私が戦争を知るまで 捌:"その一"かく語りき
混戦状態は続く。
必ずしも人同士、神同士、タブーの化け物同士が助け合っていないことが、この状況の異常さを物語っている。
誰もが自分の命を守るために戦い。
時に死に。
時に生き延び。
また次目の前に現れた、敵を排除すべく動き出す。
冷静な判断が残っている者など、そう多くはない。
それは元々非力な人も。
強大な力を持つ神も。
その神の軍勢に奇襲を受けたタブーの化け物も。
等しく死を迎えていた。
ヴンシュは危機にさらされていた。
相手が好戦的に襲いかかってきたことを、裏切り行為だと認識されたのだ。
確かに唯一、情報を共有できるのはヴンシュしかいない。
その彼女は今、イグに襲われている。
イグは危機にさらされていた。
命の危機だ。
タブーに住まう、自身と同じ生命になるべく声をかけ、人と交渉するとして見事集めてみせた彼女は。
そのタブーの者によって腹部を貫かれ、深刻なダメージを受けている。
イグは、小さな少女の姿をしている。
彼女の言う所の本体は別に存在している。
自由に形を変えることのできる、スライムのような、何かそういった類が本来の姿らしい。
そのため、本来ならば本体から伸ばした触手がどうなろうと本体に影響はないのだが。
彼女にはその伸ばした触手の挙動を操る、制御部が必要だった。
制御部とは、ブレイン、つまり脳と言い換えてもいいかもしれない。
あるいは、人格や、心と言っても。
普段は丸まったスライムの中にその制御部が入り込んでいるのだが、人としての姿を形作る時には、その人の中に制御部を用意している。
そうしないと、人の形をしていても喋ることができないためだ。
結果的に今回、そのことが災いして制御部を組み込んだ人型の、腹部を貫かれたことが致命傷へと発展していた。
人で言えば脳にダメージを負ってしまったのだ。
体を充分に動かすことも出来ていない。
少女の姿の真後ろに、スライムの塊が大きく佇んでいる。
そのスライムの塊から不定期に触手がものすごい速さで飛んでいる。
しかしそれはどこかぎこちない動きだ。
ダメージのせいだろう。
そんな満身創痍の彼女。
だが。
彼女は友達である、ヴンシュの危機をいち早く察知した。
ヴンシュが裏切り者とされてしまう。
実際、イグには全てを話したのだからそれは事実無根というわけでもないのだろうが。
とにかくこのままでは仮にこの場を生き延びることが出来たとしても、ヴンシュの身が危ない。
神や人は今回の作戦で戦争に一区切りつけるつもりで来ているのだ。
それが一人の裏切り者のせいで失敗に終わったとなれば、その者の罪は重いだろう。
そんな状況に、一瞬で追いやられてしまっていたヴンシュを助ける為の行動。
イグには一つしか浮かばなかった。
上手く動かない体を無理やり動かして、ヴンシュに襲いかかる。
そう。
ヴンシュが被害者になればいいのだ。
そうなれば、いらぬ疑いは晴れるはず。
そして、目撃者はなるべく少ない方が、いい。
今起きたことを話す人間が、神が、減れば減るほどその信憑性は低くなる。
自分がどうなっても構わない。
ヴンシュの為に。
殺せるものは殺そう。
ヴンシュの事も、全力で殺すつもりで襲おう。
きっと大丈夫だ。
彼の力を見たことはないけれど。
彼ならきっと守ってくれるはずだ。
頼むよムート。
イグは、そう願わずにはいられない。
ムートは危機にさらされていた。
タブーの生命、その本気の力を真っ向から受け止めなけらばならなかったからだ。
イグの思惑はすぐに理解した。
イグは彼女なりに、"俺たちの方向"に向けて動いている。
その結果が大量殺戮そしてヴンシュへの攻撃なのだろう。
確かにこの状況、ヴンシュが裏切り者としての罪を被ることを避けるためには、それがベストな選択のように思える。
だが、イグは死ぬ。
間違いなく。
ただでさえ体の動きに不自然なものを感じる。
精一杯動かしている、ということがすぐにわかる。
