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ひなたぼっこ プラマイッ!  作者: 猫桃杓子
11/17

365歩のマーチ

ハルヒトの作るご飯を食べる時、マイコは『幸福』という誰もいない温泉に肩まで使って、手足を思う存分伸ばして泳ぎまくる!というのはこう言うことだな、と妄想にふける。


マイコは既に朝のルーティンを終えていた。マイコの体内時計は少々やっかいで、一日でもさぼるとすぐに狂う。なのでバイトのない日も5時前に起きるようにしていた。ハルヒトを起こさないようにそうっと玄関を出る。キャットフードを持って。朝日はまだ眠そうな町を緩やかに照らし、夜の間に降りた真白な霜が空へ昇っていく。空気は澄んで、路地のあちこちから姿を見せる野良猫はマイコを見ると一目散に飛んできて足元に群がる。


「よしよーし、朝ごはんだよ~。白ちゃん、今日もかわいいね~。おっゴロちゃんもおはよ!今日もゴロゴロ言ってるね~。あっミイちゃんだ。おいでおいで~。」そうやって近所を一回りして野良猫たちと触れ合うのがバイトのある日もない日もマイコのルーティンになったのだ。


バイトのある日は早々に切り上げるが、無い日はまずコインランドリーへ洗濯しに行く。その後じっくり野良猫たちと触れ合う。ブラッシングをしてあげたり、フンやポイ捨てを見つけたら拾って持っていたビニール袋に入れたり。そうして洗濯物を持ってアパートに帰るのだ。


ハルヒトも大学生にしては早起きだ。マイコがアパートに帰ってトイレ掃除したり、窓ふきなんかをしてると、台所からバターやコーヒーの良い匂いが漂ってくる。何も無い日のこのひとときがマイコをどれだけ救っているか、ハルヒトは何も知らないのだ。


初日にとんでもない洗礼を受けたマイコは、休むまいと心に決めても、それでもバイトに向かう足取りは重かった。厚化粧の女子社員が怖かった。でもここで逃げたら女がすたる。志奈子さんにもハルヒトにも、それに信州のみんなにも顔向けが出来ない。『あの激込み行楽シーズンの蕎麦屋のホールを耐え抜いたマイコが、たかだかホテルのモーニング如きで値を上げるのかよ?』頭の中であにさん達が勝手にしゃべる。…行くしかない!


着替えを済ませて、レストランのバックヤードに6時前に行ったマイコはまず厨房スタッフに挨拶に行った。みんな笑顔で返してくれる。…うん、ここの人たちは良い人たちだ。

続いて女子社員が出勤してくる。「おはようございます!」と頭を下げても何も帰ってこない。マイコは黙ってダスターを持ってテーブルを拭いて回ることにした。

「おはよう、マイコちゃ~ん!」背後から両手でハグしてきたのほ志奈子だ。

「来てくれてるや~ん!ほんま嬉しいねんで、うち。さ、ジュースジュース!」マイコの手を引いてバックヤードに連れていく。2人でリンゴジュースを飲んでると志奈子がクスクス笑いながら、

「あんな、さっきな、ロッカールームでシャインがしゃべってたで。『あの子、昨日、初日やったんやて。』『えっそうやったん?もう知らん間に何回か来てるんかと思った…初日やったんか。』『うん、いじめすぎたわ。』やって~!マイコちゃん、ギャフンと言わせてんで、ギャフンって。」志奈子は社員の物真似をしながら再現して見せた。面白くてたまらない様子だ。マイコも釣られてにんまりする。自分でもよく頑張ったと思ってたのだ。…そうか、ちょっとは認めてくれるかな。


その日は志奈子の言った通り、客は少なかった。昨日の半分ほどだ。マイコは接客の自信を取り戻し、昨日よりもスムーズに動いた。社員の当たりも心なしか昨日よりマシに感じた。しかし。

ボブのソバージュヘアの社員がずっとにらんでくるのも感じていた。昨日デシャップをやっていた社員だ。今日は茶髪のお団子ヘアがデシャップをやっており、ボブソバはずっと会計にいる。そこからマイコをにらんでいるのだ。


マイコは気にはなったが、気にせず働いた。お冷を配って、料理を運んで、片づけて。11時前になり、そろそろ終わるころかな?と思った時、マイコは面接の時の男性に呼ばれた。今日も隅のテーブルで新聞を読みコーヒーを飲んでいる。

