プロローグ
俺の名前はスコール・キャットニップ。
記憶喪失の転校生――というのが表向きの肩書きで、学園側が用意してくれた実に聞こえのいい設定である。実際のところ、俺自身、自分がどこの誰なのかも、なぜこの《アーク・アカデミア》に放り込まれたのかも、かなり曖昧だ。朝起きたら過去の記憶がすっぽり抜け落ちていました、などというのは三流劇団の安っぽい設定みたいだが、悲しいかな、俺の現状はだいたいそんな感じだった。
とはいえ、学園のみんなはそんな事情にそこまで興味がないらしい。連邦中から将来有望な異能者の卵が集められるこの名門学園において、他人の過去なんてものは、本人が語らない限り話題にもならない。貴族は貴族で家格だの権謀術数だのに忙しいし、平民出身の連中は連中で成り上がりのための実力主義に必死だ。要するに、この学園にはいちいち他人の面倒な事情を深掘りする暇人が少ない。
その代わり、わかりやすい噂は一瞬で広まる。
たとえば俺が、訓練場で女子の制服のスカートが風でふわっと持ち上がった瞬間、驚異的な反応速度で視線を向けてしまったこととか。
たとえば購買部で期間限定の甘味パンを買おうとしていた女子生徒に「それ、君の唇についたクリームも込みで大変おいしそうだね」と、我ながら最低ラインぎりぎりの感想を漏らしてしまったこととか。
たとえば実技授業中、教師から「敵の急所を答えろ」と問われた際、なぜか女子と男子で回答精度に明らかな差が出てしまい、しかも教師から「お前は本当に兵士候補生なのか、それとも思春期の化身なのか」と真顔で叱責されたこととか。
そういった輝かしい実績の積み重ねの結果、俺は現在、学園内で実にわかりやすい二つ名で呼ばれている。
――女たらし。
いや待て。違う。
それは盛りすぎだ。誤解だ。風評被害だ。言葉の選び方に悪意がある。
俺は別に、手当たり次第に女の子を口説き回っているわけじゃない。ただ、健康な男子として至極当然の関心を抱いているだけなのだ。恋に憧れ、青春に胸を焦がし、きれいな女の子を見れば「おお」と思い、やわらかそうなものを見れば「おおお」と思う。そんなのは人類史における普遍的な真理であり、季節が巡り、花が咲き、少年が太ももを見てしまうのと同じくらい自然な摂理である。
だいたい、責任の半分くらいはこの学園の制服にある。女子用の夏制服はなぜあんなにも脚線美を強調する設計なのか。あれを考えた制服設計者は、きっと若き日になにか取り返しのつかない悟りを開いたに違いない。連邦は軍事、学術、文化のあらゆる分野で先進国を自称しているが、少なくとも制服文化に関しては本気度が違う。脚の見え方とリボンの揺れ方に対する熱量が異常なのだ。もはや芸術と言っていい。
そんな高尚な話を、男三人が夜の寮部屋でしている時点で高尚もへったくれもないのだが。
「ほら見ろよ、このページ……! 連邦じゃ発禁のやつを、わざわざ沿岸自由市経由で仕入れたんだぜ!」
得意げに囁いたのは、隣室に住む悪友カイルだ。金髪碧眼のいかにも軽薄そうな優男で、実際かなり軽薄だが、情報収集能力と手先の器用さだけは異様に高い。試験前にはなぜか問題の傾向を当て、休日にはなぜか貴族街の社交イベントに紛れ込み、寮内ではなぜか禁制品の流通ルートまで握っている。将来は優秀な諜報員になるか、最低最悪の詐欺師になるかの二択だろう。
