第八幕 恋心の隣で、剣は問う:後編
山南「……司君、今日はずいぶん静かですね」
源三郎「ええ、いつもなら、左之助君と一緒に無茶をして叱られるのに」
山南「初陣の夜、やはり心に残るものがあったのでしょう」
源三郎「強い子ですけど、まだ十五、いや、十六にもなっていませんから」
山南「でも、彼女はどんな時も“自分の役目”を迷わず選びます。……それが、少し心配なんです」
源三郎「わかります。無理をして“平気なふり”をしていなければいいのですが」
山南「誰かが見守っていれば、きっと――。司君も、きっと“人間”のままでいられるはずです」
源三郎「はい。……私たちが、ちゃんと支えていきましょう」
山南「ええ。これからも、彼女の“背中”を見ていきたいですね」
――闇の中の役割分担――
(司視点)
賊の叫びと怒号が夜を切り裂いた。
村人たちの悲鳴、逃げ惑う子供の泣き声。
私は、焚き火の消えかけた炎の前で、冷静に「自分の動くべき場所」を考えていた。
「司」
勇さんが、私の肩を掴む。
その手にはいつもの優しさではなく、迷いのない強さがあった。
「お前は、村の後ろに回れ。村人たちの避難誘導を頼む」
「……私も戦えます」
「分かってる。でもな――お前が守る“人”がいる。ここで村人が死ねば、それが一番の負けだ。分かるな?」
一瞬、何か言い返そうとした。けれど、すぐに納得した。
(目的の定義。勝利条件の優先順位。勇さんの判断は理にかなっている)
「承知しました」
私は短く頷いた。
山南さんと井上さんが「司、こっちは任せろ」と声をかけてくる。
山南さんは村人を集め、井上さんは手際よく老若男女を分け、最短経路で避難を指示していた。
(この場の全員が、完璧に“動いている”)
一方、前線では左之助、土方さん、新八さんが、賊の先頭集団と刀を交えている。
勇さんは一歩引いて村の入口を守る位置に立ち、木刀を手に――それでもなお、「できれば斬らずに済ませたい」と目が言っていた。
私は民家の影をすばやく移動し、倒れた老婆を背負い、泣き喚く子供たちの手を引く。
「大丈夫、こっちにおいで」
私の声は静かだ。
混乱した人の流れを、動線と配置で制御する。
“人間”ではなく、“オペレーター”として機能する感覚だった。
(村人避難、九割完了。西の畑側、見落としなし。進行方向に敵なし――)
状況を脳内で整理していた、そのときだった。
「たすけて! 弟が、まだ家に!」
小さな女の子が私の袖をつかんだ。
「弟?」
「外に出れないの……!」
脳内に、妙な違和感が走った。
(――合理的に言えば、“見捨てる”が最善策だ。けれど)
私は、頭の中の回路が一瞬で加速するのを感じた。
“助けられなかった”子供が一人いることで、村の救出率は下がる。
――そんな冷たい計算が、一瞬、消えた。
(理由は分からない。ただ――嫌だ)
気がつけば、私は走り出していた。
“合理”じゃない。
“プログラム”でもない。
これは、――何?
(なぜ? なぜ、私は――)
理由は分からなかった。
助けなければいけない、ただそれだけだった。
そこに、初めて自分の知らない感覚があった。
――心臓が、さっきからずっと、変な動きをしている。
理屈じゃない。
何かが、壊れ始めている。
――初陣の夜――
(近藤勇視点)
「斬らずに済ませる」
そう思っていた。
本当に、最後の最後まで、信じていた。
賊の一団が村に雪崩れ込む。
土方が、山南が、左之助が、――それぞれの持ち場で戦っている。
俺は、村の入口で立ち塞がる。
手には、木刀。
「これで十分だ」と自分に言い聞かせていた。
(本当に……これで、守れるのか?)
賊が一人、二人と襲いかかる。
俺は木刀で受け流し、殴り倒した。
それでも、斬らなかった。
できる限り、誰も殺さず、抑え込む。
――それでも、事態は変わらない。
突然、背後で土方の叫び声がした。
「かっちゃん! 下がれ――ッ!」
振り返ると同時に、土方が俺の前に躍り出て、賊の刃を受け止める。その刃先が、土方の肩を深く裂いた。
「……っ、トシ!!」
血が、跳ねた。
その瞬間、俺の中の何かが弾けた。
木刀を捨て、真剣を抜く。
賊が、土方めがけて追撃しようとする。
「……やめろ!!」
腕が、勝手に動いていた。
理屈じゃない。ただ、仲間を、トシを、守りたかった。
――斬る。
初めての感覚。
刀が肉を断つ。骨を断つ。
その感触が、手のひらに、腕に、全身に残る。
賊が一人、倒れた。
それだけで、全身の血が凍ったようになった。
足が、震える。
(……俺が、俺が、斬った――?)
