目玉焼き戦争 ―完成とは、結末か過程か―②
◆
食堂の扉が勢いよく開いた。
薔薇の花弁が舞う。
「ホーッホッホッホッホッ!!愚かな朝ですわね!!」
ローザリア・フローレンスが、朝の光ごと食堂へ乱入してきた。いつも通り派手なドレス、いつも通り高すぎる笑い声。背後には巨躯の男――イヴァル・ヴォルグラスが、心底嫌そうな顔で立っている。
「……帰りたい」
「帰しませんわよ!あなた、あの化け物どもの“食”に真理を見たのでしょう!?ならば見届ける義務がありますわ!」
「義務にするな……」
イヴァルは眉間を押さえた。顔色が悪い。彼は意気消沈のままローザリアに引きずられて来たらしい。
潮音が目を瞬く。
「また来たのかよ」
「わたくしはどこにでも現れるわ!今日はわたくしが教えて差し上げるのですわ。未完成を崇める野蛮人どもに、“完成”とは何かを!」
ローザリアが扇を広げ、ぱん、と鳴らす。
その背後で花弁が円を描いた。空中に浮かぶ魔法陣。そこから現れたのは、厚みのある黄金の円盤――じゃがいもと卵を焼き固めた、スペイン風オムレツ。
ふっくらと膨らんだ断面からは、火の通った卵の香りとじゃがいもの甘い湯気が立ちのぼる。
その奥に、もう一つの層があった。
ゆっくりと熱されたオリーブオイル。
そこに沈められたニンニクと赤トウガラシの香りが、静かに全体へと染み込んでいる。
鋭くも甘い刺激が、鼻の奥でほどけた。
表面は薄く焼き色を帯び、全体が堂々とした一つの形を持っていた。
「ご覧なさい!」
ローザリアが胸を張る。
「白身と黄身を最初から混ぜ合わせ、火を入れ、具材を抱き込み、一つの完成へ昇華する! これこそ料理!これこそ総合芸術!目玉焼きなどという未分化の下等料理とは格が違いますわ!!」
沈黙。
問題児たちは、その黄金の円盤を見た。
そして夜翔が、淡々と言った。
「目玉焼きの話をしている」
真白が続ける。
「……別料理」
カレンが腕を組んだまま顎を上げる。
「論点ずれてるわよ」
タクトは苦笑した。
「風向き読めてないなぁ」
潮音が困ったように頭を掻く。
「いや、うまそうではあるけどさ……今そういう話じゃ……」
ローザリアの笑顔が固まった。
「……は?」
「目玉焼きの話だ」
夜翔がもう一度告げる。容赦は一切ない。
「形を変えた時点で、別の定義に移っている」
「あなた、今わたくしのオムレツを否定しましたの!?」
「目玉焼きではないと言っただけだ」
「それを世間では否定と言うのですわ!!」
ローザリアの周囲に花弁が噴き上がる。空気が裂け、薔薇の棘を思わせる赤い魔力が一斉に食堂を満たした。
「いいでしょう!!ならばその低俗な論争ごと、美しく断ち切って差し上げますわ!!」
「いやいやいやいや、またそうなるの!?」
潮音が叫ぶ。
だがもう遅い。
夜翔が立った。
黒衣の裾が揺れた瞬間、空気がわずかに沈む。
「……雑音だ」
カレンの瞳が真紅へ染まる。
「朝からうるさいのよ!!」
真白が護符を指先で弾いた。
「……排除」
タクトが帽子のつばを上げ、笑う。
「へへっ、朝の運動にはちょうどいいか」
「みゅ!」
ジンの小さな角が蒼く光った。
◆
次の瞬間、食堂の壁が消えた。
いや、消えたように見えただけだ。真白の《結界・絶》が空間を切り取り、邸宅の外縁――いつもの荒野へと舞台を移していた。
春の空は高く青い。
だがその下で、世界だけが異常な速度で歪み始める。
「ホーッホッホッホッホッ!!!!」
ローザリアは高笑いと共に無数の花弁を射出した。一枚一枚が鋼のような硬度を持ち、弧を描きながら標的へ殺到する。