そんなカイルが、机の上にそっと広げたのは、表紙からして限界を攻めた一冊だった。なまじ装丁だけは立派で、金箔のタイトルがやたら荘厳なのが腹立たしい。
『エルディア式戦術美術書 増補特別限定版』
どう見てもエロ本である。
どこからどう見てもエロ本である。
だが、この世界ではなぜかこういう本に、それっぽい理屈と学術名が付与されると一部流通が黙認される。大陸西方のエルディア共和国は芸術表現に寛容なお国柄で知られ、その結果として「人体の曲線美は戦場における視線誘導を学ぶ上で有益」などという、真顔で語られると一瞬だけ納得しそうになる詭弁が成立してしまうのである。学問とは広大だ。いや、たぶんこれは学問じゃないけど。
「ふぉぉぉ……」
思わず、俺の喉から感嘆が漏れた。
隣で腕を組んでいたレオンハルトも、珍しく表情を崩して呟く。
「……でけぇ」
レオンハルト・ブラスト。通称、炎のバカ。
赤髪短髪、筋肉質、顔は整っているのに頭の回転が直線的すぎて残念になったタイプで、異能は《紅蓮噴騎》。炎を噴き上げ、突撃し、だいたい全部焼く。本人の思考もだいたい同じだ。細かい作戦が苦手で、気合と勢いと根性と大声でなんとかしようとするが、なぜかそれでそこそこなんとかなってしまうから始末に悪い。俺とは方向性の違うバカだが、こうして同じ本を前にすると、不思議と連帯感が芽生える。
男三人。夜の寮部屋。机の上にエロ本。
窓の外では夜風が木々を揺らし、遠くの訓練場から見回りの足音が聞こえる。
そして部屋の中には、紙をめくるたびに漏れる真剣な吐息。
青春だな、と思う。
実に青春だ。
これぞ男子学生のあるべき夜の研鑽であり、戦術教本を読むのと同程度か、あるいは局地的にはそれ以上に魂を鍛える時間である。なにせ相手は人体だ。曲線だ。柔らかさの気配だ。世界の神秘だ。男という生き物にとって、そういうものへの理解を深めることは、広義には生存戦略に含まれるのではないかと俺は考えている。
なお、その持論を授業で披露した結果、教官に廊下へ正座させられたことがある。
「なぁ、スコール。お前、結局どんな女が好みなんだ?」
カイルが誌面から顔を上げ、いかにも面白がっている目つきで聞いてきた。
それはなかなか重い質問だった。なにしろ好みと一口に言っても、人の魅力というのは胸囲、脚線、声、仕草、言葉遣い、性格、知性、そしてときに理不尽なほどの偶然の組み合わせによって決定される奥深い学問分野である。俺は少し考え、しかしすぐに答えへと至った。
最終的に、俺は胸を張って宣言する。
「――もちろん、学園一の才女にして星導貴族ヴァレンタイン家のご令嬢、アイリス・ヴァレンタイン様だ!」
間があった。
カイルとレオンハルトが、実に味わい深い顔で互いを見た。
ああ、“また始まったな”の顔だ。失礼だな、こちらはいつだって本気だというのに。
「おいおい……正気か? あの高嶺の花を狙うって、城壁に素手で登るより無謀だぞ」
「というか、あの人を“好み”で済ませるのがまず恐れ多い。アイリス様は連邦の至宝だ。未来予測の異能を持つ主席令嬢だぞ。俺らが廊下ですれ違うだけでも緊張するのに、お前はどうしてそんな軽率にデートとか言えるんだ」
まったく。
こいつらはわかっていない。
いや、たぶん学園の男子の九割九分がわかっていない。
アイリス・ヴァレンタイン。
その名を知らぬ者は、この《アーク・アカデミア》にはいない。
