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1話 研究所

暗闇の中、遠くで誰かが呼んでいる。

 「――ニヒツ、時間だ」

 暗く、淀んだ声だった。

 「――今、助けてやるからな」

 少し感情の入り交じったその声の中には、焦りのようなものが滲み出ているように感じた。

 布が宙に浮かされ、何かに覆い被さる音が聞こえた。愛おしそうに、それを撫でる音まで鮮明に。

 その後、カツカツと高い音を響かせながら誰かが側までやって来た。

 「――さぁ、お前には時間が残されていないのだ」

その声の主は冷たく、単調子のままに続けた。まるで、無機物に話しかけているみたいだ。

「――世の中、夢も希望も無いものだな……お前も、私も」

 米神が軽く押される。枕元がほんの少し軽くなり、再び米神に小さな衝撃が走った。

 そして――

「為すべき事を成せ」

 その声はプツリと途切れ、束になった情報が映画フィルムのように海馬へ流れ込んでくる。重く流れ込む黒潮は頭の中に滞在し、その場を占拠した。

 だが、次第にその波は緩やかになり、全身にくまなく溶けていく。今度は優しく満たされるような感じがし、とても暖かかった。改めてフィルムの画をよく見てみると、それは誰かの記憶のようだった。

 そんな中で、自分の身体が小刻みに震えているのがもわかった。だが、その現象にはどうも抗えない。身を任せるしか手段がない。

 しばらくして、緩やかになった波が遂に動きを止めた。残されたフィルムが、波打つように暗闇の中で漂いながら靄をまとい始める。

 次第に影を薄めていくそれを見ていると、どうしてか悲しい気持ちになった。

  最後に。

 「僕は、大丈夫だから」

 その言葉を最後に、それらは跡形もなく消えていった。


 次に意識が覚醒した時、手足の先に電流が走ったのがわかった。一瞬のことだったが、それが起因して目を覚ましたのだと理解した。ただ、痛かったから2度と味わいたくない。

 先程まで重かったはずのまぶたが、今度はゆっくりと開くことが出来た。

 消えかけの点滅している蛍光灯が、遅れてくる緑の逆行を受けて鈍く辺りを照らしている。

 するとそれを堰に、五感の全てが冴え渡ったみたいに全身で情報を感じ取れた。

 消毒剤のアルコール臭。冷たくも硬いベッド。不気味な警報音が重く漂う空気を伝って耳に入ってくる。

 咥内には鉄錆のような苦味が蔓延り、不快感が凄い。舌を外に出すとマシになったが、今度は薬品の苦味が伝ってきたので素直にしまっておく。

 そしてようやく頭が回り出した。最初に思ったのは、自分が何者なのか、ということだった。もちろん、答えがその辺に転がっている訳が無い。

 上半身をむくりと起こし、周囲を見渡す。

 僕を中心に緑のボロいカーテンや担架が至る所に転がっていて、その傍には血にまみれた肉塊が放り投げられていた。

 「……ここは? それに、さっきの声――」

 あれは、父さんの声だ。

 「目を覚ましたか」

  噂をすれば、その声の正体は正面にある扉を開いて現れた。

 扉スレスレの高身長でやつれた顔をしていた。着ている白衣は汚れ、不揃いの白髪はボサボサ。顔の輪郭に沿って汚い髭が這っている。薄く記憶にこびりついている人物とは似て非なる容姿だった。

 その人は、細めた黒い目で僕を見据えたが、すぐに踵を返す。

 そして、首だけで振り返り「こっちへ」と言って消えていった。

  僕の口からは「はい」という言葉が口を吐いて出ていた。完全に無意識の行動だった。

 ベッドから冷たいタイルの上へ降り立ち、扉の方へと向かって歩く。

 この肉塊の正体は何なんだろうか。こんなにも量があっては、食べ切るのも一苦労だろう。あの人がそんな大食漢だとは思えないし。

 扉を開いてまず先に目に入ってきたのは、黒い布で覆われた大きな何かだった。部屋の中央にあるそれには、数多のコードが土台に接続されており、隙間からは緑の液体と何かの一部が見えた。

「――時間が惜しい。端的にお前のすべき事を伝える」

「はい」

声がした方向へ体を向ける頃には、既に返事をしていた。他人行儀な言い方だが、そうとしか言いようがない。思う前には、出ているのだ。

「お前にはこれから、『アリーナ』と、一般ではそう呼ばれている場所に行ってもらう」

「はい」

 アリーナ、か……知らないな……聞いたことが無い。と言っても、単語の意味自体は何となく知ってるから、想像することくらいはできるけど、あまりに聞き馴染みが無さすぎる。

「そこでは毎日、能力者同士が戦い、傷つけあう。人々はそれを見て多幸感を感じ、賭け事や商売をしたりする……そういう野蛮な場所だ。バカしかいねぇんだよ」

 そう言うなり、父さんは薄ら笑みを浮かべながら近くにあったアルコール消毒液に口を付け、一気に傾けた。

 中身の無くなった容器を投げ捨て、次の容器に手を掛けながら続ける。

「あそこじゃな、能力者同士の殺し合いも黙認され、一般人の権利が一方的に主張されちまってる。そういう場所にしたんだ」

「そういう場所に――」 

父さんが人差し指を立てると、次の言葉が消えて霧消した。何を聞こうとしたのか、さっぱり分からなくなった。

「あのバカ共はそれに疑問も覚えない。だから、そこを利用する――お前の手を見てみろ」

 父さんはアルコール消毒液を飲みながら手を払った。

 途端に自由になり、言われた通り手を見てみる。色の白い骨ばった手の甲だ。特段、違和感は無い。

 次に、手を返してみる。すると、そこにあったのは柔らかそうな肉と皮だけではなかった。

「ソイツはな、お前の捕食口だ」

「……捕食、口?」

 そう。その文字通り、両手の平の上を真っ二つに横切るようにして、大きな口がそれを閉ざしていた。ただ、唇と呼ばれるような部分は存在せず、現在は一本線の切り傷と言われても遜色ない。

「その時が来れば、本能的に動ける筈だ。とにかくお前は『アリーナ』に出場し、片っ端から能力者を食いあらせばいい。その中で欲しい能力はひとつだが、ついでに処分できるならこの上ない幸せだからな」

「……幸せ」

「説明は以上――」

父さんは椅子を引いて立ち上がり、頭上の棚から服のような物を取り出した。この研究所で唯一、健康的な色だった。綺麗に保存されていたことが伺える。

 それを大切そうに抱え、見つめていたが、直ぐに目を瞑ってかぶりを振った。

「――さぁ、これを」

 その服だけは乱暴に扱おうとせず、わざわざ近寄ってきて、僕の出したての上に乗せた。

「ひとつ」

「はい」

 顔を上げると、父さんの黒い目の中に僕が居た。無機な顔つきで白髪の、見慣れない顔だった。

「私の命運はお前に掛かっている……頼むぞ」

「はい……分かりました」

 その返事を聞くと、満足そうに椅子へと戻って行った。

 父さんの為に。そう思うと、それだけで心が踊った。

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