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第5話 ボルガス-2


 …………あれは、何をしているんだ。

 不可解な行動に、僕の体が震えた。左足を1歩下げ、様子を伺う。

 ボルガスは襲いかかってこず、はたまた酒樽を傾ける訳でも無く……突然、両の拳を口一杯に咥え込み始めたのだ。10秒もすれば腕の半分は呑み込まれ、元々太かった首と体の境目が分からなくなった。

 『あーっと!! あれは、あの技は!?』

 耳鳴りの奥から、興奮を抑えきれないといった声が反響してくる。

『ボルガス選手が第1回大会で数多の負傷者を出したとされている、酸拳ではないか!? 何故だ! もう出してしまうのか!? これにはゼル選手、絶体絶命! 果たしてこの最低の技、どう受け入れるのか!!!』

 ……酸拳? 名付けた奴のセンスは中学生で止まっているのか……?

 だが ともかく、最低の技だということは分かった。警戒するに越したことはないだろう。

 要は、あの手に触れなきゃいいだけの話だ。

 体を傾けながら軽く左足で床を押す。するとどうだ。その直後、風が顔に張り付き、服や髪が後ろに思い切り引っ張られたみたいになる。周りの音が消え、見えるものは全て無数の線になった。

 ただ、その中でも唯一、下品なスキンヘッド馬鹿だけはしっかりと捉えることが出来ていた。どうやら、拳を口から吐き出す途中らしく、仰向けになった顔にへばりつく下目と視線が交差した。

 ようやく準備が整ったって所だろうが、全てが遅い。

 拳を握りしめると、グローブが音を立てた。乾き切った口内に血が滲む。

 たった一歩で十分だった。

 次に足を着いた時、スニーカーが立てるキュッという音と共に、全ての情景が風船を割ったかのように押し寄せてきた。

 目の前に遠目で見た醜い肉壁が立ちはだかっている。折り重なる肉が小さくうねっているのまで鮮明に確認できた。

 野太い悲鳴が右から左から通り過ぎていく。減速してなお、音と並走している感覚。

 だがそれもほんの少し。次の瞬間には全てが消え失せる。

 足裏に力を込めて前に出した左足に倣い、体を前傾に且つ反時計回りに捻る。極限まで膨らんだ右手を伸ばし切ると、肉を抉る感覚が遅れて伝わってくる。

 直後、空間が裂かれたかのような爆音と共に真空の世界が辺りを包み込んだ。そこでは、自分の思考以外の全てが遅く見えた。

 だからこそ、冷静に判断できる事がある。

「……全く効いてない」

 目前で揺れる肉は今の一撃を完全に飲み切った事を告げている。それどころか、次の一手を示唆しているように感じた。

 急ぎ、両足で男を蹴り上げるが僕の体は前に進んでくれなかった。顔面から着地した僕は虫みたいに這って距離をとる。なんとなく、ボルガスの能力が分かった気がした。

 

 真空の世界が砕かれると、四つん這いで仰向けになっている僕の目の前に、ボルガスの吐瀉物が降り掛かってきた。それはレンガを溶かして下へと進み視界から消えていく。その後穴からは煙を吐く音と共に複雑な臭いが漂っている。

 こんなのが付着した拳なら、そりゃ最低の技だ。

「おい、ガキィ……今のはなんだ……」

 肩で口拭いながら、ボルガスは粘っこい口を開く。

「それがおめぇの本気なんだとしたらよォ――おめぇ、負けだぜ」

 ギトギトの拳を打ち付けながら、ボルガスは足を動かし始めた。

 準備室での機敏さを考えれば、僕くらいかそれ以上の速度は出せる筈だ。それに加えて、こっちの攻撃はまるで効かない。向こうのは致命傷だ。

 ………………どうやって勝つ。

 周りの音は聞こえなくなっていた。喧しい実況もだ。このリングには僕とボルガスが立っていて、2人の殺し合いだ……真空の世界は割れたはずなのに、その延長線に立っている気分だ。

「おめぇのその顔が気に入らねぇんだよなぁ……」

 立ち上がる僕を見下ろしながら、ボルガスが苛立ちを隠さずに話し出す。お前の顔が気に入られるとでも思っているのだろうか。下膨れの頭の中には胡桃ほどの脳しか入っていないのかもしれない。

「感情が分かりゃしねぇ……今なんてガクブルでおかしくねぇ状況なのに、ずっと無表情…………おりゃぁよ、人間共の怯えた顔が大好物なんだ……お前のそれを見てみてぇ」

「気色の悪い趣味だな」

「あ?」

「耳まで悪いのか? 気持ちが悪いって言っているん

 だ。というか会った時から吐き気が止まらん」

「……てめぇ」

「てめぇだのおめぇだの。僕が仮に感情が分からないとして、お前はなんだ? 怒りの感情しか見えてこないんだが。感情が単調で無表情なのはお前も同じなんじゃないか?」

 言葉の通り、ボルガスには怒りという感情しか見えてこない。何か理由があってそうなったのかもしれないが、どうでもいい。

 僕が勝てる唯一の快路はそこにしかない。

 ボルガスの怒りを刺激する。そこに生まれる隙を付く。

 僕の感情は確かに希薄な気がする。ただ、その反面体によく現れる。ただ、今も足の震えを堪えているが、その理由が分からない。怯える必要は無いからだ。ボルガスは弱い。確実に勝てるのに。

「いいだろう……余興は終わりだ」

 気味悪く笑いながら、ボルガスは後ずさりで距離をとる。すると、僕の視界の中に酒樽が現れ、奴はその背後に回り込んだ。

「ハッキリ、この体でもお前には勝てる。間違いなくだ。ただな、俺のプライドが許さねぇ。ここまでコケにされたのは久しぶりだ……この先どんなヤベェ奴が現れるかもしれねぇし、能力を見せるってなぁ命懸けだからな……まぁ、だが……それを含めてもいいハンデだ」

 ボルガスは大きく笑うと、酒樽を両腕で抱え込んで小さな口を端に付けた。人どころか生き物にも見えない。

 また形態が変化するのだろうか……酸拳の実力も分からないまま?

 考えていると、ボルガスが一気に酒樽を傾けた。溢れる酒が地面にぶつかって溶けていく。抱えた部分が帯状に割れ、そこから全体にヒビが走った。

 唯一見えるボルガスの腕が朱色に染まっていくのが見えた。体から靄のようなものが吹き出し、さながら陽炎のようになっていく。ゆらゆらと揺れるボルガスの体が、次第に細くなって行くようにも見えた。

 …………気のせいだと思いたい。

 だがそんな僕を裏目に、酒樽が激しく弾け飛んだ。

 そこから現れた酸性の煙の裏で、ボルガスは冷静に佇んでいた。靄が乱反射する光を受けて、黒い影の様になっている。

 そこに見える影を見て確信した。

 ……僕の勝ちだ。

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