連邦でも指折りの名門貴族、ヴァレンタイン家の令嬢。透き通るような銀髪に、夜空を溶かしたような蒼い瞳。立ち居振る舞いは洗練され、成績は全科目ほぼ満点、実技でも首席独走、しかも有している異能が《星霊演算》――星々の軌道と霊素の流れから未来の分岐を読み解く、極めて希少かつ戦略価値の高い能力だ。
彼女が決闘場に立てば、相手の攻撃はすべて読まれ、行動は先回りされ、気づいた頃には勝敗が決している。彼女の周囲では時間の流れすら彼女に従っているように見える、とまで言われるほどだ。その上、育ちが良く、気品があり、誰に対しても礼を失さず、むやみに人を見下したりしない。つまり、隙がない。怖いくらいに隙がない。
だからこそ、いい。
完璧なものには挑みたくなるだろう。
それが男ってもんだろう。
「ふふふ……」
俺はわざと口元を歪め、軍師めいた薄ら笑いを浮かべた。
するとカイルが嫌そうに眉をひそめる。
「出た。その“悪巧みしてます”みたいな笑い方」
「お前、その顔してるとき、だいたいろくでもない」
なにを言う。
ろくでもないのではない。
まだ世間が理解していないだけだ。
「君たちは知らんのだ。女というものは、時として予想外の一手に心を乱される生き物だということを」
「なんでエロ本読みながら恋愛戦略家みたいなこと言えるんだ」
「説得力が発禁指定だぞ」
二人のツッコミを軽く聞き流しながら、俺は拳を握った。
そう、俺は決めている。
なんとしても、あの完璧超人ヒロイン――アイリスを攻略する。
攻略というと聞こえが悪いかもしれない。だが、恋とはすなわち攻略である。相手の心を知り、自分の価値を示し、然るべきタイミングで勝負をかける。それは戦場における戦略行動と本質的には大差ない。少なくとも俺の中ではそうだ。恋愛指南書を読んだことはないが、戦術書ならなぜか読める。というか、初見の戦術理論でも妙に頭に入る。地図を見れば地形利用がわかるし、敵陣を見れば包囲網の薄い場所がわかる。正直、自分でもたまに気味が悪い。
たとえば今も、カイルが開いた雑誌の見開きページを見た瞬間、無意識に頭の中で変な分析が走ってしまった。
視線誘導。露出配分。角度調整。重心位置。被写体の魅力を最大化する構図。
そして、そこから逆算される観測者の反応時間。
……いや待て。
なんで俺はエロ本を見て戦術解析してるんだ?
自分で自分にちょっと引いた。
そして同時に、また胸の奥がざわつく。
ときどき、こういうことがある。
なにかを見た拍子に、急に脳の奥から別の誰かの思考みたいなものが浮かんでくるのだ。感情ではない。記憶とも違う。もっと乾いた、精密で、無駄を許さないなにか。呼吸の取り方、姿勢の崩し方、死角への潜り込み方、関節の折り方、急所への最短距離。そんなものを、俺は本来知っているはずがないのに、時々ひどく鮮明に理解してしまう。
自分は何者なのか。
その問いは、普段の俺にとって優先順位が高くない。というより、あまり真剣に考えたくない。考えると、胸の奥に冷たいものが這い上がってくるからだ。自分の知らない自分が、すぐ真後ろで笑っているような気がするからだ。
だから俺は、わりと本気で思っている。
そんな暗い正体探しなんかより、今はもっと大事なことがある、と。
――女の子と青春ラブコメを満喫することだ。
これに勝る命題があるか?
