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NAGI ―神様と共に私を見つけるまで―  作者: 安藤真司
その後を語るまで
71/72

神様

目が覚めた。

セレスの顔が目の前にあった。

「あらおはようナギちゃん」

ボクは臨戦態勢に入る。

「……」

「……あら、悲鳴の一つも無く剣を構えるのはさすがね、場数踏んでいるだけあるってことかしら」

「……なにやってんの、セレス」

「朝のあいさつよ?」

「なんで、ボクの、上に、いるのかな」

「ナギちゃんがびっくりすると思って」

「うんびっくりしたよ、それじゃ、早くどいてくれないかな」

「どこから?」

「わからないかな、ボクの上からどいて欲しいんだ」

「い、や」

「どけい!!」

「あぁっ、乱暴はだめぇっ」

「うるさいなこの変態!!」

ボクは手にした木剣を全力でセレスに叩きつける。

ボクに跨るように四つんばいになっていたセレスがベッドから転げ落ちる。

朝から見苦しい。

最悪の目覚めだよ全く。

「もう、ホントひどいんだから」

「ひどいのはボクの目覚めだよ、で、なに、なんか用?」

「相変わらず辛辣ねぇ」

「最低最悪の朝をプレゼントされたら誰にだって辛辣にもなるよ」

「そうかしらね、最近のナギちゃんはなんだか常にイライラしているように思うけれど」

「……」

「図星かしら?」

「図星どころか、ボクは現状にぜんっぜん、満足していないんだってば!!イライラ!?そりゃしてるっての!!」

「荒れてるわねぇ」

だから、荒れもするよ。

朝に限らず。

いや朝起きてこんな変態がいたら荒れもするのは当然としてだね。

っていうか一殴りで済ましたボクの優しさに感服してくれてもいいくらいだ。

セレスは余裕でにこにこしているけれど。

どうにかしてくれその不快な笑顔はさ。

で、なんだっけ。

あぁ、そうそう、最近のボクのイライラ?

してるしてる。

してるに決まってんじゃん。

隠すことなんて何一つないよ。

ボクは大きく息を吸って。

一気に吐き出す。

「ツナギはいつまで帰ってこないんだよ!!!」

ボクの怒声が。

ほんのり近隣住民の不快な朝を演出しつつ。

どこまでもどこまでも、どこか遠くにいるであろう誰かに向けて轟いた。



ツナギと買った、この家。

ツナギと一緒にお金を貯めて買った、この家。

その後ベルが増えて。

ツナギが寝たきりになって。

ベルと二人きりの生活が続いた、この家。

そして、ツナギが戻ってきて。

セレスが増えて。

ツナギがいなくなった、この家。

今、この家には、ボクとベルとセレスの三神が住んでいる。

ボクが神様なのかどうかは、もう考えるだけ面倒なので置いておくけれど。

あの、さ。

わかるかい。

この意味のわからない状況がさ。

うん、うん、途中まではいいよね、ボクも途中まではいいんだ。

あのね、ツナギが戻ってきたところまではいいんだよ。

いい感じに感動的な流れだよね。

いやはや。

ツナギに会う前のボクなんて、長らく家と呼んでいいんだかなんなんだかよくわからないような家に住んでいたし。

なんなら世界に絶望して家にほとんど帰らなかった時期も多いし。

そんなボクがツナギに出会って、神様序列を上げて。

えいやっと建てることが出来たのが、この家。

もうあの頃が懐かしい。

あの頃はなんというか、がむしゃらに前に進んでいたんだなぁ、なんてセンチメンタルになりつつ。

色々あってベルを助けて。

ベルも一緒に住むことになって。

あぁ、家族ってこういうものだよね、って不思議な実感があって。

それで、あの事件があって。

ツナギがいなくなって。

また、まぁ、その、ちょっと殺しあったりもして。

ツナギが戻ってきた。

戻ってきたんだよ。

戻ってきたのさ!!

だっていうのに!!

