ビューティフル・サンデー
四国3日目、朝5時過ぎに起きて、女将さんの好意でまだ早い時間なのに素晴らしい朝食を用意してもらて、またまた2人で盛大に平らげたものの、満腹からの睡魔に襲われたのか、ハルヒトは二度寝してしまった。…本当にレディに対して気遣いがないやっちゃ。
マイコはハルヒトに毛布をかぶせてやり、そのまま部屋を出ていき、玄関へ向かう。お目当ては本棚のミステリー小説。昨日たまたま手に取って読んだ本がめちゃくちゃ面白く、今から再読開始なのだ。読書っていうのは1回目でストーリーを把握して、2回目で登場人物全員の親友となり、3回目でセリフから情景描写、場所の住所や出てくる食べ物、その作り方、完全に記憶する。それがマイコの読書だ。1度読んでからの2度目が好き。どうしても初見は話の筋に夢中になりすぎてしまうきらいがある。マイコはワクワクしながら本を手に取った。ハルヒトが寝てしまってくれたことに感謝しながら。マイコはまたすぐに本の世界へ潜っていった。
「マイコー?どこ行ったー?」ハルヒトの呼び声にマイコは現実に帰った。物語はちょうど読み終え、あとがきを読んでいたところだ。文句なしに面白い!絶対買うぞ!
「マイコー!そろそろ行くよー?」
「…もう出る?」…本との別れが名残惜しい。もう少し余韻に浸りたい。
「うん。そろそろ荷物つもかー。」
マイコは諦めて本を本棚に直してお礼を言って部屋に戻り荷物を持ち上げた。自分の片づけはとっくに済ましてある。部屋に残ってるのはハルヒトの脱ぎっぱなしの靴下と、ハルヒトの外したままの腕時計と、ハルヒトの忘れたままのジャケットだ。それも全て持ち上げて部屋を出る。ハルヒトはとっくに玄関を下りて靴を履いていた。…あいつ、よくこんなに忘れ物して気づかないな。私がいなかったらどうするつもりだったんだろ?
民宿の女将さんに「ドライブのお土産に」と貰ったしょうゆ豆を膝に抱えて、朝の光の中、ハルヒト号はつぎのうどん屋さんに向けて出発した。
ハルヒトの一押しだと言う、とろけるような玉子かけうどんを食べた後、ハルヒトの「たぬき、好き?」の問いかけにうなづいた後、ハルヒト号は八島へ進路を向けた。
マイコは口に残るとろりとした生卵と熱いうどんの甘ったるい感触を何度も飲み込もうとしたが無理だった。いつまでもいつまでも口の中で消えない。こんなにも楽しい時間は何年ぶりだろう。ハルヒトとの四国ドライブは、魔王もその手下もいない世界での幸せな冒険ゲームだ。思えば実家を出てからずっと戦闘モードだった。途方もなく広いフィールドにたった一人で立ち、装備もアイテムも不十分のまま、ダンジョンに迷い込んだり、沼地で迷ったり、敵と対峙したり。もちろん楽しいこともあったけど。愉快な仲間との出会い、悲喜こもごも、そして別れ。寝て起きたら戦闘モード。それが今はハルヒトの運転する車に乗せられ、どこに行くとも知らないまま、時折うたた寝しながら、美味しいもの食べ放題の時間を過ごしている。それはまるでさっき食べた茹でたての玉子かけうどんのように。湯気を顔に浴びながらもちもちアツアツのうどんを頬張るとハルヒトが笑う。口に広がる醤油と卵の黄身。もぐもぐしてると、ほっぺたをハルヒトにつつかれて、「ここ、めっちゃ幸せのかたまり入っとるやん!」…これを消し去るにはきっと、とんでもなく冷たく苦いお茶でも全身に引っ被る他は無いのだろう。
地図のページをめくりながらハルヒトと笑いあってるとタヌキ王国に着いた。どこもかしこもタヌキの焼き物だらけだ。確かタヌキは信楽だったはず。幼いころに家族で行った覚えがある。花を生けるための花器を探す母と姉たちの横でタヌキの置物が欲しいと駄々をこねて泣いたっけ。父親が見かねて頭に花飾りの付いた小さなタヌキを買ってくれた。あれは今どこにあるのかな?おばあちゃんと名前を付けたような…。
「マイコ!こっちこっち!おもしろいもんあるから!」タヌキに夢中になってたマイコがハルヒトに呼ばれて向かったのは『屋島合戦絵巻』と書かれた大きな看板だった。
「屋島!」マイコも思わず声が出る。ここがあの屋島だったんだ!
