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救済ルート

「ふ、二人とも無事で良かった……はは」


「なにが……なにが無事で良かった、よ! この人殺し! 湖に突き飛ばして溺死させようとした癖に白々しい!」


 額からダラダラと汗を流し、引きつった笑みを浮かべたマッディをこれでもかと睨みつけながらロアンナが叫んだ。


(驚いた。彼女があんな風にマッディに激昂するところは初めて見たわ)


「ひひ、人聞きの悪いことを言うな!」


「マッディ、どういうことなの? 彼女のことを殺そうとしたって本当なの?」


「ええそうよ! その男はアンティーラさんとの関係修復で邪魔になるからって水難事故を装ってわたしを殺害しようとしたの!


 確かに二人きりになるようにロアンナのことを呼び出したのは他ならぬマッディだけれども。


 でもまさか、彼の言っていた責任の取り方ってこのこと?


 だとしたら、なんて卑劣なやり口なの。


「ああそういえば、目の前で侍従を失った悲劇のヒーローを演じて馬鹿な婚約者(アンティーラさん)の同情を買うために死んでくれとも言っていたわね!」


 それが本当の話なら酷すぎる。あまりにも私やロアンナのことを蔑視し過ぎではないか。


 まして、人の命をなんだと思っているのか。


「待ってくれアンティーラ、そいつの言うことは全部デタラメだ! 孤児の癖に拾ってやった恩を仇で返すような卑しい女の発言なんて信じちゃあいけないよ!」


「なんですって誰が卑しい女よ、アンタみたいな最低DV野郎にだけは言われたくないわ! 昨日は殴られても我慢したけど、いい加減頭にきた!」


 呆れた。そんなことまでしていたなんて。でもそう言われてみれば、今朝見かけたロアンナの顔はどことなく腫れていたようにも思える。


「うるさい黙れこの嘘つき女、現にこうして猫を被っていただろ! それにさっきからお前の主に対してなんだその汚い口の聞き方は⁉ まったく、これだから下賤な生まれの人間は……!」


「ふん、あんなの自分の居場所(せいかつ)を守るための演技に決まってるじゃない。でもそれだってこうして殺されかけてまで続ける気はないけどね! ……ねえマッディ、都合よく甘えられるメイドはどうだった? ご主人様を異性として健気に慕う姿は満更でもなかったんじゃない? ――はっ、誰がアンタみたいな男を好きになるもんですか!」


「今の聞いただろアンティーラ、これがこいつの本性だよ! 僕はずっと騙されていたんだ被害者なんだ! ……だから、ね? やっぱり僕は君ともう一度よりを戻したい、いや戻すべきなんだ」


