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第12話 いざ、庶民の聖域へ



 リムジンの車内へ、沈黙がじわじわと広がっていた。


 広がる、という表現は少し優しすぎるかもしれない。俺の体感では、これはもう空気ではなく拷問だった。柔らかいソファ、行き届いた照明、外を流れていく華やかな商業区の景色、そのどれもが本来なら「うわ、すげえ」と素直に感動していい類のものなのに、いまの俺にとっては、会話の取っ掛かりをひとつも見つけられないまま高級車へ閉じ込められたという事実を、やたら丁寧に照らし出してくる装置にしかなっていなかった。


 背中を冷や汗が伝う。


 革張りのソファはふかふかで、ちょっと体重を預けるだけで身体を優しく受け止めてくれるはずなのに、その優しさがむしろ「逃げ場はないですよ」と囁いてくるみたいで落ち着かない。


(……やべぇ。そろそろ本気でどこに行くか決めないと、このまま延々とドライブするだけになっちまう)


 心の中でそう呟きながら、窓の外へ流れる街並みを見つめていた。さっきから景色はどんどん華やかになっている。街灯が灯り、店の看板が光り、歩道には買い物客や学生たちの姿が増え、商業区としての顔がいよいよ濃くなってきていた。その一方で、俺の口から出る言葉は驚くほどゼロだった。


 まずい。これはかなりまずい。


 このままだと「あの人威勢よく決闘を申し込んだくせに、実際のデートでは行き先ひとつ決められないのか」と思われかねない。いや、思われるだけならまだいい。アイリス嬢の中で「面白い男」どころか「準備不足の雑な男」へ格下げされる未来が普通に見える。


(ダメだ……ここは男を見せるところだろ、スコール。腹を括れ。勢いで決闘を申し込めた男が、行き先をひとつ決めるだけで縮こまってどうする)


 自分へそう言い聞かせる。


 喉がカラカラに乾いていた。唇の内側を軽く噛み、胸の奥で一度だけ大きく呼吸を整える。高級車の中で緊張しながら深呼吸する男という図は、たぶんあまり格好いいものではない。格好よくなくても、息を吸わないと死ぬのだから仕方がなかった。


 そして俺は半ばやけくそに近い勢いで、ついに言葉を口から押し出した。


「……ゲーセンに行こう!」


 声が裏返りそうになるのを、どうにか踏ん張った。


 言った。


 言ってしまった。


 普通ならレストランとか、劇場とか、夜景の綺麗な店とか、そういうオシャレで無難な選択肢が最初に来るのだろう。実際、俺もほんの一瞬だけはそう考えていたのだが、冷静に現実を見つめた瞬間、それは全部無理だと判断せざるを得なかった。


 高級料理店? 相手がどこの誰だと思っている。学園一の貴族令嬢だぞ。たぶん俺なんかが雑誌で「いつか行ってみてぇな」と憧れる程度の店なら、向こうからすれば幼少期の家族会食か何かで普通に通っている。劇場? 貴族のたしなみとして、俺の数倍どころか数十倍は通っているに決まっている。気取った場所へ連れていっても、「ああ、こういう感じですね」と微笑まれて終わりだ。しかも俺の財布は、その手の場所へ対抗できるほど分厚くない。重要なのでもう一度言うが、財布が薄い。


 なら、どうするか。


 見栄を張ったってどうせバレる。


 相手は本物の上流で、こっちは学園の庶民男子だ。


 だったら、最初からこちらの土俵で勝負するしかない。


 俺にしか案内できなくて、俺が多少なりとも慣れていて、しかも相手にとって未知である可能性が高い場所。そういう条件で絞り込んだ結果、ひとつだけ強く光る選択肢があった。


 ゲームセンター。


 そう、ゲーセンは俺たち庶民の聖域である。


 眩しい照明、鳴り止まない電子音、メダルがじゃらじゃら落ちる音、誰かの歓声、誰かの悲鳴、UFOキャッチャーのアームが無情に景品を落とす瞬間の空気、格闘ゲーム筐体の前で繰り広げられる無言の殺気、協力プレイで変な連帯感が生まれるシューティングエリア。あそこには、肩書きも家格も関係ない。腕前と慣れと運、つまり極めて庶民的で、それでいて理不尽な実力社会がある。


