私が戦争を知るまで 弐:"その一"かく語りき
さらに十時間が経った。
当然ながらヴンシュが牢の外へ出ることはなかった。
そしてその監視役のムートもまた、事実上は幽閉されている事となんら変わらない、閉鎖的な空間での時間を過ごしていた。
その間、ヴンシュには牢の中で過ごすこと以外には不便はなかった。
十分な量のご飯が用意され、衣服も交換が用意された(正面に立たない限りは牢の中は見えないため、ヴンシュは監視用の魔石がないことを祈ってきちんと着替えている)。
問題があるとすれば、下の話であったが、
「まぁ、女の人が対応してくれるならいいか」
と案外ヴンシュの迷いは少なかった。
牢といえど基本、生活に必要な機能は全て用意されているらしい。
しかしヴンシュは当然母親に会うことを求めて焦燥感に苛まされていた。
ムートもまた、ヴンシュの、
『あなたは可哀想だね』
という言葉が頭から離れず、その真意を聞けないというストレスを抱え込んでいた。
まだこの場にいるのは短い時間ながら二人共に、これ以上この状態でいることは難しい。
であれば、次に行われるのはこの状態の打破だ。
それも、互いに納得した上での、だ。
そんな立場上も感情面でも筋の通る方法を提案したのはヴンシュの方だった。
「ねぇ、私、家の様子だけでも見たいのだけど」
当然何度と繰り返されてきた懇願。
ムートはこれには取り合わない。
「あなた、確か与えられていた仕事は、私の"監視"だったよね?」
「……ああ」
ヴンシュは自分の記憶が正しかったことを密かに安堵する。
「なら私の"幽閉"は別にいいんじゃないの、あなたが付いてくるなら外に出ることだって」
「それは、でもな」
「屁理屈なのはわかってる、でも私の気持ちを少しくらい汲んでくれたっていいでしょ」
「しかし、だな」
「また何?ギルドマスターに聞くのかな?それならそれでもいいけど」
「どういう意味だよ」
「だから、言ったでしょ、可哀想だって」
また言われた。
ムートは大したこともないはずのその言葉に過敏に反応する。
「俺の何が可哀想だって言うんだよ」
その言葉もこの数時間で何度もやりとりされたものだ。
返ってくる言葉も今まで通り。
「それに気づいてないことが可哀想だって言ってるんだよ、皮肉じゃなく、本心から」
そう言われても、わからないものはわからない。
一つ深いため息を吐いて、ムートはその場ですぐさま通信用の魔石にてルルシアに連絡を取る。
幹部にのみ渡される、ルルシア直通のものだ。
数秒と待たずにルルシアに繋がる。
「ルルシア様、お疲れ様でございます」
「どうした?」
「はっ、地下牢の少女に関してなのですが……」
とムートが内容を順序立てて話す。
もちろん、自分が可哀想だと言われたことなど、話すことはないが。
一通り話し終わると、ルルシアは少し考えてから、
「ムートはどうしたいのだ?」
と質問を返した。
簡単な質問だったが、ムートはその質問に、答えられない。
「ルルシア様の命ずるままに」
「ならば行けばよかろう、監視を怠るなよ」
「はっ、かしこまりました」
「ではな」
ぶつっ、と魔石による連絡が切れる。
ルルシアから意外にも外出の許可が出た。
ならば誰に構うこともない、外出してやろう。
個人的にも疲れてきたところだ。
そんなことを、ムートは思っていた。
「で、どうだったの?」
「聞こえていなかったか?外出しても宜しい、とのことだ」
「ならなるべく早く準備して欲しい、です」
「わかった」
ムートは気づいていなかった。
この時ヴンシュの口調が初めて、心からの懇願を表していたことに。
その変化に。
ルルシアからの許可を貰い、ムートとヴンシュはすぐさまヴンシュの自宅を目指す。
誘拐されたのは朝だったのだが、世界は少しずつ夜に向かっている明るさに染まっていた。
『ルール』の統括する町の、かなり離れに位置している家までは少々時間がかかったものの、視界が開けているというだけで気分はだいぶ違う。
ヴンシュには逃げ出さないように何か錠をしようか、とムートは思ったもののやめておいた。
自宅に行く、ということは。
恐らくムートは言わなければならないのだ。
ヴンシュの母親に対して。
もう、あなたの娘は家に戻らない、と。
場合によっては、幽閉する、と。
さらには、これから先起こるであろうタブーとの戦いで、利用されるだろう、と。
そのことを考えればなるべく初めから妙な刺激を与えるような真似を、ムートはしたくはなかった。
あまり意味があるようにも思えないと、わかってはいたが。
第一、仮に逃げ出そうとしたところで、どこかに隠れられたとして、だ。