「なんなんだこの有様は……」

と、悶々としながらリビングに出ると、ベルがエプロンを着用して朝ごはんを作っている。

むむ。

ベルのちっちゃな体躯に、古き良きエプロンの組み合わせ。

毎度ながら、良い。

かわいい。

「ナギ、おはよう、です」

「あぁうん、おはようベル」

「ひどいのよ、起こしに行ったらナギちゃん私のこと本気で殴ってきたのよ?」

「それはセレスの起こし方が悪い、です」

「あーん、ベルもひーどーいー」

「ちょっと黙ってはくれないかなセレス」

「そんな私に当たったって、ツナギはしばらく戻らないと思うわよ?」

いらっ。

「ナギ、落ち着く、です?」

「あはは、落ち着いてるよ変なことを言うベルだなぁ?」

「……ナギ、怖い、です」

「目が笑ってないのよね、露ほどにも」

「神様ってこんな世紀末のような顔が出来るんだ、です」

「私には世紀末よりはただ子どもが駄々をこねているようにしか見えないけどねー」

「全く、情けない、です」

色々不名誉な会話をされているけれど。

そう、今、この家にツナギはいないのだ。

軽く流れを追っておくと、戦争が終わった後、ツナギが戻ってくると同時に、セレスがベルと一緒に住むために家に住まうことになった。

元々かなり大きな家だった、というかボクとツナギだけじゃ手広すぎるくらいだったから。

セレスが増えること自体は大した問題じゃあなかったんだけど。

それどころか、ちょっとばかしそわそわというかなんだかよそよそしかったボクとツナギのいい潤滑剤であったとすら言える。

しばらくはボクもツナギも久しぶりの感覚を掴めなくて。

急に戻れるわけもなくて。

時に意味も無くぶつかりあい。

時に理由も無く喧嘩をして。

時に言葉も無く仲直りをして。

ボク達は元通りなんかじゃない、新しい関係を築いていった。

そうだよね。

ボク達は前に進んでいるんだから。

元通りなんかじゃなくったって、いいんだ。

これから、いくらでも新しく願い合えるんだろう。

なんて。

ボクは。

ボ、ク、は。

思っていたんだけどね。

考えていたんだけどね。

どうやらそれは、ボクだけだったみたいだ。



それは突然やってきた。

あくる日の朝のことだ。

物音がしたから何事だろう、こんな朝早くに、とか思いながら体を起こしたら。

扉が閉まる音が聞こえたから。

あれれ、外に用事かな。

なんか言っていたっけ。

と、玄関にのそのそと出れば。

なにやら見覚えの無い置手紙がある。

「なんだろこれ?」

見れば、どうやら見覚えのある丸みを帯びた文字で簡素なメモ書きが残されている。

そこに書かれていたもの。

それは。

『旅に出ます。彼と。繋』

「簡素すぎるだろ!!」

と空しくボクの大声が。

ほんのり近隣住民の不快な朝を演出しつつ。

以下略。



で、それが、もう二ヶ月前のこと。

それっきり、ツナギから連絡は一切無い。

本当に、なっに一つ連絡は、ない。

どこに旅に出たのか。

彼っていうのが誰なのか。

どうしてそんなことになったのか。

何をしに旅に出るのか。

帰ってくる気があるのかないのか。

ボクは何にも聞いていない。

知らない。

ツナギはその前兆をほんの少しだって匂わせはしなかったし。

ツナギはほんの少しだってボクに相談なんてしなかった。

「はーいどもどもー、ってうわ、なに、どうしたのナギ?」

「リアン、おはよう、です」

「あ、おはようベルちゃん」

「まーた、イライラしてるのよ、ツナギちゃんに」

「セレスさんもおはよ、んん、またですか」

ずかずかと家に入ってきたのはリアンだ。

最近は我が家の朝食時、リアンのおうちがやっているパン屋さんにオススメを一品頂いている。

