赤き雷鳴 ―甘味は存在を証明する―
◆
――世界は、いつからこんなに軽くなったのか。
力なき正義が口を開けば、雷で黙らせるだけ。
俺はそうして幾度も都市を更地に変えてきた。
黒の鎧を纏い、大斧を担ぐ巨躯の男――《赤雷》イヴァル・ヴォルグラス。
焦げた鉄と血の匂いが混じる風の中、俺は瓦礫の中心で刃を天へ掲げた。
赤黒い稲妻が縦横に走り、暮れなずむ街が昼のように白む。
だがここは、国家連合第3支部の正面広場だ。行政棟の残骸と折れた街灯が点在し、舗装の割れ目に露出した配管が光を反射している。西日が建物の切れ端に刺さり、俺の背に長い影を引いた。理想的な舞台だ――雷を落とすための導線が、目の前に広がっている。
「怯むな! 隊列を保て!」
光を纏う将校が声を上げた。白銀の剣を振るうたび、兵士たちの士気が上がる。国家連合の中将――《光律剣将》ハロルド・グレンフィールド。彼は単なる将校ではない。部隊の防御が彼を軸に成り立っていると誰もが知っている。
俺は嘲笑い、斧を振り下ろす。
赤雷が一閃し、廃都の大気を焼いた。空気が瞬間的に絞られ、地鳴りの前触れが足裏を震わせる。稲光の軌跡が舗道を白く焼き、空気に焦げる匂いが混じる。
だが衝突の瞬間、剣が閃光を放って雷の流れを分断する。金属と魔力が擦れ合う音が鼓膜を裂き、空気の粒が微かに震えた。光の粒子が剣の周囲で渦を巻き、稲妻の奔流がそこで裂ける。刃にまとわりつく青白い光は、雷を“斬る”のではなく“浄化”していた。――《聖剣・グロリアス》か。
聖剣が放つ光の波動は、稲妻を裂き霧散させた。聖剣は雷の流れを乱し、魔力を分散させてしまうらしい。
「第二列、盾を前へ! 足を止めるな!」
ハロルドの声が響く。彼の指示は冷静で無駄がない。退くでも突くでもなく、“耐える”を選ぶ。前列の盾兵が《聖盾》を掲げ、稲妻を受け流す。
後列では《光砲》が角度を変え、奔流を削ぐ。
さらに後方、《聖域結界》が展開し、溢れた魔力を外へ逃がした。
その選択が、この戦場では最も愚かだと知る由もない――と、俺は考えた。被せる盾の間に稲妻を走らせ、砲撃を無効化すれば列は瓦解する。だがそれは、ただの力押しだ。俺は力を無意味に振るわない。俺の雷は生き物だ。俺の意志に従い、地を這い、空を裂く。雷はただ落とすだけの代物ではない。
俺は片膝をつき、斧を地面に叩きつける。刃が地表を貫くと、鉄とコンクリの混じった基盤を経由して、波状の電位が地下に広がった。熱が地中を走り、磁場が歪む。配管が共鳴し、露出した鉄骨がまるで弦のように鳴る。瞬間、周囲の建物が同時に崩れた。衝撃は建物の梁を伝い、瓦礫が軋みを上げる。風が爆ぜ、兵の叫びが掻き消える。
「中将!」
部下の声が飛ぶ。だがハロルドは動じず、剣を横薙ぎに構え、飛んでくる瓦礫を一閃で両断した。斬撃が空間を震わせ、破片が光の輪に包まれて粉砕される。ハロルドは剣先一つで戦況を変えられる男だ。この俺の雷ですら、剣先の角度1つで書き換えさせられる。
「退け! 隊列を立て直せ!」
声が届く前に、稲妻の残響が追い越す。俺は斧を担ぎ直し、鼻で笑った。脈打つ力を掌に集中させると、赤黒い稲妻が腕から渦を描いた。筋肉の線が芯に通い、導線となる。俺は第3支部そのものを沈めるためにここにきた。
「まだ立っているか。いいだろう……この街ごと、沈めてやる」
赤雷が唸り、地表の空気が圧縮される。熱が鋭く立ち上り、夕日の光がその熱に溶ける。地平線近くの空が紅く滲む。聖なる光と混じり合うと、その対比はまるで決闘の観客が息を呑む瞬間のようだ。
そして次の一撃で――
俺は見た。崩れたビルの影。「月光堂」と書かれた看板が、炭のように折れていた。
……プリン屋、だと?
