第一部 再会
焔界四天王の風羅によって山中さんがさらわれた。
果敢に挑んだもののまったく歯が立たずに仲間が連れ去られるのを止めることができなかった。
誰もが怒りと悔しさに打ちひしがれる中、真に聞こえた声とは……?
『真よ――…』
「ん!? 誰だ!!?」
麗奈の姿に自分を重ねていたところにどこかで聞いた声が俺の頭に響いた。
とっさの悟り――。この間に費やした時間は一秒もなかっただろう。
山中さんがさらわれた現実をもってしてもその声は俺にとっては聞き間違いようのないもの。
蒼炎と同期の練習をしていたとき――
初めて同期して気を使い果たしてぶっ倒れたとき――
夢心地の中で聞こえてきたこの声の主を俺はまだ見たことはないが、妙に懐かしい感覚だけが残っているのをはっきりと覚えている。
それが今この事態の最中、俺の意識がはっきりと現実に向けられている中で聞こえてきた。
「ちょっと真、突然どうしたのよ?」
風羅が去った空を憎しみを込めた目で見続けていた麗奈が、俺の突然上げた声に困惑した視線を向けてきた。
『真よ――…』
「麗奈、聞こえてるだろ、俺を呼ぶ声が」
「何言ってるの? 私にはあんた以外の声なんて聞こえないわよ?」
何だって?
俺に訝しみの眼を向けてくる麗奈に思わず目を見開いてしまい、同時に他の面子に顔を向けた。
そこには麗奈と同じ顔と視線を向けてくる仲間が居る。
『真よ――…』
「おい、この声は俺にしか聞こえないのか!?」
『…そうだ。私はお前の内側から話している。お前以外の者には聞くことができない』
これまで俺の意識の中で聞こえたこの声にいくら話し掛けても返事なんてもらえなかったのに、今になって初めて会話が成立している。
「俺に何の用だ?」
『今、お前の仲間が人間界から消えた。お前たちはすぐにでも救いたいだろうが、今の実力では赤子の手を捻るがごとく容易く全滅するだろう』
この野郎、みんなの共通認識を改めて伝えやがって…
『お前たちはまだ自分の武器の力を数パーセントしか出せていない。私ならその力のすべてを引き出させることができる。もし、仲間を救いだしたいのであれば山の頂上にある泉に来い――…』
「待て、お前は何者なんだ?」
俺に同意を求めるまでもないと言いたげに一方的に突きつけられる。
こいつが俺たちの力の何を知っているのかは分からないが、言っていることは至極まともで俺たちの悩みに核を見事に貫いている。
あ、あれ?
「途絶えた…?」
これだけは聞きたいと思って疑問をぶつけたのはいいが、それに対する回答が返ってこない。
「くそっ、なんなんだよ、あいつ!」
結局会話らしい会話をしていないことに少し苛立つ。
奴に俺の意見を聞く気はさらさらなく、俺を媒介に皆に自分の意思を伝えたいだけなのかよ。
「ちょ、ちょっと、真。なんなのよ、さっきから!」
一方的な内容に若干の怒りを覚えていると、麗奈が皆の代表と言わんばかりにその背後に仲間を引き連れて俺に寄ってきた。
俺が視線を移した先には稀に見る眉をハの字にした麗奈の顔があった。
「悪い。何者かは分からないが、俺の頭の中から声がしてな…。そいつが言うには俺たちはまだ自分の武器の力を数パーセントしか出せていなくて、自分ならその力をすべて引き出すことができるらしい」
「にわかには信じがたい話ね」
「で、もし仲間を救い出したいのであれば山の頂上にある泉に来い――…ってさ」
自分が聞いた声を一言一句間違えないようにみんなに伝える。
見事に奴の思惑にはまっているようで何か複雑な心境になってしまう。
言い終えて思わず眉間を押さえる。
「仲間を救い出したいのであれば……か…」
顎の先端を親指と人差し指で挟み、地面に視線を突き刺して思案している麗奈。
その表情は完全に集中しているときのものであり、こうなったら周りに居る人間がどれだけ話し掛けようとその声はあいつの耳に届くことはない。
この隙に柳や宮野さんの優雅な顔でも拝見しようとしたのだが、さしもの二人も今の事態に優雅さを気取っている場合ではないようで真剣な眼差しを麗奈に向けている。
「よし! とりあえず行ってみましょう!!」
沈黙の空気が流れること五分。
麗奈の中で結論が出たようだ。
顎に当てていた手をグッと握って晴れ渡る空を見上げている。
