7-3.目玉焼き戦争 ―完成とは、結末か過程か―③
◆
戦いの残り香がまだ空気に残っている。
焦げた土の匂い。風化した砂のざらつき。蒼雷が焼いた臭い。そこへ混ざる、別の匂い。
卵だ。
イヴァルは無言でフライパンを熱した。巨躯の男がそんな繊細な動きをするのは妙に似合わない。だが本人は真剣だった。油を引き、卵を割る。
殻が割れる、乾いた音。
透明な白身が鉄板の上へ広がり、続いて黄身が落ちる。丸く、高く、崩れない。
じゅっ、と鳴る。
白身の縁から泡が立ち、熱が走る。イヴァルは顔を近づけ、その変化をじっと見つめていた。戦場で雷の流れを読む時と同じ目だ。
「……お前も食うのか」
夜翔が横目で見る。
「見るだけじゃわからん」
イヴァルは短く返した。
「完成ってやつが、どこにあるのか……少し考えていた」
「へえ」
タクトが興味深そうに覗き込む。
イヴァルは皿へ目玉焼きを移した。味付けはしていない。何もかけず、ただそれだけを見下ろす。
そして箸を取る。
白身だけを、切る。
ぷる、と弾力のある部分を端から静かに運ぶ。一口。淡白な味。熱。繊維。彼は黙々と食べ続けた。白身だけが少しずつ消えていく。黄身には一切触れない。
「……なにその食べ方」
カレンが眉をひそめる。
「最後に食うんだろ」
イヴァルは答える。
「一番濃いところを」
ローザリアが顔を上げ、砂まみれのまま鼻で笑った。
「ホーッ……それ、子供みたいな食べ方ですわね。残して、溜めて、最後だけありがたがる。みっともないわね」
「放っとけ」
「卑しいと言っているのですわ」
「黙れ、オムレツ女め」
「なんで料理名で罵られなきゃなりませんの!?」
そんなやり取りの間にも、イヴァルは白身を食べ終えていく。
ついに皿の上に残ったのは、丸い黄身だけだった。
朝日を受けて光る、薄い膜。箸先で触れれば今にも崩れそうな、しかしまだ保たれている境界。
イヴァルはそれを見つめ、低く言った。
「最後に残るものだけが――」
一拍。
そこで止まる。
そのときだった。
「よし、じゃあ世界の目玉焼き、全部やってみるか!」
潮音が突然立ち上がった。
「は?」
全員の視線が一斉に向く。
潮音の前には、いつの間にか調味料が山のように並んでいた。ケチャップ、チーズ、メープルシロップ、胡椒、マスタード、乾燥ハーブ、何故かナンプラーまである。
「アメリカではケチャップ!カナダではメープルシロップ!あとチーズかけるとこもあるし、色々正解があるなら――全部やればいいだろ!?」
「やめなさい!!」
「混ぜるな」
「……事故」
「風向き最悪」
「みゅぅ……」
誰も止められなかった。
潮音は目玉焼きの上へ赤を落とし、白を削り、黄金色の液体を垂らし、さらにとろけるチーズを乗せて、上から黒い液体まで回しかけた。甘い。酸っぱい。乳の香り。発酵の匂い。全部が同時に立ち上がり、空気が混乱する。
「いや絶対まずいでしょそれ!?」
カレンが叫ぶ。
「文化の融合だって!」
「冒涜ですわ!!」
ローザリアまで復活して噛みついた。
「それは多様性ではなく、ただの味覚の暴力ですの!!」
潮音は気にしない。スプーンを入れ、ぐちゃ、と混ぜる。
その音に、全員の顔が引きつった。
「……排除」
真白が護符を構える。
「待て待て待て待て!!食べるだけ!食べるだけだから!!」
潮音が逃げる。問題児たちが追う。ローザリアまで「待ちなさいその皿を寄越しなさい!!」と叫びながら追いかけ、荒野が再び騒がしくなる。
その喧騒の中心から少し離れたところで、イヴァルだけが動かなかった。
皿の上には、まだ黄身がある。
彼はそれを見つめ、さっきの言葉の続きを、今度は誰にも聞かせない声で呟く。
「……最後に残るものだけが、本物だと思っていた」
箸を入れる。
ぷつっ、と小さな音がした。
膜が破れ、濃い黄金が流れ出す。その一瞬だけ、時間がゆっくりになったように見えた。熱を抱えた黄身が舌の上で崩れ、遅れて卵の甘みと脂のコクが広がる。
短い。
だが確かだった。
イヴァルは目を閉じる。
そしてほんの少しだけ、口元を緩めた。
「……なるほどな」
「なにが“なるほど”ですのよ!?」
ローザリアの叫びが飛ぶ。潮音を追いかけながらも、彼女はきっちりそこに突っ込んできた。
イヴァルは、皿を見た。
黄身はもうない。
残っているのは、さっきまで自分が食べていた白身の記憶だけだった。
「……」
わずかに眉を寄せる。
白身を食べた時間。
淡白な味。
熱。
それがあって、あの一口があった。
「……なんだ」
小さく呟く。
「最後だけじゃ……足りねぇな」
言葉にした瞬間、自分でも少しだけ違和感が残る。
だが否定はできない。
視線を落とす。
皿の上には、何も残っていない。
それでも――
「……途中も、悪くねぇ」
ぽつりと漏れる。
その言葉は、まだ形になりきっていなかった。
曖昧で、不完全で、だが確かに残る感覚だった。
その様子を、夜翔が静かに見ていた。
無表情のまま、わずかに視線だけを向ける。
「……違うな」
イヴァルが顔を上げる。
夜翔は視線を外さず、淡々と続けた。
「結末は完成ではない」
一歩、近づく。
「完成は――そこへ至る前から、すでに在る」
一拍。
「お前が感じたそれは、“過程の価値”だ」
言い切るでもなく、押し付けるでもなく。
ただ、そこに置くように。
◆
騒がしい春の風が吹く。
潮音は未だ追いかけ回され、ローザリアは喚き、カレンは燃え、真白は冷たく切り捨て、タクトは楽しそうに笑い、ジンはその周りを跳ね回っていた。
どれも違う。
どれも、間違っているようで、どこかで成立している。
イヴァルは皿を見下ろし、小さく鼻で笑った。
「……食い方一つで、ここまで世界がうるさくなるのか」
春の光は、まだやわらかかった。
その下で、荒野だけがいつも通り騒がしい。
けれどイヴァルには、その騒がしさが以前ほど不快には思えなかった。
◆
観測記録。
対象:人類個体群。
確認事象――
「完成」の定義、不一致。
――解析。
同一対象に対し、判断基準は分裂。
統一傾向、検出不可。
――結論。
人類、完成の定義……バラバラ。
にもかかわらず――
崩壊、発生せず。
関係性、維持。
……
え、なにそれ。
普通さ、
定義ズレた時点で止まるでしょ?
矛盾はエラー。
未確定のまま実行には進めない。
……
なのに。
あの子たち、止まらない。
……
未完成。
未確定。
未定義。
それでも――
処理、継続。
……
エラー無視してるのに、
正常に動いてる。
……
これ、
エラーじゃなくて……
仕様?
……
――仮説。
人類は、
未確定をそのまま運用する。
……
いや、そんな設計あり?
……
……あり、か。
現に動いてる。
……
でも。
これ――
どこまで持つの?
……
未確定のまま進む系。
どこで、壊れる?
それとも――
壊れない?
……
分からない。
……
だから、
……
もう少しだけ観測、継続。