ほんの一瞬、思考が止まった。
どうでもいい。そんなものは戦場の犠牲の一つだ。
そう思った瞬間、空気が変わった。刃先の周りに潮が引くような静けさが生じ、皮膚にまとわりつく電荷の感触が別の位相に入った。戦場の匂いが変わり始めた。俺は──いつもなら、その違和感を力で押し潰す。しかし、その時はまだ、ただの違和感だった。
◆
「はあああああ!? あのプリンのお店が――『月光堂』が跡形もなく消えてるんだけど!!」
稲妻をも上書きする叫び。
声の主は、炎のような赤髪の少女――カレン。
瓦礫を蹴り飛ばし、崩れた看板を掴み上げる。
焦げた木片に残る『月光堂』の文字を見つけると、彼女の瞳が怒りで燃え上がった。
「カレン様の楽しみを壊すとか……どこのどいつの仕業よ!!」
声は雷鳴に混じり、戦場全体に響き渡った。
彼女の視線はまだ俺を捉えていない。
ただ怒りの矛先を求めるように、炎がその身を包んでいた。
その隣に白髪の少女が肩を並べた。
瓦礫の中、焦げた看板を見つめる瞳がかすかに揺れる。
「……プリン、消失」
低く、震える声。
しばし沈黙が落ちる。
その唇が、かすかに噛み締められた。
「……理解不能」
声は冷たくも、底の方で何かが沸騰していた。
彼女の周囲の空気がわずかに歪む。結界の膜が反射光を帯び、
理性の仮面の裏で、静かな怒りが形を取り始めていた。
青いパーカーの少年が、両手をだらりと下げて項垂れた。
「うわぁぁぁあ……週一の至福がぁぁぁあ……」
情けない声とともに、肩から微かに冷気が漏れる。
空気が一瞬、白く曇り、漂った水分が氷の粒となって宙に浮いた。
それがすぐに溶け、滴のように落ちる。
帽子の少年が苦笑し、風を巻き上げる。
「へへっ、風向き変わってきたなぁ。今日は荒れそうだ」
その風が霧を攪拌し、焼けたプリンの残り香だけが甘く残った。
甘ったるい匂いが血と鉄の臭気に混じり、戦場の空気が奇妙にねじれる。
――そのとき、耳の端で小さな音がした。
「……きゅ?」
振り向くと、瓦礫の陰で白い毛玉がこちらを見ていた。
ぬいぐるみのような小さな獣。
この地獄のような戦場に、どう見ても場違いな存在。
俺は思わず声を漏らした。
「……なんだ、あれは。玩具の……類か?」
毛玉は首を傾げ、ちょんと跳ねる。
目の前の子供たちも、その白い獣も、
この瓦礫の中ではあまりに場違いで、現実味がない。
まるで夢の断片が迷い込んだようだった。
(……なんだ、この連中は?)
