表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/8

第一章 桜の下にて

 ここは兵庫県北部――養父郡大屋村。いくつもの山に囲まれたこの村は、今もなお日本の原風景が息づいている。春が近づくと、雪解け水が流れる川のせせらぎに混じって、鳥たちのさえずりがあたりを包む。昔ながらの瓦屋根の家々が点在し、人々は互いの顔を知り合いながら、ゆるやかに日々を重ねていた。


 ――早瀬葵、二十五歳。この村で生まれ、この村に育ち、いまは村の小学校で教師として働いている。学校では、セミロングの髪を軽くハーフアップにまとめ、白いブラウスに紺のロングスカートという落ち着いた服装で過ごしていた。化粧気のない顔立ちは端正で、けれど決して近寄りがたいわけではない。


 子どもたちからは「葵先生」と親しまれ、時に優しく、時に厳しく接するその姿は、村の誰もが信頼していた。


「おはようございます!」


 駆け寄ってくる子どもたちの声に、自然と顔がほころぶ。


「あ、おはよう。ちゃんと手、洗った?」


「洗ったー!せんせい、今日も給食なにかなー?」


「それはあとでのお楽しみ」


 教室から響いてくる笑い声に、葵はふっと目を細めた。その微笑みはやさしく、けれどほんのわずかに――どこか遠くを見つめるようでもあった。


 葵は、この村で父――慎一とふたりで暮らしている。母、志乃は二十五歳のときに、葵を出産した直後、その命を落とした。生まれた葵の顔を見て、静かに旅立っていったと、父は語る。だから、葵は“母”という存在がどういうものか、知ることができなかった。優しかったと聞く。あたたかかったとも、言われた。でもそれは、誰かの記憶の中にある“母”であって、葵の中には残されていない。


 ――その不在が、彼女の心の奥に、小さな“空白”を生みつづけていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