糸口3
同時刻 情報堂 ナナセの部屋
「……。」
ナナセの部屋の前で、ドアをノックする手を引っ込めた私は、そのまま耳をドアに近付けた。
ドアの向こう側では、時折機械的な音が聞こえたり、固い物同士が小さくぶつかり合う音が聞こえるだけで、静かである。
こういう時は迂闊にノックしてはいけない。ナナセが何か発明しているからだ。
ナナセは発明中に邪魔が入ると機嫌が悪くなり、作業効率も落ちる。
しかし、ナナセのほうから部屋に呼び出しておいて、発明中とは…。
というのも、報告会が終わり部屋に戻ろうとしていた時の事である。
『あ、ロクサさん。後で僕の部屋に来て下さい。』
自分の部屋に入ろうとしたときにナナセに声をかけられた。
『…?』
『あ、えーと、渡したい物があって。お願いしますね。』
彼はそれだけ言うと、自分の部屋に戻っていった。
渡したい物、と言われると思い当たる節があった。
私はよくナナセに発明を依頼している。
ヨツバが聞き出した情報を証拠として残すために、対象に気付かれずに素早く記録する必要がある。
それには、コンパクトで高機能な機械が必要なのだが、なかなか手に入らないのである。
そこでナナセの出番だ。
私はナナセにこんな機械が欲しいと提案する。
すると、ナナセは何日かかけてそれを造ってくれるのだ。
彼は機械関係の事には本当に天才的で、造ってくれた物はどれも高性能だ。
今日、相葉奈津との会話を捕らえたボイスレコーダーも、ポケットサイズなのに録音可能時間は48時間。その範囲であれば、いくつも保存できる。
なによりも便利なのが、その発明品の形である。
普段持ち歩いていても怪しまれないような自然なもの。
…あのボイスレコーダーはガムのパッケージを見立てている。
こんな仕事をしていると、注意深い者に多く接触するので、こういった道具は重宝される。
渡したい物とは多分、新しい発明品のことだ。
数日前に、「自然な動きでシャッターが押せるカメラを造って欲しい」とメールした覚えがある。
それが、完成したから取りに来て、と言うことなのだろう。
暫くドアの前で待っていると、先程までなりやまなかった作業音が消えて、勢いよくドアが開いた。
「あ、ロクサさん!すいません、お待たせしました!」
ナナセは、一歩後ろにさがってドアの体当たりを避けていた私の手を、嬉しそうな顔で引いて、部屋に入れた。
「最後の調整をしてたんですけど、ようやく納得のいく物になりました。」
整頓された部屋の中で、作業机だけがごちゃごちゃに散らかっていた。
その机の中心に、なんの変哲もない、大きめの黒ぶち眼鏡が置いてある。
ナナセはそれを取って、私に渡した。
「頼まれてた物です、色々考えた結果、眼鏡が一番いいかなって。」
ナナセの視線の先…作業机の横のごみ箱にはマスクの形をした機械や、イヤホンを連想させる部品が、数多くほうり込まれていた。
……私のために試行錯誤してくれたのか…。
「えーと、基本的な使い方はこれに書いておきました。」
ナナセは小さめのメモ帳を私の手に乗せる。
「不具合とかあったら持ってきて下さいね。」
私は頷いて、ズボンのポケットから財布を取り出して一万円札を取り出した。
「え、あ、いいですよ! 元々材料代は貰ってるし…」
あたふたするナナセを無視して、作業机の上に折り畳んだ一万円を乗せて、早々に部屋をでた。