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12 闇医者

「その人、どんな医者なんですか?」

 移動中、ぼくの質問によだかさんは手短に説明してくれた。

 なんでも今から会う相手は、古今東西あらゆる医学に精通しているらしい。特に薬学に造詣が深いとのことで、曰く「火薬、爆薬、炸薬、毒薬、劇薬、媚薬、医薬、化薬、妙薬、秘薬、麻薬、試薬と薬がつくもの全てのプロフェッショナル」。そのため、百薬を統べる名医とまで呼ばれている。そして何より特徴的なのは、並大抵ではない圧倒的な知識と技術と経験を持ちながら――医師免許も薬剤師免許も持っていないこと。

「闇医者じゃねえか」

「広島県内のやくざはほとんど顧客になってる。その分コネクションがあるらしい」

「そんないかにもな闇医者っているんですね」

「医師免許か薬剤師免許のどちらか一つでも取得してさえいれば、あいつの頭脳は今頃アメリカ辺りで国をあげて保護されてるだろうな」

「………………」

「着いたぞ」

 よだかさんが足を止め、ぼくも立ち止まって顔を上げる。そこはとてもじゃないが診療所にも病院にも見えない、何の変哲もない洋風な一軒家だった。お洒落な青い屋根とクリーム色の壁で、4LDKくらいの三階建て。カーポートの下には白いミニバンがある。それなりに裕福な新婚あるいは子持ちの家庭が住んでいそうな家という印象だ。

「闇医者に診てもらうのって、気が引けるんですけど……」

 ぼくの呟きを無視して、よだかさんはインターホンを押した。ほどなくして扉が開き、中から白衣を着た一人の少年が出てきた。ぴっちりとした黒い手袋を両手につけ、濃紺のスクラブと黒いスラックスの上に前を開けたドクターウェアという、これでもかと言うほどに医療関係者らしい服装だ。身長はぼくより若干高い百六十センチ前後で、生意気盛りの中学生に見える顔立ち。蜂蜜をかけたように綺麗な金髪を右側は肩にかかるセミロング、左側は耳を隠す程度のショートというアシンメトリーにしている。全体的に色素が薄く透明感のある人だ。榛色の瞳でぼくを一瞥し、次によだかさんを見上げた。

「お前が誰かとここに来るなんて思わなかったよ。それで、何の用?」

「見ればわかるだろ。患者を連れてきた。二十分くらい前、通り魔的な変態に出刃包丁で左の掌を切られてそのままここに来たところだ」

 金髪の少年は再びぼくを見た。正確には、まだ血が滴っているぼくの左手を。

「私、子供嫌いなんだけど」

「なら子供じゃない別の生き物だと思い込むんだな」

「例えば何に?」

「こいつの場合は猫しかないだろ」

 くつくつと喉を鳴らして笑うよだかさんに、少年は小さく溜め息をつく。

「入って。よだかはちゃんとその靴、脱ぐこと」

 言いながら踵を返し、彼は廊下の奥に引っ込んでしまった。ぼく達は玄関で靴を脱ぎ、備えつけられていた来客用らしいスリッパを履いてフローリングの廊下を進む。

「あの、よだかさん。今の人は?」

「さっき話した闇医者の(やく)()()()(くも)、本人だ」

「え」

 まさか、あの人がそうだったのか。想像していたよりもずっと低身長で童顔だったせいで、てっきり若くして闇医者の助手的立場にいる人だと思い込んでしまった。

「それ、あいつの前で言うなよ。コンプレックスだからな」

「心読まないでください」

「ちなみに実年齢、あれで二十六歳」

「へえ……。それにしてもなんか、酒みたいな匂いがしますね」

 病院特有の薬品っぽい匂いとは別に、鼻をつくこの匂いはどうも酒臭い。

「八雲の奴、酒豪だからな。ついさっきまで飲んでたんだろ」

 そんな人からの治療を受けるのか、という不安はすぐに払拭された。診察室としての部屋に入り、傷口を調べてもらうと神経は無事だと診断された。八雲さんは「縫合するよ」と有無を言わさない声色で言い切り、もちろん患者のぼくが反論する言葉もなく、さっさと処置室に移動した。患部の周辺に麻酔を打った後、生理食塩水で洗浄した傷口を素早く縫合していく。その手つきは素人目に見てもわかるくらいあまりにも鮮やかで、この人が名医と呼ばれることに納得せざるを得なかった。

「ん、終わり」

 白い包帯で患部を巻き終え、八雲さんの手が離れる。壁にかけられた時計を見ると、診察開始から処置終了まで三十分もかかっていなかった。

「ありがとうございます」

「今夜入浴しては駄目だよ。一週間経ったら抜糸するから、またここに来なさい。明日からは入浴してもいいけど、抜糸するまでは傷口を濡らさないようにすること」

「はい。あ、それで」

「何」

 治療前に脱いでいたドクターウェアを再び羽織り、八雲さんはこちらを振り返る。

「すみません。今はお金を持ってなくて……」

 そこまで言いかけたところで、ぼくは今日受け取った報酬を思い出した。ポケットから折れた茶封筒を取り出し、中身を確認する。猫探しの報酬を二人で分け合ったにしては多過ぎな気もする金額だが、闇医者に縫合治療をしてもらった代金としてはどうなのだろうか。そう考えていると八雲さんの手が茶封筒を取り上げ、そこから紙幣を抜き取った。

「十分あるじゃないか。これでいいよ」

 返された茶封筒の中を確認するが、それほど取られているようではない。とりあえずここでの治療としては、今の金額が妥当ということでいいのだろう。随分あっさりとした支払いだ。八雲さんと処置室を出ると、よだかさんが廊下の壁に凭れて立っていた。たったそれだけでもモデルの写真撮影をしているのかと錯覚してしまいそうになる。

