第二部 朝霧
「ふぅ……大丈夫か?」
「……………」
未だに自分を抱くようにしてうずくまっているその人に話し掛けてみたが返答なし。
ずっと小刻みに震えている。
無理もない、いつものように帰っていたらいきなり闘いに巻き込まれたんだ。
俺もきっとこうだったんだろうな。
そんなことを考えながら、ゆっくりと足を運んでそいつの前に回り込む。
どこかのお嬢様かとも思わせるようなカールのかかった綺麗な茶髪がゆらゆらと揺れている。
額が地面に着きそうなくらいに体を折り曲げて震えているその様子に、巻き込んでしまったことを申し訳なく思った。
「………おい」
「ひゃあっ! ごめんなさいごめんなさいー!!」
「もう大丈夫だ」
「えっ…?」
ガタガタと震えている肩にそっと手を置いて声を掛けた。
すると、その子は小さな叫び声とともに体が反り返るくらいの勢いで顔を跳ね上げた。
その顔にはまだ幼さが残っていて、下手したら琴音と同い年と言われても分からないかもしれない。
顔の前で手を合わせ、目を固く瞑って必死に謝っていたが、俺の言葉で今度は一変してキョトンとした顔になった。
「あ、あの……」
「もう大丈夫だ」
「……そう…ですか…」
大きな瞳をパチクリさせていたが、俺の言葉に安心したのか深呼吸を一つして地面に視線を落としている。
よく見たら体も小さくて本当に同じ高校生なのかと疑ってしまう。
「立てるか?」
「えっと…すいません。腰が抜けちゃったみたいで……」
苦笑を浮かべながら、申し訳なさそうな声を出す。
さすがにこのまま放置ってわけにはいかないな。
「よいしょっと」
「きゃっ!」
了解なしでやってしまったのは悪かったがそのまま地べたで回復を待つのも忍びないので、近くのベンチまで運ぶことにした。
琴音を運ぶときとかの癖でついお姫様抱っこをしてしまったが、その子は抱き上げた瞬間こそ小さく悲鳴を上げたけどすぐに俺の腕の中で大人しくなった。
予想はしていたが軽い…、多分高校一年生なんだろうな。
本当に琴音を抱っこしてるみたいだ。
手近なベンチに彼女を下ろして、その隣に座る。
数十秒の沈黙の後、俺の方から口を開いた。
「…落ち着いた?」
「はい。あ、あの……」
「ん?」
「よく分かりませんが、助けていただいてありがとうございます」
「別にお礼を言われることはしてないよ。それよりどこか怪我とかしなかった?」
「あっ、はい……大丈夫です」
「そっか、よかった」
なんとか一般人を巻き込まずに済んだみたいで、ホッと胸を撫で下ろす。
もし、怪我でもしていたら麗奈に何をされるか分からん、想像するのも恐ろしいぜ。
ただ、巻き込んだことは事実だしな…。
これはなんとしても隠さなければ…。
ばれたら……斬られる…かも……。
「もう歩けるか?」
「えっ……あっ、はい」
「じゃあ、もう帰れるな。ここを通ったら近道なんだろ?」
「はうぅ、聞こえてたんですかぁ?」
「聞こえてたよ、陽気な歌が」
「はうぅぅ……」
「まっ、気を付けて帰ってくれ。安心して、何かあったら護ってやるから」
「は、はい……その、ありがとう…ございました」
そう言って、彼女を残して俺は自転車に跨った。
麗奈と闘牙にさっき闘った焔獣のことを一刻も早く報告しなければならない。
暗がりではっきりとは分からなかったが、俺が自転車を漕ぎながら見た彼女の顔は本当に火が出たように赤くなっていた。
「ただいまー」
一仕事終えて、疲れた体を引きずりながら家に到着。
辺りはすっかり暗くなっていて、灯りなんてろくにないウチの神社はものものしい雰囲気を醸し出している。
「おかえり。さっそくだけど修業するわよ」
玄関を開けると、腕を組んで仁王立ちしている麗奈が居た。
制服から修行するときの恰好に着替えて、俺を少し高い位置から見下ろしている。
「ちょっと休ませてくれよ」
「いきなり体は動かせないから大丈夫よ…………焔獣のことで聞きたいことがあるの」
「…分かった」
靴を脱ぎながら話す俺に向かって答えた麗奈の言葉。
最後の方は囁くような声だったけどズシリと重みが掛かっていた。
ふと見上げるとそこにはいつになく真剣な眼差しを向けている麗奈。
その眼差しに答えるように、俺はカバンを玄関に置いて麗奈とともにいつもの場所に向かった。
「で、どうだったの?」
「一言で言うならキマイラだな。でも、中途半端なものだった…」
「中途半端?」
俺の言葉に麗奈が眉をしかめる。
竹の葉が擦れる音が辺りを包む中、俺と麗奈は向かい合っていた。
そして、俺はついさっきまで闘っていた焔獣のことを話している。