 庶民の楽園にして、青春の修羅場。


 それがゲーセンだ。


「……ゲーセン?」


 案の定、アイリス嬢は小首を傾げた。


 さらりと揺れたプラチナブロンドの髪が照明を受けて細く煌めき、その仕草ひとつで俺の心臓が余計に跳ねる。やめてくれ。こっちは真面目に行き先を提案しただけなのに、なんでその一挙手一投足で破壊力を出してくるんだ。


「えっと……ゲームセンターの略だ。まあ、アミューズメント施設みたいなもんだな」


「アミューズメント……?」


 ぽかんとしている。


 いいぞ。


 やっぱり知らない。


 想定通りだ。


 俺は、ここぞとばかりに少しだけ得意げな顔を作った。作ったつもりだ。実際には緊張で顔の筋肉がわりと危うかったので、どこまでうまく演出できていたかは怪しい。


「庶民が娯楽として楽しむ施設だ。シューティング、格闘、パズル、体感型シミュレーション……ジャンルはいろいろある。景品を取るゲームもあるし、食事ができるところもある。カップルが遊びに行く鉄板スポットでもあるんだぜ」


 最後の一文だけ、言ってから「あっ」と思った。


 カップル。


 鉄板スポット。


 おい待て俺。今の台詞、だいぶ踏み込んでないか。そういうことをさらっと言えるほど俺たちの関係はこなれていないだろうが。いやでも、デートの行き先として紹介している以上、そこを隠すのも変か? いや変じゃないだろ。もっと言い方があっただろ。


 心の中で一瞬だけ慌てふためいたものの、アイリス嬢は特に顔色を変えなかった。細い指を顎へ添え、わずかに視線を伏せて考え込む。その姿までいちいち絵になっているのが本当に困る。悩む令嬢が美しいって何だよ。人類のずるだろそれは。


「……庶民の嗜み、ということですか」


 少し考えたあとで、彼女は静かにそう言った。


 庶民の嗜み。


 うん、まあ、完全に間違いとは言えない。言えないけど、何か違う。お茶会とか狩猟会とか舞踏会とかと同じ棚へゲーセンを置くな。あそこはもっとこう軽薄で、騒がしくて、でも妙に愛されている場所なんだよ。


「わかりました」


 すっと顔を上げ、碧眼で俺を見つめ返してくる。


「では案内してください、スコール」


 ……え、いいの?


 そんなに素直に了承してくれるの?


 いやありがたいんだけど、予想外すぎてこっちの心の準備が追いつかない。もっとこう、「それはどういう場所なの」「本当に適切なのかしら」「安全性は?」みたいな質問が飛んでくるものかと思っていた。それを想定して脳内でいくつか説明文まで組み立てていたのに、あっさり通った。


 でもこれは、つまり好機だ。


 貴族のお嬢様を未知の世界に連れ込めば、必ず隙が生まれる。音と光に圧倒され、ルールがわからず、遊び方も知らない。そこで俺が自然にエスコートし、説明し、フォローし、格好よく決めることができれば――。


 きっと株が上がる。


 いや、爆上がりする。


 完璧なプランでは?


(ククク……悪くねぇな相棒。未知の領域へ獲物を誘い込み、足元の地形を把握している側が主導権を握る……ドラゴン流の狩りに少し似てるぜ)


(お前は黙ってろ! これからやるのは狩りじゃなくてデートだ! あと“獲物”とか言うな! 語感が一気に物騒になる!)


(人間は名称にこだわる生き物だな)


(そうだよ! 言葉って大事なんだよ!)


