第一部 紫苑
新たなる敵、焔鬼刃が現れたことで焔界で何が起こっているのかが垣間見えた。
同期しなくては勝てないような相手。
これから先、焔鬼刃のような敵がまだまだ襲ってくる。
そして、何やら様子がおかしい麗奈。
全く意に介さない真を見るに見かねて、魅惑の図書委員――宮野紫苑が動き出す。
分からない…私にとって真は何?
戦いの仲間? 居候先の息子? 執事? ……いや、最後のは違うか…。
あの女の所為で、あの女の言葉が、私の頭を混乱させた。
あの女が真のことを好き……それは別に私には関係の無いこと。
そう、関係ない…はずなのに、何で…あんなこと言っちゃったんだろう。
あの女が真の隣に居ること自体にイライラしてる。
なんで? 真の隣に誰が居ようと関係ないじゃない。
私たちの使命は人間界にやってくる焔獣を倒し、いずれは焔界の神である焔神を倒すこと。
真は紅の後継者で私は碧の後継者、それ以上でも以下でもない。
……ない……………ない………はず…。
「はぁー、何やってんだろ、私」
「ほんまに、何やってんねや?」
「キ、キョウ!?」
伏せてた頭の上から声が聞こえ、顔を上げるとそこには呆れたような表情をしたキョウが立っていた。
「はぁ……ウチが来たことにも気付いてなかったんか…」
「ごめん…」
「まぁ、ええわ。ちょっと宮野さんに頼まれてん、ついてきて」
「紫苑に?」
何だろう…ていうかもうお昼休みなのね。
朝からまったく授業が耳に入っていない。
「ほら、はよう行くで」
「う、うん」
キョウに腕を引っ張られて、廊下を歩く。
「キョウ、どこに行くの?」
「ん? あぁ、屋上や」
「屋上?」
なんでそんなところに…別に話なら教室でいいのに。
「ほれ、着いたで」
キョウが鉄でできた扉をゆっくりと押していく。ギィギィと音を発てて開かれたその先には、手摺りに手を乗せて遠くを見つめる紫苑の姿があった。
辺りから吹いてくる風が彼女の長い髪をなびかせ、女の私ですら魅了されてしまう光景だった。
「宮野さん、連れてきたで」
「ありがとうございます。すいません、無理を言ってしまって」
「別に構わへん。ウチもこうなると思っとったんや」
紫苑は優しく微笑みながらキョウに言葉を掛けると、そのままこちらに近づいてきた。
「麗奈さん、なぜ私があなたをお呼びしたか分かりますか?」
「……いいえ」
紫苑の言葉にさっきまで無かった威圧にも似た迫力が混じっている。
「そうですか…では、仕方ありませんね」
紫苑は呆れるようにため息を吐いた後、一度キョウの方を見てからまた私に視線を戻した。
「麗奈さん、あなたは今凄く悩んでいますね?」
「…………っ!」
「それも、答えの出えへんもんや」
「…キョウ……」
二人の言葉に思わず後退りしてしまった。
何でみんな私のことが分かるの? 私が自分を分かっていないのに…。
「レナっちの顔見とったら分かるわ」
キョウが紫苑と並んで私の前に立つ。
その顔はいつものように元気で明るいものではなく、見守るような微笑みだった。
「朝霧さんとの間に何があったのかを問う気は毛頭ありません。ただ、早く本当の気持ちに気付いてほしいのです」
「本当の…気持ち…?」
「ええ、人は誰しも悩みを持つものです。相手の言葉に惑わされ、自分の気持ちに嘘を吐こうとすることだってあります」
どうしてだろ、紫苑の口から出てくる言葉が、私の耳に入る度に胸が苦しくなる。
私は嘘を吐いてるの? 自分から逃げているの? あの女にとって真は大切な人……じゃあ、私にとっては…?