もちろん一般人を巻き込んだことは話さない。
「俺を狙っているのは間違いない…でも、攻撃がまるでデタラメなんだ」
『知能が垣間見れなかった、あのような焔獣は初めてだ』
『どういうことじゃ、一体何が起こっておる』
『分からぬ』
低い声を響かせて蒼炎も参加してくれた。
闘牙の言葉からもやはりさっきみたいな焔獣は以前には居なかったようだ。
初めて聞いた困惑している闘牙の声、蒼炎もただただ唸っている。
「とにかく焔界に何かが起こっておることは間違いないようね」
「"何か"って何だよ?」
「そこまでは知らないわ。ただ私たちは来た奴を潰す、それだけよ」
『そこから何か分かるかも知れぬしな』
「そういうこと。とりあえず今は何らかの変化が起こっている…その認識でいいんじゃない?」
『そうじゃな、ここで悩んでおっても何も解決せん』
「じゃあ、修業を始めましょうか」
確かに麗奈の言う通り、ここで悩んでいても何か分かるわけではない。
こちらから焔界に行けない以上、俺たちは襲ってくる奴らを潰すことしかできない。
「真、同期して。あんたの課題は同期までの時間の短縮と、力の安定化よ」
「あぁ、分かってる」
今の俺は同期まで時間が掛かる上に同期しても少ししか保たない、蒼炎が言うにはまだ力をコントロールできていないかららしい。
で、それを克服するにはとにかく数をこなすしかない。
同期までの時間短縮のために毎日黙想もやっている。
おかげで少しずつ同期までの時間は短くなっているようだ。
「始めるわよ」
「あぁ」
そして力のコントロールがこれ、麗奈とひたすら実践を積むこと。
これを同期したまま延々と行うのだ。
最初は地獄のように感じていたが、日を追うごとに慣れてきたのと刀の扱いが分かったのとでだいぶ楽になった。
でも、まだまだ麗奈は手加減しているし、決して疲れないわけでもない。
「今日は昨日よりもレベルを上げるから、気を弛めないように」
「分かった」
「じゃあ……行くわよ!」
「おう!」
叫び声と共に二人とも地面を蹴って突っ込んでいく。
炎と水に包まれた刀がぶつかり合う音だけが辺りに響き渡っていた。
「はぁー、昨日はハードだったなぁ」
いつもの坂道を登りながらぼやく。
同期がまだまだ上手く出来ないから自分の気のコントロールに神経使うし、麗奈の攻撃を受けるのも躱すのも神経を使うしで精神的な疲労が半端じゃない。
ただでさえ昨日は焔獣と闘った後だったというのに…。
「あれぐらいで根を上げてどうするの? まだ、私は半分も力を出していないわよ?」
「昨日は色々あったんだよ」
「ふーん」
隣で歩く麗奈は興味があるようなないような声を出して、空を見上げている。
相変わらず鞄は俺が押している自転車に押し込められたままだから、あいつは手ぶらた。
「おはよう」
「おっす」
「おっはよー」
背後から聞こえた三人の言葉。
振り返るとそこには柳、相良、山中さんが居た。
そして、いつものように柳と相良は俺を挟み込み、山中さんは麗奈の隣に行って話している。
俺は相良のアホな話に耳を傾けながら、いつものように学校に向かった。
「あ、しまった」
麗奈たちと別れ、教室で授業の用意をしていて思い出した。
「ノート買うの忘れてた」
「購買で買ってきたら?」
「あぁ、そうするよ」
授業まではまだ時間があるので、さっさと購買に行って調達してくるとしよう。
昨日の修行で若干筋肉痛なんだが、そこはグッと堪えて小走りで購買に向かった。
「えーっと、ノートノート…。おっ、あったあった」
「きゃっ!」
「あ、ごめん」
いつも使ってるノートを見つけてスッと手を伸ばしたら、隣から同時に伸びてきた手とぶつかってしまった。
その手の主は小さな悲鳴を上げて手を引っ込め、俺は思わず謝ってしまった。
「す、すいません……あっ…」
「あっ…」
お互いが顔を上げ、相手を自分の視界に入れた瞬間に固まった。
俺の視界にはカールのかかった茶髪に幼い顔が入っていて、そこに添えられた大きな瞳が俺をジッと見据えている。
「あの…その……」
「あの後、ちゃんと帰れた?」
「は、はいっ!」
俺だけなのか誰にでもそうなのか、彼女はやっぱり顔を赤くしている。
「やっぱりここの生徒だったのか」
「はい、二年二組の朝霧優奈と申します!」
「えっ…二年生だったのか?」
「はい。……えっと、どうかしましたか?」
「あ、あぁ、いや、なんでもない…。俺は二年三組の八神だ」
てっきり一年生だとばかり思っていた俺は彼女の言葉に思わずのけ反ってしまった。
