チキチキバンバン
バイト帰り、マイコはいつも通り鼻歌を歌いながら商店街へ向かっていた。
最初は怖かったレストランの仕事にもすっかり慣れ、志奈子さんとはおしゃべりを楽しみ、嫌みな女子社員の攻撃は巧みに避け、厨房スタッフさん達とも交流を持てるようになって、マイコは自分のペースを掴み始めていた。
ただ志奈子は週5のシフトでマイコは週6だったので、ひとりぼっちの日もある。そんな日は覚悟はしてたけどやはり社員の攻撃はきつかった。
「あんた、料理運ぶ時、もうちょっと上品に出来へん?飯屋やないねんから。」
「靴音うるさいで。パタパタ歩くんやめや。」
「ダスター、使い過ぎとちゃう?」
それこそ5分置きくらいに小言が飛んでくる。…そんなに観察してる暇あったらもうちょっと働いてよ~!と言いたいのを我慢して「はいすみません!」を繰り返す。それしかやりようがない。
いつも以上に社員の相手に疲れる日、マイコは商店街に寄り道する楽しみを見つけた。京都の中心には昔ながらの商店街がにぎわっている。小さく魅力的なお店がいっぱいで、マイコは冒険者にでもなった気分だ。
貯金もあり、週6でバイトを入れてるとはいっても、蕎麦屋の頃のように生活費が全くかからないわけではない。毎日の銭湯に、食材費や光熱費、コインランドリー、生活消耗品の買い物など出費はある。まあ、ほとんどはハルヒトが出してくれてはいるのだが。
マイコはハルヒトに家賃と光熱費の半分を出したい、と申し出たがハルヒトに断られたことを思い出す。
「ははは。そんなん心配せんでええよ。マイコが来ても光熱費なんか大して上がってないし。ハムスター1匹増えたようなもんや。それに掃除とか洗濯とか洗いもんとかしてくれてんやし。ま、たまにメシでも奢ってもらおかな。」
そう言って頭をぽんぽんしてくれたのだ。
ハルヒトに何かお礼がしたい!今、マイコにあるのはその一心だった。ハルヒトはマイコの同居を許してくれたばかりか、生活費も取らない。そして何かにつけ、美味しいものを食べさせてくれる。
元々、マイコは大変な好き嫌いの子だ。豆、ピーマン、しいたけ、にんじん、ごぼう、イカ、貝、魚…上げたらキリがないほどだ。食べられるものといったら、うどん、たこ焼き、お好み焼き。
オムライス(ただしグリーンピースはダメ)、から揚げ、豆腐の味噌汁。
玉子焼き、ほうれんそうのお浸し、おでん。冷凍グラタン、冷凍ピザ(ただしピーマンを取り除く)、缶詰のミートスパゲッティ。そんなもんだ。
そんなマイコの偏食癖を気にも留めず、ハルヒトはどんどんマイコに「これ、美味いやろ?」と食べさせるのだ。
マイコも自分の好き嫌いをハルヒトには一切話していない。なぜだろう?マイコが一言でも「あれが嫌い、これは食べられない」などと言ったら、ハルヒトに見捨てられるような気がしていたのだ。
かくしてマイコは実家や学校の給食では全力で逃げていた…ハルヒトの得意料理である『酢豚』『肉じゃが』『ビーフシチュー』『茶碗蒸し』をアパートの食卓に出された時、清水の舞台から飛び降りる覚悟で口に運んだのだった。
しかし、ここで信じられない奇跡が起きる。ハルヒトが作る料理の全てがとんでもなく美味しかったのは、マイコにとっては天地がひっくり返るほどの驚きだった。
なにこの酢豚!香ばしくって、しゃきしゃきで、タレが無限にご飯!ご飯!
なにこの肉じゃが!ジャガイモがとろとろで、玉ねぎが甘くって、にんじんに全ての旨味が凝縮されてて!
なにこのビーフシチュー!濃厚で、ツヤツヤで、全ての具材が一心同体!パン!パンが足りん!