 などとすがるようにこちらを見るマッディ。


 はあ、結局はそこに帰結するのね。


 確かに一聞する限りではロアンナの証言は筋が通っている。


 事実彼女のことをマッディは見殺しにしようとしていたし、お互いの態度がああも様変わりした時点でやはりなんらかの心変わりするきっかけはあったのだろう。


 なによりロアンナが口にした『マッディが水難事故を装って』という部分が少し引っかかる。


 ただ、いずれにせよマッディとよりを戻す気は毛頭ないが、だからといって今ひとつあのことに関して確証を得るだけの判断材料が足りない。


 切り捨てられたロアンナがあることないことを吹聴している可能性もなくはない、と考えていた矢先、


「お三方の大事なお話の最中に水を差して申し訳ございませんが、一つよろしいでしょうか」


 不意にこれまで静観していたコルダータが声を上げた。


「なんだお前、許可なく横から口を挟むな! 僕はアンティーラと話しているんだ!」


「構わないわコルダータ、なにか言いたいことがあるのなら話して頂戴」


 いつもなら後ろで控えているはずの彼女が急に割って入ってまで私たちに伝えたいことがあるというからには、相応に重大なことに違いない。


「ありがとうございますアンティーラ様。これは今まで貴方様の婚約者の名誉を不用意に傷つけると思って口にしてこなかったのですが……」


 その場で一礼して頭を上げたコルダータはそう前置きすると、ちらりとロアンナの方を見てから軽く頷いた。


「今回わたくしの同僚並びに仕える主の身が再び危険に晒されたことがどうにも看過できず、ある秘め事をこうして告発させていただくことを決意いたしました」


 ある秘め事? まさかそれって……。


「……っ⁉ おい待てお前、なにを口にする気だ。僕の名誉に関わることだって? これ以上面倒を招く発言は許さないぞ!」


「口を閉じなさいマッディ。反論があるのなら、まずは彼女の話を聞いてからにして。コルダータも私たちに遠慮することはないわ」


 突然慌て始めた彼を右手で制し、コルダータに発言を促す。


「お心遣い痛み入ります。――わたくしが今から申し上げることは、十年前のことについてです」


 それにしても、このタイミングでコルダータがあの日のことについて語り始めるだなんて。


「ロアンナと同じように十年前にこの場所で水難事故に遭われたアンティーラ様のことを想うと、今でも胸が締めつけられます。わたくしが近くにいながら、どうしてあのような怖い目に遭わせてしまったのかと。主を放置するなど侍女失格だと言われれば返す言葉もありません。ですが……」


 そこまで話したところで、コルダータの疑念のまなざしがマッディに向けられる。


「あの時わたくしはたまたまその場に居合わせたマッディ様からアンティーラ様と二人きりにするように申し付けられたのです」


 コルダータの言うようにマッディと二人きりで遊んだ記憶はあるけど、まさか裏でそんな事情があったとはね。


「当時侍女としての経験が浅かったわたくしは、貴族のご子息様からのお申し付けに反することはできませんでした。そして言われるがまま指示に従った直後、あの忌まわしい事故が起きました」


「うっ……!」


 横目でマッディの目が泳ぐのを確認する。


 告発の内容に明らかに動揺しているみたい。


「た、確かに二人きりにしろとは言ったが……、まさかお前、僕がやったとでも言うのか?」


「いえ、実際にその瞬間を目撃したわけではないので断言は出来かねます。……しかし、この状況はロアンナのそれとあまりに酷似していると思いませんか? そして彼女は貴方様に湖に突き飛ばされたと言っています。ですから疑う余地は十分あるかと」


 カチリとパズルのピースがはまる感覚に陥る。


 コルダータの言うように私とロアンナで色々と似通っている部分が多い。


 直前までで現場での目撃者はおらず、いずれもマッディと二人きりの時に溺れているのは偶然と呼ぶにはあまりに都合が良すぎる。


「ふ、ふざけるな! お前、ロアンナの話に便乗して僕を陥れるつもりだろう⁉ 自分のミスを僕に責任転嫁しようたってそうはいかないぞ! ねえアンティーラ、君なら分かってくれるだろう⁉ 僕はやってないって、無実だって!」


 悪いけど、嘘つきな貴方とコルダータなら自分の侍女のことを信じるわマッディ。


 でもそれ以上に、コルダータとロアンナの証言のおかげで私の中に一つの答えが産まれるのよ。


「……あの時のことは今でもたまに夢に見るわ。そしてずっと疑問に思っていた、どうして私は足を滑らせてしまったのかと」


「だからそれはただの不幸な事故で――」


「いいえマッディ、貴方が私を事故に見せかけて湖に突き飛ばしたのよね? 水の中へ落ちる直前に私は両手を前に突き出している貴方の姿を見たわ。これまではずっと自分の記憶違いだと思っていたけど、そうじゃなかったのね」


 本音を言えば彼には否定してほしかった。


 そうじゃない、あれは本当にただの不幸な事故だったと。


 これまでずっと嘘をつかれていたものの、唯一そこだけは嘘であってほしかった。


 けれどもマッディの返答は残念ながら私が期待していたものではなく。


「――ああそうだよアンティーラ、君を湖に突き飛ばしたのは僕だ。まったく、気づかない振りをしていればいいものの」


 とうとう、己の行為を認めた。

 

 憎々しげに顔を歪めながら、私を――正確には私の両側に視線を左右させながら吐き捨てる。


「それもこれもロアンナ、お前がさっさと死んでいれば良かったんだ。……いや、それを言ったらそこのお喋りな使用人もいなけりゃ秘密がバレずに済んだのに。ちっ、ああもうクソが! これで僕の計画が全部水の泡だ!」


