私が戦争を知るまで 伍:"その一"かく語りき
戦争は、始まった。
あまりにも唐突に。
なんの前触れもなく。
否。
前触れ自体はあったはずだ。
だが。
誰もがそれを見ないようにしていた。
だから気づかれることがなかっただけで。
きっと、それは偶然ではなく必然だったのだ。
そう、ムートは思った。
そう、ヴンシュは思った。
互いに。
大事なことから逃げ続けていた自分を知っていたから。
相手が大事なことから逃げ続けていることを知っていたから。
神様序列1位、支配の神ルルシアがタブーに宣戦布告をしたその日。
ムートは敢然と立ち向かうことを決めた。
敵が何なのかは、わからなかったが。
ヴンシュは漫然と不安を覚えた。
やはり自身の敵が何なのかは、わからなかったが。
わからないことは怖い事である。
何故なら、わからないから。
だからこそ人は、わからないことをわかろうとする。
わからないことさえ知らなければ、それを知ろうとはしないのだ。
無知の知という言葉がある。
自身のステップアップの第一歩は、自分が無知であることを自覚することである。
そんな言葉だ。
しかし。
無知であることを理解してしまったら、もうその事実に縛られて生きていくほかない。
前に進まなければ、無知なままだ。
怖いままだ。
人はそんな時、なかったことにしてしまう。
自分が無知であることを、なかったことにして。
忘れたと。
言ってしまうのだ。
それを口にすることで、余計に自身を縛ってしまうとも知らずに。
ムートはそのことを理解せず。
ヴンシュはそのことを理解して。
自身の敵を理解しようとは思わなかった。
理解したところで。
世界は何も変わらなかったのかもしれない。
けれど。
ヴンシュがムート家に連れられておよそ一ヶ月が経過したその日。
町中に、いや、人や神擬きや神の住むこの世界中にルルシアから知らせが届いた。
タブーを相手に、戦争を行うと。
そして、神やギルドの垣根を越えて戦力を求めると。
ルルシアは既に上位序列の神たちと協定を結んでいた。
全ては、自分たちの欲望のために。
ムートの元にもルルシアから通達が来た。
ヴンシュを連れて来るように、とのことだ。
初めからこの戦争を行うつもりでヴンシュを攫ったはずなので、それ自体は不思議でもなかったものの。
タブーの生命と会話ができるだけのただの少女に何ができるというのか。
その辺りを怪訝に思いつつもムートはありのままをヴンシュに伝えた。
そして、母にも。
「気を付けて」
「あぁ、わかってる」
今日はその、ルルシアが開戦すると告知した日だ。
当然、立場上でも一般人の中では段違いに戦闘力を持つという能力上でもムートは戦闘に参加することになっている。
すなわち、死ぬ可能性が、高い。
「母さん、ちゃんと戻ってくるから」
そのことを理解しながら、一度として引き止めたりしない母を、ムートは心底尊敬していた。
「私ね、あなたがルルシア様の所で精一杯働いているのを知ってる」
「あぁ」
「でも、これだけは忘れないで」
「何を?」
「あなたが誰かを殺す時、それはあなた自身の責任でなければならないわよ」
「難しいな、つまり、命令で相手を殺すなってこと?」
「えぇ、命令でも何でも、命を奪うのなら、相手の命を奪うことに責任を持って、その相手の存在って重荷を全部背負って、帰ってきなさい」
「わかった、約束する」
「それでね、背負えないくらいなら、シッポ巻いて帰ってきなさい」
「そうさせてもらうよ」
全く、どうしてこうも母親というものは強いのか。
戦地に赴く息子に対して、責任を持てとは。
頼りがいのある母の言葉に、ムートは改めて戦争の意味を重たく捉える。
自分が死ぬ確率が高いだけではない。
母の言った通り、誰かを殺す確率もまた高いのだ。
それが、タブーの化け物であれなんであれ。
そのことを胸に刻む。
「ヴンシュちゃんも、直接は戦いに巻き込まれないと思うけど」
「うん、たぶんね」
そんなことはない、とは言わない。
無駄で、無意味で、無用な心配をかけようとまでは思わない。
第一、本人たちもどこに行く必要があるのかわかっていないのだ。
言えるはずもない。
「ムートをお願いね、ヴンシュちゃん」
「わかってます」
「それと、何があっても目を逸らしちゃ駄目」
「……うん」
「おいしいもの作って待ってるから」
「うん」
「じゃあ、行くか」
「そうだね、行ってきます」
二つの背中を逞しき女性は見送る。
