初めての戦闘
街の門をくぐり抜けた俺、相馬巧は、広大な草原を抜けて目的地の森へと向かっていた。ギルドで記憶した地図情報を頭の中で「ペースト」し、確認しながら進む。道は比較的整備されており、時折、俺と同じように森を目指す冒険者や、街へ向かう商人らしき一団とすれ違う。異世界の植物だろうか、見たこともない形の花が咲いていたり、奇妙な鳴き声の鳥が空を横切ったりする。その一つ一つが新鮮で、緊張感の中にも少しだけ好奇心が刺激された。
やがて、視界の先にこんもりとした森が見えてきた。あれが依頼票にあった「初心者向けの森」だろう。入口に近づくにつれ、空気はひんやりと湿り気を帯び、木々の匂いが濃くなってくる。「初心者向け」とはいうものの、一歩足を踏み入れると、昼間でも薄暗く、木の幹や下草が視界を遮る。これは、油断していたらすぐに道に迷いそうだ。
俺は気を引き締め、腰の短剣にいつでも手が届くようにしながら、ポポ草を探し始めた。依頼票にあった特徴――地面近くに生える、やや丸みを帯びた緑色の葉、そして茎の部分に小さな白い斑点があること――を頼りに、注意深く周囲を観察する。
しばらく森の中を進むと、開けた場所に数本のポポ草が生えているのを発見した。
「あった……! これがポポ草か」
写真で見たハーブに少し似ている。俺は早速、そのうちの一本に触れ、スキルを発動させた。
(コピー!)
《[ポポ草]をコピーしました。クリップボード容量:6 / 10 》
成功だ。続けて、手のひらに向けて念じる。
(ペースト!)
MPがわずかに減少し(ポポ草は銅貨より価値が低いのか、消費MPも少ないようだ)、手の中にポポ草がもう一本出現した。しかし、よく見比べてみると、ペーストして作り出したポポ草は、元々生えていたものよりも心なしか色が薄く、少しだけ萎びているように見える。
「……なるほど。完全な複製、というわけではないのか。品質が少し落ちる、と考えた方がいいかもしれないな」
錬金術のように無から有を生み出すのではなく、あくまで「コピー」と「ペースト」。何らかの劣化や制約が伴うようだ。これなら、薬草として売る際に品質をごまかしたりするのは難しそうだ。まあ、それでも数を補うくらいには使えるだろう。俺は自生していたポポ草と、コピーしたポポ草を数本、スキルで作ったカゴに丁寧に入れた。
さらにポポ草を探して森の奥へと少し進んだ時、近くの茂みがガサガサと揺れる音が聞こえた。
(……!)
俺は咄嗟に身を屈め、短剣の柄に手をかける。モンスターか? あるいは他の冒険者か? 緊張が走る。
茂みから姿を現したのは、モンスターではなかった。俺と同じくらいの年頃に見える、赤毛をポニーテールにした少女だった。動きやすそうな革鎧を身に着け、腰にはナイフを下げている。彼女の手にも、数本のポポ草が握られていた。どうやら、俺と同じ依頼を受けているらしい。
少女は俺の存在に気づくと、びくりとした様子で飛び退き、ナイフに手をかけた。
「だ、誰!?」
鋭い声が飛んでくる。無理もない。こんな森の中で突然出くわせば警戒もするだろう。
「あ、いや、驚かせてすまない。俺も冒険者で、ポポ草を採取しに来たんだ」
俺は敵意がないことを示すために両手を軽く上げ、胸元のギルドカードが見えるようにした。
少女は訝しげな表情で俺のギルドカードを一瞥し、それから自分のカードもちらりと見せた。
「……私もよ! Fランクのリーナ。あなた、もしかして新人?」
口調は少しとげとげしいが、敵意そのものは薄れたようだ。
「ああ、ソウマだ。今日ギルドに登録したばかりなんだ。よろしく頼む」
「ふーん、ソウマね。聞いたことない名前。まあいいわ、お互い採取の邪魔はしないようにしましょ」
リーナと名乗った少女はそう言うと、ぷいと顔を背け、再びポポ草を探し始めた。俺も肩の力を抜き、自分の作業に戻ることにした。少し気まずい雰囲気だが、下手に馴れ合うよりはいいだろう。
俺はリーナから少し離れた場所で、さらに数本のポポ草を見つけ、カゴに追加した。目標の10本まで、あと少しだ。集中して地面に視線を落としていた、その時だった。
「きゃっ!」
すぐ近くで、リーナの短い悲鳴が上がった。はっとして顔を上げると、信じられない光景が目に飛び込んできた。
緑色の肌をした、醜く小さな人型の生物――ゴブリンだ! 粗末な棍棒を振り上げ、ナイフを構えて後退りするリーナに襲いかかろうとしている!
