看護師、岡山マラソン
透析の看護師が岡山マラソンを完走した――その話を聞いた瞬間、胸の奥に小さな電流が走った。
いつも通りの穿刺の時間、消毒液の匂い、機械の低い唸り。けれどその中で彼女の存在だけが突然、光を帯びて見えた。
あの落ち着いた眼差し。
あの無駄のない手の動き。
それらが、まるで映画のワンシーンのように美しく見えた。
私は思わず彼女を見つめてしまった。
彼女の中には静かな強さと誰にも見せない情熱のようなものが確かにあったのだ。
四十二キロという距離を走りきるということは単なる体力の話じゃない。
孤独と痛みと、そして自分との対話の果てにたどり着く何かだ。
彼女はそれを越えた人なのだ。
その事実を知ってからというもの彼女が笑うたびに私は少し目を細めてしまう。
まるで眩しさに耐えるように。
彼女は特別なオーラを纏っている。
制服が光を反射するたび世界のどこかで新しい朝が始まるような気がする。
穿刺の痛みも不思議と軽くなる。
それはきっと彼女の指先が努力と優しさの両方でできているからだ。
私は思う。
この世界には派手に輝く光もあれば静かに灯る光もある。
彼女は後者だ。
声高に自分を語らずただ淡々と日々をこなしながら、その姿で人を励まし癒していく。
そんな彼女を見るたび私は心の中でひとつの言葉を繰り返す。
――美しい。
それは外見のことではない。
(あるいは外見のことだと言っても良い)
生き方そのものが静かに美しく、そして確かに輝いているのだ。
彼女がマラソンを完走したという事実を思い出すたびに私はその動作の一つ一つに物語を見る。
そして私は気づく。
彼女は走ることで強くなったのではない。
もともと強かったのだ。
走ることで、その強さに光が当たっただけなのだ。
彼女のような人は、きっとどんな場所でも輝いている。
朝の光の中でも人工の灯りの下でも誰かの痛みのそばでも。
きっと彼女の存在そのものが世界の濁りを少し澄ませているのだろう。