 心の中でぎゃあぎゃあやり合っているあいだに、リムジンは商業区の中心を抜け、駅隣接エリアのほうへと進路を取っていた。窓の外には高層ビルと連絡デッキ、流れる光の帯みたいなトラムの軌道、夕闇へ浮かぶホログラム広告が次々と流れていく。駅前周辺は商業区の中でもひときわ明るく、人の流れも多い。学生服、私服、軍属の制式外套、市民の仕事帰りらしき姿、その全部が混ざり合って巨大な呼吸を作っている。


 そしてその人の流れの先に、これ見よがしなくらい巨大な建物が見えてきた。


 複合娯楽施設 《マナ・アーケード》。


 高さ十五階、延床面積は十万平方メートル超えと噂される、学園都市でも指折りの巨大エンタメ施設である。俺も何度か友人連中と来たことはあったが、こうしてリムジンの車窓から真正面へ眺めると改めて規模感がおかしい。外壁は黒曜石みたいな光沢を持つ特殊素材で覆われていて、夜になると壁面全体へマナイルミネーションが流れる仕組みになっている。広告用ホログラムが建物の輪郭へ絡みつくように踊り、遠目から見れば未来都市の神殿か、成金趣味の要塞か、その両方を混ぜたみたいな風貌だった。


 いや本当に、ゲーセンってここまで巨大化していいのか?


 人類の娯楽への執念が形になったら多分こうなるんだろうな、という説得力だけはある。


 施設は大きく三つのゾーンに分かれている。


 一階から五階はアミューズメントフロア。最新アーケード筐体、体感型VRシミュレーション、音ゲー、格ゲー、レース、メダルゲーム、ガンシューティング、クレーンゲーム、その手の“人間が金と時間を吸われる設備”がぎっしり詰め込まれている。


 六階から八階はフード&カフェフロア。学生向けの軽食からちょっと洒落た店、高級寄りのレストランまで揃っていて、遊び疲れた連中がだらけたり、待ち合わせしたり、カップルが妙に良い雰囲気を作ったりする、まあ要するに青春の泥沼みたいな場所だ。


 九階から十五階はエンタメ複合フロア。シネマ、劇場、ボウリング、ビリヤード、展望ラウンジまで揃っていて、もはや「ゲーセン」の一言で括るのは少し乱暴なくらい幅が広い。


 駅と直結しているおかげで、学生にとっても市民にとっても使い勝手がよく、放課後や休日にはびっくりするほど人が集まる。


 リムジンがその巨大施設のエントランス前へ静かに停車した。


 煌めくホログラム看板に「WELCOME TO MANA ARCADE」の文字が踊っている。背景ではマナ粒子を模した光が弾け、建物全体が「いらっしゃい! 金を落としていってね!」とでも言いたげな圧を放っていた。


 俺は窓の外を見ながら、心の中で小さくガッツポーズを決める。


(よし……ここならいける! 貴族のアイリス嬢も、さすがに未知の世界に混乱して、俺へ頼るしかなくなる!)


 ククク、とテンペスト混じりのあまり品の良くない笑いまで漏れそうになって慌てて咳払いで隠す。悪いなアイリス嬢。こっちはここからが本番なんだ。庶民のフィールドへ足を踏み入れた以上、案内役としての俺の株は上がる。上がるはずだ。上がってくれ頼む。


「……では、参りましょうか」


 アイリス嬢が優雅に足を組み替え、俺へ視線を送る。その仕草ひとつでまた喉が渇いた。ほんと何なんだこの人。動くたびに心拍数を上げる能力でも持ってるのか。未来予測とは別の異能だろもう。


 ここで怯んだら意味がない。


 俺は大きく息を吸い、ドアノブへ手をかけた。


「……ようこそ、庶民の楽園へ」


 そんなふうに、ちょっとだけ格好をつけて呟く。


 一世一代の勝負デート、その第二ラウンドが幕を開けた。




 エントランスをくぐった瞬間、轟音が全身を叩いた。


 ジャラジャラとメダルが落ちる音、電子音楽が絶え間なく鳴り響く筐体群、格闘ゲームで勝ったやつの短い歓声、誰かがクレーンゲームで大物を取ったらしき拍手、マナスピーカー越しに流れる店内アナウンス、光、色、音、その全部が洪水みたいに押し寄せてくる。


 俺は思わず胸を張った。


「……これがゲーセンだ!」


 そう、ここが俺の誇りであり、庶民の聖域である。見栄も肩書きも関係ない。勝ち負けと盛り上がりと、たまに理不尽な乱数が支配する戦場。学生だろうが社会人だろうが、勝てばテンションが上がり、負ければ悔しくてムキになる。そういう単純で平和で騒々しい場所だ。