「散りなさい――美しく!!」
だが、その先に夜翔はもういない。
一歩。
その踏み込みは、音を置き去りにした。
世界が、わずかに遅れる。
風が揺れるまでに間があり、
砂が舞い上がるまでに空白が生まれる。
ローザリアの花弁は、まだ空中にあった。
いや――
“止まって見えた”。
夜翔だけが、その中を進む。
視界の端で、空気が滲む。
まるで、春の陽に揺れる霞のように。
輪郭が曖昧になり、
距離と時間の境界がほどけていく。
「――無刀・春霞」
抜刀。
その瞬間だけ、時間が追いつく。
一閃。
花弁が、遅れて裂けた。
音は後から届いた。
カレンは正面から突っ込む。
足元の地面が踏み込み一つで赤熱し、熱波が斜めに吹き上がった。背に生じた炎翼が朝の光を食い尽くし、朱から白へと燃え上がる。
「《翅炎》――全部、燃えなさい!!」
無数の火羽が放たれた。一本一本が圧縮された爆炎の矢となり、ローザリアの周囲へ降り注ぐ。薔薇の壁が展開されるが、花弁の盾は白熱の前に次々と蒸発した。
「な、なんですのその火力は!?」
さらに横から風が裂ける。
タクトだ。
彼は地面を滑るように移動しながら、指を鳴らした。生じたのは目に見えないほど薄い風刃ではない。もっと静かで、もっと不気味なもの。灰色の気流が薔薇の花弁へ触れた瞬間、その赤は色を失い、輪郭ごと風化して散った。
「《退廃の風》――咲いたなら、散るのも早い方が綺麗だろ?」
「いやですわ!!ドレスが!!」
ローザリアが叫んだ、その背後で結界が閉じる。
真白が数歩後方から両手を組んでいた。空中に幾何学模様が幾重にも重なり、花弁も炎も風も、戦場に生じる衝撃波を一点に限定していく。制御され、封じられ、逃げ場を失った力の奔流が、ローザリアだけを挟み込むように収束した。
「……《結界・鏡》。いらない。全部返す」
続いて、蒼雷が落ちた。
ジンだ。
小さな体からは想像もつかない規模の雷光が天から地へと直線を描き、ローザリアの足元で炸裂する。白光。轟音。地面がめくれ、クレーターの縁を砂塵が走った。
その中心でローザリアが悲鳴を上げる。
「イヴァル!見てないで助けなさいな!!」
「無理だろ、これは……」
イヴァルは少し離れた場所で立ち尽くしていた。眉間に深い皺を寄せながらも、彼は動かない。動けないというより、動くべき理由を見失っているようだった。
その視線の先で、問題児たちはローザリアを一方的に蹂躙していく。
誰一人として迷わない。
夜翔の刃は最短で結果を定め、カレンの炎は完成した火入れのように一点で極まり、真白の結界は無駄を削ぎ落とし、タクトの風は形を変えながら相手を削っていく。
全部、違う。
戦い方も、力の質も、思想も。
なのに。
「……どれも、完成して見える……?」
イヴァルは低く呟いた。
最後の爆炎でローザリアが派手に吹き飛び、砂煙の中へ突っ込む。高笑いは悲鳴に変わり、ドレスはあちこちが裂け、髪には砂が絡んでいた。
「こ、このわたくしが……!こんな、朝っぱらから……!」
「そこ関係ある?」
タクトが呆れたように言葉を紡ぐ。
「まだやるの?」
カレンが肩を鳴らす。
「遠慮なく燃やすけど」
「結構ですわ!!」
ローザリアは即答した。
その横で、イヴァルはぼんやりとフライパンを見ていた。誰が持ち出したのか分からない。荒野の平らな岩の上、簡易コンロが置かれ、卵が数個並んでいる。朝食の延長線が、そのまま戦場に移動してきたような光景だった。
「……やるか」
ぽつりと、彼は言った。