もちろん、それは友誼からではなくちゃんとお金を払って、だ。

お金を払うのを微塵も悩まないだけのおいしさがあるのだ。

毎朝オススメのパンにミルクを加えて、リアンが届けてくれる。

相変わらず元気で活発なリアンと話しているのは心が安らぐ。

元はかなり畏怖の対象であったはずのセレスともかるーく挨拶してしまえる辺りは彼女も中々良い性格をしている。

それこそが彼女の強さであり。

こんなボクらと仲良くやっていけている秘訣なのだろう。

名目上はただの可愛い女の子であるけれど、彼女は神様以上に強い『自分』ってものを持っているのだろう。

だからこそ、いつでもリアンはリアンでいられる。

そんなことを気にすることも無くリアンであり続けることが出来るのだろう。

だから、誰かを殺したようなボク達のことも、平気で心配して、平気でお喋りしていられるのだろう。

ただ、ボク達の『良き友人』として。

「だってまだ二ヶ月くらいでしょ?繋ちゃんがいなくなってから」

「もう二ヶ月だよ!?意味わかんないよね!?もうとっくに失踪届出す勢いだよ!?」

「失踪届?なにそれ」

「あぁ、いや、えっと、向こうの話だ」

「ふぅん、いいけどさ、大人しく堪能させてあげようよ、ザ・ワンさんとの」

「ザ・ワンぅ?誰それぇ?」

「……悪化してない、この子」

「せっかく取り戻したツナギをまた取られて、ナギは、嫉妬している、です」

「いやー、そんなことないけけさー、それにツナギが誰と一緒かなんてわかんないしー」

「まだ認めないのね、案外面倒なのよねナギちゃん」

「どうにかして下さいよ、ベルちゃんとセレスさんがどうにかしてくれないと」

「リアン、ナギは、意外と頑固、です」

「それに、一番わがままだしね」

「諦めが良すぎるよ神様」

「その神様がお手上げって言ってるんだから、相当ってことよ」

なんだか、ひどい言われようなんだけどさ。

皆だって、結構ツナギについて思っていることがあるだろうにさ。

ボクだけが集中砲火にあっているのは納得がいかんな。

失礼しちゃうぜ。

「そうだ、ナギ、向こうの話、聞きたい、です」

「へっ、あぁ、なんだっけ、失踪届か」

「それ、なん、です?」

「いやね、あっちだと家族が急にしばらく家に帰ってこなくなって不安になったら、失踪届ってものを出すことが出来てね……」

ベルが目を輝かせて、向こうの世界の話を聞きたがるので、ボクはあれこれと教えてあげる。

こうやって興味深そうに聞いている時の無防備なベルの表情が堪らないので、ボクも思わず普通に話してしまうんだけど。

「向こうの、世界、かぁ」

リアンが意味ありげに呟く。

「行ってみたい?」

「行きたくない、と言えば嘘なのかな、でもこの世界を飛び出すほどの勇気は私にはないかなぁ」

「ま、ボクだってこの世界を飛び出したわけじゃあないけどね」

「似たようなものでしょ」

「いやいや」

ちなみに、今のボクは。

今のボクの状態は。

実のところかなり不安定である。

基本的には、神様。

その実としては、ただの人。

ついでとばかりに、向こうの世界の知識が一通り頭にある存在。

文字に起こすとこのくらいだろうかね。

どうせついでと言うのであれば、"あの"ツナギと共にいる、っていうのも大事な要素かもしれないけど。

神様としての自分の在り方を捨てて、ボクはあの時、向こうの世界の理を自分の世界の理として、受け入れた。

でもその後になって、戦争を止めようって時に、ボクはもう一度、収縮の神としての力を行使した。

皆の願いを収縮して、預かった。

文字通り、宣言通り、この世界の神様として。

でもそのせいで、ボクって存在はかなり歪になってしまった。