そんな俺に彼女はキョトンとした顔を向けているが、その顔もまた琴音ぐらいの子に見える。
「朝霧さんもノートを買いに来たの?」
「はい、なくなったのに気付かなくて…」
「じゃあ、早く買おうか。もうすぐ授業も始まるし」
「はい」
少し苦笑いを浮かべる朝霧さんと一緒にレジに向かい、教室までの道を歩く。
「きゃっ!」
突然、小さな悲鳴が聞こえたかと思ったら、隣で歩いていた朝霧さんが姿を消した。
少し視線を落とすと、そこには地べたにへたり込んで苦笑している朝霧さんが居た。
「どうしたんだ?」
「す、すいません……私よく何もないところで転ぶんですよ」
「大丈夫か?」
「あ、あの…その……だ、大丈夫です!」
立ち上がるのを手伝ってあげようと手を差し出したのだが、俺と目が合った瞬間に、顔をより一層赤くして跳ね起きる朝霧さん。
「そ、それでは…じゅ、じゅーぎょーがありますので、し、失礼します!」
買ったノートを胸に抱え、そのまま猛ダッシュで教室に入っていってしまった。
「何なんだ一体?」
「ちょっと、真」
「うっ…!」
呆然としてその場に立っていたが、背後から聞こえた強い言葉に思わず身を竦めてしまう。
もはやこれは条件反射の域に達しているのか、体中の筋肉も硬直している。
そして、ギリギリと首を回して後ろを振り向くと
「ぷっ…あっははは! 引っ掛かりよった引っ掛かりよった!!」
腹を押さえて笑っている山中さんがいた。
「そ、そんなに笑うことないだろ!?」
「だ、だって…振り向いた時の顔ゆうたら……あっはははは! おな、お腹が捩れるー!!」
「ったく…」
いつまでも笑っている山中さんに向かって、大きなため息を吐く。
「で、何の用?」
「あっ、そうやそうや」
「なんや可愛い娘と知り合いになったみたいやなー」
「可愛い娘? あぁ、朝霧さんのことか?」
目に涙を浮かべながら、まだまだ笑い足りないといった様子で山中さんは言う。
恐らくさっき別れた朝霧さんのことを言っているのだろう。
「別に何もないぞ?」
「八神にその気がなくても、レナッチが見たら怒るでー」
「何で麗奈が怒るんだ?」
「あー、やっぱり気付いてへんのか」
おでこに手を当てて、溜息を一つ吐き出す。
そして、ニヤリとした顔で俺を見据えてきた。
「まぁ、レナッチも分かってないみたいやしなぁ」
「気付くって…何に?」
「それは自分でなんとかするんやな。ウチは答えられへんでー」
山中さんのにんまり顔に俺の頭を回っている疑問符は増えていくばかりだ。
「ほなな、もう教室に戻るわ」
「なんなんだ?」
混乱する俺を放置して、颯爽と自分の教室に帰ってしまった。
胸のわだかまりを残したまま、俺も教室に戻った。
「相良、朝霧さんって知ってるか?」
昼休み、相良たちと飯を食っている最中に話題にしてみた。
今日は珍しくも男陣だけで、自分たちの教室で弁当をつついている。
女性陣は次の授業が体育だからと来なかった。
「朝霧って…二組の?」
「あぁ」
「えーっと、朝霧朝霧……あ、あったあった」
ズボンの後ろポケットから小さな手帳を取り出してパラパラと捲る。
「朝霧優奈…成績優秀、容姿端麗、運動神経はよくないがそれをカバーするキャラクターの持ち主……とまぁ、こんなもんだ」
「そんな手帳を作っているとは、変態だな」
「その俺を頼ってる奴はどうなんだ?」
俺のツッコミに対する相良の見事な返答に一瞬言葉を詰まらせる。
「で、朝霧さんがどうかしたのか?」
「ちょっと知り合いになったんでな」
「朝霧さんと? 本当か?」
相良にしては珍しい、いつもなら紹介しろとか言ってくるくせに、少し戸惑うような表情を見せた。
「何だ?」
「だって、彼女は男の人が苦手なはずだぜ?」
「苦手?」
「あぁ、これは二組の奴らから聞いたんだけど…彼女、男が苦手らしくてクラスの奴らにも自分からは話し掛けないらしい」
「でも、俺には話し掛けてきたぞ?」
「へぇー」
「な、何だよ」
途端に相良の口元が歪み、今朝の誰かさんを思い出させた。
「いやぁ、どこでどう知り合ったのかは知らんが、八神が気付いてないなら別にいいや」
「その台詞、朝にも聞いたんだよ」
「まっ、自分で解決しろや」
それだけ言うと、相良は弁当を頬張りだした。
「ちぇっ、何なんだよまったく」
これ以上聞いても何の解決もされない気がしたので、俺も弁当に口をつけることにした。
終始口を閉ざして俺と相良のやり取りを見ていた柳は俺に微笑みを向けてくるだけだったが、眼鏡の奥には遊び道具を見つけた子供みたいな瞳があった。