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19 囮役

 ぼくはその後も《レミング・ステーション》で知り合った人とメールのやり取りを続けた。小学生から借りたタブレットでこんなことをしていると誰かに発覚されれば、まず間違いなく非難されるだろう。それでもぼくは仕事のためという大義名分があるのだと自分に言い聞かせ、毎日タブレットでメールを確認した。

 そのうち、ぼくはよだかさんがわざわざ来週の日曜日に確認しようと言った理由がわかった。いくつかのアドレスで受信したメールの中に、ほとんど同じ内容のメールが存在している。何月何日の何時頃に会えますか、という具体的な日時を記したものだ。一週間もメールを交わしていれば、獲物の目安がつくということか。相手のメールアドレスは違っていたが、ぼくはこいつが強姦魔だと確信していた。

 日曜日になり、昼食を終えた頃によだかさんから呼び出しを受けた。きっと彼の方も怪しいメールアドレスを特定できていることだろう。ぼく達はあらかじめ罠だと知っているから当たり前に見抜くことができた。しかし珊瑚さんの親友は何も知らなかったのだからそんなこと望めるわけもない。

「これが詐欺というものなんですね」

「馬鹿な奴らだよな。もっと他にやること見つけられねえのかよ」

 顔も知らない相手に唾棄しながら、よだかさんはぼくが借りているタブレットと自分の携帯端末を操作していた。どうやったら片方の画面を見ないまま、そこまで左右の指を同時にばらばらに動かすことができるのだろうか。

「そう言えば、よだかさん。殺人鬼なのに自殺する人もやたら批判してましたよね」

「殺人鬼なのにってどういう意味だよ」

「なんと言うか……上手く言葉にできませんけど、息を吸うように人殺しするのに自殺する人が嫌いなんて少し妙だと思ったんです。よだかさんは不死身だから、ぼく達とそういう感性が違うのかもしれないですけど」

「自殺なんてのはただの逃避だろ。生きてる限り、大抵の人間は常に何らかの問題と直面する。フィジカルだろうとメンタルだろうと、その問題を乗り越えたらすぐにまた次の問題が現れる。戦い続けることを強いられるのが人生だ。自殺をするってことは、その戦いが嫌だから死んで逃げようとしてるだけに過ぎねえよ。だから自殺する奴は弱いって言われるんだ。俺はそういう人間が大嫌いだ。殺したときも後味が悪いからな」

 最後の言葉がなければ結構まともな発言だったんだけどな、と思わざるを得ない。やがて彼は顔を上げ、ぼくに携帯端末の画面を突き出した。

「食いついたぞ。お前、明後日の夜ここに行け」

「え?」

 画面を見ると、そこには二日後の夜九時に集団自殺をするという決定事項が記されていた。そのうえ向かう人物の容姿は髪型から服装まで細かく設定してある。

「黒髪の三つ編み、濃紺のカシュクールワンピースに白いレースカーディガンで行く……って、こんな服持ってませんよ」

「もう買ってある」

 よだかさんは事務机の上に置いていた紙袋をぼくに渡してきた。紙袋の中には、彼が指定した洋服一式がそろっている。まさかこの仕事のためだけにわざわざ買ってきたのか。ぼくが顔を上げると「経費だから気にするな」と言われた。てっきりぼくの給料から引かれるものだと思っていたから意外だった。

「別にぼくが持ってる服で行ってもよかったんじゃないですか?」

「お前の私服は大抵黒の無地パーカーにショートパンツだったりジーンズだったり、とにかく色気がない。女子高生ならもっと女子高生らしい服装をしたらどうなんだ。ただでさえ男にセクシャルな印象を与える可能性が低い容姿してるのに」

「素敵なくらい余計なお世話ですね」

 よだかさんの哀れむような視線がぼくの胸部に向かっていることがわかる。セクハラとして訴えてやろうか、この殺人鬼。

「俺の予想では、強姦魔はこの自宅に集まってきた女を入れる前に品定めするはずだ。あまりに好みじゃない女だったりネカマだったりした場合、住所が間違ってるとか言って追い返すんだろ。メールをやりとりしてる間に顔写真を送るよう言ってこなかったからな」

「……わかりました。でも、丈がかなり短いのでレギンスも履きますよ」

「ああ。あとこれも着けろ」

 よだかさんが投げて寄越したものはアロマペンダントのようだった。焦げ茶色の革紐に通したハート型のロケットタイプで、中に黒いものが入っている。しかし特にアロマらしい香りはしない。

