水分制限って拷問みたいだ
水分制限って拷問じゃないか!
透析患者が1日で摂取できる水分量は500㎖だ。
私は人間として最低限の自由をまだ許されていると思っていた。
歩くこと。笑うこと。ときには誰かを憎んだり惚れたりすること。
しかし――水を飲む、という、あまりにも素朴な行為すら私には、もう許されていなかったのだ。
水分制限。
それは「あなたの喉が渇いても、それを潤す権利はありません」と言われるのと同じ意味である。
私は水が好きだった。ジュースや酒よりも水が好きだった。
あの無色透明のやさしさが喉をすべる感覚が生きている実感だった。
それがいまでは一日に摂っていい水の量は500㎖だ。
拷問じゃないか。
真夏の炎天下で誰かが水筒を開ける音だけで心臓が跳ねる。
風鈴の音に似て涼やかで、狂おしい。
私の精神が少しずつ水に浸食されてゆく。
見なければいいのにテレビでは冷えた麦茶のCM。
自販機は輝いて見える。
同僚は美味しそうにコカコーラを飲む。
私は、ただ、その横で自分の口の中に唾を溜めて、そっと飲み込むだけだ。
「慣れますよ」と誰かが言った。
そんなことを私は慣れたくなんかない。
慣れてしまったら、もう二度と「渇き」の意味さえ忘れてしまうではないか。
水が飲みたい。心の底から飲みたい。
けれど私は水を敵視するようになった。水は私を殺す。
それでも水が好きだ。
ああ、こんなにも好きなものに裏切られながら、まだ好きでいる私は正真正銘の愚か者である。
水分制限って、拷問じゃないか。
――そう心の中で叫びながら今日も私は水を諦める練習をしている。