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青い死神

花の咲き誇る場所へ

作者: 悠凪

 アンリは悩んでいた。

 抜けるように晴れ渡った青空の下、大きな大きな木の下で、咲き乱れる花を視界に入れながら。

 季節は春。

 心地良い風と共に、花の香りや緑の香りが艶やかな黒に近い青の髪の毛と、漆黒のローブを躍らせる。長い睫毛の下にある、宝石のように煌く青紫の瞳に映り込む相手を見ながら、アンリは少しばかり悩んでいた。

「おにーちゃんはだぁれ?」

 アンリの闇夜のようなローブを小さな手でキュッと握り、大きな瞳で見知らぬ男を見ているのは、人間の幼い女の子。年は、5~6歳といったところか。明るいピンクのワンピースを着た、金色の髪にマリンブルーのように深い色の瞳の少女はアンリを見てニコニコと笑っている。

「誰って言われても……」

 その整った顔に珍しく戸惑いを見せるアンリは、まさかここで馬鹿正直に「死神だよ」なんて言えるはずもなく(さすがに幼い人間の女の子にそんなことを言うものではない、位は理解している)、ただ困っている。

 失敗しちゃったなー。

 キラキラとした邪気のない少女の目を見て、心の中で渇いた笑いを零した。

 アンリは「仕事」で、この地を訪れていた。いつも聖堂で幸せそうにお茶をすすっているこの死神ではあるが、普段はちゃんと仕事をしている。

 今日も、魂の回収の為に訪れたのではあるが、あまりにも春の風が気持ちよく、また少し早くここに来てしまったせいもあり、目的地のすぐ傍にあるこの木の下でぼんやりと座っていた。高台に位置するここは町の眺めがよく、アンリは思わず眺めながら結界も張らずに居眠りをしてしまったようだ。

 人間でも死神でも、まどろみは心地良い。大切な薔薇の蔦の絡みつく死神の鎌を抱き締めるように、それこそ子供のようにあどけない顔でうとうととしていたアンリのローブを、なにやら引っ張るモノがいる。それに目を開けてみれば、少女がいた。と言うわけである。

「どうしてここにいるの?」

 少女は人見知りをしないようで、どこまでも明るい無邪気な笑顔で尋ねてくる。その顔は幼いながらなかなか綺麗なものだ。将来が楽しみだなぁ。などと、全く関係のないことを考えている死神に、少女は片方の手を差し出した。

「あげる」

「ん?」

 見れば可愛らしい掌に、カラフルな包装紙に包まれたキャンディーが乗っていた。

「僕にくれるの?」

 きょとんとしたままアンリが聞くと、少女は満面の笑みで頷いた。今までろくに話してくれなかったアンリが話してくれたことがよほど嬉しかったようだ。

「ありがとー」

 その様子が可愛くてアンリも思わずあどけない笑顔になってお礼を言う。すると少女は木の下で座っているアンリの横にちょこんと腰を下ろして座り込んだ。

「…僕と一緒にいるつもり?」

 まだ、仕事の時間までは多少余裕がある。

 まぁ、姿を見られてしまったことはどうにもならないし、別にこの子も驚いてないし……いいかな。

 ツインテールの少女の長い金色の髪の毛を見ながら、アンリは小さく笑ってもらったキャンディーを口に放り込んだ。

「うん。甘くて美味しい」

 いちごの甘いキャンディーにアンリはにっこりと笑って少女を見下ろす。青い瞳にこの奇妙な男を映しこんだ少女もまた、あどけない笑みを浮かべてアンリを見上げた。

「僕の事、怖くないの?」

 真っ黒な格好で大きな鎌を持つ自分を全く怖がらない少女に、アンリは問いかけてみる。少女はその言葉に少し考えた後、ふわんと微笑んだ。

「怖くないよ。だって優しい匂いがするもん」

「優しい、匂い…?」

 アンリは思いもかけない言葉にきょとんとしてしまう。

 優しい匂いって、何…?