歴史の授業でも、歴史漫画でも、平家最期の戦い。笛の名手・平の熱盛の最期、那須与一の鏑矢。マイコの通った進学塾でも盛り上がった場面だ。ボールペンを分解してバネとインク芯で弓矢を作り、テストを的にして遊んでいた男子たちの隣で、女子もキャーキャー声援を上げていたっけ。
…『源平屋島古戦場』とは、こんなとこにあったんだ。マイコは感動していた。漫画や教科書に載っていた事が実際に現地で見られるなんて…これが旅の醍醐味なんだ。
ハルヒトはもう大はしゃぎで歩きながらマイコに解説を始めていた。まるで目の前で見てきたようにしゃべるハルヒトに周囲の観光客も笑顔だ。…嬉しいけど、ちょーっと恥ずかしいかも。でも嬉しい!
「マイコ、マイコ!あれ知ってる?やったことある?」展望台に向かっていたハルヒトが指さす方を見ると『瓦投げ』の看板があった。もちろん何か知らない。
「んっと、ちょっと待って。今、読んでる。」
弘法大師、源平合戦、戦勝祈願、開運厄除、よしOK!
木の箱に小銭を入れてマイコは
素焼きのお皿を三枚、手に取った。そして願い事を書く。
『心願成就』『厄除け』『恋愛成就』…どう見ても瓦には見えないお皿、カワラケと呼ばれてるお皿にはすでに書かれてある文字の邪魔にならないように、横でニカニカしながら覗き込もうとするハルヒトに見られないように慎重に短く願い事を書き入れた。カワラケで覆いながら。
「何書いたん?何書いたん?見せてや~!」ハルヒトが子供みたいに付いてくるのを振り切るように早足で崖の上の手すりギリギリ、まで行く。…ん?こいつはやらないんだ。
マイコは願いを込めて力いっぱい、的の金属っぽい輪っかに向かって投げた。当たらないし、くぐらない。
「むずかしー!」マイコは二枚目、三枚目も投げた。心の中で当たれ当たれと念じながら。三枚のカワラケはどれも的には当たらず、緑の木々の中へ落ちていった。だが、海をバックにクルクルと回りながら飛ぶカワラケは風景に溶け込んでいた。屋島の、四国の美しい自然の中へ。マイコは満足した。…当たらなくてもいい、ここに私は来たんだから。私の願い、いつか土に還って育つかな。
ハルヒトはマイコがしょんぼりしてると思ったのか、すぐ近くに体を寄せてきたので、マイコは顔を見られないように、素早くすぐ近くにあった望遠鏡に100円玉を入れた。小さな円の中を覗いて目を見開くと瀬戸内の海が白っぽく見えた。古そうな望遠鏡は重くてスムーズに動かない。…あれ船かな?あっ今の鳥?どこまで遠くまで見えるんだろう?ずーっと先の未来とかまで見せてくれないかな?
ガチャ!
「あー終わっちゃった!早!」唐突な機械音にびっくりして、飛び上がるように望遠鏡から顔を離したマイコはハルヒトの顔を見た。ハルヒトの顔を見るための心の準備に100円。悪くない。
「それで100円か。」
「楽しかった!」
「見えた?」
「見えた!海!」
「海、珍しいんや。」
「うん!海と山ってきれいだね。瀬戸内ってきれい。タヌキ、かわいいし。」
「マイコの好きなもんばっかりやな。」
「うん!来てよかった!」
「まだあるで。」
「うん?」
「マイコの好きなもの!」
「えっ?猫?」
「ちゃうわ~。あれ!」
「ソフトクリーム!わーい!」
マイコはハルヒトの手を引っ張りながら駆け出した。ラグビーでも無いのに走りたない~肩抜ける~と唸るハルヒトにお構いなしに。それは瀬戸内にきらきら輝きながら舞ったマイコの願いそのものだった。