「終わったか」

「ああ。このまま雑菌が入って悪化しなければ、特に問題はないよ。傷口は大きかったけど、ちょうどいい具合に神経も腱も傷ついてなかったからね。そう言えばお前……名前は?」

 八雲さんが訊ねたことで、ぼくはまだ彼に名乗っていなかったことを思い出す。

「哀逆愛織です。今日は、本当にありがとうございました」

「学校は?」

「杏落高校です。今年入学しました」

 すると八雲さんはぼくをじっと見つめ、何か思案するように顎に指先を添えた。

「あそこの生徒にしては、良識のある子みたいだね。見た目は清楚だし、大人しいし、ちゃんと礼の言葉も口に出すし、まるでよだかとは大違いだ」

 それまでドライな印象の強かった無表情が、ふっ、と微笑んだ。

「お前、子供が嫌いだって言わなかったか?」

「嫌いだよ。うるさい声で猿みたいに騒ぐ聞き分けのないガキはもちろん、医者が治療しようとしてるのに拒否したり抵抗したりする奴は特に嫌い。でも、愛織みたいな子は別」

「ロリコンか」

 八雲さんの右手の中で一閃が見えた――と思ったら、よだかさんの胸から銀色の細い何かが一本生えていた。違う。生えているのではなく、深々と突き刺さっている。医者が手術や解剖などで使う道具、メスが。

「口の利き方には気をつけなさい、よだか。そうやって全ての言動を性愛に結びつけようとするのは、本当に子供っぽく感じられるから。頭の悪いガキみたい」

「医療器具で人を殺すなんて、医者のすることじゃねえな」

 よだかさんが咳をすると口から血が溢れ、清潔な床に赤の水玉模様が出来上がった。

「確かにお前の言う通りだ。人を救う道具で人を殺すなんて、医者としては許されない行為。でも私は闇医者だからね。闇医者は医者じゃない。だからメスだろうと注射器だろうと武器として使えるんだよ。薬だって使い方次第で毒にもなると言うじゃないか」

 冷ややかな声で言いながら、八雲さんはよだかさんの胸に突き刺したメスを引き抜く。出血はすぐに止まったらしく、予想していたより血が流れることはなかった。八雲さんは血の滴るメスを手にしたまま、ぼくに不思議そうな視線を向けた。

「それにしても、どうして愛織みたいないい子がこんな殺人鬼の傍にいるのか皆目見当がつかないな。見た目も雰囲気も堅気にしか見えないのに。……もしかして弱みでも握られてるのかい? 昨日今日出会ったばかりじゃないなら、よだかの異常ぶりはもう身体で覚えさせられたはずだろう。なのに、これからもこいつの傍にいるつもり?」

「え……と、それは――」

 ぼくが返答に詰まっていると、よだかさんの右手が八雲さんの胸倉を掴んだ。今までにも何度か見かけた不機嫌そうな顔で口を開く。

「おい八雲、勝手に俺の助手を口説くなよ。別に俺はお前が何しようが何言おうが構わねえ。けどな、それだけは駄目だ。他人の意見を選んで決めつけようとするのだけはな。この処女は自分の意思で俺についていくことを決めたんだぜ。大人だって言うんなら子供の行動に口を出さず、ただ見守ってればいいだろ」

「………………」

 しばらく無言でよだかさんを見上げていた彼は、嘆息混じりに自分の胸倉を掴む手をメスで切った。正確には指だ。瞬きの間に切断された親指、人差し指、中指が第二関節から廊下に落ちる。綺麗な断面から出た血で八雲さんの白衣が赤黒く汚れた。

「もう用がないなら、さっさと帰りなさい。愛織はさっき言ったことを忘れずに」

「あ……はい。お邪魔しました」

「じゃあな、八雲」

 外に出たところで、ぼくは包帯に巻かれた左手を見る。神経も腱も無事だとは言われたが、まだ無暗に動かさない方がいいだろう。利き手じゃなくてよかった。

「よだかさん。ちょっといいですか?」

「ん」

「あのとき――自転車でぼくに追いつくまでに、変質者の横を通過したはずですよね」

「ああ」

「だったら車道に飛び出して軽トラックとぶつかるよりも先に、あなたが変質者を撃退させることもできたんじゃないですか」

「当たり前だろ。で、それがどうした?」

 きょとんとした顔で小首を傾げる彼に、色々な意味で眩暈がしそうだった。

「どうしたって……なんでそうしなかったんです」

「つまらないから」

 そう言ってよだかさんは歩き出し、突っ立ったまま動かないぼくを首だけで振り返った。

「自転車を二人乗りして、車道に飛び出して、軽トラックと接触するなんて今までにしたことがなかった。こう見えて俺、初体験だったんだぜ」

 くるっと首を前へ向き直した彼に、ぼくは声を投げかける。

「ぼくだって初めてでしたよ。変質者に手を切りつけられたことも含めて」

「だったら、なかなか面白かっただろ」

 力いっぱい否定したい気持ちをどうにか抑える。

「よだかさんには、世界がどう見えてるんですか?」

「玩具」

「えっ」

 よだかさんはくすくすと笑った後で「今日はもう帰っていいぞ」と言い、ピンヒールの音を響かせながらさっさと立ち去った。曲がり角を折れ、見えなくなる。

 なんだか、とんでもない言葉を聞いてしまった気がする。

「聞き間違い――じゃ、なかったよね……」

 高校生活初のゴールデンウィークは、いいとも悪いとも言えない終わりを迎えた。

 

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