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第零幕 剣は快楽、愛は殺意:後編

――笑顔の仮面――



(司視点)


ねえ、生まれ変わりって、信じる?


わたしには、前世があった。そう確信している。

でも、今この時代に生きている“わたし”は、生まれたときからずっと、不思議で仕方がなかった。


人はどうして、笑うんだろう。

どうして、泣くんだろう。

なんで怒ったり、傷ついたりするんだろう――


わたしには、何も感じられなかった。ただ、すべてが謎だった。

それでも、人はそんなわたしを見て「気味が悪い」と言った。


なら、身に着けるしかない。

どんなとき、人はどう思うものか。

ひとりひとりの仕草や、言葉や、表情を、何度も観察して、真似をした。


それが、わたしにとって“生きていくための手段”になっていた。


前世で気づいたときも、今またこの幕末の世に生まれなおしても、結局それは変わらなかった。


人は不思議だ。

でも、うらやましい。


本当は――みんなと同じになりたかった。

あの、心から笑ったり泣いたりできる人間になりたかった。

ただ、それだけなのに。



目の前にいるのは、樹。

親友であり、剣仲間であり、そして――今や、わたしの前に立ちはだかる敵。


「それなら――あたしは先生を守るだけ。司、あんたでも、斬るしかなくなるよ」


その声は静かだった。少しも揺れていなかった。

まるで冗談を言うみたいな顔のままで、本気の殺意を隠そうともしない。


「なんで斬るの?先生は、あんたのことをあんなに大事にしてたじゃない。あたしが嫉妬してしまうほどに」


樹の言葉は、たしかに、わたしの心の奥まで届いた。

けれど、もう遅い。止まる気なんて、とうに捨てた。


わたしも、笑顔のまま刀を抜く。

笑顔は、たぶんもう癖みたいなものだ。

誰に何を思われようと、どんなときでも、わたしは笑うことにしている。

仮面は、簡単に剥がれるものじゃない。


でも、皮肉なことに。今だけは、ほんの少しだけ。

楽しかった頃の記憶が、鮮やかに蘇っていた。


樹と剣を交えたあの日々。笑い合って、切磋琢磨して、互いを高め合った日々。

本当は、ずっとああしていられたら良かった。

でも、もう戻れない。わたしは、そう選んでしまったから。


「……だからこそ、だよ。樹。わたしは、きっとこのままじゃ進めない」



――私は“人間”でいたかった――


息をしている。血も流れている。体温だって、ある。

だったら、私は人間のはずだよね?


なのに、なんで――

こんなにも、何も感じないの?


