第二部 朝食
「ん、んん……朝か」
窓から差し込む朝日が俺に瞼を持ち上げさせた。
結局、少ししか寝れなかった。
「あれ? カーテンなんて開けたっけ?」
朝を告げる光を受け止めるはずのカーテンが窓の両側に押しやられている。
まさか寝ている間に開けるなんて神業を習得した覚えはないのでちょっと考える。
「あ、麗奈か」
ふとベッドに視線を向けたとき、そこにあった膨らみが無くなっていることに気付いた。
「んー、さて…起きるか」
腕を伸ばして思い切り体を伸ばす。
寝不足でまだ体が重いが、なんとか起き上がって制服に着替えた。
「そういえば……」
鏡に映った自分の体を見てあることに気付く。
「傷が…消えてる」
昨日、あれだけ激しく戦ったのに…炎をまともに浴びたのに火傷の跡すら残っていない。
「一体誰が…?」
一抹の疑問を頭に巡らせて、とりあえず階段を降りる。
「おはよう」
「おはよう、もう体は平気なの?」
台所で俺たちの弁当を用意していた母さんが心配そうに俺を見ている。
「もう何ともない」
「そう、ちゃんと麗奈ちゃんにお礼言いなさいよ? 麗奈ちゃんね、あなたをおぶってここまで運んでからずっと傍に居たのよ、晩ご飯も抜いてね」
「そうだったんだ」
麗奈の方を見て、昨日のベッドで寝ていた姿を思い出す。
本当に付きっきりだったんだな。
そう思うと少し気恥ずかしくなる。
「はい」
「ん、何これ?」
母さんにいきなりタオルを渡された。
「麗奈ちゃんのタオル。 恩返しのつもりで渡してらっしゃい」
「分かったよ」
笑顔で俺を押してくる母さんに逆らえず、麗奈のところに行く。
「ほれ、タオル」
「999…1000。ふぅ、ありがと」
窓を開けるとちょうど素振りが終わるところだった。
さすが母さん、タイミングバッチリ。
「麗奈、ありがとな」
「ん、なにが?」
「昨日付きっきりで看てくれてたみたいだな」
「ば、ばか。それはもういいって」
俺からタオルを取り上げて汗を拭う麗奈。
その顔は少し赤く染まっている。
「そっか」
俺も昨日に言った台詞を繰り返す気は無く、ここからは真剣な声に切り替える。
「で、誰が俺を助けたんだ?」
その言葉を聞いた瞬間に麗奈の顔も真剣みを帯びる。
「それは学校に行くときに話すわ」
「分かった」
汗を拭き終えた麗奈が木刀をしまって部屋に入っていくので俺もそれに続く。
「お疲れさま」
母さんが部屋の奥から微笑ましくこちらを見ている。
「麗奈ちゃん、今日はスクランブルエッグを作ってみましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
「じゃあ、シャワーを浴びてらっしゃい。用意しておくから」
「はい」
タオルを肩に掛けて勇ましく答えた麗奈はスタスタと風呂場の方に向かっていく。
「スクランブルエッグって掻き混ぜるだけじゃないのか?」
俺の記憶の中ではあれは掻き混ぜて火が通ったら出来上がりって感じしかない。
「そんなことないわよ。どんなに簡単な料理でも、誰の口に合わせるかですごく難しい物になるんだから」
俺から一切視線を外せずに続けているが、急にその顔に悪戯っ子のような色が浮かぶ。
う…、嫌な予感……。
「麗奈ちゃんは一体誰に合わせるのかしらね?」
「なぜそこで満面の笑みを浮かべる」
「なんでかしらね?」
母さんは俺からボロがでるのを待っているようなほほ笑みを顔に貼りつけて、俺を凝視している。
…負けねぇ、絶対負けねぇからな!
