第4話 ボルガス-1
暫く歩き続けていると、左の壁沿いに大きな扉が現れた。
「あれですよ。あの先で開会式やってるんです」
自信満々に振り返る受付嬢の背後で、扉が思いき開かれた。そこから、ゾロゾロと人が雪崩込んでくる。
そして、館内放送の開始を告げるチャイムが鳴り響いた。
『第1回戦に出場される方は、準備室へ集合してください』との事だった。
「…………どうします? 開会式」
「むっ」
僕の質問に、受付嬢は怒り肩で答えた。
「もういいです。準備室へ案内しますね!」
僕を通り過ぎ、来た道を引き返し始めた。
また歩くのかよ。とは思いつつ、ちゃんと案内してくれる事に感心していた。同時に、どうしてそんな面倒な事に付き合ってくれるのか、分からなかった。
先程よりも少し長めに歩いたところで、廊下を遮るようにして巨大な壁と冷たい門が現れた。
「さ、行ってきてください。死なない程度に頑張って!」
「……はーい」
「やる気なっ! 死んでも知りませんから! 勝手に死ね!!」
「何なんだよ」
受付嬢は怒り肩をぶつけながら去っていった。優しんだか優しくないんだか。僕が鈍いのか、彼女が伝えるのが下手なのか。難しい問題だと思う。
「おいお前、名前は?」
「ニヒツ・ゼル」
急な問に対して、ほぼ反射的に声が飛び出していた。声のした方を見やると、変な格好の守衛が立っていた。
「……ニヒツ・ゼル? 名簿に名前は無いが、1回戦目も相手は?」
「ボルガス」
「……あー」
僕の答えに納得したのか、守衛は門を開く合図を何処かに送った。直後、鎖が動く音と歯車の回る鈍い音が煩く響き渡る。ままあって、鈍重な門がガタッと音を立てて開き始めた。
「さぁ、行った行った。お前は1回戦のど初っ端だ。派手にやられて来い」
「はぁ。ありがとうございます」
どうしてか、ボルガスとかいう奴のおかげで難を凌げ過ぎてるな。本来居ない僕が選手として出れるんだから、本当に奇跡だ。
背後で笑い声がした気がするが、無視した。
門の奥は、複雑な匂いの混じった広々とした空間だった。壁を沿うようにして設置された棚には、多種多様な武器や鎧が並べられていた。ちなみに僕が使えそうな武器は1つも無い。
部屋の中央にはベンチがいくつか設置され、僕以外の人間が何人か立っていた。
その中でも一際目立つ大男が、大樽を抱えて中の物を飲み漁っていた。見たところ、身長は2m以上あって肉付きのある筋肉質だ。スキンヘッドが照らされて眩しい。
「なぁ、ボルガスさん。あれ」
その中の1人と目が合うと、こちらを指さしてきた。
大男は不機嫌そうにその男を殴り飛ばし、僕の方に体を向けた。
かなり遠方に飛んで行ったのか、今更になって壁と肉がぶつかるエグみのある音が聞こえてきた。
「お前が俺の相手?」
死体を嘲る様な目と、怪物みたいに低く不快な声を僕に投げかけてくる。
「はい。そうです。多分」
「ぶぶふっ――ぶっはっは!!」
珍妙な笑い声とともに唾と酒の入り交じった激臭痰が降り掛かる。不愉快極まりない。
自然と眉間と鼻筋に手を当てていた。これが、気分が落ち込むって事か……もう父さんの服を汚してしまった。
「お前、俺に勝てる気でいんの? ププッ――ぶははっ! チビ助、逃げるなら今のうちだぜ!」
「逃げないよ。早くやろう」
ボルガスは眉間に皺を寄せ、梅干しみたいになる。
「お前――」
ドンッ。
そんな、銃声の様な一撃音の後、視界は木片で1杯になった。全くもって見えなかった。今の一瞬で、ベンチを真っ二つに砕いたのか……?
「いいだろう。容赦なく捻り潰してやる」
アナウンス開始のチャイムが鳴る。
『第1回戦 ボルガス選手VSニヒツ選手 アリーナ・リングへ入場をお願い致します 』
アリーナ・リングへ入場した瞬間、体が一気に軽くなったような気がした。それはボルガスも同じ様で、先程よりも機敏かつ体躯に似つかわしくない動きで準備運動を始めていた。
只のジャブが放たれる度に観客は湧いている。ハッキリ言って意味が分からない。
僕は準備運動に何をすればいいか知らない。というわけでとりあえず周囲を観察してみる。
リングはシンプルなレンガ作りで、かなり分厚そうだ。碁盤の目のようにラインが走っている。かなり広い。目測で縦横100mずつくらだろうか。周囲は水で囲われ、来る時に大きな影が見えた。落ちるとどうなるか分かったもんじゃない。
周囲に見える観客席は2~4階まであって空いてる席はまず見当たらない。全ての声援はボルガスへ向けられ、僕と目が合うと逸らすか暴言を吐いてくる。因みに何を言っているかは分からない。
天井は無い。というより、四角い箱状の大きな建物が上にあり、視線を感じた。下からは中が見えないが、逆は出来るのかもしれない。
正面20m先にボルガスが酒樽の横に立っている。準備運動が終わったのか、不敵な笑みを向けてきていた。気持ち悪い。
「お前も能力者なら気がついたと思うが、ここには能力者を抑制する磁場が張られてない……全力で来いよ、すぐ終わっちゃ面白くねぇ」
「はぁ」
磁場か、なるほど……じゃあさっきのベンチ割りはデフォの力なのか……なるほど。
何となく見えた未来を振り払っていると、不意に不快なハウリング音が鳴り響いた。
「さぁて! 記念すべき初戦を飾る戦いは、第1回の優勝者、そして今大会優勝候補にも名前の挙がっているボルガス選手が出場だ!!」
名前を読み上げられ、ボルガスが唸り声を上げると、会場は爆発的に盛り上がった。
「ボルガス選手は第1回の優勝以降姿を暗ませていましたが、今回の優勝賞品を入手すべく現れたとのことです! 尚、どこに居たのかを尋ねたところ、優勝賞金で酒池肉林の日々を送っていたとの事でした」
再び、今度は黄色い声援が飛び交う。想像しただけで吐き気がしそうだが、世間は違うのだろうか。
「そして不運にもその相手に選ばれましたのは、なんと今大会が初戦となるニヒツ・ゼル選手です!!」
どうやら僕はBOOらしい。要はブーイングしか飛び交ってない。どうでもいいんだけど。
「経歴も不明。能力も不明。完全なるダークホースですが、狭い穴をすり抜けて勝ちをもぎ取る事が出来るでしょうか!! 間もなくゴングが鳴らされます!!」
会場に凪が走った。息をする音すら鮮明に聞こえてくる。自分の呼吸が、心拍が煩い。
最初の1手目、奴は何をしてくるのだろうか。そもそも、能力はなんだ……。
考える間もなく、ゴングが鳴らされる。
凪はより一層大きな津波となって会場を震わせた。
最初の1手、ボルガスの動きは予想しないものだった。