「あのね、君ね、何歳なの?」突然の質問に「はい?」と聞き返す。

「若すぎるって言うんだよ。」そう言って会計のボブソバを顎でしゃくる。

「はい、16歳ですが。」マイコが答えると、相手は頭に手をのせた。

「あーいや、16歳だったのか。まずいよ。高校生やんか。」禿げた頭を掌で何度もさする。

「えっ、求人広告には『16歳以上』ってなってましたけど。」マイコが言うと禿げ頭は腰を浮かせ、

「えー。それ、俺、知らんわー。そないなっとったんか?ほんまか?」…いや、こっちがそんなん知らんがな。


「はい。そう書いてあったのでお電話したんです。履歴書にも生年月日を書きましたし。」マイコの答えに禿げ頭は『あちゃー、しまった』、という顔しかしない。

「履歴書言うても、そんな一所懸命、見いひんからなぁ。それで君、高校はどないした?」

「中退しました。でも大検は取ってるので、通う必要はもう無いんです。」

大検を知らないと説明が長くなる、とマイコは懸念したが、幸い禿げ頭は知っていたようだ。

「そうか。そしたらそこの問題はクリアやな。あとは年齢やな。まあ…なんとかなるかぁ。求人広告、見直さなあかんな。」独り言のようにつぶやく。…てか、あんたの仕事は何なんだ?朝の10時過ぎにレストランに来てコーヒー飲んで新聞読むのが仕事なのか?


「とりあえず、まあ、年齢はアレやけど、高校卒業資格も持っとるし、よう動いてるみたいやし、これはこのままでいこか。ま、あんまり高校中退とか言わんでええことは言わんといてな。」

「はぁ。」…はぁとしか返しようがない。履歴書の存在って一体…。

「高校は公立やったんか?」

「いえ、私立です。」…また何の意図の質問なんだろう?

「偏差値、どのくらいや?」…なるほど。あんまりアホだと困るってことか。

「64から66くらいだと思いますけど。」マイコはつい口が尖ってしまった。『せっかく入れた進学校なのに!』母親の叫びが脳内に蘇る。しかし、この返答は禿げ頭を納得させたようだった。

「おっそうか!勉強は出来るんやな。よっしゃよっしゃ。もうええで。」禿げ頭は笑顔になって、手を振ってマイコを下がらせた。

「はい。失礼します。あの、ご迷惑をおかけしました。」マイコはそう言ったが、問題解決!とばかりに満足そうな禿げ頭には届いてないようだ。マイコはトレイを胸の前で抱え、うつむいてバックヤードに戻った。


ふと顔を上げると社員達と目が合った。何か言いたそうだ。…そうか、こいつらが。マイコは口をキュッと結んでからにっこり笑って「お疲れさまです!」と声をかけた。返事はない。マイコをチラチラと見ながらヒソヒソやり出す。…永遠にやってろ。


志奈子が胸の前で掌を広げて近付いてきた。ぱっちーん!マイコの手のひらと打ち合わせてにっこりする。

「マイコちゃん、また何かヒット打ったみたいやん!」促されてマイコはさっきの話を聞かせた。志奈子はひとしきり笑った後、リンゴジュースを飲みながらマイコの肩を抱いた。

「ほんま、あのブチョーもなぁ。履歴書くらい読んでよなぁ。ま、でもそのおかげでマイコちゃん来てくれたから今回は良し!やわ。」…あの禿げ頭の腹肉は部長だったのか。それで新聞とコーヒーの謎が解けた。ええ身分ですこと。


そんなことがあってからのレストランバイトは、すごく楽しいとまではいかなくても、志奈子のおかげでだんだん馴染んでいくことが出来た。社員の態度は相変わらずだが、マイコの耳元に文句を吐き捨ててくることは減り、マイコの質問には渋々ながら答えてくれるようになった。大検が効いたのか、偏差値が効いたのか、それとも16歳という若さが効いたのか。何にせよ、悪意を向けられっ放しにされるよりずっといい。そして厨房のスタッフたちとは、社員がいない所でなら親しく会話することも出来た。部長は相変わらず、禿げた頭と突き出たお腹のままコーヒーと新聞を楽しんでいる。


「要は自分らは特権階級やと思ってんねん。バイトは召使いで、コックさんらのことは飯炊き下男って感じで見下してるねん。たまにびしっとスーツ着た幹部社員が来てみ?今でもむっちゃ厚い化粧を、更に厚くして来んねんで。一回よろけた振りして頭から牛乳かけてやりたいって思ってるんよ~。」志奈子の毒舌はどこで習得したんだろう?ゆったりした口調からぽんぽん発せられるのがたまらなく面白い。マイコはもうすっかり志奈子のファンだった。


「マイコー。朝食やで。」ハルヒトの呼ぶ声がした。マイコは「やっほー!」と返事した。お腹ペコペコだ。バイトが休みの日のマイコの朝はこうして始まるのだった。



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