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NAGI ―神様と共に私を見つけるまで―  作者: 安藤真司
私編 3 ―end my order ?―
31/72

私が戦争を知るまで 参:"その一"かく語りき

娘は願った。

母親に、死なないで、と。

母親は願った。

娘に、生きて、と。

ムートは、二つの願いで駆け出した。


仕事だとか任務だとか命令だとかそんなものはどうでもよくなった。

動き出してからそのことに気付く。

そうだ。

ただ助けたい、それだけで人は動くことができる。

二足で立つグリズリーに向かって、全速力で駆け出す。

二つの願いによって加速されたそのスピードは人間の限界を超えていく。

不思議と力が湧いてくる。

母親とグリズリーとの間に入ったムートは自身の得物である石剣を構え、振り落とされたグリズリーの腕を思い切り下から叩きつける。

石剣は対象を切り裂くことはできない。

幅の広い刀身による強力な打撃を行う武器だ。

対象が硬ければ硬いほど、打撃によって破壊することは容易になる。

逆に柔らかい物に打撃を加えても大した効果はないのだが。

生物が相手となれば表面が柔らかくとも硬くとも有効となる。

例えば現在相手にしているグリズリー。

大きな体は厚い毛皮に覆われている。

毛皮そのものに打撃は無意味だろう。

しかし、生物とは得てして不思議と絶妙なバランスの元に体の構成が成り立っている。

そのバランスが少しでも崩れると、体に異変を生じる。

例えば、刀身によって過度に圧迫を受けた箇所は、内側で出血を起こしてしまうだろう。

(入った!)

初撃でグリズリーの右腕を再起不能にした感触を得たムートは攻撃の手を休めない。

が、こちらから攻撃をしても厚い毛皮の向こうにダメージを与えることは難しいだろう。

そう判断したムートは集中して、動きながら僅かな、あからさま過ぎない隙を作る。

グリズリーは野生の本能か、その僅かな隙を逃さずに攻撃を繰り出す。

残ったもう片方の腕を最短距離でムートへと伸ばす。

胴体を貫くように体の中心目掛けて飛んできた腕を、あえて隙を作ったムートはすぐに対処する。

軽くしゃがんで斜め下方向から再度上方へ突き上げるように飛んできた腕を刺突する。

『グオオオオッ!!』

グリズリーが呻く。

これで両の手がほとんど動かないだろう。

タブーの生物といえど、初めにくらったダメージが大きければ戦闘を有利に動かすことは難しいらしい。

あるいはこのグリズリーはタブーの中ではまだ弱い部類なのかもしれない。

そんな甘い考えがよぎった瞬間。

ムートの体に常以上の重力が加わる。

急速に強まる重力に逆らうこともできず。

思わず膝をついてしまう。

ぱっと見れば少し離れた位置にいるヴンシュは特に何も影響がないようだ。

であれば、自分だけにこの効果があるらしい。

「重力を、付加する熊って、どいういうことだよ……!?」

知識としては知っていた。

このグリズリーに重力を付加する能力がある、という限定的な知識はもちろんないが。

タブーに生息する生命には、神をも殺める力があると。

知っていた。

知っていて、油断した自分が悪い。

それをムートは改める。

直後その横腹にグリズリーの蹴りが入る。

「ぐっ!!っつぅ!!」

体に衝撃が走る。

一撃だというのに、重たい。

抉り取られたかのような感覚に陥るが、転がりながら確認するに、どうやら致命傷というほどではないらしい。

(もう一撃喰らったら、まずいか)

血が垂れる腹を抑えつつ、思い切り歯を食いしばって、それでもなんとか立ち上がる。

痛い。

それだけが思考を埋め尽くすのをなんとか押さえ込む。

(さっき、ヴンシュは重力の影響を受けていなかった、なら効果は一定範囲か一対象か……一範囲であることに賭けるしかないか)

頭はしかし一度考え出せばやけに冷静だ。

まるでこのほんの少しのやりとりの間に別人になったかのように。

(よし、次で決める)

と、ムートは思い、走り出した瞬間。

「ムート!お願い!」

そう、声が聞こえた。

ヴンシュだ。

お願いと言っている。

何をだ。

母親を助けて欲しいという願いか。

グリズリーを倒して欲しいという願いか。

それともこの俺が死なないでという願いか。

(いや、なんだ最後のは、ありえないだろう)