「自分の気持ちと、正面から向き合ってほしいのです」
紫苑はずっと私の眼を見つめ、一瞬たりとも視線を外せずに言う。
「ええか、レナっち。それはな、誰もが通る道やねん。しっかりと自分と向き合わんと後悔するで」
「……………」
紫苑の隣で腕を組むキョウ、その顔はいつも見ているものに戻っていた。
「では、単刀直入に聞きます。あなたは、八神さんをどう思っていますか?」
「……どうって…」
紫苑の言葉に、思わず視線を伏せてしまう。
「好きですか? 嫌いですか?」
「嫌いじゃない!」
また反射的に口が動いた。
自分でも驚いた。
あの女に思わず言ってしまったように、勝手に言葉が出ていった。
私が思わず声を上げてしまったことに、紫苑は少しだけ驚いた表情をしたが
「…それを即答できるなら、おそらく大丈夫でしょう」
すぐに安心したように、いつもの柔らかい微笑みを向けていた。
「安心したで、レナっち。それが分かってるなら大丈夫や」
キョウも頭に手を組んで、私にいつもの明るい笑顔を見せていた。
「それでは、最後に一つだけ注意を……………山中さん」
「ん、何や?」
「今からあなたの目の前で起こること…どうか今は何も問わないでいただけますか?」
「? なんやよう分からんけど、ええやろ。約束する」
「ありがとうございます」
紫苑の突然のお願いに、キョウは目を白黒させていたが快く了解した。
「では麗奈さん、ここからは補佐としての私からのお願いです」
私の正面に立ち、腕を組んで真っすぐに見つめてくる紫苑。その顔には再び迫力が加わっている。
「今のあなたの状況を説明するには、これが一番早いでしょう……………風翠翼」
「なっ……紫苑!?」
突然、しかもキョウの前で武器を解放する紫苑に驚きを隠せないでいた。
「行きますよ、水城麗奈」
紫苑が槍を構える。
その目は紫苑が焔獣と戦うときの、本気の目だった。
「はあぁ!」
「くっ……闘牙!」
問答無用で突っ込んでくる紫苑、こっちも闘牙を解放してとりあえず一旦離れる。
「いきなり何するのよ!?」
「言ったでしょう、今のあなたがどういう状態なのか……教えるにはこれが一番早いと」
矛先をこちらに向けたまま、一歩も退こうとはしない紫苑。
「…私が自分の状況を理解したら止めるのね?」
「若しくは…あなたが私を倒すか」
「あなたが私に勝てるとでも?」
紫苑の言葉がちょっと勘に触った。
修行で一緒に組手をしてても、私と紫苑の実力差は明らか。
それは紫苑自身が一番よく分かっているはず。
「今のあなたでは、どうなるか分かりません」
「じゃあ、一撃で決めてあげる…」
明らかに挑発してくる紫苑。
その言葉に、私は気を高め、闘牙と同期する。
銀色の髪と腕に巻かれた水を見て、キョウがさらに目を丸くさせている。
「行くわよ、紫苑」
突きの構えで紫苑の方にその切っ先を向ける。
「はっ!!」
地面を蹴り、紫苑に向かって一直線に突き進む。
もちろん紫苑を傷つけるつもりなど最初からないが、負けを認めさせることぐらいはできる。
構えた状態から動かない紫苑、その顔は何かを待っているようにも見えるが…関係ない、すべてを貫く!
「行っけぇぇ!」
「ヴェルデ!」
「なっ…!!」
私に向かって紫苑が片方の手の平をかざした瞬間、何やら呪文とともに小さな壁が現れた。
ジェイド・グリッドとは違う、局部的な雷壁と言ったら分かりやすいだろうか。
「いつのまにこんな術を……」
「大きなグリッドを創れるのなら、その逆もできるのではないか…そう考えてできたものです。ですから、強さに変わりはないんですよ?」
そこまで言われて、ハッと気付く。
「じゃあ…これは……」
「気付きましたか? 今あなたが置かれている状況に…」
そう…いつもの私なら、多少てこずっても紫苑の術を打ち破ることができるはず、なのに……
「…進めない」
壁に当たっている切っ先が、まったく前に進まなくなった。
「…終了です、麗奈さん。同期を解いてください」
紫苑に言われるままに同期を解く。
「分かりましたか? 今のあなたが置かれている状況…」
「…うん」
紫苑の防壁…いつもなら貫けるはずなのに、今は貫くどころか進むことすらできなかった。
それほどまでに私は弱くなっている。
「私たちの武器は、持ち主の想いによってその力を発揮します。悩んだり、迷ったりしたら力を発揮できず、できるものもできなくなってしまうのです……今のあなたのように…」
紫苑の言葉が刺のようになって胸に刺さる。
否定したい自分と、さっきのでそれを認めている自分がせめぎあっているようだ。
「しかし、あなたが自分の気持ちに気付き、迷いが無くなったとき…あなたは更に強くなるでしょう。ですから、それまでは無茶をしないでくださいね」
「……あっ…」
お説教じみたことを言い終えたときの紫苑の顔からは、さっきのような威圧は感じられず、おばさんがいつも私に向けてくれているような優しい、暖かな笑顔だった。
「では、戻りましょうか。山中さん、ありがとうございました」
「…ん、あ、あぁ……………なぁ、宮野さん」
「はい、なんでしょう?」
それまで口を閉ざして私たちを見ていたキョウが、おもむろに神妙な声を出した。
「今起こったこと…今は何も聞かへん。けど、いつかは話してくれへんか?」
「ええ、その時が来たらすべてをお話します」
真剣な表情で聞いてくるキョウに少し驚いたようだが、すぐにいつもの笑顔で紫苑は答えていた。
「では、行きましょう」
紫苑についていくように、私たちは揃って教室に戻った。
「はぁ……」
教室に戻って、自分の席で深いため息を吐く。
「迷い…か……」
さっき紫苑が言ってたことが頭の中で反芻する。
今のままでは、私はろくに焔獣と戦えない。
足手纏いにはなりたくないから、早く解決したいけど……。
「まっ、とりあえず八神に謝りや! えらい困った顔しとったしな!」
「……うん」
まぁ、それは事実だしちゃんと謝ろう。
怒鳴らないように気を付けなくちゃ。
それだけを頭の中に残して、私は授業の用意をした。