 それに少女はアンリの身体に顔を近づけるようにくんくんと鼻を鳴らす。そしてまた笑いかけてきた。

「優しくて良い匂い。お花の匂いがする」

 あまりにも無邪気なその笑顔に、アンリは何のことかいまいち分からないが、少女が嬉しそうならば良いかと思った。

「そっか。ねぇ、名前教えて?」

「ニコラ」

「ニコラ?僕はアンリだよ」

「アンリ?どうしてここに良いるの?」

 ニコラはアンリがよほど気に入ったのか、白いアンリの手を握って問いかける。綺麗な青い瞳を好奇心で彩りながら。

 何って…本当のことは言えないよね、さすがに。

 魂の回収なんてことをこの幼い少女に言った所で分からないだろうし、あまり良い話でもないだろうと思う。しかしだからといって適当な言い訳も思いつかないアンリは、反対にニコラに同じ質問をした。

「私は、ママのお見舞いだよ」

「お見舞い?」

「うん、そこの病院」

 ニコラの指差す先には、大きな病院がある。そこに母親が入院していると言う。そしてこの高台の場所は、病院の敷地内にある場所。

「ママは元気になりそうなの?」

「うん。昨日から苦しくなさそう」

 ニコラは嬉しそうに笑って、それからアンリの漆黒のローブをふわりと揺らした。

「ね、アンリはお花好き?」

「お花?好きだよー」

「じゃあ一緒に摘みに行こうよ」

 思いたったらすぐに行動に出るのはどこの国の子供も変わらない。もう行きたくてたまらないといった様子でアンリを見て立ち上がったニコラに、綺麗な死神は苦笑しながらも付き合ってあげることにした。

「少しだけだよ?もう少ししたら、僕お仕事あるからね」

「うん、分かった」

 本当に子供って無邪気。天使みたい。

 金髪のツインテールの少女を見てそんな風に思うアンリは、自分よりはるかに小さな手を握ってあどけない笑みを浮かべた。死神の鎌を反対側の手に持ち、黒尽くめの格好の死神と、愛らしい少女の組み合わせはなんともおかしなものに見える。

 二人は少し離れた、花が密集して咲いている場所へ移動する。春は花にとっても一番良い季節なのか、色とりどりのたくさんの種類の花が咲き乱れ、鮮やかな絨毯のように見えた。

「綺麗だねぇ」

 普段薔薇以外に花を愛でる事のないアンリも、思わず顔を綻ばせて驚く。ニコラはそんなアンリの反応が嬉しかったのか、幼い手でアンリのほっそりとした手を握り返して、背の高い男を見上げて笑った。

「ここでママにお花を摘んでいくの」

「そうなの?じゃあ僕も手伝ってあげる」

「本当?ありがとう。アンリ大好きッ」

 ニコラがアンリの身体に抱きついてきて喜びを表してくる。小さなニコラがアンリの腰下あたりにじゃれ付いて漆黒のローブに顔を摺り寄せてくる様子は子犬のようだ。

「そう?僕もニコラ好きだよ。可愛いなぁ」

 身体を折り曲げるようにして、アンリはニコラを包み込むように抱き締めた。ゆったりとしたローブの中がニコラにとっては面白いのか、きゃっきゃと笑いながら更にアンリに抱きついてきた。

 元々子供っぽいところもあるアンリの性格のせいか、二人はそんな他愛もない事で笑い合う。春の暖かい空の下で、死神と少女はじゃれながら花を摘み始めた。

「アンリは首飾り作れる?」

「首飾り?作れるよー」

「じゃあこのお花で作ってほしい。ママの好きな花なの」

 ニコラは蓮華を指差してアンリにお願いした。たおやかな蓮華がたくさん集まって咲く様子はニコラのように愛らしい。

「良いよ。じゃあたくさん摘んでくれる?」

 アンリの言葉にニコラは大きく頷いて、小さな手で懸命に蓮華を摘み始める。その様子を見ていたアンリは自然とあどけない笑みを浮かべていた。

 ニコラの摘んだ蓮華を、アンリは細い指で器用に編んでいく。死神の鎌を自分の座り込んだすぐ横に置いて、漆黒のローブをふわりと広げているアンリの隣に、たくさんの蓮華を手に持ったニコラが座り込んで驚いた。

