世界の片隅の滑り込み
透析が始まる前の、あのどこかしら虚ろで生ぬるい待合いの空気の中で私はようやく自分のベッドに落ち着いた。
落ち着いた、などと書くと聞こえはいいが実際にはただ“そこに置かれた”といった方が正確である。人は透析のベッドに自ら寝るのではなく運命に軽く押されているのだ。私はそういうふうに感じている。
ふと見ればナースコールのボタンが私の手の届く範囲からあきらかに外れた遠い岸のような位置に転がっていた。
ああ、まただ。世界はときどき、こういう小さな悪戯で私を試そうとする。
だが、そのときの私は、どこか投げやりにまあ、どうせ使うことなんてあるものかと思った。強がりというより半ば諦めの安酒のようなものだった。飲み込めば喉が焼けるのに、なぜか手放せない、あれだ。
ところが人間の身体とは、どうしてこうも裏切りが上手なのだろう。
今日に限って腹の奥底から得体の知れぬ声が上がり、トイレへ行けと命じてくる。いつもは無口な内臓たちが、こういうときだけ饒舌になる。
やめてくれと私は心の中で懇願した。
しかし彼らは聞かない。内臓というものは主人の都合など露ほども気にかけないのだ。
私は冷や汗を額に浮かべ、もはや情けを捨てた動物のように、ただ間に合え間に合ってくれと願いながら身をよじった。
ああ、あらゆる品位はこの瞬間において退散する。
人はトイレの危機の前では、哲学も体面も捨て去りただひとつの祈りの塊になる。私もその例外ではなかった。
それでも不思議なことに、なんとか間に合った。
滑り込みの実にかっこ悪い勝利だった。
世界はギリギリのところで、まだ私を見捨ててはいないらしい。