でも、土方が、血を流しながらも、こちらを睨んでいた。
「かっちゃん……! お前が死んだら、意味がねぇだろ!」
俺は息を呑み、歯を食いしばった。
もう、ためらいはなかった。
「トシ、下がってろ。ここは俺がやる」
次の賊が襲いかかる。俺は躊躇なく、斬った。
また一人。
また一人。
血が、飛ぶ。
心が、震える。
それでも、もう止める理由はなかった。
みんなを守るため――
俺が、斬る。
そう決めた瞬間、刀の重みが消えた気がした。
何も考えず、ただ、前を見ていた。
(守るために、俺は斬る)
痛みと衝撃と、何もかもを受け止めながら、
俺は――
戦い続ける覚悟を決めた。
――熱――
(司視点)
(全体効率からすれば切り捨ててもいい。でも……)
脳裏に浮かんだのは勇さんの顔、土方さんの「頼んだぞ」の声、山南さんの静かな眼差し。
「“合理”より、やるべきこと」――どこかで覚えたらしい新しい命令。
私は走る。
闇の中を、足音を殺して。
(泣き声……右。縁側の下。狭い、動けない)
小さな影が、物陰に蹲っていた。
泥にまみれ、顔も袖も涙と血で濡れている。
私がしゃがみ込むと、目を大きく開いて見上げた。
「……大丈夫。こっちへ」
手を差し出した時、不意に背後で気配が分裂した。
(囲まれている)
視線を巡らせる。八人。
短刀、棍棒、火挟。
下卑た笑い声。
「おいおい、子守りか?」「ええ女じゃねえか……」
“女”という情報に、明確に全員の興味がこちらに集中した。
(悪条件だが、交渉可能性あり)
私は笑った。
「お願いです。通してください、子供だけでも――」
声色を震わせ、袖を握り、涙を滲ませる表情――
これが「か弱い女」パターンの正解……のはずだったが。
「へっ、嘘泣きかよ」「色気出しても無駄だぜ」
何人かは、面白がるように顔を歪めた。
(不発。過去の模倣情報に齟齬。無駄だ)
私は、すっと態度を切り替える。
「じゃあ、せめて私だけでも助けてください」
誘惑もどきに袖を引き、笑顔を作る――
だが、「わざとらしすぎ」と鼻で笑われるだけだった。
(判断。おとりとなり子供を逃がす以外に選択肢なし)
私は、子供を背にかばいながら、ゆっくりと鞘から刀を抜いた。
真剣の重みが、手の中で冷たい。
(“剣を抜く”――その時点で殺す準備だ。迷いは排除)
八人が、一斉に間合いを詰めてくる。
私は、足をずらし、斜めに身を置いた。
「逃げて。走れる?」
子供にだけ小声で囁く。
(無理でも構わない。少しでも離せば、私の“責任”は果たせる)
「おいおい、お嬢ちゃん、怖がるなって」「素直にしとけば、優しくしてやるぜ?」
(“美人”という情報を最大限利用する)
私は一歩踏み出し、逆に八人の前へ出た。
「誰から来るの?」
そう言って、わざと微笑んだ。
賊のうち一人――背の高い男が先に来る。
刃物を手に、素人にしては腰が据わっていた。
(最優先排除)
私の体が勝手に動く。
踏み込み、間合い、視線、呼吸。
刀を振るう。
「――ッ!」
重み、反動、手応え。
感触が、全身を駆け抜ける。
手の中に生温いものが伝わる。
返り血。
男が呻き声を上げて膝をついた。
(殺していない。筋肉の浅い部分だけを狙った。だが――)
頭の中が、一瞬で“熱”に包まれた。
何だ?
視界が、歪む。
(……気持ちいい?)
わからない。
初めての高揚。
心臓が早鐘を打つ。
(なにこれ……?)
思わず、口元が緩む。
笑っていた。
自分が、笑っている。
なぜ?
こんな時に――
(プログラム、エラー。制御できない。止まらない)
賊の声が聞こえる。
「おい、何だあいつ……」「鬼か?」
私は笑っている。
笑いながら、もう一度刀を振るう。
今度は、もっと深く。
相手の顔が歪む。
血が飛び、地面に赤いしぶきが散る。
(なんで、こんなに体が熱い?)
わからない。
でも、止められない。
もっと――もっと、斬りたい?