「これは?」

「小型マイク。お前が犯人の家に入って、俺はマイクから聞こえてくる音声で確認が取れたら突撃する。一応予定ではそうなってるから、絶対に着けろよ」

「……はい」

 ぼくは囮役だ。怖くないと言ったら嘘になる。よだかさんの人間離れした身体能力に文句はないが、それでもぼくが無傷のまま仕事を終えられるとは限らない。何人いるかわからない男相手にどこまで抵抗できるだろうか。出血や骨折くらいは覚悟しているが、貞操だけはどうにかして守りたい。

「さすがに百八十センチの男が代理するわけにはいかねえからな。頑張れよ、愛織」

「善処します」



 集合場所は驚くことに高級住宅街の翠雀にある一軒家だった。つまり犯人の中に裕福な家庭育ちの男がいるということになる。翠雀に住めるくらい金があるのなら風俗にでも行けばいいのに、何故わざわざ詐欺をしてまで自殺志願者を強姦するのだろうか。そう言ったぼくによだかさんは呆れたように返した。

「馬鹿かお前。こういう奴らはな、スリルを楽しんでるんだよ。ただ女を抱きたいだけなら、それこそ金を使って風俗店に行くなりデリヘル呼ぶなりしてやればいい。こんな手間のかかること、それじゃあ満足できないからしてるに決まってるだろ。大方、女を騙して無理矢理犯すことが快感になってるんだろうな。そして集団に金持ちが一人いるだけで、行動は大胆になる。金で事件を隠蔽することも可能になってくるからな。依頼者が言ってた通り、この手の馬鹿は一度痛い目に遭わない限り同じことを繰り返すぞ。いいか愛織。これから自分がやろうとしている仕事は、世の女を助けることだと思え」

 そんな大それたことを笑いながら言ってのけた彼は、もう近くにいない。ぼくはよだかさんが指定した通り濃紺のカシュクールワンピース、黒いレギンス、白いレースカーディガン、マイク入りペンダントという格好で街灯に照らされた翠雀の夜道を歩いている。装備としてハンドバッグに催涙スプレー、スタンガン、アーミーナイフを一つずつ入れておいたが安心はできない。そもそも催涙スプレーやスタンガンはあくまで非致死性兵器で、アーミーナイフもどちらかと言えば日用的な目的で使われるものなのだから。相手の男が何人いるのか、脅すための武器は持っているのか、そういう情報が得られなかった以上不安はどうしても拭い切れない。

 目的の住宅が見えてきた。角から四軒目の、白い塀に覆われた大きな横長の家。周囲にある他の派手な外観だったり大きな庭のある家と比較すると、どこか殺風景で地味な印象だ。表札はなかった。深呼吸を繰り返し、イメージトレーニングをする。

 大丈夫。大丈夫だ。よだかさんはそれほど離れていないところでマイクが拾った音声を聞いているはず。すぐに駆けつけてくる。強姦魔なんて、不死身の殺人鬼に比べれば怖くない。だから、大丈夫。

 手の震えが止まってから、門の横にあるインターホンを押す。すぐに一人の男が出てきた。黒い半袖Tシャツに迷彩柄のスウェットズボン姿、髪はぼさぼさとしていて、不摂生をしているのか肌の色が青白い。弱々しい表情で目に生気がなく、どろりと濁った沼みたいだ。見た目だけで言えば、自殺しそうな雰囲気も多少は感じられる。彼はじろじろとぼくを値踏みするような目で見た。品定めしているのだろう。これで門前払いをされたら笑い話だ。

「メールくれた子だよね」

「はい……」

 ぼくが俯き気味に小声で返すと、男は「じゃ、入って」と言った。左右の壁に絵画がかけられた無駄に広い廊下を進み、リビングらしき部屋に通された。床や壁は清潔感溢れる無地の白。扉から向かって左側には壁に埋め込まれたような大型液晶テレビ、右側には分厚い赤のカーテンで覆われた外へ出入り可能な窓、その中央に高級そうな黒いカウチソファーと透明なガラステーブルが置かれている。冷房を効かせた室内で待機していた男は四人。まだ十代に見える若い人もいれば、無精髭を生やした四十代くらいの人もいる。それでも全員が似たような、アウトローを気取る男という雰囲気を漂わせていた。ぼくが突っ立っていると、男の一人が手招きをした。不自然じゃない程度におどおどとした仕草を見せながら、ぼくはカウチソファーの端に腰掛ける。ハンドバッグは膝に置いて、いざというときすぐ中身を取り出せるように両手を添えておいた。