いや、ない。
少なくとも思春期の男子にとってはほぼない。
この《アーク・アカデミア》は、異能の育成と軍事教練を兼ねた特殊学園である。表向きはエリート養成機関。内実は、各国との緊張関係を睨みながら次代の戦力を育てるための巨大な実験場でもある。授業には戦術理論、霊素工学、対人戦闘、異能制御、政治史、礼式作法などがあり、成績上位者には国家プロジェクトへの参加権や軍部推薦の特典まで与えられる。
つまり非常に堅苦しく、非常に息苦しく、そして非常に青春の匂いが濃い。
寮生活。学園祭。合同演習。水辺訓練。夜間自習。秘密の抜け道。男女混成の実技授業。どう考えてもラブコメが発生する条件が揃いすぎているのだ。これで「恋などしている場合ではない」とか言われても無理がある。むしろ国が悪い。学園設計の段階で明らかに若者の感情爆発を見越している。あれだけイベントの舞台を整えておいて、恋するなというほうが無茶だ。
そして、その青春の頂点に君臨するのがアイリス・ヴァレンタインである。
普通に告白しても無理だろう。
手紙を送っても、まず彼女の側付きか護衛に止められる。
なんなら近づこうとした時点で、名門貴族の見えない圧に精神が削られる可能性すらある。
しかも、だ。
彼女には恋人がいる、という噂まである。
俺が初めてそれを聞いたとき、食堂で飲んでいたスープを危うく気管に流し込みかけた。学園男子の何割かは、その日、内心で静かに死んだはずだ。もちろん噂の真偽はまだ不明だ。だが火のないところに煙は立たないとも言う。もし本当なら由々しき事態だ。いや、由々しきどころか国家的損失である。これほどの美少女にすでに予約済み札が付いているなど、青春市場の独占にもほどがある。
だが、そこで諦めるほど俺は物わかりがよくない。
恋は自由競争だ。
少なくとも告白前の段階では。
むしろ強敵がいるから燃える、という考え方もある。
それに、俺には俺なりの勝算があった。
この学園では、異能による決闘が日常の一部として制度化されている。成績査定、トラブル解決、代表選抜、時には個人的な因縁の清算まで、驚くほど多くのことが決闘で決まる。もちろん完全な無法地帯ではなく、立会人と規定ルールのもとで行われる公式形式だが、それでも価値観としてはかなり戦闘寄りだ。
ならば、だ。
俺が勝手に勝負条件をひとつ追加したって、そこまでおかしくはないのではないか?
「勝負に勝ったら、一日デートしてくれ!」
完璧だ。
実に明快だ。
恋と決闘を結びつけるこの発想、天才では?
ルールに則った真剣勝負。正々堂々の申し込み。互いの力を示し、そのうえで得られる一日同行権。なんらやましいところはない。むしろ清々しい。恋愛という曖昧なものを、勝敗という明確な形に落とし込む。これは感情の軍事的合理化であり、新時代の求愛行動と言ってもいい。
もちろん、問題がないわけではない。
アイリスの《星霊演算》は、ほぼ反則級だ。
相手の選択肢を読み、数手先を予測し、最適解で封じる。対人戦闘においてこれほど厄介な能力もない。
それに比べ、俺の異能《逆位相共鳴》は、正直なところ自分でもよくわかっていない。発動すると周囲の霊素干渉が乱れ、他者の異能精度を狂わせたり、現象の噛み合いをズラしたりする……らしいが、本人の感覚としては「なんか変なタイミングでうまくいくことがある」としか言えない。教官たちはやたら騒いでいるが、俺からすると、便利なんだか危ないんだか判然としない能力である。
ただ一つ確かなのは、この力がアイリスの未来予測に対して相性がいいかもしれない、ということだった。
未来を見る異能。
未来をズラす異能。
うん、字面だけ見ると運命の宿敵みたいで格好いいな。
問題は、それを俺が“デートのため”に使おうとしている点だけだ。
「おいスコール、お前また嫌な顔してるぞ」
カイルの声で我に返る。どうやら俺は、相当長いこと思考の海に潜っていたらしい。
