままぼくを見つめる彼らに訊ねてみると、正面に立つ一人が言った。

「お前、昔ヶ原兄弟とつるんでる女子だろ。ちょっと面貸せよ」

「何故」

「お前が汽笛さんと伊吹さんに校争で挑んだのは知ってる」

 正確には依頼されて引き受けた仕事だったのだが、それを説明する気は起きない。

「だったら、どうするんです。校争で決まった勝敗に後から文句を言うのは御法度なんでしょう? もう二ヶ月経った話じゃないですか。それとも、たった一人の女子相手に六人がかりで仕返しするつもりでここに?」

「ははっ。話に聞いてた通り、胆は据わってるみたいだな」

「杏落の――しかも一年の女子なんかに負けたままだと、常善の面子が立たねえ」

「校争には初参加だったって聞いたけど、もしかして昔ヶ原兄弟から聞いてない? 勝った生徒が、校争の後で相手側から集団で闇討ちされることも珍しくないんだよ」

 二ヶ月も間が空いたのは、ぼくのことを調べでもしていたからなのだろうか。だとしたら、随分ご苦労なことだ。思わず溜め息をつくと、馬鹿にされたと思ったのか彼らの表情が険しくなった。正面の男子が一歩近づく。六人の中で一番背が低いため、特に見上げる必要もなくそのままの体勢でぼくと彼の視線はぶつかり合った。

「おい早く決めろよ。来るのか、来な……っ」

 顎を狙ったぼくの右手は寸前で受け止められたが、一瞬遅く出した左の拳は命中した。不意打ちでこれとは、ちょっと拍子抜けだ。どうせ最初の攻撃は両方とも受け止められるだろうと思ってその次の行動も考えていたのに。ぼくはよろけた彼を突き飛ばし、走り出した。すぐに後ろから複数の足音が追いかけてきた。


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