(だめだ、私、止まらない……)
指が震える。
腕が熱い。
足元がふらつく。
「……っ!」
突然、背後から強い衝撃。
倒れ込む子供の悲鳴。
視界の端に、別の賊が回り込んでいるのが見えた。
(合理的行動が……できない)
動けない。
プログラムが停止した。
指令が飛ばない。
私は――
「――っ!」
そのまま、硬直した体に刃が迫る。
賊の笑い声。
子供の泣き声。
私は、立ち止まったまま、何もできない。
(……私は今、どうすれば?)
わからない。
ただ、胸が焼けるような熱でいっぱいだった。
――ここで、死ぬのかもしれない。
だが、それでも、心のどこかで――
「斬るのは、楽しい」
そんな“声”が、確かに響いていた。
初めての“熱”。
初めての“エラー”。
私は今、“人間”になるための代償を――
まさに、味わい始めていた。
(プログラム、再起動不能。エラー。エラー――)
刃が振り下ろされる直前、私は小さく息を吸った。
――ここから先は、もう合理も理屈もなかった。
――血の夜、友の夜――
(左之助視点)
賊の夜襲なんてのは、正直、もっと泥臭いもんかと思っていた。
だが実際には、そうじゃなかった。
――最初の一閃を除けば、あとはもう、ただの戦だった。
俺の槍が宙を切る。
重みとしなり、その先端が賊の腕を裂く。
返す刃で脇腹をえぐれば、男は呻き声も上げずに崩れた。
「……一人」
呼吸が荒くなる。
だが体の芯が、やけに静かだ。
不思議と、心が澄んでいる。
(……俺は今、ちゃんと戦えている)
さっきの近藤さんの顔が浮かぶ。
あの人は――迷っていた。
斬るべきか、斬らざるべきか。
ずっと揺れていた。
けれど、土方さんが斬られた瞬間、迷いを断ち切った。
木刀を捨てて、真剣を抜いた。
あの人の顔――あの「覚悟」の目は、本物だった。
「俺が守る」と決めて、人を斬った。
泣くでも、叫ぶでもなく。
それでも動揺を押し殺し、皆の前では堂々と構えていた。
……思ってたよりも、ずっと強い人だ。
安堵した。
近藤さんが、ちゃんと“剣の人”になれたのを見て。
(俺は、迷わねえ)
再び目の前の賊に槍を構える。
槍の間合いは、相手の刃よりも長い。
二人、三人と寄られても、まっすぐ突き崩すだけだ。
「おらァ、まとめてかかってこい!」
勢いよく踏み込み、横薙ぎに払う。
賊の一人が慌てて下がるが、その隙を逃さずに喉元をかすめた。
血が夜風に飛沫になって消える。
俺はそのまま、次の賊に向き直る。
「左之助、無茶しすぎるなよ!」
背後から聞こえたのは、永倉――新八の声だ。
「うるせぇな! 槍は動き続けてこそ意味があるんだよ!」
「ったく、バカ力は相変わらずだな!」
永倉は、抜き身の刀を振るっていた。
流れるような足運びで、二人の賊を同時に相手している。
刀の軌跡は、美しいほど正確だった。
「さっきからそっちはいいとこ取りばっかだろ、新八!」
「そっちこそ、先に全部片付けるなよ!」
互いに軽口を叩きながらも、手は止まらない。
永倉の刀が賊の肘を落とし、俺の槍が脛を刈る。
二人で息を合わせれば、どんな敵でも怖くはなかった。
(……不思議なもんだな)
初めて会ったのは、ついこの間だ。
それなのに、もう“仲間”ってやつになってる気がする。
「左之助、そっち、任せた!」
「おう!」
俺は声に応えて、最後の賊に飛び込んだ。
手元をすくい、肩口を突き上げる。
肉が割れる音と同時に、賊が地面に崩れた。
荒い息を吐きながら、槍の先を見つめる。
血が滴る。
けれど、不思議と恐ろしくなかった。
むしろ、体の奥が火照るような感覚。
自分が“生きてる”って、こんなふうに思えるのか。
(俺は、これが嫌いじゃねぇ)
永倉が刀を納めて、俺の隣に来た。
肩で息をして、笑う。
「……左之助、強いな」
「新八こそな。腕も、度胸も、なかなかだ」
「敬語はやめだ。お前も呼び捨てでいい」
「ああ、じゃあ遠慮なく」
二人で笑い合う。
その間に、周りの空気が少し和らいだ。
「入口の賊は、全部片付いたみたいだな」
「ああ。村の連中で見回りするってさ」
俺たちは武器を拭い、村の様子を見て回ることにした。
――
村道には、まだ血の跡が残っていた。
だが、空にはもう薄明かりが差し始めている。
「……なんだか、妙な夜だったな」
永倉がぽつりと言う。
「ああ。だけど、やることはやった」
村の端で、近藤さんがひとり立っていた。
肩で息をしながら、空を見上げている。