レオンハルトが腕を組みながら唸った。
「その顔のとき、お前だいたいろくでもない企みしてるよな。実技試験で教官の死角を突いて勝ったときもその顔だった」
「あれは見事だっただろ。試験後に三日間、監督官から説教されたけど」
「正面から行けよ!」
「正面から行ったら普通に負けるだろ!」
俺が反論すると、レオンハルトは「それはそう」と微妙に納得した顔になった。こいつは単純なので扱いやすい。
カイルはため息をつきながら雑誌を閉じる。
「お前さぁ、一応、学園でもトップクラスの危険人物扱いなんだからな。忘れてないか? 入学時の適性検査、教官たちの顔色すごかったぞ。“強化兵特待生”なんて前例の少ない枠で入れられてる時点で、絶対なにかあるんだよ」
「そうだぞ。噂じゃ、お前は帝国の軍事研究の生き残りとか、禁忌兵装の実験体とか、そういう物騒な話まである」
「やめろよ。夜に聞くとちょっと怖いだろ」
冗談めかして笑い飛ばしたけれど、笑った瞬間、頭の奥がじくりと痛んだ。
視界が一瞬だけ揺れる。
白い部屋。
冷たい天井。
何本もの管。
誰かの声。
『――起動確認。被検体スコール、共鳴率……』
そこで映像は途切れた。
息が詰まりそうになる。心臓が、妙に静かに脈を打つ。まるで恐怖に慣れきった兵士のような心拍だった。
「……おい、スコール?」
レオンハルトの声が近い。
気づけば、俺は机の端を強く掴んでいた。指先が白くなるほどに。
「あ、悪い。ちょっと考えごと」
「顔色わりぃぞ」
「いや、大丈夫。たぶん寝不足だ」
本当は、たぶん違う。
だが、ここで深刻な顔をしても仕方ない。湿っぽい空気は性に合わないし、なにより今はもっと大事な議題がある。
俺はわざと大げさに咳払いし、姿勢を正した。
「ともかくだ。お前らは大事なことをわかっていない」
「なんだよ、また始まるのか」
「始まるぞ。そして今夜こそ、歴史が動く」
カイルが露骨に嫌そうな顔をした。
レオンハルトは「俺はこういうの嫌いじゃない」と言いたげな、期待半分の顔をしている。単純で助かる。
俺は机をばん、と叩いた。
「恋を制する者は戦場をも制す! 女の子とデートできる奴こそ、本物の勝者だ!」
「絶対違う」
「言い切るな」
「違わない! よく考えてみろ。相手の心理を読み、適切な距離感を測り、会話の流れを制し、もっとも有利なタイミングで踏み込む。これ全部、高度な戦術能力だぞ! つまりデートは戦場、戦場はデートなんだ!」
「今の理屈、どこから斬ればいい?」
「全部焼けばよくないか?」
「お前は少し黙ってろ、炎のバカ!」
レオンハルトがむっとする。
カイルは片手でこめかみを押さえ、呆れと諦めの中間みたいな顔になった。
「で、その“歴史が動く”ってのは具体的に?」
「ふふふ……聞きたいか」
「聞きたくないけど聞かないと被害が広がりそうだから聞く」
「ありがたい友だちだな、お前」
俺は立ち上がり、部屋の壁に貼ってある学園見取り図の前に移動した。そこには授業日程表やら購買のおすすめパン一覧やら、どうでもいい紙が何枚も貼られているのだが、その中央に俺は今日、新たに一枚のメモを貼っていた。題して――
『貴族令嬢デート作戦・第一号』
カイルが頭を抱えた。
レオンハルトは「おお……」と無駄に感心している。お前のその素直さは長所でもあり欠点でもある。
「まず確認しよう。アイリス様は未来予測を持つ。正攻法の告白は読まれる。手紙は止められる。偶然を装った接触は、あの人の近辺の警戒網を考えると成功率が低い。つまり必要なのは、彼女が断りにくく、なおかつ学園全体が注目せざるを得ない“公式な場”だ」
「嫌な予感しかしない」
「そこで決闘だ」
「やっぱりな」
「しかしただの決闘じゃない。俺は勝負の名目を整え、観客を集め、彼女に“応じる理由”を与える。要は舞台づくりだ。恋に必要なのは勢いだけじゃない。演出だ」
自分で言いながら、ちょっと上手いこと言った気がした。