考えるより先に、体が動いていた。
「おい、こっちだ!」
俺は短剣を抜き放ち、ゴブリンに向かって叫びながら駆け出した。
ゴブリンは俺の声に気づき、その歪んだ顔をこちらに向けた。背は低いが、筋肉質で、その目には獰猛な光が宿っている。ニヤリと口角を上げると、ターゲットを俺に変更し、棍棒を振り上げて突進してきた!
(速くはない……けど、あの棍棒に当たったらヤバい!)
迫りくるゴブリン。その動きを、俺は必死で目で追った。そして、同時にスキルを発動させる。
(コピー!)
《[ゴブリンの棍棒攻撃パターン(予備動作)]をコピーしました。クリップボード容量:7 / 10 》
成功した! 頭の中に、ゴブリンが次に繰り出すであろう攻撃の軌道が、ぼんやりとだが予測できる!
「うおおっ!」
ゴブリンが奇声を発し、棍棒を横薙ぎに振るってくる。予測した軌道を頼りに、俺は身を低くしてそれを紙一重でかわす。同時に、足元の石ころを素早く「コピー&ペースト」! 生成された石ころを、ゴブリンの顔面に全力で投げつけた!
「ギャッ!?」
石はゴブリンの額に当たり、鈍い音を立てた。致命傷には程遠いが、一瞬怯んだ隙ができる。
「ソウマ、後ろ!」
リーナの鋭い声が飛ぶ。体勢を立て直したゴブリンが、今度は棍棒を頭上から振り下ろそうとしていた!
(また来る!)
予測された軌道を頼りに、今度は横へ跳んでかわす。そして、がら空きになったゴブリンの懐へ!
(ここだ!)
餞別にもらった、錆びているとはいえ本物の短剣。それを、渾身の力を込めて、ゴブリンの脇腹――硬そうな皮鎧の隙間に突き立てた!
「ギィィィイイイ!!」
ゴブリンは耳障りな絶叫を上げ、棍棒を取り落としてその場に崩れ落ちた。緑色の血が流れ出し、痙攣していた体が、やがてぴくりとも動かなくなる。
「はぁ……はぁ……っ」
俺は肩で息をしながら、倒したゴブリンを見下ろした。初めての、本物の戦闘。そして、初めて生き物を殺したという事実。心臓が激しく脈打ち、手の震えが止まらない。
「……すごいじゃない、ソウマ! まさかゴブリンを倒しちゃうなんて……助かったわ、ありがとう!」
リーナが駆け寄ってきた。さっきまでの警戒心はどこへやら、その目には素直な感謝と、少しばかりの驚きと尊敬の色が浮かんでいる。
「いや……リーナが注意してくれたおかげだ。危なかった」俺はまだ荒い息を整えながら答えた。
「それにしても、今の動き……ただの新人じゃないわね? あなたのスキルって、もしかして戦闘系の凄いスキルなの?」リーナは興味津々といった様子で聞いてくる。
助けてもらった手前、ここでスキルを隠すのも不自然だろう。俺は少し迷った後、正直に答えることにした。
「【コピーアンドペースト】だよ」
「こぴーあんどぺーすと……? 何それ? 聞いたことないわ」
リーナはやはりピンと来ていない様子で首を傾げたが、すぐに「まあ、よく分からないけど、役に立つみたいね!」と、あっけらかんと言い放った。この単純さは、ある意味ありがたいかもしれない。
俺たちは協力して、ゴブリンの死体を近くの茂みに引きずり込み、目立たないように隠した。(ギルドによっては討伐証明として耳などを持ち帰るらしいが、今回はそこまでする余裕も知識もなかった)。
その後、少しだけ打ち解けた雰囲気で、二人はポポ草の採取を再開した。互いに見つけた場所を教え合ったり、他愛のない話をしたりしながら。
やがて、俺のカゴは目標の10本を超えるポポ草で満たされた。
「俺はこれでギルドに戻るよ。リーナはどうする?」
「私ももう十分かな。街まで一緒に行きましょ」
二人で森を後にし、街への帰路につく。初めての依頼は、予期せぬ戦闘と出会いをもたらした。ゴブリンを倒せたこと、そしてリーナという(少しぶっきらぼうだが)仲間ができたかもしれないこと。それは、この異世界で生き抜くための、確かな手応えとなっていた。スキル【コピーアンドペースト】の可能性も、ほんの少しだけ見えた気がする。