神様が本物の調に乗るまで
そこには一人の少女がいたらしい。
勝手に理想を他人に押し付けて、勝手に幻滅してしまうような少女だ。
少女は恋をした。
恋とは何か、知りもしなかったのに。
少女は永遠を欲しがった。
永遠とは何か、知りもしなかったのに。
少女の名前は鈴鳴繋。
彼女は何も知らない。
それでいて、全てを知ってしまった。
そんな少女の、嘘の物語。
繋は、語りを何ともツナギっぽい始め方で紡ぎ出した。
ボクはそれを、一言たりとも逃すまいと、真剣に耳を傾けた。
繋の、嘘の物語が始まる。
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昨日、私は彼と別れた。
何も不思議なことではない。
突拍子もないことでもない。
これは条理に合っていて。
規則に沿っていて。
己に正直であれば、正しい選択であったと言える。
だって。
仕方ないじゃないか。
仕方ないよ。
勝手に、選んで。
勝手に離れていったのは、私の方。
彼には何も関係ない。
彼は何も悪くない。
悪いのは、全部、私だ。
彼に出会ったのは、いつだったか。
そうだ、受験期の、図書館。
そこで初めて出会って、仲良くなって、一緒に勉強して、互いに違う大学に行くことになって、それで。
私は言ったのだ。
「これからも私と、会ってほしいな」
なんて、ね。
二人でデートを重ねて、私は彼にアピールをして、ついに。
彼から告白してくれた。
大分そこに辿り着くまでに時間がかかったね。
それが私達らしいといえば、とっても私達らしい。
彼の言葉は、なんだか心を包み込んでくれるような、不思議な力を持っていて。
私の心をあっという間に支配したんだ。
彼は私の心に住み着くと、姿を変えて色んなことを私にしてきた。
私を色んな世界に連れて行った。
私が見た事も無い世界、私が見てみたいと願う世界。
私があって欲しいと願う世界。
本当に、色んな世界を、見せてくれた。
それはあくまで私の中の妄想で、夢で、偽物だったんだけど、ね。
少しずつ互いに大学が忙しくなって、長期休み以外に会うことが難しくなってきて。
会えない分電話したりもしていたけれど、いつしかそれも少なくなって。
私達はほとんど会うことがなくなってしまっていた。
だから私は毎日寝る前に妄想に浸ってしまう。
理想の世界で、今の自分が持っていない私が、幸せに暮らしている、そんな妄想。
その世界は私の妄想だから、何だって出来る。
あくまで偽物なのに。
偽物のはずなのに。
いつしか、私は彼に対して、偽物の世界の、何でも出来る私の心を支配するそんな理想像を押し付けた。
久々に会う彼は、前と何も変わらないはずなのに。
私は、彼を、もう彼だとは思えなかった。
だって彼は、私を支配してくれる彼ではなかったから。
でも、それはまだ良かった。
まだ、ギリギリの所で私は現実と折り合いをつけることが出来ていた。
私の知っている彼は、私が好きな彼はここにいる本物の彼で、妄想の中の理想の彼は偽物なのだって、ね。
でも、決定的だったのは、その後。
それも呆気なく。
終わった。
終わってしまった。
彼とは別に好きな人が出来てしまった。
なんで?
どうして?
どうして私は、この人が輝いて見えるんだろう。
私には、彼がいるのに。
彼と、ずっと、永遠に、一緒にいたいな、なんて、思っていたのに。
どうして、私の胸は、熱くなってしまうの?