 一方のアイリス嬢は――。


「……っ」


 碧眼をぱちぱちと瞬かせ、露骨ではないものの、明らかに圧倒されていた。


 普段なら誰の前でも気品を崩さず、立っているだけで周囲を従わせるあの彼女が、右を見て、左を見て、上を見て、もう一度前を見て、情報量の多さに視線の落ち着き先を探している。しかもその混乱を表へ出しすぎないよう頑張っているのがわかるのだ。完璧超人が未知の世界に投げ込まれて、必死に平静を保とうとしている。その図がどうしようもなく可愛い。


 そして、ほんの少しだけ。


 彼女の指先が、俺の袖を掴んだ。


 ほんの少しだけ。


 本当に少しだけ。


 それでも破壊力としては十分すぎた。


 ……やべぇ、これはかわいすぎる。


(想定通りじゃねぇか。未知の領域へ踏み込んだ人間は、本能的に案内役を欲する。つまり、いまの小娘はお前なしじゃ歩けねぇってことだ)


(うるせぇよテンペスト! けど……言ってることは正しいな!)


 よし。よしよし。こっちのターンだ。ここで俺が落ち着いて案内し、庶民文化の魅力をスマートに説明し、困った時に助け舟を出せば一気にポイントを稼げる。決闘の怪しい記憶とか黒パンティーとか挑戦状とか、そのへんのろくでもない要素を一時的に忘れられるくらい、楽しい時間を作れるかもしれない。


「大丈夫だ、アイリス嬢。ここは危険な場所じゃない。ただ……ちょっと音がうるさいだけだ」


 俺なりに優しく言ったつもりだった。


 アイリス嬢は視線を筐体群へ向けたまま、小さく頷く。


「……随分、騒々しいのですね」


「まあ、慣れれば楽しい。よし、まずは初心者向けだ」


 そう言って俺は、彼女を引き連れて入口近くのクレーンゲームコーナーへ向かった。


 透明なケースの中には、カラフルなぬいぐるみや菓子の詰め合わせ、限定マスコット、マナ石を模したクッション、なぜそれを景品にしたのかわからない巨大肉まん型の抱き枕までぎゅうぎゅうに詰め込まれている。上ではUFOキャッチャーのアームが忙しなく動き、学生たちが「あっ惜しい!」「そこじゃねぇ!」と一喜一憂していた。


「これは……?」


 アイリス嬢が首を傾げる。


「クレーンゲームだ。アームを操作して景品を掴み、うまく落とせたら持ち帰れる」


「……取れるのですか?」


「まあ、取れるかどうかは運と腕次第だな」


 俺はそう言いながら小銭を投入し、レバーへ手をかけた。


 ここは大事だ。


 最初に一発、さくっと景品を取れれば、案内役としての俺の格が上がる。さらにそれをアイリス嬢へ「どうぞ」と渡せば、デートらしい雰囲気まで出る。完璧じゃないか。そう、俺の頭の中では。


 アームを動かす。狙いを定める。下降。掴む。


 ……掴んだかと思ったら、するりと滑り落ちた。


「……取れてませんね」


「ち、違うんだ! 本番はこれからだ!」


 焦るな俺。クレーンゲームなんてこんなものだ。一回で取れないからこそ燃える。そうだ。今のは様子見。台の癖を読むための偵察。戦いとは情報戦でもある。俺は無意味に理屈を積み上げながら二回目、三回目と挑戦した。


 結論だけ言うと、一個も取れなかった。


 背中に嫌な汗が流れる。


 いや待て。おかしいだろ。こんなはずじゃなかった。普段ならもう少し、こう、運が向いてくることもある。今日は緊張しているせいで微妙に操作が甘いのか。あるいは、この筐体自体が渋いのか。いやでも、隣の台では普通に学生カップルがマスコットを落として歓声を上げていた。つまり問題は俺だ。


 完全に恥をかいた。


「……貸してください」


 アイリス嬢が一歩前へ出た。


 え?


 貸してください?


 クレーンゲームを?


 令嬢が?