なにこの茶碗蒸し!えっ?これ…これが茶碗蒸しぃ?嘘だ嘘だ絶対嘘だ!
マイコにとっての酢豚とは、豚肉がブヨブヨでカシカシで、にんじんが生でゴリゴリしてて、タレも変な甘さと酸っぱさで意味不明な食べ物だった。
肉じゃがは牛肉が嚙み切れず脂身がびよーんと伸びて飲み込めず、ジャガイモは粉っぽく、にんじんはごりごり、玉ねぎは溶けてなくなってて、なぜかカチカチの玉子が入っていた。
ビーフシチューは水っぽくシャバシャバで野菜は固く、肉は臭く。それに茶碗蒸しに味など感じた事はなかった。
マイコが酢豚をお代わりして食べるなんて、1年前のマイコが知ったらひっくり返るだろう。
鍋に残った肉じゃがのお汁を飲み干したなんて、決して信じないだろう。マイコ自身が1番驚いているのだから。
…私、好き嫌いめっちゃあったのに、これはどういうことなんだろ?私は一生たこ焼きとお好み焼きとうどんと、信州の蕎麦で生きていくことになるだろうと思ってたのに。
…そうか。私が食べられなかったのは好き嫌いじゃなくて不味かったからか。最初からこんなに美味しかったらきっと食べられたに違いない。信州のお蕎麦だってあんなに食べられるようになったんだもん!きっとそうだ!
マイコはハルヒトのおかげで自分の世界が広がっていくのを感じた。マイコにはまだまだ嫌いな食べ物がたくさんある。しかし、ハルヒトにくっついていけば間違いない。そう、ハルヒトはマイコに美味しいものをどんどん食べさせてくれる超有能な執事なのだ!
今日、マイコはハルヒトと待ち合わせしている。何でも、『美味しい洋食屋があるから』とか何とか。
正直、不安。洋食なんて冷凍食品で十分だ。
ぐにょぐにょのナポリタン、吐き気を催す魚のフライ、外は真っ黒で中はカシカシのハンバーグ。そして許せないのが。どのメニューにも、もれなくグリーンピース、ブロッコリー、にんじんが乗ってくるのだ。…いやだーいやだー!たこ焼きで良いー!
と、なったのはハルヒトに会うまでのマイコだ。不安はあるがきっと今なら食べられるに違いない。ハルヒトの進めるものだもの、美味しくないわけがない。
マイコは自転車を走らせ、とあるアメリカンでヨーロピアンな雑貨屋さんの前で停まった。以前、ここに来た時に見た車のおもちゃを買いに来たのだ。正直、マイコに車の良し悪しや、価値なんて何もわからない。マイコにとって車とは、寝てたら目的地に着く移動ベッドくらいの認識でしかない。
だが、ハルヒトなら…きっと喜んでくれるだろう。だってハルヒトはヨーロピアンでアメリカンなかっこいい日本人だからだ。聴かせてくれる音楽も、読ませてくれる本も、観せてくれる映画もそれを物語っている。
マイコは店の奥にあった棚から少しほこりをかぶった箱を手に取った。…スポーツカーだ。日本車じゃない。きっとアメリカかヨーロッパ。それに白い車体に赤いラインが日本っぽい。お尻に羽みたいなのが付いているのはきっと、運転席のスイッチを押したら、ぶわっと広がって空を飛ぶための物だろう。うん、これ!
マイコはレジに持って行った。店番をしていた、粋な帽子にチェックのシャツのハイカラなおじいさんがにっこりする。車は思いのほか高額だったが、いや、これも美味しいものをもっともっと食べさせてもらう為の投資と思えば安いものだ。この先もお世話になりたいし、それに少しは感謝の気持ちも表したい。…気に入ってくれなかったらどうしよう?その時は…奥の手だ。マイコスペシャルお好み焼きしかない。
マイコはハルヒトへのプレゼントを、包装紙の上から大事に自分のハンドタオルで包んでリュックに入れ、待ち合わせの場所へ自転車を走らせた。