「真にだけ聞こえた声の主が言っていることが本当かどうか分からないけど、今の私たちじゃ力が足りないのは揺るがない事実。なら、少しでも可能性があるのならそこに賭けてみてもいいんじゃないかしら」
いつもの眼力が強い視線が二割増しぐらいで俺たちに突き刺さる。
「うん、いいんじゃないかな」
「私もそれに賛同します」
柳と宮野さんがさほど考えることもなく、だが顔は真剣味を帯びて麗奈の言葉に同意した。
俺もだな。
自分の中で聞こえた声、今まで幾度か聞いてきたこの声の主が信頼に足る者なのかどうかなんてのはよく分からない。
だけど、俺たちだけじゃ力を上げるのに限界もあるし…。
「で、どこにあるのかしらその泉って」
「山の頂上としか言われてないからなぁ」
「とりあえず"泉がある山"といって私たちが最初に思い浮かぶのは、以前ピクニックに出掛けたあの山ですね」
「そうね。確かにあそこには泉があったわ。――…よし、じゃあ、まずはあそこに行ってみましょう。キョウを助けるためには一分一秒が惜しいわ」
瞬き一つせずに宮野さんとの会話を終了させた麗奈は、さっそくと言わんばかりに足を進めた。
宮野さんもいつもの優雅な足取りで腰に腕を当ててずんずんと歩いて行く麗奈についていき、残された男性陣は特に名案もないのでそれに従う。
「着いたか…」
まさかこのクソ暑い中、この坂を上ることになるとは思ってなかった。
学校に続く長い長い心臓破りの坂。――の更に上にある山の頂上。
ただでさえ坂道で体力が奪われていくというのに、坂による反射を利用した上と前からの太陽光線のダブルパンチは相当効いたぜ。
体中から汗を垂らしてやっと辿り着いた山の頂上。
俺にとっては親父の死に場所であるここにはそう何度も足を運びたくはないのだが、そんなことをあの声が考えてくれるはずもないよな。
この光景を見るたびに過去の忌まわしい記憶がフラッシュバックし、ついこの間、灼幽にやられた悔しい気持ちが沸々と沸いてくる。
「特に何もない……のかしら」
この暑さの中でも俺の十分の一程度にしか汗を掻いていない麗奈は皆よりも一足先に泉を覗き込んでいた。
宮野さんや柳、相良もそれに倣って同じポーズで並んで見ている。
なんつーか、これはこれで異様な光景だな。
ここじゃないのか――…?
『真よ――…』
「―――ッ!!」
俺が覗き込んだ途端に聞こえたさっきと同じ声。
しかし、今度は、
「真、この声なの? あんたがさっき聞いていた声って」
麗奈たちにも聞こえているようだ。
泉を覗き込んでいる俺たち一同は、宝物を掘り当てたときのように泉から響く声に目を見開いている。
『よく来たな、紅の後継者よ――…。こうして会えるときを一日千秋の思いで待っていたぞ――…』
覗き込んだ俺の視界に現れたのは泉の中で海藻のように漂う小さな光の点。
さっきまで俺の頭の中で響いていた声は、泉の奥深くから聞こえている。
それは水という変形自在な障害物の隙間をするりと優雅にすり抜けてきているような錯覚さえ覚えさせるもの。
『ここに現れた異界の住人の気配で、私は完全に目覚めることができた。奴には礼を言わなければならん、焔界の壊滅をもってその礼としようか――…』
点ほどだった光が次第に大きな円に変わっていく。
しかも、ただ光が広がっていくだけではなく泉の水が揺らぎ、池に小石を投げ込んだときのように波立ってきた。
「来る――…」
波が高くなり、泉の中心が盛り上がる。
それは泉の底にあった何かが地上に向かってズンズンと上ってきていることを示し、光が最も強く俺たちの視覚を刺激したとき泉の中心がトーテムポールのように高々と伸びていった。
そして――
ついに姿を現したそれ――
幾度となく俺の意識の中に現れ――
さっきまで声すら届かない存在だったそれが――
俺の――
俺たちの目の前に姿を見せた――
『……………』
縦長の楕円型の光の球に包まれた何か…。
泉の中心で浮かんでいるそれが、地上に出れたことを悟り下から徐々に正体を明かしていく。
平安時代辺りの貴族が履いていたような草履、足袋、俺がたまに神社を手伝うときに履くような紺色の袴、黒袍に身を包んでいる。
そして、残すは顔。
果たしてどんな奴が俺の中に巣くい、様々な言葉を掛けてくれていたのか。
一時期は親父なのかと思ったこともあったが、やはりそれはないだろう。
俺の親父は至って普通の、ごく一般に溢れ返っている庶民だ。