「すごい!」

 大きな青い瞳を輝かせて、ニコラはアンリが花を編んでいくのを見つめている。それにアンリはクスクス笑って、綺麗な青紫の瞳で少女を見た。

「そう?ニコラももう少し大きくなったら出来るようになるよ」

「アンリが教えてくれる?」

「…僕が?」

「うん。アンリが良い」

 何をどうしたらこんな真っ黒で、人間からすれば妖しい自分をここまで気に入ってくれるのだろうか。不思議に思いながら、アンリは困ったようにニコラに言う。

「僕は、教えてあげられない。…ごめんね。仕事が、あるから」

 あやふやな事しかいえなくて、アンリは言葉につまってしまう。実は死神だからもう会うこともないよ、とはっきり言えなかった。

「そうなの?」

 少し残念そうに、アンリを見るニコラに心が痛んでしまう。

「でもさ、今日はいっぱい作ってあげる。腕輪とか、冠とか。他の花でも作ろうか」

 気分を入れ替えるようにアンリは明るい声でニコラに言って、青白く、黙っていれば怖いくらいに整った顔にあどけない笑みを浮かべた。

「本当?じゃあママにたくさんお花あげられるね。春になったらお花が見たいってママ言ってたから喜ぶと思う」

「そう?じゃあ僕も頑張ろうかな」

 にっこりと二人は笑い合って、咲き乱れる花の中で楽しげに飾りを作り始めた。

 赤や黄色や紫の、様々な花飾りがいくつも出来上がる。その間にもアンリとニコラはなんでもない話をして、時にはおなかを抱えて笑うくらいにはしゃいだ。

 いくらか時間が過ぎた頃、両腕いっぱいにその飾りを抱えたニコラが立ち上がったアンリを見上げて、無邪気な笑顔を見せた。

「こんなにたくさんありがとう。アンリ」

 青い瞳が幸せそうに微笑んで自分を見上げてくる。アンリはその瞳を見下ろして、少女の頭をふわりと撫でて微笑んだ。

「どういたしまして。僕も楽しかったよ。ありがとう、ニコラ」

 綺麗な青紫の瞳が癒されているアンリの心を移している。温かな風が、温かな二人の間を通り抜け、周りに咲いている花々を揺らした。

「じゃあ私ママのところに行くね」

「うん」

「アンリ…また会える?」

 ニコラの問いかけに、アンリは僅かに眉根を切なそうに寄せる。それから微笑んで、もう一度ニコラの頭を撫でた。

「いつか、また会えるよ」

 アンリの顔をじっと見つめていたニコラがその言葉に微笑んだ。邪気のない純粋な笑顔に、アンリは少しだけ心が痛んだ。

「絶対だよ?」

「うん。約束ね」

 アンリが最後にギュッと、小さなニコラを抱き締めて約束をする。初めて会った少女との時間はあっという間に終わった。




 静かな真っ白な部屋の中に、アンリは姿を現した。ふわりと音もなく、漆黒のローブを少しばかり冷たい風に躍らせて、誰にも見えないように結界を張って。

 ピッ……ピッ……ピッ……。

 間隔の空き始めた電子音が響く白い部屋。いくつかの管のついた身体の横たわるベッドと、シンプルなカーテンの閉じられたその部屋の中の人物は、今人生を終わらせようとしていた。白い顔の金髪の女性。顔立ちの優しげなその女性はまだ若く、あまりにも綺麗だった。

 その部屋の中に何人かの人間がいる。皆それぞれに疲れきって悲しくて、どうにもならないその状況を受け入れなければいけないという思いと、でもできないといった思いのない交ぜになった表情で、ベッドの中の女性を見つめていた。白衣を来た人間は数人、その様子を見て何か話をしている。その間にも。電子音はますます間隔をあけて音を出す。ベッドの女性は体の生理的な反応としての呼吸しかしていない。その綺麗な顎が、かくり、かくりと動く。吸えない酸素を取り込もうと、最期の反応を示していたのも、なくなってくる。

