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ひなたぼっこ プラマイッ!  作者: 猫桃杓子
9/16

続・神田川

黒い革ジャンの大男と、ピンクのジャンパーの小娘が連れ立って行くのを京の都はどう受け入れたのだろうか。カップルと見るにはつれなくて、兄妹と見るにもよそよそしい。大男が小娘を見る姿はぎこちなく、小娘が大男に話しかける言葉も距離感を測りかねていて初々しい。季節は間違いなく冬で、風呂上がりの2人を取り巻く空気は冷たい。2人が吐く息は白い綿あめのようで、それは現れてはすぐに溶けるように消えた。


大男と小娘…ハルヒトとマイコは、マイコのおねだりで風呂上がりの散歩に行くことになった。地元民が『鴨川デルタ』と呼ぶ場所で、賀茂川と高野川が合流する場所なんだそうだ。ハルヒト曰く『ちょっとした観光地で、みんなの憩いの場』らしい。…デルタ?京都なのにカタカナ名なんだ…。


大阪でも泉州の南地方のマイコには、古都であるはずの京都人のネーミングセンスに首を傾げた。京都なら何もかもが仮名文字か漢字か古語だと思い込んでいたのだ。しかし、そこでハルヒトに異を唱えるのは無粋だった。

「かっこいい名前だね。」とりあえずそう言っておく。お茶を濁すというやつだ。


銭湯で頭も体も芯からホッコホコに温まっているマイコには、1月の京都の夜気が実に心地よい。スキップしながら『神田川』をハミングしながらハルヒトに着いていく。背の高いハルヒトの歩調に合わせるには早足や大股で歩くより、スキップのほうが楽だった。


川沿いに出た。大きな橋から三角州が見える。あれが『鴨川デルタ』。2本の浅く広々とした川が1本の流れになり、自然の雄大な景色が広がっている。無数の街灯に照らされキラキラと輝く水面は幽幻な日本画のよう。遠くにはうっすらと群青の山影も見える。昼間は人や車が激しく行き交う日本でも有数の都市なのに、こんな穏やかな場所があるなんて。鳥居や城がなくても、ここもまた千年の歴史を生きた京都を代表する景勝地の1つに違いなかった。


「あれ何?川の中!」マイコが指さしながら近づいた。川の中に平たい石が列を作り、こちら側から三角州、そして更に川を渡って向こう岸まで。お坊さんとかがこの石に1人ずつ立ってお教を読んだりするのかな?『ゆくかわの流れは~』とか言って和歌を読んだりする偉い人が来たりとか。


「あれは飛び石。子どもや学生が渡って遊ぶねん。途中に亀の形の石もあるで。」

…え?遊ぶもの?遊んでいいいの?歴史の都なのに?もちろん遊ぶ!


「へえ〜、渡りたい!」走り出そうとしたマイコの動きを予想してたかのように、ハルヒトはマイコのジ首根っこを掴み、もう片方の手でマイコの顎をクイっと自分に向けさせ、

「夜は危ないって。足滑らすかも。」マイコの顔を覗き込むようにしてハルヒトは止めた。みるみる口をとがらせ、頬を膨らませるマイコを見て、満足げに笑う。その笑いにマイコは子供扱いされたのを感じて、ぷいと顔をそらした。…なんだ?一緒に銭湯行って奢ったからってもう兄貴風吹かすのか?おお?