その程度のことがムートにとって問題になるはずもなかった。
視界に入っておらずとも、気配が遠ざかればそれを察知できないわけがない。
これはムートが自身を過信しているのではなく、普段から戦闘訓練を積むものと、ただの一般人との明確な差である。
その差が埋まることなど、逃げに徹したくらいでは、ありえないことをムートはよく知っている。
なので二人は一見喧嘩中の男女のような雰囲気以上の重たい空気を出してはいなかった。
二人、ぽつぽつと話をしながらようやくヴンシュの自宅に到着した。
「ええと、鍵、鍵……」
ヴンシュが鍵を回して、家に入る。
ムートもそれに続く。
「ただいま、お母さんいるー?」
ヴンシュが呼びかけるも、声は返ってこない。
「あれ、いないのかな……」
「仕事は?」
「ううん、この時間には帰ってきてるはず」
「そうか……」
徐々に募る不安感。
ムートはこの時点で頭のどこかで最悪のケースが浮かんでいた。
そして。
ヴンシュが居間で何か書いてあるらしい紙に手をかけるや否や家を飛び出したことでその予感が当たっていたことを悟る。
ヴンシュは逃げるようではなく、真っ直ぐにどこかへ向かっていた。
すぐにムートはヴンシュに並んで、確認のため状況を伺う。
「どうした?」
「お、お母さんが、お母さんが、たっ、ぶー、タブー、にっ!!」
半日一緒にいて初めて見るヴンシュの焦り以上の青い表情にムートは何故か心が痛む。
表面上は、普段通りに接するが。
「落ち着け、母親が、タブーに、向かっちまったんだな?」
そのヴンシュがはっきりと聞き取れるようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
走りながらコクコクとヴンシュが頷く。
やはりか、とムートは思う。
考えてみれば当然ではあるのだろう。
確か先ほど色々と喋りつづけていた時に言っていたような気がする。
今朝はタブーにいる友達(正直なところ真偽をムートに判断することは叶わなかったが)と話をしに行っただけであり。
これは毎週同じ時間に行っているらしい。
二時間ほどで帰っているそうだ。
ちなみにタブーに到達するにはアンダーワールドの領域を越えなければならないのだが、モンスターの出現率の非常に低い道を行くことで対処していた。
もちろんモンスターに遭遇することもあったが、彼女はアンダーワールドのモンスターとも会話が出来るようで、なんとか話を付けてきたらしい。
彼女曰く、モンスターというのは会話が出来る者を認める傾向があるらしい。
まるで人間の定義した神擬きと似たような傾向だ。
人と意思疎通ができる異形の者は神擬き、人と意思疎通が不可能な異形の者はモンスター。
そんなような定義と、同一のもの。
そんなわけで、今まで危険を回避することが出来ていたのだが、これもまた当然、母親からは心配され続けていたようだ。
タブーに出向く娘を心配にならない母親などいるはずもない。
いくら会話が出来るからと言っても、絶対の保証がない限りは心配は絶えない。
その娘が、毎週同じ時間に帰ってくるはずの娘が、帰ってこない。
タブーに赴いて、戻らない。
そんな事実に気付いた母親がとる行動とは。
「お母さん、ハンターと一緒に、タブーに向かうって」
「やっぱり、か」
それしかないだろう。
だがそれならばまだ時間がそれほど経っていないのではないかと期待が出来る。
ヴンシュが捉えられてからおよそ十二時間。
どのタイミングで娘を探しに行ったのかはわからないが、一般人がタブーに到達するにはやはり普通ハンターの力が必要だ。
ヴンシュが特殊なだけで。
しかし、誰だってタブーには近づきたがらない。
タブーに近づいてくれるハンターを探すにはかなりの時間がかかるだろう。
だが、手練れなハンターかあるいは無鉄砲なハンターであればいないわけでもない。
そのハンターを探すというタイムラグがあれば、なんとか探せるのではないか。
そんな、淡い、期待。
「母親は、普段あんたがどこに行くのか知ってるのか?」
「う、ん、ほとんど真っ直ぐだから、アンダーワールドの境目くらいまでは案内して、『ここを真っ直ぐ行けば着くんだ』って話はしたことがある」
「そう、か」
状況は理解できた。
彼女はタブーに向かっている。
では自分はどうするか。
ムートは自問自答する。
これは、任務の範疇だろうか。
ヴンシュの監視。
母親については正直、会わずに済むなら会いたくはないのだが。
ヴンシュが移動している以上、付いて行くことは任務の一環だろう。
では手伝うことは?
