10話 静かに暮らしたい
それから一週間、休み無く労働してやっと最初の給金を手にすることが出来た。この宿は定休日はなく、休みはシフト制だ。ミクは本日を休みにして早速の収入で何かを買いに街に飛び出していった。
「ええと、金貨1枚は銀貨100枚分、銀貨1枚は銅貨100枚分……」
夜に自室でお金の計算をするために紙にメモっていると、ミクは今日の買い物をベッドに並べた。
「銅貨1枚は多分日本だと10円くらいの価値?銀貨は多分1000円札くらいの価値かな?となると、金貨はかなり高価だよね」
今日ミクが買ったものは小さいチョコレートが銅貨5枚分。50円くらいのものだと思う。この宿の食事は夜は銀貨2枚くらい。2000円分くらいってことかな?もちろんメニューによる。服を買おうとして、銀貨2〜10枚だったそうだ。
そしてこの宿の給金は1日あたり銀貨7枚ほどだ。あまり高くはないが、住み込みであることと賄いを食べさせてもらえることを考えたらかなりいいのでは。
「無駄遣いしたらなかなか独り立ち出来ないよね。でも服とかは揃えたいし……」
「私は三着あれば着回しできますけど」
「三着〜!?バンリはあまりファッションに興味はない方なの?」
「ないですね……。ちゃんと着られて丈夫で清潔に過ごせるならそれでいいです」
「はあ〜そういうタイプね……」
ミクは腕を組んで唸った。ここから独り立ちする前にはミク的には服はもう少し欲しいらしい。そして数ヶ月分の家賃。小さい賃貸の部屋ならひと月で銅貨30枚くらいらしい。私は浪費癖はないのでここでの生活ならばすぐに貯金も溜まりそうだと思えたが、お金が入った途端にもりもり買い物してきたミクには難しそうだ。学生というからには、バイトをしていたとはいえ今まで生活の基本は親御さんに頼るところもあったのだろう。独り立ちしたことのある風にはあまり見えなかった。
「バンリは何か買ってこなかったの?」
「特に欲しいものもなかったですし」
「無欲〜〜」
「親が早くに死んでしまって貧乏だったから、節約が癖で」
あ、とミクはまたやらかした〜と言う顔を見せる。悪い子ではないのだろう。
「いやさ、うちも金持ちじゃなかったけど。大学行かせてもらったし、バイトはスマホ代と遊ぶお金のためって感じで……。そうだよね、確かに友達は休みの日も夜も働いてる子いたなあ」
いろんなおうちがあるもんね、とミクは呟く。こちらから家庭のことや人間関係は決して聞くまい。
そう思っているのだが、ミクは床に視線を落としたまま、ぽつりぽつりと語り始めた。
「私、お父さん昔死んじゃって、お母さんが再婚して今は違うお父さんなんだ。学費も出してくれてるしいいひとなんだけど、うまく仲良くできなくて。お姉ちゃんも家出てったまま帰ってこないし……」
「そうなんだ……」
「あ、暗い話をしちゃってごめん!実家には妹や弟もいて、賑やかなんだよ。マリナたち見てたら思い出しちゃったりしたけど、まあ、あの子達がいれば実家も大丈夫でしょ」
きっとミクのお母さんは、こどもがいなくなれば大丈夫じゃないと思うけど。その言葉は飲み込んだ。
「さて!明日も仕事だよ!バンリは、休みだよね?」
「はい、休みです。この街をお散歩でもしてきます」
「いいね、結構広かったよ。お使いでもあちこち行ったけど、全然見て回れてない!」
いいおやつのお店教えるね、など勝手にまたぺらぺらと好き放題喋って、疲れたのかミクは眠りについた。
◇◇◇
それからさらにひと月ほど経過した。ミクのショートボブだった髪は少し伸びた。私も年を取らないくせに肩甲骨の下まで伸びてきた髪は邪魔に思えてきた。前髪が長いのは、なるべく人に顔を覚えられたくないからなのだが、ここでの労働の忙しなさを思えば致し方なく、流石に邪魔なので久しぶりに前髪を揃えることになった。日本の美容院はやたら話しかけてくるのでうっかりいらないことを話してしまいかねないからほぼ行ったことはない。いつも自分でハサミでチョキチョキと切りそろえるだけ。
「へえ〜、バンリ結構かわいいじゃん。絶対顔出した方がいいって」
ミクが顔を覗き込んで目を輝かせている。平凡な顔だと自分でよくわかっているので褒められてもお世辞だなとは分かっているが「バンリってメイクが映えそうじゃない?」と真面目に何か考え始めている。
次の休みにどこかに行ったかと思えば化粧品を揃えてきて、小さなハサミで私の眉を整えたり薄く唇に紅を引いたりとして満足げである。
「いい……これで夜は食堂のお手伝いしようよ」
「ひっ、いやです。恥ずかしい」
「恥ずかしくないよ!この街の人たちだってこのくらいしてるよ。バンリは肌白いからファンデなしでもいいし、いける」
いや、目立ちたくないんですよ。たしかに鏡に映した自分の姿は、眉をシュッと整え唇を潤わせただけでも少し見栄えがよく見える。
気が重いのは、最近この宿にご飯だけを食べにくる青年がやたらと話しかけて来る回数が増えて来たことだった。急に色気を出してきたら誤解を与えかねない。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、ミクは「休憩時間終わりだよ!」と私をまた午後の労働に送り出すのだった。