求めれば、何でも出来てしまう神様としての自分と。

求めたって、何にも出来ないような人としての自分と。

二つの存在がごちゃ混ぜになってしまった。

そんな存在は、こっちの世界にも向こうの世界にもいないから。

どちらの理からも外れてしまった。

どちらの規則にも従わない生命が、我が物顔で世界を徘徊しているのだ。

どこか不安に思わないほうがどうかしている、ってものだろう。

で、その不安定な存在のせいなのかどうか、ボクには全然わからないんだけど、ボクは今、よくわからない現象に見舞われている。

それはボクの夢に、向こうの世界が登場してくることだ。

夢なのに、まるで現実かのように、あまりにも明瞭にボクの視覚に訴えかけてくるその現象では。

ボクはなんだかよくわからない第三者の目線から向こうの世界をボーっと見ている。

ふとしたきっかけで起きるんだけど、起きてもものすごく鮮明に覚えているもんだからメモとかつけ始めてはみたんだけどさ。

今のところは、ベルを喜ばせること以外には特に何にも使われていない。

悲しい。

と、いうか。

実の所、結構怖い。

今のボクは、不安定なことが、文字通り不安なのだ。

不安定、とはなんだか不気味な言葉だけれど、ボクは随分軸がぶれている気がする。

ボクって一体どんな感じだったっけ。

とか。

なんかそんなことをふと考えてしまうのだ。

前までなら、大して悩むでもなく、ツナギと一緒にありたい、とか、ベルと一緒にありたい、とか。

その想いだけで自分を見失ったりはしなかったんだけど。

今はなんだかそれだけでは自分の立っている場所から転げ落ちてしまいそうなんだ。

神様として。

人として。

自分が何をしているのかが、よくわからない。

今、神様としてのボクにはたくさんの願いも流れ込んできている。

まぁこれは、収縮の神として、『願って』と神託を下したから当然ではある。

でもこれが思いの外、ボクの存在をダイレクトに壊しかけている、ように思う。

ボクを壊すのと同じくらい、ボクを助けてもくれてるんだけどね。

ということで、この世界で生まれては消えてゆく純な願いは全てボクが管理しているのだ。

「そろそろナギは行かなきゃいけない時間じゃない?」

「うん、そだね」

ちょうどそんなことをつらつらと思考していたらリアンに声をかけられた。

別にボクの様子を不審がる風でもなかったから、たぶんそんなに変な顔にはなっていなかったんだろう。

「ナギちゃんも飽きないわねぇ」

「別に、ボクが自分からそうするって決めたことだし」

「あらそう、楽しそうだから止めはしないけど、辛そうなのがちょっとね」

セレスが複雑な表情になる。

確かに、楽しいし辛いね。

それは事実だ。

「ナギ、行ってらっしゃい、です」

ベルが可愛く見送りの言葉をかけてくれる。

「うん、ちょっと行ってくるね」

そう言ってリアンからパンとミルクを受け取り、ボクは一人ある場所へと向かう。

袋から覗いた今日のパンはどうやら、龍の肉を豪快に挟んでいるみたいだ。

たぶんこないだボクとセレスが狩った龍だろうけど、うん、美味しそうだ。

龍というと、いつだか食べた幻の龍を思い出すね。

懐かしいなぁ。

とか思い出しつつ、さくっとボクは家を出た。



朝早くからボクが向かった先は、家からてくてく歩いて少しの所に建つ、ボクのギルド。

ギルドの名前は、『Verbindung(フェアビンドゥング)』。

まぁ、気を衒うこともないからね。

まんま『Verbindung(繋がり)』だよ。

誰かと誰かを繋げるためのギルドだ。

ギルドの外装にはそこまで凝る気も無かったのだけど、如何せんセレスとベルと、そしてツナギが随分ノリノリでさ。