 俺の脳が追いつく前に、彼女は優雅な指先で操作盤へ触れ、静かにレバーを倒していた。アームが滑らかに移動し、狙いを定め、ゆっくりと下降する。その動作は初めて触る人間のそれとは思えないくらい落ち着いていた。慎重、というより観察が早い。三回俺が失敗した内容を、その場で全部吸収したみたいな手つきだった。


 そして、アームがぬいぐるみの胴をしっかり抱える。


 少し持ち上がり、引っかかり、落ちるかと思ったそのまま、


 ――カチリ。


 景品がすとんと排出口へ落ちた。


「……取れました」


「ええええええええ!?!?」


 思わず絶叫した。


 何で一発で成功すんだよ!


 俺は三回やってもダメだったんだぞ!?


 店内の騒音にかき消されなかったら相当恥ずかしい声量だったと思うが、驚いたものは仕方がない。景品のぬいぐるみを抱えたアイリス嬢は、何事もなかったみたいな顔でこちらを見ている。その絵面がまた良くない。綺麗な令嬢が可愛いぬいぐるみを片手に静かに佇んでいる。周囲がざわつくのも当然だった。


「思ったより単純でしたね。力点と引っかかり方を見極めれば、難しくはありません」


 涼しい顔でそんなことを言う。


 いや、難しいんだよ普通は!


 その“見極めれば”の部分が初心者にできねぇから沼るんだよ!


 周囲の学生たちから「すげー」「一発?」「何あの人、めっちゃ綺麗なのに強くね?」みたいなざわめきが起き始める。やめてくれ。いま俺の株を上げるターンだったはずなのに、どうして主役が入れ替わっているんだ。


(……ほう。なかなかやるな。庶民の遊戯ですら呑み込むとは)


(呑気に感心してる場合じゃねぇ! 俺の株を上げるつもりが、逆に下がってんじゃねぇか!!)


 いや、まだだ。まだ終わっていない。クレーンゲームなんて導入に過ぎない。ゲーセンの深みはこんなものではない。取れた取れないで一喜一憂するだけが全てじゃないのだ。俺にはまだ説明役としての仕事も、遊びの選択権も残っている。


 俺は気を取り直し、彼女を別のコーナーへ誘った。


「次は……こっちだ!」


 目指すは、ガンシューティングゾーン。


 壁一面に巨大スクリーン、並ぶマナガン型コントローラー、画面の向こうから押し寄せる魔獣や機械兵、協力して撃ち倒しながらステージを進める体感型の人気筐体だ。銃を構え、照準を合わせ、タイミングよく撃つ。ルールは単純。単純だからこそ腕の差が出る。


 ここなら、たぶん俺の独壇場だ。


 昔から射撃系は得意だった。ゲームでも模擬戦でも、命中率だけならそこそこ自信がある。身体の反応が妙に戦場寄りなところは嫌でも実感している。なら、こういう“狙って撃つ”遊びでは強みが出るはずだ。


(ここで俺が華麗にクリアしてみせれば……!)


 そう、こここそ庶民男子スコールの見せ場である。


 そう思っていた。


 ……横を見るまでは。


 アイリス嬢が、静かに銃型コントローラーを手に取っていた。


 その立ち姿が、すでに絵になっている。


 いやほんと待て。何でそんなに様になるんだ。銃を持つ令嬢って何だ。もっとこう、違和感とかぎこちなさとかあってもいいだろうが。細い指がグリップへ触れ、引き金へ人差し指がかかり、肩の角度と腰の捻りが自然に決まる。その瞬間、周囲の空気が少しだけ張り詰めた気がした。


「……ま、負けねぇぞ」


 俺は額の汗を拭い、覚悟を決めた。


 庶民の誇りをかけたゲーセン対決、その第一戦が始まる。


 銃を構える姿ってやつは、普通ならもう少し泥臭いものだと思う。肘の力みとか、狙いをつけるときの小さな迷いとか、照準を追う目の泳ぎとか、そういう“人間らしい未熟さ”が出る。少なくともゲーセンではそういうものだ。プロの兵士を求めているわけではないし、遊びなのだからそれでいい。