「これで全員、揃いましたねえ」

 年長者である四十代の男がにやにやと笑いながら言った。その言葉が合図だったかのように、他の男達はそれぞれ酒の缶や煙草を手にしてぼくを取り囲んで座る。どうやらいきなり襲いかかる様子はないようだ。目の前にいる孤立無援の獲物をいたぶるつもりなのだろう。だから、ぼくもすぐには手を出さない。面倒なことだがこういう相手は現行犯じゃないと駄目だ。

「きみさぁ、家でも学校でもいじめられてるって言ってたよね」

 一人がぼくのすぐ右隣に座り、馴れ馴れしく肩を抱いて話しかけてきた。家でも学校でもいじめられていて、抵抗もできない。本音を話せる相手は家の水槽で飼っている金魚だけ。そんな弱くて惨めで可哀想な女子高生。確かそういう設定があったはずだ。

「可哀想になあ。彼氏とか作ったことないだろ」

「は、はい」

「じゃあ、セックスもまだなんだ」

 下品な笑い声に、ぼくは何も言い返さず俯いた。さすがに顔を赤らめることは演技できないが、これである程度の恥ずかしさと怯えを醸し出せただろう。

「もう今夜が最後の夜になるんだからさ、死ぬ前に一度はいい経験――しとけよっ」

 語尾を強めて男はぼくの右肩を掴んできた。押し倒される前にその右腕を両手で掴み、背凭れに押さえつけると同時に左の膝頭で男の側頭部を思い切り蹴った。その勢いのまま男を踏み台に背凭れを跳び越え、カウチソファーの後ろへ移動する。呆気にとられたような彼らの目に、凶暴な本性が現れた。ぼくがカウチソファーを障害物として少しずつ後退すると、男達も同様にゆっくりと迫る。ここまで抵抗されることは予想外だったのだろうが、それでも依然として自分達が優位だと信じ切っている表情だ。

 とりあえず、アーミーナイフは駄目だ。この人数相手に接近戦をする気にはなれない。特別運動ができそうな人がいるようには見えないが、全員ぼくより背の高い男なのだから。ここは催涙スプレーかスタンガンで威嚇して、時間を稼ぐしかないだろう。

「おーい。そんな怖くねえから無駄な抵抗やめろって」

「そうそう。さっきの蹴りは結構効いたけどな」

「なんだったら薬打ってからにするか?」

「え、でも前の女も先に打ったじゃねえか。今回は後にしようぜ」

「薬? 薬って、なんですか」

 思わず訊ねると、年長者の男がガラステーブルの上にあった箱から小さな袋と注射器を取り出した。袋の中には白い粉末が入っている。

「これのことですよ、これ。今はまだ色んな人に試している最中なんですけど、そのうち金の卵を産む雌鶏になると思いますよ」

「…………っ!」

 この男達、目的は強姦だけじゃなかったのか。

 珊瑚さんは親友が最近幻聴や幻覚に悩まされているみたいだと言っていた。精神を病んでしまったと思われていたが、本当はそうじゃなかったんだ。珊瑚さんの親友は、強姦されただけじゃなく変な薬まで打たれていた。他人から無理矢理打たれたとは言え、体内から違法な薬が検出されることを恐れて病院に行くことを拒んでいたのだろう。

「今までにもこんなことをやってたってことですか」

「馬鹿ですよねえ、あなた達みたいな女は。私も同じ悩みや苦しみを抱えている、さあ一緒に死にましょうなんて言われてほいほいついてくるんですから」

 嫌な笑い声が部屋中に響く。

「俺達からすれば、そんな馬鹿女も十分ありがたいんだけどな」

「そうそう。性欲処理になるうえ実験台にもなってくれるし」

「――――最悪、ですね」

 昔ヶ原兄弟とは違った種類の下衆だ。内心舌打ちをする。不意に一番若い男が痺れを切らしたのか接近し、ぼくに腕を伸ばした――そのとき、ごつっ、という物音が聞こえた。窓の外からだ。ぼくと男達が一斉に窓を見た、と同時に窓が爆発した。


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