 これまで見せたことのない醜悪な表情で二人を罵る様は、私がこれまで抱いていたマッディへの人物像を完全に崩壊させるに十分過ぎた。


「お前も黙って騙されていればよかったんだよ、アンティーラ! そうすればお互いに幸せだったのに!」


「ふざけないで! 貴方の身勝手な行いのせいで私だけでなくコルダータがどんな目に遭ったのか理解しているの⁉」


「は? そんなの僕が知るかよ!」


 言わずにはいられなかった。


 こんな酷い男のせいでコルダータはいたずらに信用を傷つけられ、それから消せない傷まで負う羽目になるだなんて彼女からしてみればあまりに理不尽過ぎる。


「……貴方、絶対に許さないわ」


「ははっ、許せないならどうすると言うんだ? お前の父親にでも泣きつくか? 僕がやったって証拠もないのに!」


「それは……」


 マッディの言う通りだ。


 一応この場での彼の証言さえあれば過去の犯罪も立証できる。


 ただ第三者の判断材料としては、私たち女性陣がたんに口裏合わせをしているだけと捉えられる可能性もある。


 明確にマッディを罪に問うためには、裁判時に彼の自白とも取れる発言をなんらかの形で第三者に提示しなければならないが、いざその時にしらを切られれば果たしてどうなるか分からない。


「……ございますよ」


 次の言葉に窮する私の代わりに声を上げたのはコルダータだった。


「あっ、またお前か? なにがあるって?」


「ですから、証拠ならここにございます」


 そう言ってコルダータが懐から取り出したのは小型の機械。


 あれって……。


「こちらは録音装置です。これまでのやりとりはすべてこの機械にすべて記録されています。当然マッディ様の自白も含めて。こんなこともあろうかと携帯しておいて正解でした」


「なっ……!」


 マッディの顔が青ざめる。


 あれさえあれば自分を罪に問う際の動かぬ証拠になるということに気がついたのだろう。


 私の侍女の用意周到さに舌を巻く。


「よくやってくれたわコルダータ。これで貴方も終わりね、マッディ」


「……確かにそれがあると僕は終わるね」


 観念したように肩を落とすマッディ――いいえ違う、あの雰囲気はまだ諦めていない!


「だから……それをよこせぇっ!」


 両腕をコルダータに向け、彼女に向かって駆け出す。


 いけないあれを奪われては、どうにかして死守しないと。


 コルダータもまた録音装置を庇うような動作をした瞬間――これまでなりを潜めていた影が突然マッディの前に躍り出る。


「邪魔するなロアンナ、また痛い目みたいか!」


「はっ、毎日遊んでばかりで女に養ってもらって生活してるような優男(ヒモ)に家事仕事で鍛えたメイドが力で負けるわけ――ないでしょ!」


 勢いそのままに殴りかかろうとするマッディの腕を取った彼女は、そのままの勢いで――かつての主を湖に向かって投げ飛ばした。


「うわぁあぁあっ!」


 目の前でドボンと大きな水柱が立つ。


「ごぼぼぼぼぼっ! ……ぷはぁっ、ひいっ」


 途端マッディがあっぷあっぷと溺れ始め、必死になってその場で掻くようにもがいている。


「アッアッアンティーラッ、たす助けてくれっ、黙って見てないで、さぁ!」


「…………」


 ロアンナでもコルダータでもなくこの私に救いを求めるなんて、まさかまだこの期に及んで同情を引けるつもりなのだろうか。


 だとしたら、お生憎さま。


 さっき貴方はロアンナになにをした?


 貴方のせいで罰を受けたコルダータには謝罪の言葉はないの?


 私に悪夢(トラウマ)を植え付けたのは誰だと思っているのかしら?

 

 だからこそ、返答は既に決まっていた。


「無理ねぇ。私まで溺れてしまうもの。それともなに、貴方はたかがクズ男のために私の貴重な命を投げ捨てろというの? 見返りもないのに冗談じゃないわ」


 吐き捨てるようにマッディに告げた。


 それから私は(きびす)を返し、コルダータとロアンナを促してこの場から立ち去ろうとする。


「アアアアンティーラァァァッ‼」


 背中越しにマッディの恨みのこもった叫び声が突き刺さるが無視をした。


 あれだけ余裕があればこちらが手を貸さずとも自力でどうにかするだろう。


 なのであえて振り返らず、私は最後に彼にこう言い残す。


「――さようならマッディ。生きていたら今度は法廷で会いましょう」


 あの日からいくつか月日が経った。


 案の定無事生還を果たしたマッディだったが、コルダータのおかげで提示できた証拠品によって私とロアンナ殺害未遂の容疑で逮捕された。


 その際、真相を知って怒り心頭の私の父による連座を恐れたマッディの家族からあっさりと廃嫡されたことで、彼は平民扱いで投獄された。


 だからこそ平民による貴族殺害未遂という重罪に罪状が変わり、現在の彼は断首刑の執行を待つ死刑囚だ。


 それにともない、マッディのせいでかけられた冤罪によるコルダータの名誉も回復した。


 あの状況的に勘違いしてもおかしくはないとはいえ父には彼女に対する謝罪を求めるとともに、その背中に刻まれた傷の皮膚治療費援助の約束を取り付けさせることにも成功した。