カイルは全然感心してくれなかったが。
「問題は、お前に勝ち目があるかどうかだ」
「そこだよ、カイル。いい質問だ。結論から言えば、たぶん普通にやったら勝てない」
「潔いな」
「だが、普通じゃないからこそ俺なんだ」
「自信満々にダメ人間宣言するな」
俺は腕を組み、できるだけ深みのある顔を作る。
「未来予測ってのは、あくまで“予測”だ。そこに不確定要素をぶち込めばいい。つまり、俺の《逆位相共鳴》で盤面をかき乱す。相手が一番嫌がるのは、計算通りにいかないことだ。だったら、俺は計算そのものを腐らせる」
「言ってることは妙にそれっぽいのが腹立つ」
「お前、たまに本当に軍師みたいな顔するよな」
「たまにじゃない、常にだ」
言ってから、なぜか自分の胸の奥がざらついた。
軍師。
戦場。
最適解。
そういう言葉が妙にしっくり来る瞬間がある。
たとえば、窓の外から聞こえた見回りの靴音の数で人数がわかること。
廊下を走る足音だけで体格や疲労度がなんとなく読めること。
誰かが背後に立った瞬間、考えるより先に身体が急所を守る角度へ動いてしまうこと。
自分でも笑いたくなる。
こんなに女の子のことばかり考えているのに、身体のどこかは未だに戦場の住人みたいだ。
でも、だからどうした。
そんな過去があろうがなかろうが、今の俺が俺であることには変わりない。
俺は好きな女の子とデートがしたい。
そのために頭を使い、走り、戦う。
それだけだ。
それのどこが悪い。
「で、決行はいつなんだよ」
レオンハルトの問いに、俺はにやりと笑った。
「明日だ」
「早っ!」
「待て待て待て、お前準備とか根回しとかあるだろ!」
「だから今から詰めるんだよ。まずカイル、お前は明日の昼休み、中央中庭の掲示板周辺に人を集めろ。変な噂でも流していい。“首席令嬢に挑戦状”くらいの強い文句が欲しい」
「最悪の火付け役を俺にやらせる気か」
「お前にしかできない仕事だ。誇れ」
「誇れるか」
「レオンハルト、お前は俺の立会人だ」
「おお、任せろ! 何をすればいい!」
「大声で場を盛り上げろ」
「それなら得意だ!」
「こっちはそれしかできねぇだろうが!」
わいわい騒ぐ俺たちの声が、夜の寮部屋に広がる。
馬鹿みたいだ。
実際、かなり馬鹿だと思う。
でも、その馬鹿馬鹿しさが妙に心地いい。
記憶がなくても、過去がなくても、こんなふうに笑える夜があるなら、今はそれでいい気がした。
もちろん、そんな甘い気分だけで物語が済むはずもない。
窓の外では、夜空に星が瞬いていた。
その星を見上げたとき、不意に背筋が冷えた。
どこか遠く。
たぶん学園の外。
あるいはもっとずっと遠い場所で、なにかが動き始めているような、嫌な予感がしたのだ。
それが戦争なのか。
陰謀なのか。
俺自身の過去なのか。
そのときの俺には、まだわからない。
わかっていたのはただ一つだけだった。
俺は必ずアイリス・ヴァレンタインをデートに連れ出す。
そのためなら、多少学園の秩序が乱れようが、決闘場がざわつこうが、貴族どもが顔をしかめようが知ったことじゃない。恋とは本来、秩序の外側に芽吹くものだ。校則と身分と未来予測に守られた完璧超人へ、真正面から無茶を叩きつける。それこそが俺のやり方だ。
思春期男子の欲望。
無駄に回る頭脳。
そして、なぜか身体に染みついた戦場の気配。
その三つが奇跡的に融合して生まれたのが――
「学園一の貴族令嬢攻略大作戦」である。
目的はただ一つ。
アイリス・ヴァレンタインとデートすること。
……だが、このときの俺はまだ知らなかった。
そのあまりにも個人的で、あまりにもくだらなく、そしてどうしようもなく真剣な願いが、やがて学園中を巻き込み、連邦の権力構造をかき乱し、果ては大陸の命運にまで噛みつくことになるなんて。
それでも、仮に未来の俺がその事実を教えに来たとしても、きっと俺はこう言っただろう。
――それで? デートはできるのか?




