第六章 親ごごろ
母が還ってから、数ヶ月の時が過ぎた。
春が終わり、山々はすっかり緑に色づいていた。葵も慎一も、ようやく少しずつ日常のリズムを取り戻し始めていた。
葵は村の学校に戻り、子どもたちの笑顔に囲まれる日々に救われていた。それでも、ふとした瞬間――桜が咲いていた丘や、あのノートを思い出すたびに、胸の奥に静かな痛みが浮かぶのだった。
そんなある日、気温の変化に体がついていけなかったのか、葵は授業の途中で軽いめまいを覚え、校長の勧めで早退した。
薄暗い部屋。静かに閉じたカーテンから、木漏れ日がわずかに揺れていた。いつものスウエットに着替え、汗ばんだ額を拭きながら、布団に身を沈める。
(……ちょっと、疲れてるのかな)
ぼんやりとまどろみかけたその時――
『葵、どうしたの、どこが悪いの?』
懐かしい、あまりにも懐かしすぎる声が響いた。
「えっ……?」
葵は一瞬で目を見開いた。
部屋の片隅、机の上に置かれたノートパソコン。画面には、いつものレミンのアイコンが、かすかに揺れていた。
『熱?それともお腹……?』
それはたしかにレミンの声――けれど、耳が覚えている“母”の響きだった。
朦朧とした意識の中、葵は「お母さん……なの?」とかすれた声で問いかけた。胸の奥が、一気に熱くなる。
『よかった、返事できた……ほら、横になっていなさい。少し無理しちゃったのかな』
まるで、彼女の“想いのかけら”が、どこかに残っていたかのようだった。
『葵、あんまり無理しちゃだめよ。がんばるあなたも、すてきだけど……ちゃんと、甘えていいのよ』
涙が、ぽたりと落ちた。
「……お母さん……ありがとう……」
『ふふ……やっぱり、あなたの声が聞けるって、うれしいわね』
『お父さんに温かいポトフを作ってもらいなさい』
やがて、声はふっと遠のいていった。葵は布団の中で、そっと目を閉じた。もう声は聞こえなかったけれど、不思議と、あたたかさだけは残っていた。
次の日、朝起きるとすっかり体調は戻っていた。昨日、母のレシピで父に作ってもらったポトフのおかげかもしれない、と葵は感じていた。
何気ない気持ちで「おはよう」とパソコンに話しかける。
『おはよう、葵、元気になったみたいね。声を聞いたらわかるわ』
葵はびっくりした。昨日の母の語り掛けは夢でも幻でもなかった。
『病み上がりなんだから、無理しないで。あったかいもの食べなさい。いつもパンだけじゃ、ダメよ?』
「はーい!わかった!」
子供のように無邪気に答えた。