 やがて何もかもを止めた女性の心臓の動きを知らせるアラームが響き始めた。それに見守っていた人間達は涙を零して、声を抑えようとしても出てしまう泣き声を、代わりのように部屋の中に響かせた。

 白衣を来た人間が女性の心音を確認し、目の辺りに何か光を当てている。それがすむと、一言二言言って、女性に取り付けられていた機材を外して、部屋を後にした。  

 アンリはその様子を無表情に見ていたが、一度女性に頭を下げ、それから綺麗な唇から不思議な言葉を紡ぎ始めた。アンリの言葉に導かれるように、女性の体からいくつもの赤い流線が天に昇るように揺らめいた。そこにアンリは両手で重量のある死神の鎌を振るう。横から祓われた鎌に、赤の流線がふつりと切られ、空中で集まり球体に変わっていく。赤から虹色に変化しながら集まるその様子を、アンリはあどけない笑みを浮かべて見ていた。そしてそれを歓迎するかのように、鎌に絡みつく薔薇の蔦が大きな真紅のバラを咲かせていく。

 やがて、完全な球体になったそれが、アンリの差し出した掌に吸い寄せられてくる。キラキラと輝くその球体は、たった今この世と離れる事になった女性の魂。

「お疲れ様でした」

 アンリは優しく言葉をかけて、その魂を綺麗な手で撫でて微笑む。その死神の耳に、小さく聞き覚えのある声が聞こえた。

「ママ…?」

 アンリは青紫の瞳を見開き、部屋の片隅から聞こえてきた声に視線を流す。

 そこにはニコラがいた。大人たちに隠れるように、小さな身体を震えさせて、大きなマリンブルーの瞳に涙をためて、アンリと一緒に作ったたくさんの花飾りを抱えたまま。

「ニコラ…」

 息を飲んだアンリが結界に包まれていて、ニコラには聞こえないが声を零す。虹色の魂とニコラを交互に見ながら、アンリはあまりにも悲しい神の悪戯に、形の良い唇を噛んだ。

 母親が苦しそうじゃなくなったと、笑っていたニコラの顔が思い出される。苦しくなくなったんじゃない。それを感じなくなっただけだ。意識が落ち込んでいったのだろう。何も感じなくて眠っているだけだったはずだ。

 しかしそれを幼いニコラが理解できるわけがない。苦しそうな顔をしていた母親が、穏やかに眠ってしまえば、単に治ったのかと思ってもおかしくはない話だ。

 幼すぎた。あまりにも、ニコラは幼かった。

 何が起きたのかも知らされていなかったのか、ニコラは大きな瞳を見開き、亡骸となった母親を見ている。その愛らしい瞳にますます涙をためて、震える足でベッドまで近づいて、目を閉じている母を見つめた。

「……ママ?お花もって来たよ」

 アンリと一緒に摘んだ、アンリが作った花飾りを、ニコラは母の胸の上に置いた。何も反応を示さない腕には腕輪、指には指輪、頭には冠。質素な病院のベッドの上で、ニコラの母は愛娘の愛で華に囲まれた。

 その悲しい愛しい様子を見て、アンリは黙って微笑んだ。宝石のように輝く青紫の瞳にうっすらと涙を浮かべて。

 そのまま立ち去ろうとしたとき、母を見つめていたニコラの視線がふと上を向いた。

「…………」

「…………」

 視線が、交わる。

 結界に包まれたアンリが他の人間に姿を見られることなどないのに、それでもはっきりと視線が交わっているのを感じる。青紫と青い瞳が確実に交わった。

「お花、ある?」

 小さな声でニコラは呟いた。

「え?」

「ママの好きなお花、ある?」

 周りから見れば、ニコラが独り言を言ってるに過ぎないだろう。だがニコラにはアンリの存在が分かるのか、まっすぐにその穢れない大きな瞳を向けてくる。

「……あるよ、綺麗なお花がいっぱいね」

 聞こえはしない声を、アンリは穏やかな笑みでニコラへと向ける。そしてそのまま、輝く虹色の魂を手に、その場から姿を消した。

 可愛い少女の大切な母の魂を、花の咲き誇る美しい場所に送り届けるために。


 (了)

 

 





 


 

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