 ところが、アイリス・ヴァレンタインのそれは違った。


 立ち姿は完璧に優雅で、なおかつ無駄がない。細い腰のひねり方、腕の伸ばし方、首筋の角度、視線の置き方、その全部がきれいに整っていて、軍人でもないのに教本へ載せられそうなフォームになっている。優雅なのに実戦的。いや、意味がわからない。どうして令嬢がそんな構えを知っている。


「……おいおいおい……なんだよ、そのポーズ」


 思わず口から漏れる。


 本人は俺の驚きを気にも留めず、片目を少し細め、スクリーンの奥へ現れた魔獣の群れへ狙いを定めた。


 乾いた射撃音が鳴る。


 パンッ、パンッ、パンッ。


 映像の中の敵が、出てきたそばから撃ち抜かれていく。


 迷いがない。躊躇もない。撃つべき対象と位置を見極める速度が異常に早い。しかもヘッドショット率が高い。おい待て。ここゲーセンだぞ? 初見プレイだよな? 何でそんな当然みたいな顔で急所へ弾を通してんだ。


「……は?」


 俺の口は半開きのまま固まっていた。


(ククク……見ろよ相棒。奴の狙撃精度は尋常じゃねぇぞ。お前より命中率が高いんじゃねぇか?)


(うるせぇ! 言うな! でも……いやマジで当たりすぎだろ!? どこの世界にゲーセン初挑戦でヘッドショット連発する令嬢がいるんだよ!?)


 そんな俺の混乱をよそに、アイリス嬢は表情をほとんど変えないまま、淡々と敵を処理していく。淡々としているのに、頬がほんの少しだけ色づいているようにも見えた。興奮している、というほどではない。けれど、完全に無感動でもない。新しい遊びを前にした知的好奇心と、結果が出ることへの小さな高揚が、その端正な横顔へかすかに浮かんでいる。


「……これ、意外と楽しいものですね」


 長い髪が揺れるたび、ドレスの裾も小さく翻る。それすら一枚の絵みたいで、俺は画面よりそっちへ目を奪われかけていた。


「おいスコール、次だぞ。お前の番が来てんぞ!」


 テンペストの声で我に返る。


 しまった。見惚れてる場合じゃねぇ。


 慌てて俺も銃を構える。さっきまでの余裕はどこへやら、指先には微妙な汗がにじみ、照準が安定しない。出てきた敵を撃つ。撃つつもりが、カスッ、カスッ、と妙に情けない音でかすり、肝心なところで外す。おい、なんでいつもより当たらないんだ!?いや理由はわかっている。横が気になるからだ。横が美しすぎるからだ。そんな理由で照準を乱すな俺。


「えっ……おかしいな。いつもならもうちょい当たるはず……」


「あら」


 アイリス嬢がちらりと横目で俺を見る。


 その一瞥が、なんかめちゃくちゃ痛い。


 いや別に責めていない。責めてはいないのだが、勝手に自分の心へ刺さる。庶民の遊びへ連れてきた本人がいちばんグダグダしてどうする、というセルフツッコミが全力で始まる。


 ところが彼女は追撃の言葉を投げてこなかった。


 代わりに――笑った。


 ほんの一瞬。口元へ小さく浮かんだ微笑み。勝ち誇った感じでも、嘲る感じでもない。純粋に「少し面白い」と思った時の、それでいて上品さを崩さない笑みだ。


「……っ!?」


 不意打ちだった。


 その破壊力で一瞬こっちの思考が止まったあいだに、俺が撃ち漏らした敵を彼女が一瞬で処理し、画面がクリア表示へ切り替わる。周囲で見ていた学生たちから拍手と歓声が上がった。


 そりゃそうだろうな。


 高級ドレスの令嬢が、ガンシューティング筐体の前で異様に絵になる立ち姿を見せつつ、初見とは思えない精度で敵を撃ち抜いていく。その横で俺が庶民代表みたいな顔をしながら微妙に外している。ギャラリーから見れば、充分に見世物として完成している。


「ふぅ……やりましたね」


 アイリス嬢は銃を下ろした。呼吸ひとつ乱れていない。


 その横で、俺はなぜかちょっと肩で息をしていた。おかしい。やっていることは同じなのに、何で俺だけ疲れている。精神力の消耗が違うからか。たぶんそうだな。いまの俺はゲームをしていたのではなく、令嬢の横で格好をつけようとして自滅していた。