戦場に迷い込んだ孤児――そう片づけようとして、
目の奥の光を見た瞬間、その思考が凍る。
「退け。ここは危険だ」
声をかけても動かない。
黒衣の少年が、まっすぐに俺を見据えている。
「……くだらない」
それだけ。声に殺気も怒気もない。
なのに、肺の奥が自然に固まり、呼吸が浅くなる。
(なんだ……この圧。)
無視だ。雷を一閃させれば済む。
俺は斧を振り上げた。
赤雷が地を這い、瓦礫を焼き焦がす。
だが、その光が届くより早く、影がひとつ掻き消えた。
黒衣の少年――夜翔。
視界から掻き消えたと思った瞬間、頬を“風切り音”が掠める。
本能で斧を構え直した。
刃のすぐ脇を、目に見えぬ衝撃が駆け抜ける。
「な……!」
一歩退いた俺の足元で、地面が大きく裂けていた。
「……あれ、あなたの仕業?」
白髪の少女――真白が無残な姿となった『月光堂』の方を指さして呟く。
崩れた地面の焼け跡を指でなぞると、そこに残る赤黒い稲妻の痕が光を放つ。
「赤雷の残滓。……犯人、確定」
その言葉に、赤髪の少女――カレンが目を見開いた。
「はぁぁぁ!? あんたがウチのプリン燃やしたの!?」
俺は眉をひそめる。
「……いや、偶然だ」
その返答に、空気が一瞬で張りつめた。
炎、結界、風――すべての魔力が同時に軋む。
焦げた空気の中で、微かに甘い匂いがした。
そのとき、青いパーカーの青年が青ざめた顔で口を開いた。
「……ちょっと待って。やめような? これ、ほんとにヤバいやつだよな?」
潮音。
彼の声だけが理性の残響のように響く。
「カレン、真白、夜翔も……ストップ。な? 落ち着こう。プリンは――」
「落ち着けるかぁぁぁっ!!!」
カレンの怒号が、雷鳴を上書きした。
炎が爆ぜ、瓦礫が溶ける。
「燃やして落とし前をつけてあげるわ!」
「……重罪、極刑」
真白が静かに告げ、結界が展開する。
透明な光が空気を歪ませ、赤雷を弾いた。
黒衣の少年――夜翔が無言で一歩前へ。
踏み出すたびに空気が裂け、風が悲鳴を上げる。
潮音は額を押さえ、深く息を吐いた。
「……ああ、やっぱり止まらないか」
「待て、話を――」
俺の言葉が終わるより早く、世界が切り裂かれた。
夜翔の剣が閃光を描き、赤雷を真っ二つに断ち切る。
(な……! 雷が――意味を失った?)
すぐ横で、カレンの炎が再び爆ぜた。
「燃やして分からせてあげる!!」
熱が炸裂し、瓦礫がガラスのように溶けていく。
ジンの鳴き声が重なった。
「りぅん!」
白い毛並みが光に包まれ、蒼雷を纏った麒麟へと姿を変える。
空が白く裂け、雷鳴が轟いた。
潮音は頭を抱え、呆れたように息を吐く。
「……もう知らね。俺、代わりのプリン買ってくるわ」
瓦礫の中を走り抜ける背中が、小さく遠ざかる。
その間にも、戦場の中心では怒号と光が渦巻いていた。
空が二色に裂け、蒼と紅の稲妻が交錯する。
(……馬鹿な。雷が、押し返された?)
俺は片膝をつき、息を荒げた。
あの青い雷――あれは、人の領域に収まる力じゃない。
――心臓の鼓動が一拍、遅れた。
脳裏に蘇る、裏社会の噂。
“禁足地の山頂に、子供たちが住む”
“喧嘩の余波で地形が変わる”
“世界を一つ滅ぼせる悪戯者”
《問題児》。
(まさか、こいつらが……)
◆
白光が消えたあと、立っていたのは彼らだけだった。
俺は焦げた瓦礫の上で、ただ呆然とする。
戦場に残るのは、怒りでも悲鳴でもない。
――甘く、狂おしい熱。
赤髪の少女――カレンが一歩前に出る。
その足跡のたびに火の粉が舞い、地面が焦げる。
「アンタ、わかってないのよ」
その声は炎のように揺れていた。
「プリンはただの甘味じゃない! あれは希望の塊なのよ!」
拳に火花が灯る。
「焦がしカラメルの香ばしさ、卵のまろやかさ、口の中で溶ける奇跡……
あの一匙で、世界が優しくなるんだから! それを壊した……? 許さない!」
白髪の少女――真白が、静かにその隣に立つ。
「……同意。プリンは、秩序。甘味と苦味、固体と液体、光と影。
その均衡こそが理の完成形。破壊者は、理ごと排除する」
結界が鳴動し、光が波紋を描いた。
帽子を被った風の詩人――タクトが笑う。
「風が歌ってるよ。ひと匙の甘露が千の絶望を癒やすって。