マイコは少し高い所まで1人で歩き、鴨川デルタ全体を見渡した。大きく息を吸い込む。キレイだ。夜空の月も星も、目をこらせば遠くに連なる群青色の山も、街灯も橋をわたる車のヘッドライトも何もかも。道行く人のくわえタバコの火さえ、ホタルのように見えなくもない。…季節外れだけどね。


「そういえばさ~。」

飛び石を何十往復もしたかった気持ちを鎮めて、ハルヒトに話しかける。

「今日、ハルくんの部屋にあった『宝島』って雑誌でさ、京都の鴨川には等間隔でカップルが並んでるって記事があったけど、あれってここ?」

「いや…。それはもっと南。三条から四条あたりの鴨川沿い。ここのことちゃう。」革ジャンのポケットに手を突っ込んでハルヒトが答えた。ハルヒトの目も遠くの方を見ている。

「ふ〜ん。」マイコは少し離れた所にいるハルヒトを見た。…あれ?なんだろ。なんか違う人みたい。

急にハルヒトが別人のように見えたのだ。背の高い知らない男の人に。


マイコは、お蕎麦屋で初めて会った時からずっと自分に視線を注いでいたハルヒトに、他人ではない強い親しみを持っていた事に、今気づいた。箸袋に書かれた住所に、今すぐ行っても良いんだと思わせた『何か』。京都で間違いなくマイコを待っててくれて、歓迎してくれると思わせた『何か』。実際には歓迎には程遠いどころか、完全に忘れ去られてたわけだけど、それでも押せば何とかなる確信を持たせる『何か』があり、実際にそれを感じて色々やった。フィフティ・フィフティのルームメイトにもなったし。


でも今、マイコのすぐ近くにいるはずのハルヒトからはその『何か』は失われ、遠い存在になってしまっていた。

濃いデニム・ジーンズ。黒い革ジャン。閉じてないジッパーから見える白いシャツ。シャツの上からでも分かるぶ厚い胸板。広い肩と大きな背中。決して振り返るようなイケメンではないが、知的で品のある薄い顔立ち。靴も腕時計もあの日のままなのに、マイコに強い親しみを感じさせてくれたその全てが、今は完全に離れているのを感じた。


何を考えているんだろう?静かな目はマイコではなく、全く違うものを見ている。口元は少しも笑っていない。かといって怒ってるのでもない。背筋を伸ばすとあんなに背が高かったのか。手がポケットに入ってて見えない。手が見えないのは不安だ。さっき、川に向かって走ろうとしたマイコを即座に捕まえたのはあの手なのに。ポケットに入れてたら出来ないよ、ひょいって。…私、どっかに行っちゃうよ?


…このまま黙って歩いていったら、ハルヒトさんは私に付いてきてくれないのかもしれない。私一人で歩いていくことになるのかもしれない。


マイコは2つに割れて、セーラー服の後ろのようになってたジャンパーのフードのジッパーを閉めて頭に被ると、くるっと背を向けて、早足で歩き始めた。口を引き結び、ハルヒトを見ずに。


少しして、マイコを追う足音が聞こえてきた。ゆっくりゆっくり。背の低いマイコの脚は短く、ハルヒトの脚は長い。マイコがどんなに早足になっても、ハルヒトを引き離せるわけはない。…付いてきてくれてる。ハルくん、付いてきてくれてるんだ。


マイコはそのまま歩き続けた。…どんな顔してるんだろ?何か聞いてくるかな?『急にどうしたんや?』とかって。そしたら言ってやろう。なんて言おうか…『ね、急に来た私のこと、どう思ってる?』

いや、そんなこと聞けない。『迷惑この上ないけど?』って言われたらどうしよう。そして、『なんやホームシックなんか?そんなら大阪に送るで。』…言いそうだ。そんな事言われてたまるもんか!私はここでやってくんだから!


押し黙ったまま去っていく2人の後ろで、鴨川デルタの夜は更けていった。


マイコの小さな体から銭湯の熱がすっかり消えた頃、2人はアパートに着いた。マイコは靴を脱いで部屋に上がり、ハルヒトのベッドから毛布をぶんどり、「あー楽しかった!おやすみ!」と声を張り上げた。


マイコは押し入れに入って壁の方を向いて寝転び、毛布を頭まで被って目をぎゅっと閉じ、わざと寝息を立てた。帰る道、一言も話してくれなかったハルヒトを恨みながら。


背後でハルヒトがふーっと、ため息をついた。









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