「あのさ……ちょっとは加減してくれない……?」


 半ば本音でそう言うと、彼女はきょとんとしたあと、ごく自然に答えた。


「手を抜く理由がありませんので」


 さらっと言い切られて、俺は本気で崩れ落ちそうになる。


 そうだな。ないな。すごく正しい。正しすぎて痛い。遊びでも全力。未来予測の才女はゲーセンでも容赦がないらしい。いや手を抜かれるほうが屈辱かもしれないので、ある意味ではありがたいのか。ありがたいのか? 全然嬉しくないんだが。


「……スコール」


 ふいに名前を呼ばれて、肩がびくっと跳ねた。


「え、えっと……はい」


「決闘のときとは……少し雰囲気が違いますね?」


 透き通る声でそう問われ、俺は一瞬、言葉を失った。


 決闘。


 その話題になっちゃうか…


 俺自身は覚えていない。覚えているのはテンペストの最低な煽りと、友人たちから聞いた断片だけだ。読まれてもなお届く動き。圧倒。愕然とした彼女の顔。俺ではあるが、俺だけではない何か。そこへ真正面から踏み込まれると非常に困る。


「い、いや……まぁ、あの時はちょっと……」


 歯切れの悪い返事しかできない。


 もう少し何かあるだろ。言い訳でも、誤魔化しでも、せめて会話になる文を出せ。そう思うのに、喉の先まで来るのは曖昧な音だけだった。ここで「実は記憶がありません」とか「中に竜がいます」とか言い出せるわけがない。言ったところで話が終わる。


 でも、アイリス嬢はそれ以上突っ込んでこなかった。


 問いを投げたまま、視線をスクリーンのほうへ戻す。次のステージが始まるカウントダウンが流れている。横顔は真剣で、それでいてたしかに楽しんでいるようにも見えた。


(小娘のやつ、完全にハマってんぞ)


(……そうだな。なんだよ、意外と楽しんでんじゃねぇか)


(ククッ……これなら“デート”として成立するかもな)


(いや、まだ成立とか言うな! 俺のプライドがボロボロなんだよ!)


 心の中でまたぎゃあぎゃあとやり合っているあいだにも、アイリス嬢は次の敵を鮮やかに撃ち抜いていく。俺はその隣で、どうにか格好をつけようと必死に銃を振るう。結果については、まあ、お察しだ。


 最終スコアが表示された瞬間、俺はしばらく現実を受け止めきれなかった。


 スコール:4800点

 アイリス:98000点


「……ッ!?」


 差、二十倍。


 いや、二十倍って。もう少しこう、接戦っぽい演出をしてくれてもよくないか。機械は無慈悲だ。容赦なく数字で現実を突きつけてくる。


「……庶民の遊戯、なかなか奥が深いのですね」


 勝ち誇るでもなく、ただ静かにそう呟くアイリス嬢。


 それが逆に悔しい。悔しすぎる。余裕で勝った相手がマウントを取らないと、こちらの敗北だけがより鮮明になるのは何でだろうな。


「ぐぅぅ……」


 情けない声が漏れた。


 観客たちは「すげぇ!」「さすがヴァレンタイン様!」「あの転校生も相手が悪すぎるだろ」と勝手なことを言っている。やめてくれ。聞こえる。普通に聞こえる。俺だって好きでかませ犬役をやっているわけではない。


 ……おいテンペスト。どうすんだこれ。


(決まってんだろ、相棒)


 竜が楽しそうに笑う。


(“次”で取り返せ)


 その一言だけは、妙に的を射ていた。


 そうだ。まだ終わっていない。ゲーセンは広い。遊びはいくらでもある。クレーンゲームで負け、ガンシューティングでボロ負けしたくらいでへこたれていたら、庶民代表としての面目が立たない。ここからだ。ここから俺は巻き返す。


 たぶん。


 できれば。


 お願いだから何かひとつくらいは勝たせてくれ。


 そんな切実な願いを胸へ抱えたまま、俺のデート大作戦は、すでにだいぶ前途多難な匂いをぷんぷん漂わせていた。

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