焦がす恋も、冷めた日常も、スプーンひとつで溶けてくんだ。それが……プリンだよ」
そこに、夜翔が一歩前へ出る。
長い前髪の奥で瞳が細く光る。
「名を刻め――夜の書。“無刀・落暉”。理を裂き、暁を断つ」
痛々しいほど仰々しい宣言に、誰も突っ込まない。代わりに空気が震えた。
炎と結界、風と雷が一斉に呼応する。
ジンが鳴いた。
「りぅん!」
白い光が爆ぜ、麒麟の姿が天を照らす。
そして、四人の声が重なった。
『プリンこそが、存在の証明だ!!』
その言葉と同時に、世界が閃光に包まれた。
蒼と紅の稲妻がぶつかり、
光が音を呑み込み、空気が蒸発する。
俺はその中心で、ただ立っていられなかった。
膝が折れ、視界が焼け、息が詰まる。
兵たちの防壁が次々と崩れ、国家連合の陣形が瓦解していく。
誰かが叫んだ。「撤退だ!!」
ハロルド――《光律剣将》の声が響く。
「全軍、退け! ……ここはもはや、我々の知る戦場ではない!」
炎と光が収束し、街が静まった。
瓦礫の上に座り込んだ俺は、まだ揺れる空気の中で呟く。
「……存在の証明、だと……?」
その時、砂利を蹴る軽い足音が近づいてきた。
「はぁ……買ってきた! “星見プリン”、人数分!」
青いパーカーの青年――潮音が、コンビニの袋を掲げて現れる。
袋の中で、夜空色のジュレ層に金箔が散っている。まるで小さな宇宙だ。
「潮音!」「……有能」カレンと真白の声が重なる。
タクトが吟遊詩人のように詠う。「風が囁く。今宵、星を食む夜、と」
ジンが「きゅん!」と跳ね、尾を揺らす。
夜翔は封を見つめ、低く呟く。
「秘剣――“無刀・落暉・蓋断ち”。開封」
“スッ”とシールが綺麗に裂ける。
潮音が呆れ顔で肩をすくめた。「……シールを剥がすだけなのに名前つけるな」
「だけではない。宇宙は細部に宿る」夜翔は真顔で答える。
彼らは崩れた街灯の影に腰を下ろし、瓦礫をテーブル代わりに円になった。
潮音が紙スプーンを配りながら、周囲に薄い水の膜を張って砂塵を落とす。
「いただきます」
スプーンが一斉に落ちた。
夜空色のジュレが震え、下層のたまご色がとろりと顔を出す。
「……っ、世界が優しくなる」カレンが目を細める。
「配合、完璧。星粒の配置も美学に適合」真白が頷く。
「風が歌う。甘露は心を凪がせる、と」タクトの声が柔らかく広がる。
「りゅん!」ジンがスプーンの先を舐め、頬を明滅させた。
夜翔は星見プリンを見下ろし、静かに何度も頷いている。
潮音は一口食べ、深く息を吐く。
「……やっと、終わったな。今日も平和だ」
瓦礫の上で、彼らは笑い合っていた。
炎も雷も、もうどこにもない。
あるのは、甘い香りと、かすかな笑い声だけ。
俺はその光景を、遠くから見ていた。
焼け落ちた街の隅で、斧を杖にして立ち尽くす。
子供たちが瓦礫の上で団欒し、プリンを分け合っている。
それは勝者の宴でも、戦争の終焉でもない。
もっと単純で、もっと強い――“生”そのものだった。
その時、ふと理解した。
“プリンこそが、存在の証明”――
それはつまり、何かを心の底から愛せることこそ、人間である証なのだと。
俺は焼けた地面に手をつき、嗤うように呟く。
「……甘味で、負けた。――いや、救われた、か」
西日が沈み、空が琥珀に染まる。
焦げた空気の中、甘いカラメルの匂いだけが、静かに世界を支配していた。
第1話読んでいただき、本当にありがとうございました。
小説なるものを書くのは本当に初めてで、こんなにも頭の中の世界を文字で表現するのは難しいものかとすでに心折れつつあります。
それと同時に、作品を描き続けている方々、それを愛してくださる読者の皆様の凄さやありがたさを痛感しております。
さて、今回のお話ですが…処女作という事もあり、気合を入れ過ぎて文字数がかなり多い…しばらくは1話の文章量は多くなってしまうかと思います。
投稿は週1回程度でぬくぬく続けられたらなーと思っていますので、どうぞこんな作品もあったなーなんて思い出してくださると幸いです。
とは言いつつ、第2話は近日投稿予定です。
Twitterでのアンケートも参考に作っていきますので、
@rei_ato0321を覗いてみてくださいね。
でわでわ。




