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09 カーチェイスの結末

 車の多い広い道を走るぼく達――の少し後ろに暴走バイクが走る。傍から見ても壮絶なカーチェイスをしていることは明白だろう。一緒にツーリングを楽しむには服装とか装備とかが違い過ぎる。後ろの暴走バイクは追いかけていますと言わんばかりのスピードで走っていて、こちらも時々信号が黄色から赤に変わる直前で交差点を突っ切っている。

 やがて信号で渋滞する直線道路に来てしまった。すり抜けられる隙間が見つからない。後ろを気にしながら停まっていると、ついに追いつかれてしまった。何かを喚きながらぼく達の両隣と背後にぴったりとくっついてくる。せめて一般人に理解できる日本語で喋ってほしい。周囲の車の運転手が興味津々にこちらを見ている。

『ちょっと、何するつもりですか!』

 暴走バイクの後ろに乗った人が、ステップに置いていたぼくの足を思い切り蹴ろうと足を振り上げる。これ、蹴られたらバイクが倒れるんじゃないのか。一体どうすればいい。

『進むよ』

 慌てていると、百太郎くんの言葉と同時に突然バイクが動き出す。どうやら信号が変わったようで、前の車がゆっくり動き出すと同時に暴走バイクと前の車の隙間を上手くすり抜けたみたいだった。発進と同時にかなりのスピードで走る。

 振り上げた不良の足は空振り、バイクのバランスが崩れた。近くにいた車の運転手はクラクションを慣らし、危険を促す。はい、わかっています。迷惑かけてすみません。ぼくは何度も頭を下げた。それでも百太郎くんは一切気にしていない様子で、当然違反になるであろうスピードを出しながら一気に暴走族との距離を引き離した。

 スピードを出して、車をすいすい追い抜いていく。隣の車の運転手に嫌な顔をされながらも、間をすり抜けた。どう考えても危険な運転だが、バイクのシートが広くて余裕もあり、振動や音もそれほど感じないため、安全運転をしているように錯覚する。発進するときも停止するときもスムーズで、百太郎くんのテクニックを知らしめられた。ミラーに映る暴走バイクさえなければ優雅なツーリングと言えたかもしれない。

 百太郎くんが不意に、今まで通ったところより細い道に入った。後ろを確認すると、相変わらず横一列になって追ってきている。なんでこんなにしつこいんだろう。この鬼ごっこはかれこれ三十分以上続いている。しかしバイクの数は三台に減っていた。男が一人乗った黄色のバイク、男が二人乗った紫色のバイク、女が二人乗った桃色のバイク。あちらも何度か撒かれそうになるたび分かれて捜索しようとしたのだろうか。

『んん……今なら止められるかな』

『え、できるの?』

 どうやるのかはわからないが、いい方法があるならやってほしい。生憎、先ほど滑り込んだ交差点の先は長く続く一本道だった。このままだと追いつかれる。背後のエンジン音はどんどん大きくなっていて、塀を鉄の棒でがりがりと削る音が迫ってくる。小学生が傘を柵にぶつけているみたいだと思っていると、百太郎くんはバイクのスピードを緩めた。

『背中にぴったりくっついて。片手はバーでいいから』

 さっきの半分くらいのスピードで走りながら、そう言われた。ぼくはバーから右手を放して百太郎くんの背中に抱きつく。

『うわ、すごい……シンデレラバスト』

『普通に貧乳って言え。今それ関係ないでしょう』

『ごめん思わず。じゃあ、もっときつく。俺に背負われる感じで』

 動きにくくないのだろうかと思いながら強く抱きついた。後ろのバイクはチャンスとばかりにスピードを上げたのか、けたたましいエンジン音が近づく。

 一本道を通り抜けると、田舎特有の幅が広くて静かな交差点に出た。歩いている人も、車も、野良猫すら見当たらない。静かなところだ。百太郎くんはバイクのスピードをさらに落とし、暴走バイクにあっという間に追いつかれてしまった。三台の内、二台が左右に分かれる。ぼく達が乗っているバイクを囲もうとしているらしい。