最後まで微笑みを携えて。
「行ってらっしゃい」
その後。
息子と娘を見送った母親は。
誰にも見られないように。
泣き崩れた。
「お母様、泣いてたね」
「さぁ、俺には見えなかったな」
「……そう、ムートに見えなかったのなら、私の幻覚かもね」
「かもな」
それ以上のやりとりはせず、二人はギルド、『ルール』へとやってきた。
ヴンシュはこの一ヶ月、訪れなくてもいい、と言われていたため一切来ることはなかった。
ムートも最低限自身の管轄のまとめを行っただけで、それほど多くの時間をここで過ごしてはいない。
だが、それでも今日のギルドがピリピリしているのは気のせいではないだろう。
二人で指定された部屋に入る。
そこにはルルシアが待っていた。
「よく来てくれたな、ムートそして、ヴンシュよ」
今日も赤い髪を輝かせて、ルルシアは堂々と立っている。
「私は」
前置きもなく、すぐにヴンシュは話し始めた。
ルルシアもそのことを特に気にせず、続きを黙って聞いている。
「私は、何のためにここに連れてこられたんですか」
「ほう、何故知りたい?」
含みのある言い方。
その雰囲気に、ヴンシュを攫ったことに何か裏があるのではないかという疑いを強くしていくムートそしてヴンシュ自身。
「自分の事だからです」
「そうか、何のことはない、ただいざという時にタブーと交渉してもらうために」
「違うね」
「……何が、違うと?」
こちらが何かに気付いていると、このルルシアは気付いている。
だが、そこまで気付いていて、とぼけている。
つまり、こちらが具体的には何も知らないことまで、見抜かれている。
その事実を確認できただけでも、二人には十分だった。
とぼけてはいるが、何かを隠しているという事実を隠す気はないらしい。
どの道戦争自体は起こるのだ。
ならば、二人としてもなるべくその間は余計なことを考えていたくはない。
どうやら、このルルシアには。
タブーと戦争を行うことに関して。
タブーを殲滅する以外の。
何か別の目的があるらしい。
そしてその目的の為にヴンシュの力が必要、と見るのが妥当だろうか。
もちろん、先ほど言っていたいざという時の交渉材料としての役割も嘘ではないのだろう。
だが少なくとも。
タブーに関係はしていそうだが。
一体、ヴンシュを通じて、何と話をしようというのか。
気にはなったが、今のムートにはたった今そこまで気にならない事項となった。
今のムートにとって、戦争など、どうでもよかった。
彼の胸の内にあるのは、ただヴンシュを守ること。
そして、ヴンシュの友人でありタブーに住むイグを保護すること。
これらを自らに課し、今この場に臨んでいる。
「ではルルシア様、私はどのように」
「あぁ、ムートお前は変わらん、ヴンシュの監視役だ」
「……は?」
これはムートにとって予想外だった。
当然のように部隊か何かを率いるものだと思っていたのだが。
それほどまでに大事なのだろうか。
この戦争において、あるいは、この戦争の間にルルシアがやろうとしていることにおいて。
「ムートに望むのは一つだけだ、彼女を死なすな」
「……はい」
だが、どの道守るつもりではあったのだから、結局一緒に入れること自体はありがたいので受け入れておく。
そして。
頭を過ぎった考えを述べるだけは述べておく。
「ルルシア様、ひょっとして、タブーに誰かを探しているとかでは」
「惜しくもまるで違う、な」
「……?」
それはどっちなのだ。
ムートもヴンシュも、心の中でそうツッコミを入れるのであった。
しかしその言葉は、決して、的外れではないことを指していたように思われた。
そしてその日二人がルルシアから提示された場所は、どういうわけか最前線であった。
神をも混ざるその部隊に参加した二人は見ることとなる。
かつて見た、数人のハンターの惨劇、それを遥かに超える死を。
数も段違い。
負傷の仕方も普段と異なる。
戦場にいると、感覚が麻痺する。
死に、慣れてしまう。
それでは駄目だと言われているのに。
死と直面した二人はしかし、自分達がどんな立ち位置にいるのかもわからずに。
わからないままでいたいと願っていた。
責任を持つことができるのか。
もはや。
わからなくなってしまった。
そんな風に呆気なく、戦争初日は幕を閉じる。
驚くほど何もないまま。
驚くほどあっという間に取り戻した日常。
それらが全てを物語っている。
戦争は続く。