ボクのイメージでは、向こうの世界の小さな教会っぽい感じを出せたらいいななんて思っていたんだけど。

まさしく其の通りになっていた。

白を基調とした外壁に、それらが織り成す独特のフォルム。

そこまで広くない中の空間は、三つに仕切られている。

まずは誰もが自由に会話の出来る、誰もが自由に何かを願えるスペースが一番広く取られている。

入り口から入るとこの空間がまず広がっており、長椅子が二列、中央に道を作るように並べられ、またその先には大きな十字架が飾られている。

中央の道、というのは赤い絨毯になっているから道と呼んでいるだけで、別に所謂道を思い浮かべる必要は無い。

けれど、この広場のような空間の奥には一つ、個室が用意されている。

一人分しか入るスペースの無いその個室は扉が二重になっており、二つ目まで閉めると、そこは完全に防音の部屋となる。

その周囲から遮断されたその部屋にはしかしほんの少しだけ、隣の部屋に続く小さな穴が空いていて。

続いた部屋にボクは佇む。

ボクの部屋も、ボク以外には誰も入れないくらいのスペースで。

ただ小さな部屋に小さな椅子が一脚用意されているだけだ。

ボクは二日に一度、ここで誰かの願いを聞いている。

この空間には、ボクと、ボクに願いを伝えたい誰か、しかいない。

他には誰もいない。

だからこそ、誰にも話せない、内なる願いをボクに話すために、誰かがここを訪れる。

ここはそういう空間で。

ここはそういうギルドだ。

ボクはそんなギルドが作りたかったんだ。

作りたくなったんだ。

神様として。

もしくはやっぱり、人として。

ここに来る誰かは、ボクにも顔が見えるわけではないから具体的にはどういった存在が来ているのかはわからないけれど。

たぶん、色々、人も神擬きも神様も、色々と来ているんだろうね。

それを詮索する気はないし、詮索なんてしたくないから見えないように部屋を作ったんだけど。

いや、正確には、この部屋に入るのはどうしても順番になるから、向こう側の広場にいたら、誰が入っているのかはわかるんだけどさ。

それは置いておいて。

ここに来る者の願いは、本当に様々。

壮大な願いから、ちっちゃな願いまで。

時にそれは願いではなく、ただの相談だったり、ただの妄想であったり、残酷な懺悔であったりもする。

これが、そう、ボクの心を荒ませる。

今日も規定の時間になると、早速誰かが入ってきた。

壁の向こうで座る音がしたのを確認してから、ボクはゆっくりと口を開く。

「どう、されましたか?」

なるべく、優しく。

なるべく、包み込むように。

「その、えと、大切な人が……」

おどおどした女性の声。

ボクはさらに優しい声色で返事をする。

「はい、大切な人が、どうされましたか?」

「大切な人が、私に、何かを、隠している、のです」

大切な人が自分に何かを隠している。

そうか。

ボクにもよくわかるよ。

わかりすぎるくらいに。

「それは、憶測ですか、それとも、確信ですか、それとも、事実ですか」

「……一応、憶測、です」

「そうですか、ものすごく、不安なんですね?」

「は、はい……」

なるほどなるほど。

大切な人が何かを隠している、っていうのは、すごく嫌だよね。

隠しているのは向こうなのに、何故か思考しているうちに自己嫌悪に陥ってしまう。

どうして、隠し事をしているのだろう。

どうして、隠そうとしているのだろう。

どうして、隠さなければならないのだろう。

隠さなければならない理由は、自分に知られたくないから?

ならば、どうして知られたくないのだろう。

話してくれないのは、やっぱり自分に何か原因があるから?