さて、どんな奴なのか顔…を…拝……見…しよう…じゃ……ねぇ………か……………。
うそ…だろ――…
いや、むしろ嘘であってくれよ――…
「な…んで……………」
『こんなところに――…』
俺の左腕から発せられた驚きを隠せない声。
今目の前に居るこいつの気を感じての驚きなのだろうな、いつもは絶対聞くことができない声色をしている。
『まさか、そんなことが――…』
麗奈の左腕からも同じような声色が聞こえる。
らしくない声。それを出させる程目の前にいる奴の存在が圧倒的で、まさかこんなところにいるとは想像も出来なかったのだろう。
俺はというとそいつの顔を視界に入れた瞬間に他の景色が見えなくなった。
それの存在が俺にとっても予想外で、むしろこの状況が夢であってくれと願っている俺が心の奥底に居る。
だって、目の前に居るこいつは……………この人は――
「親父!」『『流刃宰様!! ―――……えっ!!?』』
俺と蒼炎、闘牙が同時に放った言葉。
ただ紡ぎだした音はそれぞれ別で、俺が発した声に蒼炎と闘牙は更に驚いた声を立てた。
『流刃宰…か……。ふっ、その名で呼ばれるのも久しいものだ』
全体的にはショートカット程度の長さだが、前髪だけは少し長く、それを軽く指で弾いて答える。
よく見たな、その癖――
細身の体は未だ宙に浮いていて、刀たちの言葉に懐かしみを感じているのか少しの間目を閉じていた。
ほんの数秒後に顔を持ち上げ、
『久しいな、蒼炎斬神、流水闘牙。そして、砕光翔、風翠翼。皆、元気そうでなによりだ』
俺たちが付けている腕輪やネックレスを一つ一つじっくりと見ながら、威厳がありながらも優しい声を奏でる。
『流刃宰様。先程の真殿の言葉は真なのですか?』
『ん? あぁ――』
俺の左腕に視線を向けた後、俺を一瞥してまた左腕に視線を戻す。
『本当だ。私は斬神界の神――流刃宰であると同時に、紅の後継者――八神真の父親でもある』
言い終わる直前で俺の目に自分の目を合わせて、そのままスーッと宙を移動したかと思ったら俺の目の前に降り立った。
右が紅、左が碧で彩られている眼がただ真っ直ぐに俺を見つめてくる。
『ふっ――』
それまで真剣に真剣を重ね着したような顔つきで顔面の筋肉が硬直していたのに、俺と見つめ合うこと数秒で破顔したかと思いきや、
『久しぶりだなー、真! 元気にしてたかー!!?』
「むぐっ!?」
体の両脇に垂らしていた腕が瞬速で移動したと認識したときには時既に遅し、驚きの余り無防備になっていた俺の体は一瞬にして親父の胸にうずめられた。
その衝撃に俺は非常に間抜けな声を出してしまい、すぐにでも離れようとしたが俺が如何に暴れようとも力では敵うはずもないらしく全く動けなかった。
『おーおー、元気そうだな。それに大きくなって』
今度は片手で頭をグリグリと撫でられる。
昔もよく撫でられたもんだが、こんなに激しく撫でられたことはなかったぞ。
つーか、痛いってーのっ!!
『おっと――』
「ぜぇ…はぁ…。や、やっと抜けれた……」
片手で抱き締めることで力が半減した親父の胸板を両手で思い切り押し出してやっと自由を手に入れた。
えらく無駄に体力を消耗してしまったようで、膝に手を当てて息を整える。
まさか親父がこんなに力が強いとは思わなかった。
やはりそこは神だからか?
昼下がりに泉を駆け抜ける風がくそ暑い時間帯に数秒の安らぎを与えてくれた。
お陰で少しは回復した体を持ち上げられる。
「おや――」
『流刃宰様、どういうことですか? 何故あなた様が真殿の父親だと…』
あ、取られちまった…。
俺がいざ反撃の狼煙を上げようと親父を睨み付けた刹那、蒼炎がさっと声を出した。
まぁ、俺が聞きたかったこととほとんど同じだからいっか。
親父はその色違いの双眼に優しさを付け加えて俺を見ていた眼をそのまま蒼炎に落とす。
『その辺のことは土龍が何か言っていなかったか?』
『土龍は流刃宰様が斬神界から姿を消したことしか言っておりませぬ』
『そうか…。では、話そうか。うーん、少し恥ずかしいなぁ』
「はよ話せ」
蒼炎から眼を離し、自分の素性を話そうとしたのはいいが顎に手を当てて首を傾げ、言葉通り恥ずかしそうにしていた奴に思わず突っ込んでしまった。
一瞬俺の眼を見た親父は、少し笑って言葉を紡ぎだした。
「あれは、もう二十年も昔のことだ――」