『ちょっと、百太郎く――』

『喋んな』

 有無を言わせない声で質問を遮られ、ぼくは口を噤む。その直後バイクが斜めになり、身体に遠心力がかかった。百太郎くんから離れないように腹筋に力を入れる。タイヤの擦れる音が響き「倒れる!」と反射的に目を瞑った。それとほぼ同時にブレーキ音、何かがぶつかる音、何かが倒れる音が連鎖した。

 想像していたような衝撃は全くなかった。周囲が静かになり、目を開けると視界いっぱいに映る百太郎くんのヘルメット。振り向くと、後方に三台のバイクが転がっていた。暴走族は地面に投げ出されている。全員ヘルメットを装着していなかったせいで頭を直にぶつけ、五人のうち四人が気絶していた。一人は手首を押さえて悶えている。

『事故って怖いよな』

『事故?』

 確かにバイクが倒れているから事故なのかもしれないが、あのスピードで起こった衝突事故とは思えないほど静かな音だった気がする。そもそもこのバイクに衝撃がなかったのだから、三台のバイクが勝手に倒れただけと言われた方が納得できる。せめて目を開けて何が起こったか見ておけばよかった。百太郎くんは細い一本道で器用にくるりと向きを変えた。暴走族から二メートルほど離れたところで停まり、シールドを上げる。

「《AΩ》だっけ? 暴走族だからってヘルメットくらいちゃんと装着しとけよ。杏落市でノーヘルって冗談抜きで命取りだからな」

「ふざけんじゃねえぞ!」

 一人が地面に転がったまま、怒鳴った。黄色のバイクに乗っていた男だ。

「慰謝料払えや! こんな怪我させやがって!」

「暴走族のくせに慰謝料なんて言葉軽々しく使うなよ。そもそもこの子から聞いた話だと、あんた達が最初に突っかかってきたんだろ?」

 淡々と喋っていた百太郎くんはシールドを下ろし、向きを戻してゆっくりと走り出した。振り向いた先ではまだ追いかける気らしく、男がバイクを起こしている。しかし怪我のせいか、やけにもたもたとした動きだ。ふと視線を上げると、その遙か後方から一台の黒いバイクが猛スピードで迫ってきているのが見えた。

『百太郎くん』

『何』

『別のバイクがあっちから来てるけど……あれも仲間――』

 それ以上言葉が続かなかった。いきなり絶句したぼくを不審に思ったのか、百太郎くんがどうしたんだと声をかけてくる。

『最悪なのが、来た……』

『はあ?』

『今すぐ逃げ――あっ』

 今まさにバイクに跨ろうとしていた男は、後ろから迫っていた黒いバイクに追突された。重力から解放されたように吹っ飛び、宙を舞ったほんの数秒後、頭蓋が割れたのではと思うほどひどい着地の音を立てる。さすがに百太郎くんも一旦バイクを停め、ヘルメットのシールドを上げた。ぼく達の目の前には眼球が裏返って白目を剥いている男。死んでいるかもしれない。そして追突のせいで壊れたバイクから降りたのは、艶を放つ黒いキャットスーツ姿のよだかさんだった。ヘルメットは装着せず、大雑把ながらも前髪だけを後ろに撫でつけるようセットしてある。

「一ヶ月だったな」

 よだかさんは壊れたバイクを見下ろし、舌打ちをした。

「何が、ですか」

 ヘルメットを外したぼくが訊ねると、彼は不満げな表情の顔を上げる。

「新しく買い換えたこのバイク、一ヶ月の命だった」

 買い手が悪かったんでしょうねと言いたいが、堪えておく。ぼくの見間違いでなければ、暴走族の男を撥ねる前からそのバイクには凹みや傷が目立っていた。恐らくさっきの衝突でついに破壊されたということだろう。どんな危険運転をしていたのやら。

「よだかさんってバイクの運転するんですね。初めて知りました」

「普段はあのビルの一階に置いてあるんだよ」

 そこで百太郎くんが囁くような小声で訊ねてきた。

「この美人さん、めーちゃんの知り合い?」

「う、ん……。ちょっとね」

 ぼくが頷いたとき、不意によだかさんが何かに気づいた様子でこちらを指差した。

「お前らか。《AΩ》に追いかけ回されてる二人乗りって」

「ええ」

「めーちゃんが追いかけられてて、それをバイクで拾ったのが俺ってだけなんだけどな」

「ところでよだかさんはどうしてここに?」

「おい、まさか忘れてるんじゃないだろうな。今回の依頼は《AΩ》を杏落市から追い払うことだろ。一時間前に目撃情報が入ったから、バイクで捜し回ってたんだよ。予定としては俺とチキンレースして負けたら出ていけって誘うつもりだったんだが……いつの間にかほとんどの奴らを撥ねるか轢くかしてここまで来てたな」