 ただこれに関して本人は「名誉の負傷ですのでお気になさらずに」なんて辞退しようとするものだから、ついお互い意地の押し付け合いになってしまったことはここだけの話。


 そしてロアンナのその後だけど――。


「おはようございますアンティーラ()、気持ちの良い朝ですよ」


 ひとまず我が家専属の使用人として改めて雇用している。


 どうせマッディの元実家に返したところで彼の共犯者として今回の事件の責任を押し付けられ、分かりやすい形で処分されるであろうことは想像に難くないからだ。


 行き場のない彼女に同情したわけでもないが、せっかく我が身を賭して助けた命をわざわざ蔑ろにすることはできなかった。


 ゆえに被害者の私が見受け人に名乗りを上げたことでしぶしぶ向こうもロアンナの処分を諦めたらしく、その恩義も感じてか彼女もまた以前とは態度を改めて私に仕えてくれている。


 ただ、それはいいのだが……。


「ああ、今日も変わらずアンティーラ様は最高に素敵ですね! そんなお方に仕えられてわたしはなんて幸せなのでしょう! というわけで本日もわたしの方でアンティーラ様に近づく蛆虫どもの縁談は断っておきましたので、これで心置きなく二人でイチャイ……お仕事ができますね!」


 花の咲いたような笑顔でとんでもないことを口にするロアンナ。


「ちょっと貴方いい加減にしなさいな、私に内緒で何勝手に縁談を断っているのよ。婚約が破談になった以上、次の相手を探さないと」


「だってだってぇ、わたしとアンティーラ様との甘いひとときを邪魔する男なんていりません!」


「はあ……」


 どうやら溺れていたロアンナを命がけで助ける私の姿に当てられたようで、彼女に新たな世界の扉を開かせてしまったらしい。

 

 だからってこちらを巻き込むのはやめてほしいが、まあ正直私もマッディとの一件を引きずっているらしく、口で言うほど新たな出会いを求めているわけではない。


「わたしは真実の愛に目覚めたんですっ! でも今にして思えば婚約者同士の仲を引き裂くつもりだったとはいえ、どうして妊娠した振りまでしてマッディなんかとの関係を続けようとしていたんでしょう。わたしの本当の居場所はアンティーラ様のところにあったというのに! そして運命の相手もまた同じところにいました。ですからさあアンティーラ様、こちらの愛の巣でわたしと一緒に禁断の愛を育みましょう――」


 とりあえず暴走、もとい妄想を垂れ流しながらベッドを指し示すロアンナを無視して、呼び出し用の鈴を鳴らす。


 するとパタパタと足音が廊下から聞こえ、すぐにコルダータがやって来た。


「お呼びですかアンティーラ様」


「そこの倒錯メイドを連れ出して頂戴。どうやら私の邪魔をしたくてたまらないらしいから」


「了解いたしました。ではロアンナ参りますよ。先輩メイドとしてアナタには我が家にふさわしい立ち振舞いができるように再教育してあげます」


「いやーっコルダータお姉様の顔が怖い、さてはわたしとアンティーラ様の仲に嫉妬して……」


 犬の散歩のように引きずられていくロアンナは追いすがる目を私に向けていたが、最後には観念したように去っていった。


「やれやれ……」


 同居していた人間が一人減って少し広くなった我が家は、けれどその穴を埋めるようにちょっとだけ騒がしくもなった。


 以前にはなかった活気に満ちあふれ、弛緩した雰囲気によってようやく伸び伸びと当主としての仕事に邁進できるようになった。


 そこに至るまでの道すがらは残念だったが最後に手にしたこの結末は、きっと幸せで正解の道に違いない。


 だから今なら胸を張って言えることだろう。


 私たちを取巻く物語の決着はこれで良かったのだと。


                   (了)

 最後までお読みいただきありがとうございます。

 本作のタイトルは『コイ(恋ではなくマッディによる故意)で溺れた者は(愛ではなく哀)アイを失う。』です。

 少しでも本作を気に入っていただけたら、作者のモチベーションに繋がるのでお気に入りユーザ登録にブックマークや感想、すぐ↓から作品の評価をしていただけますと幸いです。

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