第2話 アリーナ地下1階
渡された服を上から順に着る。
フード付きの黒いパーカーにデニム、足元はスニカーで、ストリートな感じのファッションだった。以前から僕はこういう系統が好きだったのだろうか。
戦うにしてはラフな格好だと思ったが、その中でも唯一、戦闘向きだが、異質な物があった。
「指穴の空いたグローブだが、それはアリーナ内では外さないように」と、父さんにはそう言われていた。
続けて「捕食の際は外すしかないが、それも手際よく行え」と言われた。
捕食なんてしたことがないし、詳しい説明もされていないのに、どうやって手際よくやれば良いのか。分からなかったが口から出ていたのは「はい」という言葉だった。
そして現在。
研究所とアリーナを繋ぐワープポータルの前に立たされている。
父さん曰く「気取られてはならない秘密の入口」らしく、合図があったら迷わず突っ込めとの事だった。
その合図の正体は分からない。掛け声があるのか、それとも環境に変化があるのか……。
それにしても、ワープポータルの渦巻く深い緑色を見ていると、吸い込まれそうになる。飛び込みたくなる。そんな不思議な感覚に襲われた。
そうしてボーッと眺めていると、次第にワープポータルの色が青色へと変化し、それにようやく気がついた時、脳内に父さんの声が響き渡った。
『行け』
直後、僕の体は半ば突っ込むような形でワープポータルへと溶けていく。視界が暗闇に包まれ、巨大な力に意識ごと引っ張られている。全身が分子レベルまでバラバラになっていき、自分の全体像が分からなくなっていく感覚が襲いかかってきた。
――だが考えも纏まらない内に、それは正反対の感覚へと姿を変える。高圧の空間に押し返され、内側からひっくり返った体が無理やり吐き出される感覚――
「ダプッ」
顎から着地し滑らかな床の上を滑って行く。他人事だった意識が、僕の元で停止して留まった。
不思議と痛いとは感じない。僕は立ち上がり、周囲を見渡した。
「……ここが、アリーナ?」
ローマンコンクリート製の壁が仄明るい松明群に不気味に照らされ、それらの影が大理石で出来た床とその上を伸びるレッドカーペットの上で踊っている。天井は見えない。強いて言うなら、闇が漂っているくらいだった。
空気も冷たい。鉄のような残り香りが鼻腔に残っているが、ここの匂いでは無いと思う。
父さんから聞いた話から、血気盛んな人間が大勢群がって騒がしい空間なのかと思っていた。
それとも、秘密の入口だからこそ特異な位置に出口が置かれているのだろうか。
不気味な空間だと思う。
……とりあえず、歩いてみるしかないか。
足取り軽く進み始める。
すると直ぐに、巨大な壁のようなものに突き当たった。そこには、取って付けたような木製扉と、『エイン・ゼル』と書かれた札が掛けてある。
「エイン・ゼル……父さんの部屋か?」
どうしてアリーナの内部に……。
訝しみながらゆっくりと扉を開き、隙間から中を確認する。内装は木製のテーブルが1つとその前に椅子が置いてある。その奥に棚がいくつか並び、天井に小さな照明が浮いていた。
扉を開き切り、中に入る。
…………埃臭い。それに足元を見てみると、扉の軌跡が残されていた。
先に進み、照明から垂れ下がった紐を引っ張る。カチッと音を立て、心許ない明かりが周囲を照らした。
部屋の向かいは直ぐそこにあった。棚には色々並んでいるが、目に付くものは何も無い。テーブルの上には書類が乱雑に投げ飛ばされていた。
その中で、気になったものが一つだけあった。
それを持ち上げてできるだけ優しく埃を払う。
「……アリーナの全体図」
それをよく見てみると、現在僕がいる場所はアリーナの地下2階らしい。この階には長い廊下とこの部屋しか置かれていない。不思議な間取りだが、直ぐに全体の構造に目を向ける。
この上、地下1階は牢獄エリア。1階はアリーナ受付、酒場、選手待機室。2階~4階は客席がメインでその周囲に売店が置かれている。そして5階だが、その役割は書いていなかった。ただし、大きな部屋が2つあるのは図面上で分かる。
とにかく、僕が目指すのは1階の受付だ。
この部屋の先、扉を開けて直ぐにある階段から、直接1階に出る事が可能だ。
僕は図面を放り投げ、先を進む。
扉を開くと、冷気が塵を乗せて入り込んできた。
先は真っ暗闇で何も見えない。
高層ビルを繋ぐ鉄骨の上を渡るみたいに歩みを進めた。