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20 闖入者

 爆発と言っても、ぼく達部屋の中にいる者は誰一人として傷つかない程度の爆発だった。太鼓を鳴らしたときのような、腹の奥に響く衝撃。窓ガラスが砕け散る音も聞こえたが、分厚いカーテンが破片を受け止めてくれたおかげでこちらに被害はない。よだかさんが来てくれた。そう確信したぼくだったが、カーテンの向こうから突進してきた人物は予想と大きく外れていた。

「お姉さんっ!」

「え」

 黒いランドセルを背負い、警棒型のスタンガンを装備した少年――楪くんだった。彼は無駄のない動きで、男の伸ばしていた右腕にスタンガンを当てる。刹那、青白い閃光が散って皮膚がざわつくような音が響いた。ほぼ同時に男が短い悲鳴を上げ、飛び退いた拍子にバランスを崩して床に尻餅をつく。そして楪くんの後ろから土足で部屋に入り込んできたのは、柩木組のやくざ達。

「てめえら全員動くんじゃねえ!」

 一番に声を張り上げたのは、あのインテリさんだった。髪型も服装も眼鏡も変わっていないが、よだかさんと向き合っていたときと声が全然違う。声からこれほどまでの威圧を感じるとは、さすがはやくざと言うべきか。五人の男達は青褪めた顔で両手を上げ、硬直していた。その一人が手にしている白い粉末と注射器を取り上げるインテリさん。

「最近うちの縄張りで女を食い物にしてた屑野郎がてめえらだな。処分は俺が決めるわけじゃないんだが、全員車で引きずり回された後に運がよければ完全去勢の手術、悪ければ睾丸を組の女に潰される……ってところだろ。後者はショック死しなくてもホルモンバランスが崩れて、それこそ本当に自殺したくなるだろうから覚悟しとけよ」

 それが本当の処刑方法なのか、単に脅しとして言っていることなのかぼくにはわからない。本当だとしたら相当えげつない。ぼんやり彼らを眺めていると、インテリさんが首だけでこちらに振り返った。

「若。そちらの方を、外へ」

「はいです」

 頷いた楪くんは右手にスタンガンを握ったまま、左手でレースカーディガンの裾を掴んでぐいぐいと引っ張る。混乱が落ち着いてきたぼくは彼と一緒にリビングを出て、廊下を進み、鍵を開けた扉から外へと出た。本来駐車してはいけない道の脇に、四台の車が堂々と停まっていた。ぼくと楪くんを見つけるなり、車の傍で待機していたやくざ数人が一斉に勢いよく頭を下げる。彼らの間を縫うようにして、シニカルな笑みを浮かべたよだかさんが出てきた。マーブル模様の大きなロリポップを舐めている。

「よお、愛織。処女は無事みたいだな」

「これは一体、どういうことですか」

「簡単に言えば、俺らは柩木組に利用されてたってわけだ」

「利用……」

 ばきん、とよだかさんの牙がロリポップを砕く。

「そのチビがお前にタブレット貸しただろ。どのサイトで何をしたか、どんなメールのやりとりをしたか、全部こいつらには筒抜けだったんだ。初めからあのタブレットにはそういう機能をつけられてたらしい。柩木組は近頃市内で女性を中心に広まっている薬物の情報を掴んだばかりで、その出処を探っていた」

 そこまで言ったところでよだかさんは軽く溜め息をつき「あとはもう察しろ」と気怠げに言った。柩木組のやくざは全員心なしか居心地の悪そうな表情を浮かべている。

「お姉さん」

 楪くんに呼ばれたかと思うと、いきなり頭を深々と下げられた。

「ごめんなさいでした。お姉さんのことを利用して」

「…………最初からそのつもりでぼくにタブレットを貸したの?」

「いいえ」

 首を横に振って、楪くんはぼくの服を掴んだまま俯いて続けた。

「あのときはただ、お姉さんの役に立ちそうだと思ったから貸しました。でも……確認できている限り、薬を使った人の多くが《レミング・ステーション》を利用していた自殺志願者だったことは組でも調べがついていました。だから少し気になって、タブレットで何をしたか全部見てたです。今夜お姉さんがこの家で危ない目に遭うかもしれないとわかって、ぼくの独断で組の仲間を連れてきました。ここに来るまでに請負人のお兄さんを見つけて、お姉さんが身に着けているマイクの音声を聞くための受信機を借りました。薬の話が出たからわかったです。柩木組の縄張りで見つかった例の薬は、ここが出処だと」