人の気持ちに嘘はつけない。
恋だの愛だの、そんなものに理屈はない。
ただ、今、本当に今、好きなら好き。
好きじゃないなら好きじゃない。
そして、今、私は、この人が好き。
彼の事は、好きじゃない。
好きじゃ、ない。
この人は、私が一人旅をした際の下宿先でたまたま出会っただけの、やっぱり何も関係ない人。
夜ご飯は定時に食堂で食べるようだったので、何ともなしに席についておいしい鯵を頂いていた時に隣に座ったのがこの人。
話しかけたのは、私の方だ。
「……何してるんですか?」
この人は、用意された食事を前に、手を合わせて、そのまま数分、食事に手を付けることなく一切の挙動を止めていた。
いや、厳密には呼吸とかはもちろんしていたのだろうけど、ね。
それを変に思って、私は声をかけたのだ。
その時点で、何も下心はなかった、と思いたい。
いや、一人旅なんかしてる時点で何かしらそういう気がなかったとは、言えない。
言い切れない。
彼は私を見て、乱暴に答えた。
「手を合わせてんだよ」
見た目は、そんなに怖い風でもない、ついでに乱暴ではるものの、そこまで尖ってもいない。
「だから、なんで?」
「お祈り」
「……そか」
「は?」
「祈ることは、大事だもん、ね」
「……はぁ?」
私は大分不思議ちゃんに思われたらしい。
無理もない。
自分の都合だけで話していたから、ね。
でも、そうやって出会った私は、三日ほどこの人と行動を共にすることにした。
最初は勝手に付いて行って、色々と喋る内に、この人も徐々に心を開いてきてくれて。
この人も私と同じく、何となくふらふら考え事でもしながら歩いていたい、とかって理由で一人旅に来たらしい。
でも、その原因は私なんかとは比べ物にならないくらい残酷なものだった。
好きな女性が死んでしまったらしい。
都会からは遠く離れた小さな町で小さく流行った伝染病で亡くなったそうだ。
即効性のウイルスを持ちこんでしまった人がいた、そうだ。
彼女と多くの時間を共にしていたにも関わらず、彼は何も変わらず、彼女だけが死んでしまった。
亡くなったのは二年前らしいけど、いまだに忘れられないとのことだ。
彼女がいなくなってしまったことは悲しい、でも、今はそれに縛られて前に進めない。
「何も出来ない自分が嫌いだ、でも、何かしたいんだ、俺にでも出来ることを、ここに生きてるって証明できることを」
私は、そんなこの人に、すっかり惹かれてしまった。
なんでかは、やっぱりわからない。
好きになってしまったものは好きになってしまった。
とんだ性悪がいたものだ。
この人が言っていたのと同じに、私は、そんな自分が嫌になった。
彼と少し距離が空いたくらいで、他に好きな人が出来るだなんて。
私は、私は。
醜い。
本当に気持ち悪い。
それでも、自己嫌悪に陥りながらも、私は流れる気持ちを抑えることは出来なかった。
だから、どうしようもなくて。
結局、私は彼に別れを告げた。
それは普通に、濁った音で響いてくれた。
私は、直接会うことすら拒んで、メールで、
『ごめん。他に好きな人ができた。別れよう。君のせいじゃないけど。ごめん。』
とだけ書いて、送信した。
誠意の欠片もない、ひどい文面だ。
彼からはすぐに返信が来た。
これもまた簡潔に、
『信じて、欲しかった』
とだけ書かれたものだった。
信じて、欲しかった。
何を、なんて私は聞かない。
わかってる。
彼には信じ続けることが出来て、私には出来なかったもの。
永遠も。
愛も。
気持ちも。
現実も。
未来も。
彼自身も。
私には、信じることが出来なかった。
そして彼からの、そのメールを見た瞬間、だろうと思う。
もし彼が『わかった』とか『ありがとう』とか『ごめん』とか『別れたくない』とか『話し合いたい』とか送ってきていたら、ここまでにはなっていないだろう。
ここまで酷いことにはなっていなかっただろう。
私の心は、ここまで黒くはならなかっただろう。
でも彼は一言、恨みを返してきた。
だから、ではないかもしれないし、だからかもしれない。
私は自身の闇を抱えきれなくなってしまっていた。
彼を裏切ってしまった。
あの頃の私を裏切ってしまった。
裏切ったことに対して大きな罪悪感が湧いていない自分がいる、そのことが許せない。
許せないといいつつ、新しい恋に走っていきたい自分がいる、そのことがやはり許せない。
彼はどう思っているだろう。
私はどう思っているだろう。
わからない。
そもそもこの人とだって大して時間を共有したわけではない。
だというのに、心は止まらない。
自分が嫌いだ。
自分が嫌いだ。
自分が嫌いだ。
鈴鳴繋が嫌いだ。
そうして溢れ出た想いから、私は私の世界が生まれたことを直感で理解する。
ただの妄想ではない。
本物ではないけれど、そこに確かに存在している、私の世界。
ううん、私とは少し違う、ツナギの世界。
腐った私と違って、正しく清らかで、真っ直ぐなツナギ。
彼女は本物の感情を得るまで、誰かを本当に好きになることはないだろう。
私から生まれた負の感情を、しかし彼女は小さく縮めてしまうだろう。
本物の私の事なんて、収縮して、なかったことにしてくれるだろう。
なんて、それはナギの特権だったね。
冗談冗談。