「すいません、遅くなりました」
笑顔の母さんと冷や汗の俺が睨み合いを始めて一分程で麗奈が戻ってきた。
「じゃあ、始めましょうか」
何も無かったように席を立ち、麗奈と一緒に料理を始めるし。
「ふぅ」
麗奈のナイスな登場で危機を逃れた俺は、用意されていたコーヒーを一口含んだ。
「おはよー、あれ? お兄ちゃんが起きてる!?」
「おはよう、琴音。何だその驚きようは」
まるで違う世界に迷い込んだかのように目を見開いている琴音。
「だって、お兄ちゃんが起こされる前に起きるなんて。これじゃ今日は雨が降っちゃうじゃない」
「ひどい言われようだな。俺だってたまには早く起きるっての」
制服姿で朝っぱらから兄の悪口を言っているので頭を軽く叩いてやる。
「いたっ、むぅー…あ、お母さん、麗奈お姉ちゃんおはよー」
一瞬膨れっ面をしたが、すぐにもとに戻り料理中の二人に話し掛ける。
「はい、おはよう」
「おはよう、琴音ちゃん」
「今日は何?」
琴音が目をキラキラと輝かせて聞いている。
「今日はスクランブルエッグをしてみようと思って」
「わー、あれ結構難しいんだよね」
腕を組んでうんうんと唸っている琴音。
お前やったこと――…あるな。
そういえば母さんが居ないときには琴音が飯作ってくれてたっけ。
「私が作る時はいつもお兄ちゃんに合わせてるんだ。それでみんなと平均が取れるから」
「そう…なの?」
俺の方をちらりと見てくる麗奈。
そして何かを決めたのか料理を開始した。
熱したフライパンにバターを溶かし、落とされた溶き卵がジュージューと音を立てて焼かれていく。
「そう、ゆっくり掻き混ぜながらね」
母さんがアドバイスを送り、麗奈はそれに素直に従っている。
そこに塩や胡椒を加えて味付けをし、さらに掻き混ぜる。
辺りにはバターの風味豊かな匂いが広がって優雅な気分にさせて……
「おい、なんか焦げ臭いぞ?」
「あ、あれ? 焦げちゃった」
さっきまでのいい匂いが焼け焦げた匂いで消されてしまった。
「大丈夫よ、焦げたのは周りだけだから」
母さんが火を止めてフライパンを受け取る。
「すいません」
「どうして謝るの? 最初は誰でも失敗するものよ」
申し訳無さそうに謝る麗奈をやさしく包み込む母さん。
「私も最初は真っ黒になっちゃったもんね」
麗奈を励ましているつもりなのか、琴音が苦笑しながら自分の失敗談を語っている。
「はい、とりあえずこれだけ食べられるわ」
母さんは器用に焦げたところを剥がして皿に盛った。
「一口どうぞ」
「なぜ俺?」
「だって、麗奈ちゃんはあなたの味覚に合わせて料理しているのよ?」
「何で?」
「あんたがみんなの平均だからよ」
母さんとの会話に麗奈の声が入り込んできた。
「ふぅ、では一口」
箸で真ん中辺りのを少し挟んで口に運ぶ。
なんか…焦げたところは取り除かれているのは言え、なんか食べたくない。
――というか、体が危険を察知しているような……。
くそっ、せーーの!!
「…………」
「………どうなの?」
「しょっっっっぱーーい!!」
口に入れた瞬間に塩の味だけが急速に広がり、すべての味覚を破壊されたような感覚に襲われた。
「何だこれは!?」
すぐにお茶を飲んで塩の濃度を下げる。
「何って、スクランブルエッグ…」
「塩の固まりだ!!」
「どれどれ?」
母さんがスッと箸を伸ばして卵を口に運んでいく。
「うーん、少し塩が多かったかしらね」
「少しじゃないって!」
苦笑いを浮かべる母さんに堪らずツッコミを入れる。
「ふ、ふん! まだ次があるわよ!!」
麗奈が腕を組んでそっぽを向きながら負け惜しみしている。
「いい!? 何年掛かってもあんたに“美味しい”って言わせてみせるんだから!!」
「あら、何年掛かってもいいの?」
麗奈が指をビシッと俺に向けているその隣で、母さんがすごく嬉しそうな顔をしている。
「…………」
「…………」
その瞬間に俺と麗奈は話すのを止め、固まってしまう。
まずい…完全にからかう気だ。
「あ、そろそろ学校行かないと!」
わざと大きな声を出して麗奈の反応を誘う。
「そ、そうね!」
うまく麗奈が乗っかってくれたので、あとは勢いでなんとかする。
「じゃあ、用意してこいよ!」
「分かった、あんたもお父さんに挨拶してきなさい!」
「まあまあ、“お父さん”ですって」
俺たちのやり取りを楽しく見守っていた母さんが麗奈の言葉に食い付いてしまった。
「あなたー、娘ができてよかったわね?」
「もう黙ってろ!」
父さんに報告するように上に向かって話す母さん。
ここに居たらずっとこんな感じでいじめられてしまう。