例えば、一少女の全力疾走、というたかが知れた速さで移動している現在。
ヴンシュを抱えてムートが全力疾走した方が断然速いだろう。
しかしそれは。
やるべきことなのか。
確かに本来の任務は町周辺のモンスターの退治であり、結果として人々を助けることが多かったものの。
タブーにまで侵入して人助けなど仕事で行ったことはない。
だから何も。
わからない。
わからないので。
ムートは何もしなかった。
森の中をもう息も絶え絶えになったヴンシュが走っていく。
もうすぐタブー域のはずだ。
ムートは依然余裕のある息遣いでヴンシュに付き従っている。
と、さすがに限界を迎えたのか、ヴンシュが立ち止まって近くの木に手をついて激しく呼吸を繰り返す。
やけに静かな森の中、彼女の呼吸音のみが響いている。
「ハアッ、ハアッ、ねっ、おねがいっ、ハアッ、連れてっ、てっ」
息を吐き出しながらムートに話しかけるヴンシュ。
それだけ言うとふらふらと歩き出した。
連れて行ってと言う割には自分でまた歩くのか、と不思議に思いつつ。
頼まれたのであれば断る理由はもちろんない。
ムートはヴンシュをひょいとひざ裏に手をかけてお姫様抱っこで抱え上げる。
「はっ、えっ」
「行くぞ」
そのままムートは全力で走る。
真っ直ぐと。
ほとんど走れていなかったつい先ほどまでとは段違いの速さで前に進み、あっという間にアンダーワールドとタブーとの境界に到達した。
到達した、のだが。
そこには、確かに人がいた。
恐らく、装備を見るにハンターだろう。
否。
かつてハンターだった肉片が。
残骸が。
そこらじゅうに散らっていた。
数々の戦闘をこなし数々の死を目の当たりにしてきたムートですら目を背けたくなるほどの。
死。
それも、ここにあるのは人としての死ではない。
ただの、一生物としての死だ。
尊厳も慈悲もない。
ただ弱者が強者に蹂躙された、というだけの。
ただそれだけの意味を持った死が。
この場に溢れかえっていた。
血の匂いが充満するこの空間のその先に。
ヴンシュの母親らしき女性がいた。
そして。
今まさに獰猛なグリズリーに襲われ、殺されそうになっている。
腰が抜けて立てないらしく、そのままの体勢で木を背に追い詰められ。
恐怖から声をあげることすら叶わず。
目の前に迫る、大きな爪。
ハンターを目の前で無惨に引き裂いたその爪が迫る。
そんな状況。
ヴンシュは、既に疲弊しきっているはずの体を無理矢理ムートから引きはがし、母親に真っ直ぐ走っていく。
「だ、め、お願い、だめっ、なの」
その声は細すぎて母親にもグリズリーにも届かない。
「お願い、ねぇ、話せば、わかるよ」
だが、届かない声は発していないのと同じだ。
ヴンシュは中途で躓き、大きくこける。
その音でようやくグリズリーがこちらに気付く。
顔がこちらに向くだけではっきりとわかる。
こいつはタブーの生物だ。
自分達とは存在の格が違うと。
だが、ヴンシュはそれでも叫ぶ。
「お願い、お願い、死なないで私を一人にしないで」
一瞬こちらを見たグリズリーに続いて、母親もまたこちらのヴンシュに気づいた。
青ざめた表情から一転、母親は僅かながらの笑みを浮かべた。
その意味はムートにもヴンシュにもわからない。
そして。
決して大きな声ではないはずの母親から零れた言葉が、二人に突き刺さる。
「あなたが生きててよかった、ヴンシュ」
グリズリーが狙いを母親に戻す。
腕を大きく振りかぶる。
「お願い、生きて」
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
ムートは、二つの願いで動き出す。
何もかもを飛び越えて、自分の意思で。