そんなことを思いながらの全力疾走は、完全に人としての限界を突破する。

そこに、強烈な上からの圧が加わる。

グリズリーによる加重力だろう。

体が鈍る。

重い、なんてものじゃない。

全身を上から叩きつけられたかのような衝撃。

先ほどの傷口から血が零れる。

それでも。

もっと。

もっと速く。

もっと強く。

ムートは進む。

自分の力で。

自分の意思で。

誰かに願われたからではない。

誰かの願いを、叶えたいと思ってしまったからだ。

そう思った自分を尊重したい。

ただそれだけ。

それだけの想いが、重力を打ち破る。

重力場を抜けたムートはさらに加速する。

辺りに風が吹くほどの速さ。

その速さから繰り出される石剣の打撃は。

人の倍もある巨体を数メートル先まで吹き飛ばした。

そして。

『グオ、オオオオォ……』

といううめき声を残して。

その後グリズリーは立ち上がらなかった。


戦闘の終了を察し、母親に駆け寄るヴンシュに、ムート。

そして駆け寄った二人が見たのは。

既に腹部から半身をおおきく抉り取られ弱った母親の姿だった。

その出血量から察するに。

もう既に限界が近いだろう。

「おかあ、さ、ん?」

「よかったわ、あなたが生きててくれて」

「なん、で」

「帰ってこないから、お母さん、心配しちゃった」

「あ、ああ」

「あの、ありがとうね、あなたがいなかったらこうして最後に娘と話すことも出来なかった」

「いえ、俺は何も……」

「ねぇ、顔をよく見せて、ヴンシュ」

「うん、うん、ねぇ、死なないでよ、ねぇ」

「これから、たくさんあるわよ、楽しいことも悲しいことも、それをちゃんと全部知って欲しい、優しい人になって欲しい」

「なに言ってるの、ねぇ、セレス様のところに行けば、治してもらえるよ、慈愛の神様だもん」

「そちらは彼氏さんかしらね、そう、ちゃんと恋もして欲しい」

「違うよ、こんな人タイプじゃない」

「そう、残念、ねぇ、ヴンシュ、私たちの可愛い可愛い娘」

「……なに、お母さん」

「ありが、とう」

「……おかあ、さん?」

「…………」

「ねぇ、お母さん、返事、してよ……」

「…………」

「ねぇ、ってば」

「…………」

わかってしまった。

ムートには。

きっとヴンシュにも。

死の瞬間が。

ヴンシュは目に涙を浮かべて、体を震わし、しかし泣き叫ばない。

母親のぼろぼろになった手を握りしめる。

「ありがとうなんて、言わないでよ、お母さんまだ、いっぱい、色々、したいよ」

「いっぱい頑張って、たまにはいいもの食べたりさ」

「後ね、私、最近少し大人になったんだよ、ご飯も作れるし、少しくらいなら洋服も編める」

「生命指南も終わって色々見てたけど、そろそろ仕事の方向性が決まってきたの」

「私ね、ほら、タブーに友達がいるって話をしてたでしょ、だから、彼女を守りたいの」

「それでね、タブーやアンダーワールドの生命と、ここの人間とを繋げたいなって」

「そんな夢を、ね、持てたの」

「もっとたくさん話したいよ」

「もっとたくさんご飯を一緒に食べたいよ」

「もっとたくさん一緒に寝たいよ」

「もっとたくさん一緒に遊びたいよ」

「もっとたくさん一緒にいたいよ」

「もっと、たくさん、」

「もういいだろ」

ヴンシュの肩に、ムートはポンと手を乗せる。

「もう、いいだろ」

再び同じ言葉を繰り返す。

最後まで娘の事を見ていた、誇り高き母親の姿がそこにある。

もうこれ以上は、いいだろ。

それしか言葉が出ない。

ヴンシュが隣に立つムートの顔を見上げる。

涙で顔がボロボロだ。

「な、んで……」

その言葉は、ムートに向けられる。

「なんで……しなかったの」

「なんで!最初から!そんなに力が!あって!なんで!?」

「なんで!最初から!助けてくれなかったの!?」

「なんで!最初から!動いてくれなかったの!?」

「あなたが!あなたたちが!お母さんを殺したんだ!」

「違う!私が!私が原因で!お母さんは!」

「私が!こんな!ことならなければ!」

「私と!あなたが!いなければお母さんは!」

「お母さんは!!」

もうその言葉は。

言葉になっていない。

ただの、想いの奔流だ。

母親には見せなかった、悔しさと、寂しさと、憎しみの全てを持った泣き顔で。

ついにヴンシュは、口に出してしまう。


「おかあ、さん、は……死んじゃった、の……?」


自らそう話すことで、ヴンシュを耐えがたい感覚が襲う。

理解してしまう。

痛感してしまう。

愛する母の死を。

「は、はは……一人に、なっちゃった」

自らの孤独を。

「ねぇ、なんで、あなたに可哀想って言ったか、わかる?」

ヴンシュは脈絡もなくそんなことを言い出した。

ムートは律儀に答える。

「いや、わからない」

「自分で何も決めていないから」

ヴンシュは即答した。

なるほど、言われてみればそうなのかもしれない。

かつての自分は、母親を助けたくて、母親を喜ばせたくて、仕事を頑張っていたのに。

いつからか、仕事が中心になり、それ以外は二の次になっていた。

それは目的のない不毛な日々で。

言われたことをただこなしただ金を稼ぐだけの。

『自分』を持たない行為なのかもしれない。

その仕事すら、自ら決めることはなく、上に判断を仰いでいた。

そのことを見抜いて、ヴンシュはムートを指して可哀想と表現したようだ。

ムートもそのことには自覚があった。

自覚しながら、見ないふりをしていたのだ。

そんなムートは少しの間気になっていた答えを聞けてすっきりした反面、なぜこと状況でその話をしたのかがわからない。

「あなたが最初から本気なら、あなたが移動してあなたが戦えば、お母さんを守れたかもしれない」

「……そう、かも、な」

ヴンシュは。

ここに来て、初めて笑顔になった。

心からの笑顔だ。

もちろん涙や鼻水で顔はぐちゃぐちゃで。

土で汚れてもいる。

それでも、不謹慎なことに、それはムートの心を奪うほどの笑顔だった。


「でもね、さっきのあなたは、ちゃんと自分があって、かっこよかったよ」

「お母さんの最後の瞬間を、残してくれてありがとう」

「私はあなたを許さない。それと同じくらい、あなたに感謝する」

「でも、もう、二度と会いたくないな」


ヴンシュの願い。

先ほども叶えられなかった願い。

ムートには母親の願いしか叶えられなかった。

ならば、答えは一つだ。


「断る」

「でも、母親の願いは叶える」

「あんたを、優しい人に育てる」

「それに第一、監視役の仕事もあるしな」


ムートは叶えることを誓う。

ヴンシュの母親に。

そして。

自分に。



その後、二人で墓を建てた。

そこには、ヴンシュの父親と母親が仲良く娘の行く先を見守る姿が。

あるようだった。

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