自分が何か悪いんじゃないか。

自分が何か怒らせるようなことをしてしまったのではないか。

思い返してみれば、自分なんて、大切なもののために何をしてきたのだろう。

何かをしてきただろうか。

わからない。

ただ、話してくれない事実があることは、事実なのだ。

自分は今、信用されていない。

必要とされていない。

どうして。

どうしたらいいのだろう。

わからない。

何もわからない。

何を考えているのかわからない。

相手も、自分も。

なんてね。

「では、あなたの願いは、なんですか?」

「私、は、話して欲しいです、全部、想っていることを言葉にして欲しい」

「叶うよ」

ボクは即答した。

だって、ボクは知っている。

彼女の大切な人は、悩んでいるのだ。

とってもとっても大切な彼女との記念日に、プロポーズをするか否か。

彼は言っていた。

『今はまだ、金もない、人望もない、そんな俺で、いいのだろうか』

と。

いいに決まっている。

互いにこうして、ボクの元へ願いに来るくらいなのだ。

きっと、良い方向へ進むと思うよ。

「きちんと、自分の気持ちを伝えたら、ね?」

「は、はい」

「きっと、大切な人であればあるほど、話したいことは言いづらいもの、であればこそ、言いたいことはちゃんと言わないと駄目です」

「そう、ですよね」

「うん、自信を持って、いいんだよ」

「が、頑張ります」

「うん、その願い、ちゃんと聞き入れました」

「あの、ありがとうございました、失礼します」

「はい、頑張って」

すっと、席を立つ音が聞こえる。

今日初っ端は、まぁすぐに終わったね。

願いがだいぶ具体的だったし。

何よりお互いに想いあっているのだから、後は意思を疎通させるだけだ。

ほんの少しの勇気を持つだけだ。

それだけの願いなんて、実は結構叶うものだ。



今日も十数程度の願いを聞いたくらいで、ようやく次が部屋に入ってこなくなった。

大体いつもこのくらいの数で朝のラッシュは収まる。

ふぅ、とボクは息を吐いて、そしてミルクを少しだけ口に含む。

このギルドを始めて、色んな願いを直接聞くようになって、ボクは、ボクの心は壊れ始めてしまった。

ボクの存在が不安定である大きな理由の一つがこれだ。

誰かの願いを聞くこと。

もう一つは神様であり人であることなんだけど。

ボクは自分の意思でこうしてギルドを作ったんだから、それを後悔する気は全然ないけれど。

どうしても、考えてしまうのだ。

誰かの願いを聞くたびに、その誰かの境遇を、歴史を、物語を、想わずにはいられない。

思考せずにはいられない。

そして、その度にボクは正確に、その物語をなぞることが出来るのだ。

誰もが願うその裏には、彼らなりに彼らが主役の物語が存在している。

その物語は。

純な願いが生まれるような物語は。

いつだって綺麗だ。

きらきら輝いている。

眩しい。

閃光のように煌き、肌の焼けるような熱さを秘めた願いは、ボクの心を蝕む。

締め付ける。

ボクには、わからない。

「これが、本当に正しかったのかな」

これが、ボクのあるべき姿だったのかな。

これがボクが望んだ、ボクの中の、自分、なのかな。

わかんない。

わかんないや。

願いが蓄積されるたびに、ボクは後悔と自責に押しつぶされる。

ボクはここまで、間違え続けてきたから。

自分の過ちを、なかったことにし続けてきたから。

溢れ出る暗い感情が、とめどなく部屋を埋め尽くす。

ボクには自分がない。

空っぽだ。

ボクは自分を捨てた。

空っぽな自分を捨てた。

ボクは命を奪った。

空っぽな自分が、実のある何かの未来を殺した。

ボクは自分のために動いた。

空っぽな自分を満たすためだと自分を奮い立たせて。

それ以外からは目を背けた。

でも、本物を手に入れた。

ここにあるものが本物だと知った。

負の感情をも綺麗に晴らしてしまう本物の願いを収縮した。

他の未来がどうなっても構わないと。

ツナギとの未来を選んだんだと。

それこそが自分で。

自分はツナギに生きているんだと。

知ってしまった。

知ってしまって、それが本物だって理解してしまったから。

今の自分が本物じゃないことを痛感してしまう。

結局、ツナギがいなければボクは本物であることもろくに出来ないのだろう。

そんな感じで自分の意義なり意味なりを見失ってしまう。

だからボクはぐらぐらだ。

ちゃんと地に足がついているのかどうかがわからない。

自分が向いている方向が、本当に前なのかがわからない。

今になって思うんだ。

鈴鳴繋が、風町司亜人を振ってしまったこと。

鈴鳴繋に、好きだったはずの風町司亜人よりも好きな人が出来たこと。

そんなのは自分の心の問題なのに、鈴鳴繋が、そんな自分の心すら認められなくて。

自分を恨んで憎んで気味悪がって否定して卑下して。

彼女は自分を偽物であれば、と。

そう願った。

そう願ったから、理想の自分なんてものを生み出してしまった。

ツナギなんてものを、さ。