いや、怪我のせいで鈍っていなければこんな風にヴンシュを庇いつつ正面から攻撃を受けきるなんてことは出来ていないはずだ。
鈍っている、といってもタブーの生命だ、人よりは遥かに速い。
ムートはぎりぎりの所で命を落とさずにいた。
しかし、他には何もないのか。
何か、この状況を打開できる何かは。
考えても考えても何も浮かびはしない。
更にイグが次々に打ち出す触手が考えることを許さない。
周りを見れば、ルルシアが同時に多数を相手にしているのは見えるが、他は阿鼻叫喚の嵐といったところだ。
だが、襲われる誰もが、ヴンシュに憎しみの目を向けている。
それを痛いほど感じる。
こちらの作戦は失敗に終わった。
こちらから奇襲を仕掛けるはずが、それよりも先に向こうが戦闘を始めてしまったからだ。
もちろん、ルルシア達が奇襲を行ったことである程度の状況改善は見られているが。
この世に生きる者とは、不安や迷いがあると途端に弱くなるものである。
ヴンシュが自分達をタブーに売ったのではないか、そうならば、自分がここで今命を懸けて戦う意味が、あるのか。
そう思ったが最後、誰もが身動きをとれなくなる。
ここで戦わなければ戦争は終わらないのではという不安。
ここで逃げなければ自分という存在が無駄に死ぬのではないかという不安。
そして辺りにはそれらの不安で立ち竦んでいる時間すら与えられずに死んでいく仲間。
すぐに自分もそうなってしまうのではないかという恐怖。
これらは全部、自分が弱いからではない。
誰かが、そう、誰かが悪いのだ。
こんなはずではなかった。
この状況を作った奴が悪いのだ。
やはり、あいつが悪い。
あの、タブーの言葉を話す少女が。
あいつは。
あいつも。
タブーの。
化け物なんじゃないか。
「やめろ!!」
流れ来る思考に。
理解してしまった人の悪意に。
そう思ってしまう人の弱さに。
この状況の全てに。
ムートはやめろと叫ぶ。
また二つ触手が上方から飛んでくる。
「――はっ!」
石剣を大きく振るって片方を弾き、その反動でもう片方に直接飛びつく。
そちらも進行方向に対し、真っ向から石剣をぶつけていく。
弾くだけでも相当な力と集中力を要求されているが、ムートはそれを気にしない。
気にもしていられない。
その二つの触手をムートが弾いている間に、別の触手が誰かに突き刺さる音がする。
それも、見ないことにはできない。
今は、目の前に集中しろ。
そう思っても、目を逸らすことは出来ない。
これは、イグなりに出した。
俺たちの選択だ。
確かに、自分も同じだ。
自分も、弱い。
他の人間たちが今、自身のプライドを守るために、ヴンシュを恨んでいるのと同じに。
自分が生き残るために自分以外の全てを投げ捨てているのと同じに。
自分も結局自分の身の回りのために動いている。
何が、悪意だ。
身に危険が迫って、自分に都合よく立ち回らない人間の方がよっぽど異常だ。
だからこそ、なんだろう。
だからこそ、止めたい。
イグのやり方は、きっと駄目なのだ。
俺たちはこんなにも弱いが。
そのために誰かを殺すことなんて、あってはいけないんだ。
そう自分に言い聞かせ、いつも以上に重たく感じる石剣を構える。
ムートの後ろには、ヴンシュが立ち尽くす。
イグの行動原理と、ムートの行動原理。
そのどちらもしっかり理解して。
それでいて何も出来ない。
そんな自分の無力さを噛みしめている。
イグは自分を助けようとしてくれている。
イグに届く言葉が何もない。
ムートはそれをわかって自分を守ってくれている。
ムートに届く言葉が何もない。
二人とも、自分を助けようとしてくれている。
なのに。
どうして。
その二人が戦わなければならないのだろう。
こんなにも弱い自分の為に。
「私、どうしたら、いいの、ねぇ」
その声は届かない。
風に流れて消えていく。
戦争の中に埋もれていく。
「私、どうすることもできないよ」
その声は届かない。
自分自身にすら。
届いてはいない。
そうして。
ヴンシュは。
少しだけ考えて。
答えを出した。
(やっぱり、私は、私だ)
自分がその答えを出せたことを。