 なるほど。だからあんなに凹みや傷が目立っていたのか。

「いいんですか、それ。依頼の内容は《追い払うこと》だったんでしょう」

「こういう奴らは説得や脅しより武力行使が最も効くんだよ。第一ただ追い払うだけなんて、俺が満足できない。結果的にいなくなるんだから問題ねえだろ。それに依頼者も追い払う方法や手段はなんでもいいと言ってたんだ」

 突然よだかさんの後ろから引き攣ったような悲鳴が上がった。見ると、よだかさんに撥ねられなかった暴走族四人が気絶から目覚めたらしい。つい数分前まで仲間として一緒にバイクで走っていた男の無残な姿に喚いている。よだかさんはシニカルな笑みを浮かべると、くるりと身を反転させて彼らに向き合った。

「お前ら、さっさと杏落市から出ていけよ。他の仲間はもうしばらく滞在することになるだろうけどな。主に病院のベッドか死体安置所で」

 顔面蒼白になった暴走族は仲間の死体をそのままに、あたふたと起こしたバイクに乗って瞬く間に走り去っていった。

「あ、そう言えば……。よだかさん、これお土産です」

 ぼくがリュックサックの中からもみじ饅頭の包みを取り出すと、よだかさんはぱっと表情を明るくした。受け取るなり包装紙を剥がし、真っ先に定番のこし餡を食べ始める。

「美味い」

「それは何よりです」

「今日はお前も色々あったみたいだから、特別に休ませてやる」

 よだかさんは二個目のもみじ饅頭(クリーム)を銜えると、壊れたバイクを片手で持ち上げた。その後ろ姿が見えなくなり、ようやく百太郎くんが口を開く。

「とりあえず、俺達も帰ろうか」

「うん……そうだね」

「百太郎、怒ってるかもしれないし」

「うん……ん?」

 振り返ると彼はブルーの携帯端末を弄り始めているところだった。ちらりと見えたその画面は通話する相手を選んでいるところで、百太郎、とある。

「………………」

 ぼくが見つめる中、彼はヘルメットを外した。ヘアチョークで彩られた髪をかけた両耳には、やはり多くのピアスがある。しかし百太郎くんがつけているような、銀色ばかりのものではなかった。右耳にはヘリックスに黄金色のイヤーカフス一つと赤いフープピアス二つ、そしてイヤーロブにドリームキャッチャー風のドロップピアスが一つぶら下がり、左耳には緑柱石(エメラルド)のような飾りがついたチェーンピアスがヘリックスとイヤーロブを繋いでいる。合計五個。百太郎くんよりも数が少なく、色鮮やかで華やかな印象がある。

「あ、もしもしモモ? ……うん、うん。ああ、悪かったな。実はめーちゃんが暴走族に追いかけられてるところに出くわして、そのまま拾って逃げ回ってたんだよ。……嘘みたいだけど嘘じゃないんだって。本当。真実。何なら電話、めーちゃんに代わろうか?」

 そこで携帯端末を渡され、ぼくはそっと右耳に近づけた。

「もしもし」

『めーちゃん?』

 聞こえてきた声は、今ぼくの目の前にいる男と同じもの。

「うん」

『暴走族に追いかけられてたって、本当?』

「うん。本当だよ」

『あ……じゃあ、キンに代わって』

「キン?」

 ぼくが訊ね返したところで男は素早く携帯端末を取り上げ、さらに二言三言と言葉を交わすと通話を終了した。そしてぼくの顔を見て、優しく微笑む。

「遅くなったけど、自己紹介しようか。初めまして、俺は昔ヶ原琴太郎(きんたろう)。杏落高校二年四組、帰宅部、百太郎の兄貴だよ」

「…………哀逆愛織。杏落高校一年四組、帰宅部、百太郎くんのクラスメイトです」

 知ってる、と言って彼――琴太郎先輩は恰好いい笑みを深めた。

 

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