誰かが笑っていても、泣いていても。

抱かれても、撫でられても。

胸の中は、ずっと、空っぽのまま。


でも、斬ったときだけは違った。

刃が骨を断つ、あの一瞬。

熱が走る。脳が痺れる。足が浮くような感覚。

「ああ、私はいま、生きてる」って、はっきりわかるの。


斬れば、感じられる。

つまり――斬ってるときだけ、私は“人間”になれる。



「何の理由もなく人を斬るのは……そう、“悪”ってやつじゃないの?」


樹の声が、静かに夜を割った。

笑っている。でも、その目の奥は、剣よりも冷たい。


「ましてや――味方であるはずの筆頭局長を斬ろうなんて」


「人を殺すのが悪? そんなの、知ってるよ」

「でも今、私は浪士組。斬るのが仕事。任務なら、何だって許されるんでしょう?」


樹の手が、柄を握りしめたのがわかった。


「……自分が何を言ってるかわかってる?」


私ははっきり頷いた。


「わたし、斬ってないと、人間じゃなくなるの」

「誰といても、何をしてても、空っぽなの」

「でも斬ったらわかる。生きてるって。ああ、私はここに“いる”って」


言葉が止まらなかった。

溢れるように、零れていく。


「だから、斬るしかないじゃない……!」



怖くなかった。

刀の冷たさも、樹の気配も、心に引っかからない。


ただ――斬りたい。それだけ。


血が欲しいわけじゃない。殺したいわけでもない。

あの瞬間にだけ、私は“感じられる”から。

それだけが、私の“人間らしさ”だった。


でも、本当は気づいてた。


そんなふうに人を斬る私が、人間なわけがない。

ずっと、分かってた。

でも見ないふりをしてた。


「任務だから」「命令だから」「仕方ないから」


……全部、嘘だった。

私が斬ってたのは、私のため。感じたいから。確かめたいから。


「だから私は……人間じゃないんだ」


「私は、そういう“物”なんだよ」



それでも――嫌だった。


「私は、人間だ!」

「ちゃんと心を持って、痛みを知って、誰かを好きになれる、“人間”なんだ!!」


ずっと、そうなりたかった。

斬ることで、生きてるって確かめたかった。

愛せるって、信じたかった。


「だから――芹沢先生は、私が斬る」


私を肯定してくれた。

このおかしな私を、“それでいい”って言ってくれた人を。

私が、ちゃんと斬る。


「そうすれば、私はきっと“人間”だって証明できる!」


だから――


「樹、あなたは邪魔なんだよ」


守る? 違う。

「樹だって自分の居場所を守りたいだけじゃないの?」


「……いくらあんただって、立ちふさがるなら、斬る!!」



血が、沸騰する。

心臓が喉元まで上がってくるのに、息は乱れない。

頭の中は澄み渡り、ただ一つの思いだけが残った。


――殺したい。斬りたい。


視界が、遅れてついてくる。

すべてが止まって見えるのに、私の身体だけが加速していく。


熱も、冷たさも、もうどうでもいい。

私は今、確かに“生きてる”。



「……あなたの目、赤いわ」


樹が笑った。

「まるで鬼、そう――剣の鬼ね」

「人を斬るたびに、あなたは“人”じゃなくなっていく。……それが、あなたの本当の顔?」


「……それでいいよ」

私は瞬きもせずに言った。


「鬼でも、なんでも。今の私には、それしか残ってないから」


吐く息が白い。

こんなにも熱いのに、内側は凍るように冷たい。


「剣の鬼ね……」

樹が呟く。


「私は、先生の剣。

先生の女。

先生が守り、愛し、選んだもの」


「だから――余分なあなたを、斬る」


迷いのない声だった。


なのに、ほんの一瞬、胸が痛んだ。

違う。これはただの、鼓動の音。

血が踊ってるだけ。

この“斬り合い”が、嬉しいだけ。


「来なよ、樹」


私は静かに言った。


「きっと私たちは、ここでしか、通じ合えないから」


その刹那、風が吹いた。

誰の声も届かない、静寂の只中で――何かが、始まった。




何かが閃光のように脳裏に走った。




――わたしの、はじまり。

小さな手、土と泣き声と、笑っているふりをした顔。


あれから、私は何を失って、何を知ったのか。

「……あの頃は、もっと、うまく生きていた。」


前世――その言葉を、今のわたしは時々、心の奥で転がす。

あの世界では、泣きたいときに泣けたし、笑いたいときは、自然に声が出た。

空っぽでも苦にはならなかったし、「どうして?」と悩むこともなかった。


誰かに理解されたいと思うこともなく、誰かを理解しようとも思わなかった。

ただ、与えられた日々の中で、ごく当たり前に息をして、眠り、朝を迎えるだけで、それなりに幸せだった。


でも――

今は違う。

この幕末の世で、剣の才に目覚め、鬼になりながら、

それでも「人間になりたい」ともがいている自分がいる。


苦しい。

苦しいけど、生きている。

苦もなく生きていた頃の自分を、ふと思い出すたび、

「どうして今は、こんなに必死なんだろう」と、不思議にすら思う。


でも――


(それでも、わたしは、この世界で“人間”になりたいんだ)


かつての自分では想像もできなかった渇望と、

今、ここで生きている証の重さを、

夜ごと静かに抱きしめながら――

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