ヴンシュは誇る。
何分と経たないイグとの交戦に、ムートは既に限界を感じていた。
このままでは、すぐにでもムートの体力が尽きてしまうだろう。
そうなれば、ここにいる人間を皆殺しにするだろう。
ルルシアには勝てないかもしれないが、多少なら神をも殺すかもしれない。
出来ることなら、それを止めたい。
方法は見つかっていないが。
と、ムートに向けて真正面から一直線に触手が飛んでくる。
イグの攻撃も嫌に単調だ。
イグもイグで限界が近いのだろう。
そんなことを考えて必死に体を動かすムートに。
ひらりと。
「これからのこと、全部忘れないでよね?」
囁くような声が聞こえ。
ムートの目の前に。
ヴンシュが飛び出してきた。
「ヴンシュ!!??」
突然の事に全く反応できないムートに。
同じく触手を制御することの出来ないイグ。
止まることなく一直線に迫る、人程度なら何のこともなく突き破っていく触手。
それが。
ムートの前に飛び出た。
ヴンシュの。
腹部を。
無惨に。
貫く。
臓器の破裂音が嫌に耳に残る。
ムートの目の前に。
ほんの数秒前まで正常に稼働していたであろう血に染まった、何かの残骸が零れ落ちる。
「あ、あ、ああ、あああああああああああああああああああ!!??」
イグの叫び声が辺り一帯に響く。
そのほとんど咆哮に近い絶叫に、戦場は一時、凍りつく。
無理もない。
自分の攻撃が。
助けようとしていた相手を。
貫いたのだ。
その痛みは今しがた自分の身でもって知っている。
だが、タブーの生命である自分と比べて。
ただの人であるヴンシュの感じた痛みを知ることは叶わない。
ムートもまた、毛ほどにも動けない。
「ヴン、シュ?」
「あ、う」
ヴンシュは腹を抉られ、突き抜かれ、それでも前に歩き出した。
自身に刺さった触手を手繰り寄せるようにして、イグを探すようにして。
イグはすぐにそれに気づき、ヴンシュの元に歩み寄る。
「なん、で、ヴンシュ?私は、ただ」
「いい、の」
ヴンシュはイグに抱かれる形で倒れた。
やはり既に致命傷を負っているイグには、ヴンシュを抱えるのはかなりきつかったが、イグは自身の傷など全く厭わずに、優しく、そして強くヴンシュを抱きしめた。
イグのあらん限りの声で静まり返った戦場で、全員がその光景を眺めている。
誰一人、動こうとはしなかった。
そこに、吐息交じりの声が聞こえる。
ヴンシュだ。
「ルルシア、あの、私の声、町全体、ううん、この世界中に、響かせることは、できる?」
遠く、何体もの敵を単身倒し続けていたルルシアがすぐに返事をする。
「当然だ、チノーイ」
「はっ」
チノーイ、記録の神。
ルルシアに付き従う神の一柱。
彼が空に向けて指を指すと、一つの水晶のような何かが空へと飛んで行った。
そして同じものがヴンシュの口元にも浮かぶ。
どうやらヴンシュが言った通り、声を響かせる何かなのだろう。
「ありがとう」
その声が既に大きく響く。
それを確認したヴンシュが、微笑む。
「ヴンシュ、わ、私、ごめ、ん」
「泣かないでイグ」
イグは、ぼろぼろになった体の痛みからではなく。
ヴンシュを傷つけた自責から涙を流していた。
「私ね、一人じゃなかった、お父さんと、お母さんが、いなくなっちゃって、でも、一人じゃなかった」
「うん、うん、そうだよ、私が、いたよ」
「そう、イグがいてくれたからだよ」
「うん、うん!」
イグとヴンシュが、強く抱き合う。
その場から、二人分の血が、小さな小川になろうというほど、溢れている。
そのヴンシュが顔をゆっくりと上げた。
そして、はっきりとした口調で、告げる。
その想いを。
その場にいる全ての生命に。
町にいるたくさんの生命に。
この世界に普く生きる生命に。
天にいるであろう自らの両親に。
すぐ傍で自分を優しく抱いてくれている最愛の友に。
そして。
数歩だけ。
離れた所に立ち尽くしている。
結局未だに何を考えているのかさっぱりわからない。
年上の青年に。
伝えるように。
「聞いて、私の、物語を」