真っ直ぐ、好きな相手を繋ぎ留めれるように。
ツナギは何かと何かを繋げることが出来るのだ。
そして、彼もまた、れっきとした登場人物として存在していた。
私の心を支配していた、神様。
支配の神、ルルシア。
ルルシア、って名前はどうやら本名のなぞりらしい。
一人称がどうしてか我、で、どこか古臭い話し方なのも、きっと私が彼の事を古風な人だと思っていたからだろう。
いや、そんなこと思ったことがないからきっと、私の中で不思議な人、ってイメージがこんななのだろう。
でもやっぱり私の理想の彼の形をしている。
私にとってそれは譲れないのだろう。
あんまり変だからおもわず我って一人称はやめてしまえばいいのに、って言ったけれど、今の私はあくまで傍観者となってしまったから、ね。
私の自由で世界を変えることは出来る。
でも、私はこの偽物の世界を創ってしまった責任がある。
今まではただの私の妄想だったけど、自分のことだから良くわかる。
この世界は、生きている。
最初の設定こそ私の中のイメージが先行しているけれど、これ以上何か干渉するのは、あまり良くないことだと思う。
でも、夢の中でこの偽物の世界を見ているのはとても楽しかった。
それと同時に辛かった。
せっかく私自身の悪い部分を受けて創られたのだから、もう私はこの世界から目を逸らすことが出来るのに。
そこまで私は器用じゃなかった。
そうしながらも、私はこの人と距離を縮めた。
私の話も全部、話した。
この人の話も全部、話した。
それでお互い、理解しあって。
傷を舐めあって。
傷を庇いあって。
私はものすごくこの人が好きになって。
その想いを改めて、はっきりと自覚したことで、偽物の世界の在り様が大きく変わってしまった。
偽物の世界の彼が、つまりルルシアが偽物の世界の真実に気付いたのだ。
自身が偽物であることを知ったルルシアは、本物のツナギ、私を求め始めた。
私は本物の世界を生きているのに。
いつまで経っても、彼は格好いいのだ。
だからそれもすごく嬉しくて、それでいて、虚しかった。
結局自分が生み出した偽物のなのに。
本物を探し出そうとしている。
本物と共に在ろうとしている。
そんな彼を止めないといけない。
私は、そうしないと、この人と一緒には、なれない。
想いを伝えることが出来ない。
せめて、せめて彼とのことにケリを付けてから想いを伝えたいって、そう思って、方法を探していたら、丁度私はナギに呼ばれた。
ツナギを媒介として呼ばれた私は他にも自分にも関わる全てを終わらせるつもりでこの世界に来た。
もちろん、そのツナギに対しても、色々と問題が起きていたけれど、それは、私の問題ではないからね。
私を求めて彼がやったことだけど、それはあくまで偽物の世界で完結すべき事態だ。
私が関与すべきではない。
基本的には、ね。
ツナギは、私じゃない。
ツナギは、私にはない正しさを忘れずに行動したはずだから。
きっと、その先には正しい未来があるはずだから。
私は、私の所為で狂った世界を救うだけで十分。
私はこの偽物の世界に見切りをつけて、今度こそ現実を、本物を生きていくんだ。
この人と、一緒に。
また、薄汚い私は、この人に捨てられるかもしれないし、私がこの人を好きじゃなくなるかもしれない。
でも、また一時だけでも永遠を誓いたい。
だから。
だから……。
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繋は、声を切った。
ボクは、息を呑んだ。
「私は、偽物から、飛び立ちたい」
それ以上、何も話すことはない、とばかりに繋は黙り込んだ。
正直、どの辺りが嘘の物語だったのかはよくわからなかったし。
正直、繋が普通に嫌な奴で幻滅したし。
正直、繋が一体どんな気持ちでこの偽物の世界を眺めていたのか、詳しい所は何も語ってはいなかった。
「でも、やりたいことは、よくわかった」
わかったから、ボクがしてあげれることは一つだけだ。
ボクにはボクなりにやりたいことがある。
繋には繋なりにやりたいことがある。
それは別に、相反するものではなかったし、微かな希望も視えた。
今の話を聞いて、首を傾げているのはベルだけだ。
ザ・ワンも何か苦い表情を浮かべていた。
「ね、ひどいもんでしょ」
うん、ひどい。
「本物なんて、求めるようなものじゃない」
それはでも、本物の世界にいるからそう思うんじゃないかな。
「私はツナギだけど、ツナギじゃない」
それでも、やりたいことがあるんだよね、真っ直ぐ、ぶつかりたい相手がいるんだよね。
「だからね、お願い神様」
いいよ、何でも聞いてあげる。
「なに、繋?」
次に続く言葉は、もちろんこうだろう。
「だから、前に進む力を貸してほしいな、私の神様」
思った通りの言葉を発した繋にボクは意気揚々と言葉を返す。
「神様なんていないよ、この世界にはね」
一瞬面食らったような顔を浮かべて、繋はボクの目を見る。
ボクは続ける。
「でも、もちろんだよ、繋」
手を伸ばす。
繋はちゃんと握ってくれた。
よく見れば繋の目尻に光るものがあることに気付いた。
やっぱり繋とツナギは違うけど、繋はツナギなんだろう。
さぁ一緒に。
繋と一緒に、ルルシアを解放しよう。