俺と永倉は、その背中をしばらく見つめていた。
「近藤さん、やっぱりすげぇよな」
「ああ。迷ってても、最後はちゃんと決める人だ」
永倉が肩を叩く。
「左之助、今日はよくやったな」
「新八もな」
二人で拳をぶつけ合う。
――疾風、そして救済――
(司視点)
目の前に広がるのは、鮮烈な赤。
返り血が頬を打ち、掌が痺れている。
私は――笑っていた。自分でも分からない。
斬る、という感覚が、今までにない高揚を連れてくる。
全身が熱い。頭がぐらぐら揺れる。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
おかしい。止まらない。
体が思うように動かず、思考がどこか遠くで歪んでいる。
「おい、お嬢ちゃん、もうお終いか?」
賊の低い声が耳に届く。
背後から、さらに別の気配――
体が動かない。合理的なプログラムが、どこかで壊れかけていた。
(もっと、斬りたい……)
自分が恐ろしい。
だが、止まらない。
その時――
――突風が、吹き抜けた。
「離れろッ!」
怒号とともに、槍の唸る音。
視界の端、賊が一人、宙を舞った。
もう一人――三人、四人――
瞬きする間もなく、圧倒的な力が賊をなぎ倒していく。
左之助――
荒く息を吐きながら、真っ直ぐに私を見据えていた。
「司! 大丈夫か!」
その声に、何かが崩れた。
(……かっこいい)
思った。
心が、微かに跳ねた。
だけど、その奥で、まだ「斬りたい」という熱が消えない。
私は、じっと左之助の手を見つめた。
その手は血で汚れていて、それでもどこか安心できた。
――私は、どうしたらいい?
わからない。わからなくて、体が勝手に動いた。
「……ごめん、左之助」
私は、彼の背中に、無意識のまま抱きついていた。
力が抜ける。何も考えずに、ただ頼りたかった。
左之助の体温が伝わる。
槍を持つ手が、ゆっくりと私の指に触れる。
「……無理すんな」
低い声で、左之助が言う。
何も責めない。
何も聞かない。
それだけで、体の奥の熱が少しだけ静まった。
(……私、斬りたいだけじゃない。怖い。苦しい。どうしようもない)
理屈もプログラムも、今は役に立たない。
でも、彼の手があるだけで――ほんの少し、戻ってこれた気がした。
私は顔をうずめて、そっと呟く。
「……ありがとう」
賊たちの死骸が静かに横たわる村の外れで、私はしゃがみ込んでいた。
自分の掌を見つめる。血の跡はもう薄いけれど、熱の余韻がまだ指先に残っている。
山南さんに叱られた。「なぜ独断で動いたのか」と。
井上さんも心配そうに「危なかった」と眉をひそめる。
けれど、その言葉の全てよりも、自分自身の内側が、なによりも私を困惑させていた。
(斬った。楽しかった。怖かった。……どうしたらいいのか分からない)
私の中の“プログラム”が、今夜だけはまるで役に立たなかった。
勇さんも、同じだったのだろうか。
遠くで、勇さんが土方さんと並んで焚き火に当たっていた。
あの人も、きっと今夜初めて「人を斬った」のだ。
どこか、昨日よりも少し大きく見えた。
土方さんが無言で酒を注いでいる。その肩が、いつもより近くに見える。
夜が明け、戦の後始末を終えた私たちは、静かに江戸へと帰路についた。
村の道を抜けて、朝日が射す。
左之助は、隣で槍を肩に担いで歩いている。
普段よりずっと静かだ。
私は迷った末、自分から手を伸ばした。
左之助の大きな掌。
指先が少し震えているのが分かった。
彼は顔を赤くして、目を逸らしている。
「……かわいい」
小さく笑みが漏れた。
この感情は、合理性から出たものじゃない。
理由も損得も考えなかった。ただ、そうしたかったから手をつないだ。
(これが“恋”ってやつかな)
初めてはっきり、そう思った。
体の奥から、温かいものが湧き上がる。
今はこの手のぬくもりを、大切にしたい――そう思えた。
私たちの絆は、戦いと傷の夜を越えて、少しだけ形を変え始めていた。
司「ねぇ左之助、……すごく、かっこよかったよ」
左之助「おう! やっぱりな。どうだ、俺に惚れたか?」
司「……うん。惚れた」
左之助「っ……! ま、マジかよ……! よっしゃああああ!」
司「……かも、ね」
左之助「お、おい、そこは素直に惚れたって言っとけよ!」
司「本当に惚れたら、もっと困らせてあげるから、覚悟しててね」
左之助「……ドキドキすんだろ、それ……」
司「今日はいい夢見てね。左之助、ほんとにかっこよかったよ」