「そう……」

「さすがは柩木組の跡継ぎ。まだ小学生でありながら、堅気の女子高生を利用してでも縄張りの管理はしっかりしておきたいってことか」

 意地の悪い言い方をしたよだかさんの言葉に、楪くんは腹の前で両手を握りしめた。力を込め過ぎたその手は、小刻みに震えている。

「ごめんなさいでした」

「別にいいよ、それくらい」

 顔を上げた楪くんはきゅっと唇を引き結び、ほんの少しだけ泣きそうな表情になっていた。もしかしたら彼は彼なりに、ぼく達を利用していたことに後ろめたさを感じているのかもしれない。やがて楪くんはスタンガンをランドセルの横につけたリコーダーケースに収め、黙っていたやくざの面々に視線を向ける。

「後始末が終わったら車は一台だけここに残して、先に帰ってろです」

「若?」

「少しの間、お姉さんと二人にさせてほしいです」

「はい」

 やくざが全員頷くと楪くんは再びぼくのレースカーディガンを遠慮がちに掴み、静かに歩き出す。ぼくはどうしたらいいかわからず、足を動かしながらもよだかさんの方を振り返った。しかしよだかさんは唇の動きで「行ってこい」と言うだけだった。相手は小学四年生だが、柩木組の跡継ぎ。そして何よりぼくのストーカーだ。何をされるかわかったものじゃない。そう頭で理解していても、ぼくは楪くんに抗うことなくついていった。

 楪くんはぼくを掴んだまましばらく翠雀を進んでいき、あの家が見えなくなったところで足を止める。緑青色の瀟洒な街灯の下で、レースカーディガンから彼の手が離れた。しかしお互い何も喋らないまま、沈黙が流れるだけだった。気まずくなったぼくは何か話題を探して、言ってみた。

「さっきは、ありがとう」

「え?」

「ぼくのことを助けてくれたじゃないか。爆弾か何かを使ったんだろう、あれ。窓を壊すより扉をこじ開ける方が手間はかかるだろうけど、コストがかからなかったのに。柩木組は、薬の出処がわかっただけでも十分だったんじゃないのか。わざわざぼくを助けるようなタイミングで突入することなかったはずだよ」

「それは、お姉さんが危ないと思ったから――」

「うん。あと少し遅かったら、男の手はぼくに届いてたと思う。きみがあのタイミングで窓を壊す突入を指示しなかったら、本当にぼく達を利用してただけだ。でも、実際は違った。きみがぼくのことを助けてくれたんだよ。だから、ありがとう楪くん」

「…………っ、あ」

 目を見開き、半開きにした口をかすかに震わせていた楪くん。おもむろに背負っていたランドセルを下ろし、蓋を開けた。中に入っていたのは、五百ミリリットルのペットボトルが一本だけ。それも空。何故こんなものを持ってきているのだろう。

「お姉さん。これ、覚えてないですか?」

「えっ」

 楪くんは思いがけない問いかけをして、ペットボトルを取り出した。瀬戸内海と檸檬の絵が描かれたラベルには《瀬戸内レモンレモネード》と書いてある。東京では一度も見かけたことのない、この中・四国限定販売らしいレモネードにぼくは何故か見覚えがあった。

「……………………思い出した」

 ぼくが楪くんと出会ったのは、今月に入ってからじゃない。もっと前だ。もっと前、入学式の日によだかさんと出会うよりも前だった。

 

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