そうやって、自分をどこまでもどこまでも否定して、自分がわからなくなってしまった彼女のことが。

彼女の気持ちがよくわかる。

彼女は、そう。

認めて欲しかった。

の、だろう。

ツナギはあの時、ボクに願った。

変わってゆく世界で、変わらず必要とされたいって。

それはツナギの選択で。

ツナギの願いで。

鈴鳴繋の願いじゃあ、ない。

当たり前だけど、ひどい話だ。

理想の自分は、必要とされたい。

本当の自分は、認めて欲しい。

必要とされたい、ってことは、自分に自身が無いからだ。

認めて欲しい、ってことは、自分に自信があるからだ。

きっと鈴鳴繋は、大嫌いな自分が自分に自信を持っていることが許せなかった。

でも、持てなくなってしまったら、終わってしまう。

自分に自信がなくなってしまったら。

ほんの少しでも、自分で自分を認められる要素がなければ、大切な誰かの傍にいる資格がないような気がしてしまう。

それはとても、怖いことなのだ。

だから。

だから――。


「どう、されましたか?」


不意に向こう側のドアが開き、そして入りながらその来客者がそう言った。

ぽす、と椅子に腰掛ける音が聞こえる。

その後言葉を続ける様子も無い。

……。

「大切な人がね、いなくなっちゃったんだよ」

ボクは、その言葉に答える。

やっぱり。

なるべく優しい声でね。

「うん、いなくなってしまった、とは、お亡くなりになられた、ということ?」

「ううん、たぶん生きているはず、ただ、どこかに旅に出る、と言ったきり、連絡も寄越さず帰ってこないんだ」

違うね。

別に、そんなことはどうでもいいんだ。

旅?

好きなだけ行けばいいさ。

でも。

ボクはここにいるんだよ。

ここにいるのに。

「その子だけが、ボクよりも前にいるんだ」

「前?」

「ボクは、ボクは今、しっかりと歩くことが出来ない、その場に立ち尽くすことだって」

「ふらふらしている」

「そう、そうなんだ、ふらふらしている、でも、同じくらいの不安を抱えているはずのその人は、ボクと違って、前にいる」

「それが、羨ましいの?」

「違うな、羨ましいわけじゃない」

そうなりたい、わけじゃない。

彼女みたいになりたいわけじゃない。

ツナギみたいになりたいわけじゃない。

「じゃあ、どうしたいの?何を願いたいの?」

「ボクは、ボクは、そうだね」

ボクは、ツナギに何を願いたいんだろう。

本当は。

「認めて欲しいんじゃないよね、必要とされたいのでもない」

違う違う全然違う。

似ているようだけど、違うんだ。

ボクはさ。

本音としては。

前に進みたいわけでもないし。

その場に止まりたいわけでもない。

そんなんじゃないんだ。

ボクは、そこまで強くないんだよ。

ツナギや繋の願いよりも、もっともっと手前の、もっともっと稚拙な願いなんだよ。

「認めて欲しいのでなければ、必要とされたいのでなければ、あなたは何を願いたいの?」

一つしかない。

ボクが求めていたのは、ずっと同じことで。

ボクの行動原理はずっと同じ根っこから形成されていた。

強く進んているときも、こうして悩んで自分を見失っているときも。

ボクはただ一つだけを欲していた。

そのためにツナギを求めて。

自分の形を追い求めたのだ。

今まで見つけることが出来なかった。

見えていたのに、目を逸らし続けてきた。

だって、それは、願ってはいけないことだと思ったから。

願ったら、願った時点で叶わなくなってしまうかもしれないと思ったから。

それを願うことで、神様としての自分が。

人としての自分が。

どちらもなくなってしまうかもしれなくって。

どちらでもあるボクがますます消えてしまうような気がした。

でも。

そんなこと、ないんだよね。

「何を、願いたいの?」

向こう側の誰かが、質問を繰り返す。

先ほどよりも、答えを促すようなその声に。

ついにボクの心が叫びだす。


「助けて」


「わかった」


それだけ言って。

それだけ聞いて。

ボクは涙を流してしまう。

涙と一緒に、大事な何かがボクから無くなってしまう。

でも、それでいいんだ。

ボクは、ボクであることが怖かったんだ。

助けて欲しかった。

僕の心を助けて欲しかった。

それだけでよかった。

それだけで、ボクはボクでいられた。

どうして、どうして。

どうしてこんな短い言葉が今まで、言えなかったんだろう。

言ってしまえば、こんなにも救われるのに。

ねぇ、ツナギ。

気付けば、ボクの部屋のドアが空いている。

ボクが振り向くと、そこにはとても見覚えのある姿があった。

そして、先ほどまでと同じ声で。

優しい声で。

温かな声で。

ボクに向けて。

悲鳴を上げているボクの心に向けて。

彼女は。

ツナギは。

言った。


「助けてあげるよ、ナギ」

「うん……」


遅いよ馬鹿。

でも。

おかえり。

ツナギ。

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